2026年3月12日
公正の裏に潜む代償:正しさを貫くことの心理的コスト

私たちは日々、様々な場面で「公正さ」について考えます。職場での人事評価、仕事の割り振り、あるいは社会における富の分配など、その対象は多岐にわたります。自分は公正に扱われているだろうか、あの決定は公正だったのだろうか、といった問いは、私たちの感情や行動に関わっています。公正さは客観的で、誰にとっても同じ基準で測れるものだと考える人もいるかもしれません。しかし、私たちが何かを「公正だ」あるいは「不公正だ」と感じる心のメカニズムは、実は非常に繊細で、置かれた状況によってその姿を変えます。
例えば、自分の給与額を知ったとき、同僚の給与額を知っている場合と知らない場合とでは、その金額に対する受け止め方は変わるかもしれません。また、公正であろうと振る舞うこと自体が、それを行う人にとって、どのような体験をもたらすのでしょうか。常に善意で満ちた行為なのでしょうか、それともそこにはコストが伴うのでしょうか。本コラムでは、このような公正さにまつわる様々な問いを多角的に掘り下げていきます。
他者と比較できない時、手続きの公正さで自分の結果を判断する
自分の待遇が公正かどうかを考えるとき、多くの人は他者との比較を一つの判断材料にします。しかし、現実の生活では、他者がどのような結果を得たのかを知る機会は限られています。同僚の正確な給与額や、他の候補者の評価点など、比較の基準となる情報が手に入らない状況は珍しくありません。そのような不確かな状況で、私たちは一体何を手がかりに、自分の得た結果に納得したり、不満を抱いたりするのでしょうか。
この問いに答えるため、ある研究が行われました[1]。その研究は、情報が不確かなとき、人々は結果ではなく、そこに至るまでの「手続き」のあり方を判断の拠り所にするという考え方を検証しました。人は、判断に迷うと、手に入れやすく解釈しやすい情報を「近道」として用いることがあります。結果の良し悪しを直接判断する材料がない場合、「自分の意見を言う機会が与えられたか」といった手続きの公正さが、その「近道」になるというのです。
この仮説を検証するために、二つの実験が計画されました。最初の実験は、参加者にシナリオを読んでもらう形で行われました。参加者は、実験の報酬として、もう一人の参加者と宝くじを分け合う場面を想像するよう求められます。このとき、自分自身は3枚の宝くじを受け取ることになっていました。
実験の条件は、二つの軸で操作されました。一つ目の軸は「手続きの公正さ」です。一部の参加者は、宝くじの枚数を決める前に、自分の希望を伝える機会が与えられました(声あり条件)。もう一方の参加者には、その機会がありませんでした(声なし条件)。二つ目の軸は「他者との比較情報」です。他者が受け取った宝くじの枚数が、「自分より多い(5枚)」「自分より少ない(1枚)」「自分と同じ(3枚)」、そして「不明」という四つの条件のいずれかに設定されました。
結果は、比較情報の有無で異なりました。他者が何枚の宝くじを受け取ったか分からない「不明」条件を見てみましょう。
この条件では、手続きの公正さが結果の受け止め方を左右しました。自分の意見を言う機会があった参加者(声あり条件)は、機会がなかった参加者(声なし条件)に比べて、自分が得た3枚の宝くじという結果に対して、より満足し、公正なものだと評価しました。比較対象がいない中で、結果の価値を測ることは困難です。そのため、人々は「自分は尊重され、適切に扱われたか」という手続きの記憶を、結果を評価する代替的な物差しとして使ったのです。
一方で、他者の結果を知っている条件では、判断の主軸が「社会的比較」へと移りました。人々は、手続きのあり方よりも、他者と比べて自分の結果がどうであったかを基準に判断を下しました。とりわけ、他者と同じ3枚の宝くじを受け取った参加者が、最も高い満足度と公正感を示しました。比較情報がある状況でも、手続きの公正さの功用は完全にはなくならず、意見を言う機会があった参加者の方が満足度は高いままでした。
このシナリオ実験で得られた知見の信頼性を高めるため、二つ目の実験が、実際の行動を伴う形で実施されました。参加者は実験室で課題を行い、その報酬として宝くじを受け取ります。手続きや比較情報の条件設定は、一つ目の実験と同様です。この実験でも、ほぼ同じ結果が再現されました。他者の結果が不明な条件では、手続きの評価と結果の評価の間に強い結びつきが見いだされ、人々が手続きを手がかりに判断を下していることが改めて裏付けられました。
公正な振る舞いは、手続き的だと消耗し、対人的だと回復をもたらす
公正な手続きが、それを受ける人にポジティブな意味を持つことは先に述べました。視点を転換し、公正さを「実践する側」に立つと、どのような光景が広がっているのでしょうか。例えば、部下を評価するマネージャーや、ルールを適用する担当者にとって、公正であろうとすることは、常に清々しく、やりがいに満ちた行為なのでしょうか。あるいは、そこには目に見えない精神的なコストが伴うのでしょうか。
この問いを探求した研究は、公正さには異なる種類があり、その種類によって、実践する本人に逆の心理的な影響をもたらす可能性を検討しました[2]。この研究で用いられたのが、「自我消耗」という考え方です。これは、私たちの自制心や意思決定に使う内的なエネルギー、いわば「心のガソリン」のようなものは有限であるという理論です。このエネルギーは、難しい判断を迫られたり、自分の感情や衝動を抑えたりするたびに少しずつ消費されていきます。
この考え方に基づき、二種類の公正な振る舞いが、精神的エネルギーを「消耗」させるか「補充」するかが調べられました。一つは「手続き的公正」です。これは、意思決定のプロセスにおいて、一貫した基準を用いる、個人的な偏見を排除する、関係者の意見を聞くといった、ルールに基づいた公平性を指します。研究者たちは、この手続き的公正を実践することは、精神的エネルギーを消耗させると予測しました。
その根拠は二つあります。第一に、ルールに従うという行為が、エネルギーを必要とするためです。自分の自然な感情とルールにずれがある場合、感情を抑制するためにより多くの自制心を発揮せねばなりません。例えば、マネージャーが、内心では好ましくないと感じている部下と、お気に入りの部下を、評価ルールの下で全く平等に扱おうとすれば、自身の偏見を抑え込むための精神的な努力が求められます。
第二に、手続きの適用には「不確実性」がつきまといます。「どの範囲の関係者にまで意見を聞くべきか」「この状況でこのルールを適用することが、後から批判を招かないだろうか」といった迷いや不安は、精神的な負担となります。
もう一つは「対人的公正」です。これは、他者に対して敬意を払い、尊厳をもって丁寧に接するといった、対人関係における扱いの公平性を指します。研究者たちは、手続き的公正とは対照的に、この対人的公正を実践することは、精神的エネルギーを補充、すなわち回復させるのではないかと考えました。礼儀正しく、敬意をもって人と接することは、多くの人にとって幼い頃から身につけた、比較的自然な振る舞いです。手続き的公正ほど、複雑なルールや判断の迷いを伴いません。
そして何より、対人的公正は、ポジティブな社会的相互作用を生み出します。敬意をもって接すれば、相手からも感謝や笑顔といった好意的な反応が返ってくることが多いでしょう。こうした他者からの肯定的なフィードバックは、社会的な報酬として機能し、私たちの心を温め、消耗したエネルギーを補充する力を持ちます。
この仮説を検証するため、82人の管理職を対象とした調査が行われました。参加者は10日間にわたり、毎日、自身がその日に行った公正な行動の種類と頻度、そして自身の精神的な消耗の度合いなどを記録しました。
分析の結果、予測された関係性が現れました。手続き的に公正な振る舞いを多く行った日ほど、その翌日には精神的な消耗度が高まっていることが分かりました。ルールに則って公平であろうとする努力は、実践する本人にとって、紛れもない負担となっていたのです。その一方で、対人的に公正な振る舞いを多く行った日ほど、翌日の精神的な消耗度は低くなっていました。他者を尊重する態度は、本人のエネルギーを回復させる効果を持っていました。この回復の効果は、もともと不安を感じやすい性格の人において、より顕著に見られました。
職場の公正さは、心理的健康よりも職務満足度をより強く向上させる
職場で公正に扱われることが心身に良いことは直感的に理解できます。しかし、その「良さ」は具体的にどの範囲に及ぶのでしょうか。公正な職場環境は、私たちの人生全般における精神的な健康を高めてくれるのでしょうか。それとも、その効き目は、仕事に関連した感情や満足度といった、より限定された領域にとどまるものなのでしょうか。
この疑問を解き明かすため、オーストラリアの警察組織で働く1700人以上を対象とした調査が実施されました[3]。この調査は、職場の公正さが従業員のウェルビーイングにどの程度貢献するかを、他のストレス要因と比較しながら明らかにすることを目的としました。
研究ではまず、従業員のウェルビーイングを測るための基準点として、職場のストレス研究で広く用いられている「デマンド・コントロール・サポートモデル」が用いられました。これは、仕事の要求度(デマンド)の高さ、自分で仕事を管理できる裁量権(コントロール)の低さ、上司や同僚からの支援(サポート)の欠如が、従業員の心身に不調をもたらすという考え方です。これら既存の要因の影響を考慮した上で、なお「組織的公正」がウェルビーイングを説明する上で独自の価値を持つのかが検証されました。
組織的公正は、報酬や評価といった結果の公平性に関する「分配的公正」、意思決定プロセスの公平性に関する「手続き的公正」、上司などから敬意をもって扱われているかに関する「対人的公正」、必要な情報が適切に提供されているかに関する「情報的公正」という四つの側面から測定されました。
これらの要因が、二種類のウェルビーイング指標にどう結びつくかが分析されました。一つは、職場に限らない全般的な精神状態を測る「心理的健康」。もう一つは、仕事に対する満足感を測る「職務満足度」です。
分析の結果、「心理的健康」については、仕事の要求度の高さや、職場での支援の低さといった、伝統的なストレス要因が強く関連していました。これらの要因に加えて組織的公正の四つの側面を分析モデルに投入しても、モデルの説明力はほとんど向上しませんでした。このことは、職場で公正に扱われているという感覚が、必ずしも私たちの全般的な心の健康に直接的に結びつくわけではないことを示しています。
ところが、「職務満足度」については、異なる結果となりました。こちらでは、伝統的なストレス要因に加えて、組織的公正の変数が、満足度を説明する上で独自の影響を持っていることが明らかになりました。特に、分配的公正、対人的公正、情報的公正の三つが高いと感じている従業員ほど、自分の仕事に対する満足度も有意に高いという関係が見られました。
公正に扱われている実感は、人生全体の幸福感を底上げするものではないかもしれませんが、「この職場で働いていて良かった」という仕事に特化した肯定的な感情を育む上で、かけがえのない要素だと確認されたのです。
この調査では、公正さの異なる側面が組み合わさることで生まれる関係性も確認されました。例えば、自分にとって望ましくない結果(低い分配的公正)を受け取ったとしても、その決定に至るプロセスが公正であった(高い手続き的公正)と認識できれば、結果に対する不満が和らぐという現象です。
組織における公正さの研究は、結果から手続き、対人関係へと発展
これまで、公正さという概念を様々な角度から見てきました。他者との比較ができない状況で何を手がかりにするのか、公正さを実践する側の心の動き、公正さがもたらす効用の範囲。このように公正さを多角的に捉える視点は、一朝一夕に生まれたものではありません。その背後には、この複雑な概念を理解しようと試みた、研究者たちの長い探求の歴史があります。公正さに対する私たちの理解が、どのように深化してきたのか、その知的遺産の軌跡をたどってみましょう[4]。
組織における公正さの研究史は、大きく三つの「波」として整理することができます。それぞれの波は、人々の関心がどこにあったかを反映しています。
第一の波のキーワードは、「相対的剥奪」です。これは、公正さの研究の源流とも言える考え方で、人が抱く不満感は、自分の置かれた状況を、他者や「ありえたかもしれない、より良い状況」と比較することによって生まれると捉えます。
この考え方を象徴する古典的な調査として、第二次世界大戦中のアメリカ兵を対象としたものがあります。その調査では、昇進の機会が少ない部隊の兵士の方が、昇進の機会が多い部隊の兵士よりも、昇進制度に対する満足度が高いという、一見すると逆説的な結果が得られました。
これは、周りに昇進者が少ない環境では自分が昇進できなくても不公正と感じにくく、逆に昇進者が多い環境では取り残されることが相対的な不利益として強く感じられたためと解釈されます。この第一の波は、私たちの公正感が絶対的な基準によるものではなく、比較対象によって揺れ動く相対的なものであることを明らかにしました。
第二の波は、「分配的公正」の時代です。ここでは、より明確な理論的枠組みが提示されました。それは、人は自分の「インプット(努力や貢献など)」と、それに対して得られる「アウトカム(報酬や評価など)」の比率を、他者のそれと比較して公正さを判断するという考え方です。この「衡平理論」によれば、自分と他者の比率が釣り合っていると感じれば満足し、不均衡であると感じれば不満を抱きます。自分の報酬が貢献に見合っていない(過少報酬)と感じると、仕事への意欲を失うと予測されました。
この理論は大きな進歩でしたが、「プロセス」や「人間関係」といった側面を見過ごしている限界も指摘されるようになりました。
そして、第三の波が訪れます。関心の焦点は、「何を得るか」という結果から、「どのように扱われるか」というプロセスへと大きく移行しました。これが「手続き的公正」への関心の高まりです。
この流れは、二つの源流から生まれました。一つは法学の分野からで、裁判などの紛争解決の場で、たとえ自分に不利な判決が下されたとしても、自分の意見を十分に表明する機会(ボイス)が与えられれば、その手続きは公正だと感じられ、結果を受け入れやすくなることが発見されました。もう一つは、公正な手続きを構成するための具体的なルール(一貫性があるか、偏見が抑制されているか、など)を体系化しようとする試みです。これら二つの流れが合流し、「組織的公正」という研究分野が確立されるに至りました。
第三の波の後半には、さらに新たな視点が加わります。「相互作用的公正」です。これは、意思決定のプロセスにおいて、権威を持つ人物から敬意をもって扱われるか、個人の尊厳が保たれるか、といった対人関係の質に焦点を当てるものです。
公正さの研究の歴史を振り返ると、私たちの関心が、目に見えやすい「結果の公平さ」から、次第に「プロセスの透明性」、そして「人間としての尊厳」といった、より目に見えにくく、しかし心理的には奥深い側面へと深化してきた道のりが浮かび上がってきます。この歴史は、私たちが職場で求めるものが、経済的な報酬や地位だけでなく、尊重され適切に扱われるという承認であることを物語っています。
脚注
[1] van den Bos, K., Lind, E. A., Vermunt, R., and Wilke, H. A. M. (1997). How do I judge my outcome when I do not know the outcome of others? The psychology of the fair process effect. Journal of Personality and Social Psychology, 72(5), 1034-1046.
[2] Johnson, R. E., Lanaj, K., and Barnes, C. M. (2014). The good and bad of being fair: Effects of procedural and interpersonal justice behaviors on regulatory resources. Journal of Applied Psychology, 100(3), 599-613.
[3] Lawson, K. J., Noblet, A. J., and Rodwell, J. J. (2009). Promoting employee wellbeing: The relevance of work characteristics and organizational justice. Health Promotion International, 24(3), 223-233.
[4] Byrne, Z. S., and Cropanzano, R. (2001). The history of organizational justice: The founders speak. In R. Cropanzano (Ed.), Justice in the Workplace: From Theory to Practice (Vol. 2, pp. 3-26). Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。
