2026年3月10日
スタイルの戦略:美学が企業を動かす力

かつてアップル社の共同設立者の一人は、大学で偶然学んだカリグラフィーが、のちにマッキントッシュの美しいフォントデザインの原点になったと語りました。一見、ビジネスと無関係な美的感性が、画期的な製品や企業の運命を左右することがあります。この逸話は、私たちが組織や経営を考える上で見過ごしてきたかもしれない「美学」という視点を投げかけます。
ビジネスの世界では、長らく効率性や合理性が成功の原則だと考えられてきました。しかし市場が成熟し、機能的な価値だけでは差別化が難しくなった現代、人々を惹きつけるのはデザインの美しさやブランドが持つ独特のスタイル、心地よい体験といった感覚に訴える要素ではないでしょうか。
本コラムでは、「組織美学」という領域に光を当てます。組織における「美」とは、オフィスのおしゃれさや製品デザインの洗練といった表面的な事柄だけを指すのではありません。経営戦略から組織運営、働く人々の経験に至るまで、あらゆる側面に宿る感覚的な価値の総体を指しています。
本コラムでは、まず経営戦略に「スタイル」という美学的な概念をどう組み込めるかを探り、そして、芸術を目的とする組織では組織全体がどう美的な体験の対象となるかを解き明かします。さらに、働く人々の言葉にしにくい感覚的な経験をどうすれば深く理解できるのか、その方法論まで考察します。
経営戦略において美学的なスタイルが価値創造の中核となる
私たちの周りでは、企業活動が数多くの美的な選択によって成り立っています。製品のフォルムや色彩、ロゴマーク、店舗の空間デザイン、従業員の制服に至るまで、組織は日々、何が美しいか、何が心地よいかという判断を下しています。こうした選択は、製品に高級感や親しみやすさといった象徴的な意味を付与し、私たちの感覚に働きかけることで、購買意欲やブランドへの愛着を形作っています。
経済活動がこうした美的な価値を取り込むようになった歴史は、19世紀半ばにまで遡ります。豪華な装飾の百貨店が誕生し、商品を魅力的に見せるポスターやパッケージデザインが盛んに用いられました。その後、芸術の世界でも商業イメージが作品の題材となり、経済と美学の境界線は次第に曖昧になっていきました。そして現代は、感情的な体験やブランドの世界観が価値を持つ「芸術的資本主義」の時代とも呼ばれることがあります。
この状況で、経営戦略を考える上で鍵となる概念が「スタイル」です[1]。スタイルとは、製品の「機能」とは区別されるもので、「何かをどのように行うか、創造するか」というあり方を指します。より詳しく言えば、「持続的で、認識可能な美的選択のパターン」と定義できます。時間を超えて一貫したパターンがあるからこそ、私たちは特定の映画監督や建築家のスタイルを見分けることができるわけです。
このスタイルは、作り手が一方的に発信するのではなく、受け手である社会の人々との相互作用の中で生まれる社会的な産物でもあります。
生産者である企業はこのスタイルをどう用いるのでしょうか。ある電子音楽市場の分析では、独創性と表現の一貫性を両立させたアーティストが高い評価を得ていました。
腕時計を対象とした調査では、美的デザインの複雑さと技術的な複雑さのバランスが問われました。専門家はデザインの洗練度を評価する一方、一般顧客は技術性能を求めるかもしれません。複数の受け手の期待に応えることが、戦略上の課題となります。ハイヒールを題材にした実験では、そのスタイルが権力や社会的地位を象徴し、履く人の心理や行動にまで変化をもたらす可能性が探られました。
スタイルは、受け手によってその価値を評価されます。自動車、コーヒー、パソコンの三業界を調べた分析では、これまでにない美的な革新が消費者の感情を揺さぶり、市場の競争構造を変えていく過程が解明されました。一方で、映画市場のデータを分析したところ、興行的に成功した作品とスタイル的に似た映画は、翌年以降、消費者からかえって低い評価を受けるという結果が得られました。
これは、受け手が模倣ではなく本物らしさや独自性を求めていることの表れかもしれません。ファッションの世界では批評家が大きな存在感を放ち、デザイナーは批評家の評価を意識し、他者と競いながら自らの独自性を打ち出していきます。
著名な学者たちへのインタビュー調査では、美学が戦略上きわめて有用であるという点で見解が一致していました。美は、他社が容易に模倣できない無形の資産として、企業の競争力を支える源泉となり得ます。美しく快適な職場環境は、優秀な人材を惹きつけ、創造的な活動を育むことにもつながります。
今後の研究の方向性として、いくつかのテーマが挙げられます。
一つは、企業がスタイルを通じて、機能性を超えた独自の価値をいかに生み出すかという問いです。職人技へのこだわりが製品の信頼性を高め、競争上の強みとなる事例があります。
二つ目は、リーダーシップとスタイルの関係です。リーダーが語るビジョンや物語は、人々を惹きつけるために美的な魅力を持つ必要があります。
三つ目は、職場における美的な実践です。美しい職場環境が創造性を刺激するという観点から、リーダーに何ができるかを探ることなどが考えられます。
最後に、テクノロジーとスタイルの関係です。両者は相互に作用し合いながら新しいものを生み出します。建築家が三次元設計ソフトウェアを駆使して複雑な建築を実現したように、テクノロジーが新たな創造の扉を開くのです。
戦略とは計画的な行動を指し、スタイルは偶発的と見なされやすく、両者は一見すると相容れないように思えます。しかし、「スタイルの戦略」として両者を統合することは可能です。戦略における「美学的転回」とは、利益や効率だけを追い求めるのではなく、組織文化を豊かにし、働く人々に仕事の目的意識をもたらすことを意味します。
アート組織経営では、組織自体が美的消費の対象となる
先ほどは、一般企業において美学的な「スタイル」が経営戦略の中核となりうることを探りました。芸術活動を目的とするアート主導型の組織では、美学はどのように経営と結びつくのでしょうか。そこでは、芸術作品という「製品」だけでなく、組織そのものが一つの美的な体験の対象となる、より踏み込んだ関係性が見えてきます。
この問いを探るため、「オートエスノグラフィー」という手法を用いた調査があります[2]。これは、研究者自身が長年のアート組織経営で得た経験を分析の中心データとするアプローチです。ある研究者は、ブラジルでの19年間にわたる経営経験を資料と共に振り返り、他の経営者へのインタビューなどを通じて多角的に分析を進めました。アート組織における美学や感覚といった、数値化しにくい側面を理解するのに適した方法と言えます。
この調査の中心概念は「美的消費」です。美的製品やサービスの体験を通じて感覚的な評価が刺激され、快楽や感情の解放、自己の変容、象徴的な意味などが生まれる経験を指します。組織の研究で「美学」という言葉が使われるとき、それは「美しい」という感覚だけを意味するのではありません。崇高さや醜さ、滑稽さや悲劇性といった、人間の五感を通して知覚される「感覚知」と呼ばれるもの全般を捉えようとします。
この美的消費の力学は、アート組織の経営において四つの側面から浮かび上がってきました。初めに、芸術作品という「製品」の消費に二つの側面があります。一つ目は、観客が作品を五感や感情といった身体全体で体験する点です。例えば、幼児向けの演劇では、色彩や匂い、触覚といった感覚的要素を通じて演者と子どもたちの間に豊かな関係が築かれます。これに応えるマネージャーは、観客に最高の体験を届けるには作品が「美」と「卓越性」に包まれている必要があると考え、細部に至るまで質の高い状態で提供されるべきだと認識しています。
製品消費の二つ目の側面は、観客が芸術体験を通じて日常から離れ、自己が変容する可能性を求める点です。それは必ずしも心地よい体験ばかりではなく、時に深い思索を促します。マネージャーは、このような「予期せぬ体験」へと観客を導くため、工夫を凝らします。多くの人によく知られたシンボルやテーマを入り口として提示し安心感をもたらし、その上で新しい未知の芸術体験へと誘うのです。あるオーケストラは、「クリスマス」をテーマにした演奏会で、馴染みの薄いクラシック曲を紹介し、観客に新たな発見の機会を提供しました。
美的消費の対象は、舞台上の作品だけにとどまりません。観客は、組織も消費の対象とします。これが三つ目の側面で、会場の雰囲気やスタッフとの交流など、組織を取り巻くすべての感覚的・象徴的要素が体験の一部となります。組織が持つ独自のアイデンティティが、消費の対象となるわけです。
これを理解するマネージャーは、組織全体を感覚的に体験できる機会を作ることで、観客との結びつきを深めようとします。ある公立劇場は、堅苦しいイメージを払拭するため、地域住民を招いて郷土料理と音楽を楽しむパーティーを開催し、劇場が身近な場所であることを示しました。
四つ目の側面として、観客は組織で心地よい体験を重ねるうちに、その場所への愛着や帰属意識を育みます。時に、上演演目を知らずに「ただその場所にいるため」だけに劇場を訪れるファンも現れるほどです。この強い結びつきを生み出す鍵として、マネージャーは「快楽」、すなわち楽しさの提供を意識します。あるオーケストラでは、観客層の高齢化という課題に対し、楽団員が映画の登場人物に扮して演奏する、遊び心に満ちたコンサートを企画し、他の伝統的な演奏会へも足を運んでもらうきっかけとしました。
この調査から浮かび上がるのは、アート組織の経営において美的消費が中心的な位置を占めているという事実です。観客が美的消費の対象とするのは、個々の芸術作品だけでなく組織自体であるという点が示唆的です。組織の雰囲気や提供される体験のすべてが、観客の感覚に訴えかけ、消費されていきます。したがって、アートマネージャーは、美的消費を組織の持続可能性を支える経営実践の核として捉え、組織生活全体を通じて豊かで魅力的な美的体験を創造していく必要があります。
組織の美的経験は、参加者が撮った写真を用いて探求できる
これまで、経営戦略や組織運営において美学がいかに織り込まれているかを見てきました。しかし、そこで働く人々が日々、自らの職場で抱いている感覚的な経験、すなわち「感じられた意味」は、非常に個人的で捉えどころがなく、言葉にするのも難しいものです。こうした主観的な美的経験を、私たちはどうすれば探求し、理解できるのでしょうか。ここでは、その具体的な「方法」に焦点を当てます。
組織における美的経験を研究しようとするとき、いくつかの課題に直面します。
第一に、美的経験は物理的な「モノ」や環境と切り離せないため、研究では組織内の物質的な世界を分析に含める必要があります。
第二に、美的経験は身体的・感覚的であるがゆえに、言語で論理的に説明することが困難です。
第三に、美的経験は、特定の音楽や香りによって不意に呼び起こされる記憶のように、非常に短く、はかない瞬間的な出来事であることが多いものです。
第四に、美的判断は個人的であると同時に、その人が育ってきた社会的・文化的な背景に根差しています。
これまでの組織美学の研究は、大きく二つのアプローチに分けられます。一つは、研究者が批評家のように第三者の視点から組織の美的現象を分析する「解説者アプローチ」です。この方法では、研究者自身の美的感性が分析の中心となり、組織で働く人々の視点は二次的になります。もう一つは、組織メンバーの視点を重視するアプローチですが、具体的な方法については詳しく語られてきませんでした。従業員が自身の仕事を美的な観点から語ることに慣れていない「美的無言」とも呼べる状況も、調査の難しさの一因とされてきました。
こうした課題に応えるため、あるIT企業のウェブデザイン部門で行われた調査で用いられた「感覚的な方法論」は、一つの道筋を明らかにします[3]。その会社では、経営陣が主導して職場環境を「楽しくファンキーな場所」に変えるプログラムが進められていました。調査の目的は、この「美化プログラム」に対して従業員が実際にどう感じているのかを明らかにすることでした。
この調査で中心となったのが、インタビューと写真撮影を組み合わせた手法です。美的経験の言語化の難しさを乗り越えるため、インタビューでは参加者に「物語(ストーリー)」を語ってもらうことが試みられました。自身の生い立ちを語ってもらうことで、その人の美的判断がどのような個人的背景に根差しているのかを探ることができました。例えば、ある参加者は、田舎の職場環境を好む理由として、自身の幸せだった幼少期の記憶が結びついていると語りました。
この方法の核となるのが、「フォト・エリシテーション」と呼ばれる、参加者自身が撮影した写真を用いる手法です。インタビューに先立ち、研究者は参加者にデジタルカメラを渡し、「この職場で働くことがどのように感じられるかを写真で表現してください」というシンプルな指示だけを与え、自由に職場を撮影してもらいました。後日、その写真をスクリーンに映しながら、一枚一枚について対話を進めていきました。
この写真を用いた手法には、美的経験を探る上で三つの利点がありました。一つ目は、写真が「参加者の美的世界への窓」となる点です。何を撮影し、何をフレームから外すかという選択が、その人にとって何が重要で、どのような美的価値観を持っているかを雄弁に物語ります。これによって、研究者の視点ではなく、参加者の視点から世界を見ることが可能になります。
二つ目は、写真がインタビューの場で美的経験を「再創造」する点です。写真は、撮影した対象物をその場に「持ち込む」ことを可能にします。写真を見ることで、参加者は撮影した時の記憶を鮮明に呼び起こし、視覚だけでなく、その場の匂いや音、肌触りといった多感覚的な経験を再体験できます。これによって、美的経験の一過性という課題に、ある程度対応することが可能になるのです。
三つ目は、写真に関する対話を通じて、美的判断の「社会的文脈」を探ることができる点です。参加者がなぜその写真を撮ったのか、研究者はその写真から何を感じるのか、その解釈の違いについて話し合う中で、個人の美的判断がいかに社会的に形作られているかが浮かび上がってきます。一枚の写真だけでは分からない、組織内の人間関係や政治的な力学といった背景が、対話を通じて明らかになることもあります。
脚注
[1] Cattani, G., Ferriani, S., Godart, F., and Sgourev, S. V. (2020). The aesthetic turn in strategy: Creating value with style. In G. Cattani, S. Ferriani, F. Godart, and S. V. Sgourev (Eds.), Aesthetic and Style in Strategy (Advances in Strategic Management, 42, 1-15). Emerald Publishing.
[2] Araujo, B. C., Davel, E., and Rentschler, R. (2020). Aesthetic consumption in managing art-driven organizations: An autoethnographic inquiry. Organizational Aesthetics, 9(3), 63-84.
[3] Warren, S. (2008). Empirical challenges in organizational aesthetics research: Towards a sensual methodology. Organization Studies, 29(4), 559-580.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。
