2026年3月9日
境界を操作する言葉:専門職の正当化と抵抗

私たちの仕事は、誰かとの関わりの中で成り立っています。チームの同僚、他部署の担当者、顧客。私たちは日々、様々な人々と協力し、交渉しながら目標に向かって進んでいます。その関わり合いの中で、私たちは無意識のうちに、ある種の「線引き」を行っています。
「ここまでは自分の仕事、ここからはあなたの仕事」「この件はチーム内で解決すべきだ」。このような判断の一つひとつが、実は「境界」をめぐる営みです。境界は、私たちを隔てる壁のように感じられるかもしれません。しかし、それは同時に、私たちが自分の専門性を守り、チームとしての一体感を醸成し、組織の中で円滑に協働するための仕組みでもあります。
この境界という目に見えない線は、どのように引かれ、維持され、越えられていくのでしょうか。個人は、異なる文化や価値観を持つ人々と働くとき、自分の中にどのような境界線を引いているのでしょう。チームは、外部からの圧力や要求に対して、どう自分たちを守り、あるいは外部とつながっていくのでしょう。
本コラムでは、こうした問いを掘り下げていきます。グローバルなサプライチェーンから、異文化が交錯するオフィス、学校の教室、ソフトウェア開発の現場まで、様々な職場で行われた調査の結果を紐解きながら、「チームと個人の境界実践」の世界を探求します。
調達仲介者は権力・言語・文化の境界をまたぎ、労働条件を改善
グローバル化した現代、製品が私たちの手元に届くまでには数多くの国や企業が関わっています。例えば衣服一枚をとっても、西欧のブランド企業(買い手)とアジアの製造工場(売り手)といった、遠く離れた組織間の取引が存在します。両者の間には、地理的な距離だけでなく、企業の規模の違いからくる力の不均衡、使用言語、仕事の価値観といった文化の違いなど、いくつもの見えない境界が横たわっています。
このような複雑な状況で、両者の間に立つのが「調達仲介者」です。この仲介者が、様々な境界をどう乗り越え、労働条件の改善という課題に取り組んでいるのかを明らかにする調査が、インドのニット衣料輸出産業を舞台に行われました[1]。研究者たちは、現地の仲介者、工場経営者、労働者など合計34人に詳細な聞き取り調査を実施しました。
分析から、買い手と売り手の姿勢が「協調的」か「非協調的」かで整理できることが見えてきました。協調的な買い手は現地の事情を理解し長期的な関係を築こうとしますが、非協調的な買い手は自国の基準を一方的に押し付けます。売り手側も同様に、外部から学ぼうとする協調的なタイプと、旧来のやり方に固執する非協調的なタイプに分かれました。
仲介者は、この買い手と売り手の協調性の組み合わせによって、働きかけの方法を変えていました。その実践は主に四つの型に分類されます。
双方が協調的な場合は、仲介者は「強化・維持」に努めます。頻繁に対話の機会を設けて情報の行き違いを防ぎ、良好な関係が外部からの干渉で壊れないよう安定化させます。
買い手が協調的で売り手が非協調的な場合は、まず火災安全対策といった緊急性の高い項目に改善の焦点を絞るよう買い手に働きかけます。買い手の柔軟な姿勢を交渉材料に、態度を硬化させている売り手の歩み寄りを促すのです。なぜ改善が必要かを丁寧に説明し、不信感を和らげていきます。
その逆で、売り手は協調的でも買い手が非協調的な場合は、力の差が大きく交渉が難しくなります。仲介者は労働組合や業界団体など、その地域で正当性を持つプレイヤーを巻き込み、現地の制約や実情を買い手に理解させようと試みます。
双方が非協調的で関係が断絶に近い最も困難な状況では、関係の「修復・再構成」を試みます。ある事例では、仲介者が買い手の複雑な要求を、現地の言葉と英語を併記した「簡易版マニュアル」にまとめました。各工場がそれを参考に自分たちのやり方で改善策を試し、評価するサイクルを提案しました。これは、互いに距離を保ちながら最低限の目標を共有し、実践を通じて関係を再構築する試みです。
このように、調達仲介者は状況に応じて振る舞いを変化させ、権力、言語、文化という境界を越えていました。取引を成立させるだけでなく、異なる価値観の間に立ち、粘り強い対話と工夫を通じて現場の労働環境を導いていました。
異文化間で働く個人は、核の自己認識を軸に複数の文化境界を調整
組織間の境界を越える個人の営みから、今度は一人の人間の中に存在する文化的な境界に目を向けてみましょう。グローバル企業で働く人々は、異なる国の文化や仕事の進め方に日々直面します。そのような環境で、個人は自らのアイデンティティをどう保ち、あるいは調整しながら境界を越えていくのでしょうか。
この問いを探るため、南カリフォルニアにある日本企業の米国子会社を舞台に、詳細な民族誌学的調査が行われました[2]。研究者は7ヶ月間、その会社で実際に働きながら参与観察を行い、日本人従業員を含む54名に合計92回のインタビューを実施しました。
調査の中で、日本人従業員たちが自分たちの仕事を「パイプ」という独特の言葉で表現することが分かりました。これは、日本側(本社や工場)と米国側(顧客や同僚)の間に立ち、両者をつなぐ導管のような働きを指します。言葉を翻訳するだけでなく、両者の認識のズレを解消する、複雑で多岐にわたる実践でした。
この「パイプ」としての実践が個人のアイデンティティとどう関わるのかを、二人のエンジニア、山本さんと中井さんの事例から見ていきます。二人は同じ業務を担っていましたが、そのアプローチは対照的でした。
山本さんは米国での滞在が長く、複数の日系企業を経験し、米国市民権も取得していました。彼は自らを、特定の企業に縛られず専門性を高める「フリーエージェント」だと考えていました。一方の中井さんは、日本の親会社から派遣された元駐在員で、キャリアのすべてを同じ企業グループで過ごしてきました。
彼らが直面する文化的な境界の一つに、製品開発への考え方の違いがありました。日本では失敗が許されず時間をかけて開発するのが当たり前でしたが、米国ではスピードが優先され、試行錯誤が期待されます。
このような違いを乗り越えるため、二人は共に調和的なアプローチをとっていましたが、その根底の考え方は異なりました。山本さんは、日本のエンジニアに米国のやり方を理解してもらうために、「彼ら彼女らにとってのメリット」という観点から説明を工夫しました。彼にとって大切なのは文化の違いを乗り越える交渉能力であり、日本人であることは本質的ではないと考えていました。彼の核となるアイデンティティは「専門エンジニア」でした。
対して中井さんは、「私が日本人であることは有利だ」と語ります。彼は、日本の工場の管理者たちが日本人だからこそ、自分はうまく調整できるのだと考えていました。彼にとって、日本人という自己認識は、境界を越えるための重要な資源だったのです。彼の核となるアイデンティティは「日本人」でした。
このように、同じ「パイプ」としての振る舞いでも、個人が自らの何を「核」となるアイデンティティと捉えるかで、実践の意味合いや戦略が異なります。この調査では、個人の核を「アンカリング文化的アイデンティティ」、状況に応じて使い分けるものを「ペリフェラル(周縁的)文化的アイデンティティ」と名付けました。
相手に応じて境界を引き、包摂と両立させ専門性を築く
異文化というはっきりした境界だけでなく、私たちの身近な職場にも、役割の曖昧さという捉えどころのない境界が存在します。例えば、学校の先生は、教科指導以外にも生徒の心のケアや家庭との連携など業務は多岐にわたりますが、責任範囲の線引きは明確ではありません。制度的に役割が定義されていない専門職は、日々の実践の中でどう専門性を確立していくのでしょうか。
この問いを解明するため、イスラエルの75人のホームルーム担任を対象に、インタビュー調査が行われました[3]。彼ら彼女らは、生徒に幅広く関わるものの、そのための専門的な訓練や公式な職務定義が十分ではない状況にあります。このような中で、担任たちは他者との関わりを通じて、自らの仕事の境界を能動的に作り上げていました。
分析から、担任たちが関わる相手に応じて、境界の扱い方を使い分けている事実が浮かび上がりました。その戦略は大きく三つに分類されます。
第一に、「自分自身」に対して行う「境界の定義」です。境界をめぐる実践は、個人の内面から始まります。多くの担任は、要求の高いこの仕事と私生活のバランスを保ち、燃え尽きを防ぐために、意識的に仕事の範囲や限界を自分の中で定める必要性を感じていました。自らの責任と限界を明確にすることは、専門家としての自分を保つために不可欠な作業でした。
第二に、「学校内部の同僚」に対して行われる「境界の調整」です。ここでは、日々の協力を円滑に進めることと、専門領域を主張すること、という二つの目的を同時に達成するための繊細な駆け引きが見られます。校長のような管理者との間では、階層的な関係の中で自らの自律性を守ろうとします。一方、同僚である教科担任との関係では、協力関係を築こうとする「包摂的」なアプローチと、専門的な優位性を主張して境界を設ける「排他的」な側面を併せ持っていました。
第三に、「学校外部のパートナー」である保護者に対して行われる「境界の編成」です。ここでの目的は、教師と保護者の仕事を厳密に分けることではなく、生徒の成長という共通の目標に向かって協力する関係を築くことでした。保護者を教育活動に巻き込むべきパートナーと見なすことで、より良い教育が実現できると考えていました。
これら多様な境界実践を貫く共通の特徴は、「明確な境界設定」と他者を巻き込む「包摂性」を両立させている二重性です。担任たちは、一方では自分の領域を守るために線を引きますが、もう一方では、その線を他者との協力関係を生み出す接点として活用していました。この絶妙なバランス感覚と、状況に応じて柔軟に対応する能力が、制度的に曖昧なホームルーム担任という仕事を支える独自の専門性であると結論づけられています。
協働のための境界設定がないと、個々人がバラバラに動き非効率に
専門職の個人が、他者との関係性の中で自らの仕事の境界を築いていく様子を見てきました。ここからは視点をチーム全体に移しましょう。個人が専門性を発揮しながら、チームとして一つの目標に向かって効率的に進むには、どのような境界の設定が必要なのでしょうか。
この問題を明らかにするため、ノルウェーのあるITコンサルティング企業で、アクション・リサーチという手法を用いた調査が行われました[4]。研究者が現場の実践者と協力しながら問題解決に取り組み、そのプロセス自体を研究対象とするものです。
調査対象となった開発チームが主に関わっていたのは、銀行や金融機関向けの案件で、厳しい規制と目まぐるしい市場の変化が共存する、予測が難しい環境でした。ある開発者は、顧客の関心が次々と移る様子を、「ボールを散歩に連れ出すみたいだ」と表現しました。同じ方向に進むためのチーム内での一時的な合意、すなわち「整合」がなければ仕事が成り立たない状況でした。
調査の結果、この「整合づくり」がうまくいっていないチームでは、ある共通の現象が起きていました。メンバーがそれぞれ自分の専門領域に閉じこもるか、個人で顧客と交渉を始めてしまうのです。チーム全体の方向性が定まっていないため、各々が自分の判断で進んでしまい、結果として大規模な手戻りや作業の無駄が発生していました。研究者たちは、この状態を「個別化ゾーン」と名付けました。
個別化ゾーンでは、チームとしての協働を生み出す仕組みが欠けているため、調整や交渉といった負担がすべて個人の肩にのしかかります。本来チームで共有された目標という構造が支えるべき重みを、個人が背負わなければなりません。
顧客側の専門家が開発チームを巻き込まずに一方的に仕様を決めてしまうといった、「競争的」な境界の引き方も観察されました。これは自分たちの領域を守り優位性を確保しようとする行動で、問題の前提が共有されないままでは、非建設的な議論や再作業を繰り返すことになります。
一方で、協働が機能しているチームでは、プロダクトオーナーが定期的にワークショップを開き、「今期の目標」といった大きな方針をチーム全員で共有していました。これは、チームの「整合づくり」という協働的な境界仕事です。このような場があることで、チームは「自分たちが何を作るべきか」を自らの裁量で決定する、「チーム自律性」を発揮できていました。
この調査から分かるのは、チームの自律性とは、個人の自律性を寄せ集めたものではないということです。個々の専門家が能力を最大限に発揮するには、まずチーム全体が向かうべき方向性を定める「整合づくり」という土台が必要です。この協働のための境界設定が行われて初めて、個人の専門性とチームとしての成果が両立します。
チームの境界管理は、特に仕事量が多い時に活力を生み出す
チームとして協働するにはメンバー間の「整合づくり」が欠かせませんが、チームが外部の環境とどう関わるか、すなわちチームの外との境界管理は、チームの状態にどのような変化をもたらすのでしょうか。とりわけ、仕事量が多くプレッシャーを感じている状況で、境界の管理はどのような意味を持つのでしょうか。
この問いに答えるため、ドイツの自動車企業の研究開発チームと、中国の電力会社のチームを対象とした二つの調査が行われました[5]。そこでは、チームの境界管理が、仕事の目標達成を助ける「職務資源」として機能するのではないかという仮説が立てられました。
チームの境界管理には、大きく二つの側面があります。一つは「境界スパニング」で、チームの境界を越えて外部と積極的に関わり、情報や協力を得る外向きの働きかけです。もう一つは「境界バッファリング」で、外部からの不必要な干渉を防ぎ、チームが業務に集中できるよう内部を守る内向きの働きかけです。
調査の結果、これら二つの境界管理活動は、チームの「活力」、すなわちチーム全体の活気や熱意といった前向きな感情状態と関連していることが分かりました。外部から有益な情報を得ること、外部からの妨害を防ぐことは、どちらもチームの不確実性を減らし、メンバーの活気を高めることにつながっていたのです。
この関係性を深掘りすると、一つの事実が浮かび上がりました。チームの境界管理が活力をもたらすという関係は、チームの仕事量が多い時に、より一層強まっていました。
仕事量が少ない状況では、境界管理は必ずしもチームの活力を高めませんでした。しかし、仕事量が多く高いプレッシャーにさらされている状況では話が違います。このような厳しい状況下では、境界スパニングで得られる追加的な資源は、高い要求度を乗り越えるために貴重なものとなります。同様に、境界バッファリングによってチームの内部資源を守ることも不可欠です。チームの仕事量が多いという厳しい状況があるからこそ、境界管理という「職務資源」の価値が発揮され、チームの活力を大きく押し上げるのです。
この高まったチームの活力は、チームのイノベーションやパフォーマンスといった成果にもつながっていました。活気に満ちたチームにおいては協力や助け合いが促進され、新しいアイデアが生まれやすくなります。この一連のメカニズムは、異なる国や業種のサンプルで共通して確認されました。多忙を極める現代の職場において、境界を管理する営みは、チームが疲弊せずに困難を乗り越え、創造性を発揮するための、鍵となる実践かもしれません。
脚注
[1] Soundararajan, V., Khan, Z., and Tarba, S. (2018). Beyond brokering: Sourcing agents, boundary work, and working conditions in global supply chains. Human Relations, 71(4), 481-509.
[2] Yagi, N., and Kleinberg, J. (2011). Boundary work: An interpretive ethnographic perspective on negotiating and leveraging cross-cultural identity. Journal of International Business Studies, 42, 629-653.
[3] Mizrahi-Shtelman, R., and Sapir, A. (2025). Navigating boundaries: The evolution of homeroom teachers’ profession through professional boundary work. Journal of Professions and Organization, 12, joaf001.
[4] Wulff, K., and Finnestrand, H. (2022). It is like taking a ball for a walk: On boundary work in software development. AI & Society, 37, 711-724.
[5] Leicht-Deobald, U., Lam, C. F., Bruch, H., Kunze, F., and Wu, W. (2022). Team boundary work and team workload demands: Their interactive effect on team vigor and team effectiveness. Human Resource Management, 61(4), 465-488.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。
