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コラム

予期される恥と感じられる恥:二つのプロセス

コラム

恥ずかしい。この感情を抱いたとき、私たちの多くは顔を赤らめ、その場から消えてしまいたいような衝動に駆られます。失敗をしたり、人前で失態を演じたりしたときの、あの身の縮むような感覚。できれば経験したくない、厄介で不快な感情の一つとして、恥は私たちの心の中に位置づけられています。

社会生活を送る上で、恥はできるだけ避けるべきものであり、その存在は自己肯定感を損ない、私たちを臆病にさせるだけのネガティブな力だと考えられています。確かに、恥の体験は心を傷つけ、時には人を無気力にさせたり、引きこもらせたりするきっかけにもなります。その破壊的な側面を考えれば、私たちが恥を避けようとするのは自然なことでしょう。

しかし、この不快な感情の裏側に、私たちがまだ気づいていない別の顔が隠されています。私たちがただ避け、蓋をしようとしてきた恥という感情に、実は自己を成長させ、他者との関係をより良くするための、建設的な力が秘められています。

本コラムでは、一般的にネガティブなものとして一括りにされる「恥」という感情の、知られざる可能性に光を当てていきます。心理学の世界で行われてきた様々な探求を手がかりに、恥がどのような条件の下で私たちを前向きな行動へと導くのか、その複雑で繊細なメカニズムを検討していきます。

失敗が修復可能なら、恥は自己改善など建設的な行動を促す

恥という感情は、矛盾した評価にさらされてきました。ある見方では、恥は自己を深く傷つける痛みを伴うため、人はその原因から目を背け、回避的な行動をとるようになるとされてきました。一方で、恥を感じることが、人を自己改善や他者への配慮ある行動に向かわせるという報告もあります。この対立する二つの見方を、どのように理解すれば良いのでしょうか。謎を解き明かす鍵は、私たちが恥を感じるに至った「失敗」の性質にあるのかもしれません。

この点を明らかにするため、過去の多数の研究結果を統計的に統合する分析が行われました[1]。この分析では、合計で12千人以上を対象とした90の研究サンプルが集められ、人が特定の出来事に対して感じた「恥」と、その後の「建設的な行動(他者を思いやる、協力する、自分を改善しようとするなど)」との関連性が調べられました。

分析の核心は、各研究で扱われた失敗を、「失敗の修復可能性」という基準で分類した点にあります。これは、失敗を本人の努力によってどの程度やり直したり、償ったりできるかという認識です。例えば、知能テストで悪い成績をとった後に再挑戦の機会が与えられる状況は「修復可能」と判断されます。反対に、失敗そのものを直接やり直す機会がない状況は「修復困難」と分類されました。

90の研究全体を平均すると、恥と建設的な行動の間には、小さいながらもプラスの関係が見られました。しかし、この平均的な結果だけでは実態を見誤る可能性があります。研究ごとの結果には非常に大きなばらつきがあり、ある研究では強いプラスの関係が、別の研究ではマイナスの関係が見られたからです。

このばらつきを説明する有力な要因が、「失敗の修復可能性」でした。分析結果は、この基準によって分かれました。失敗が「修復可能」だと認識される状況を扱った研究では、恥は建設的な行動と、中程度の強さを持つプラスの関係を記録しました。やり直しがきくと感じられるとき、恥という痛みを伴う感情は、その失敗を取り戻し、自分を成長させようとするための力になっていました。

対照的に、失敗が「修復困難」だと認識される状況の研究では、結果は逆転しました。この場合、恥は建設的な行動とマイナスの関係にありました。取り返しがつかないと感じられる失敗の前では、恥の感情は人を改善へと向かわせるのではなく、その場から距離を置き、引きこもらせるように働いていたことがうかがえます。

興味深いことに、失敗は修復できなくても、他者の目に映る自分の「社会的イメージ」が回復可能だと考えられる状況でも、恥は建設的な行動とプラスの関係にありました。これは、たとえ失敗自体を取り消せなくても、その後の振る舞いによって失った信頼や評価を取り戻せると信じられるなら、人は前向きに行動できることを示唆しています。

この分析は、恥が持つ二面性を明らかにしました。恥が建設的な力となるか、回避的な反応を引き起こすかは、感情に固定的に備わった性質ではなく、それが経験される文脈に左右されるのです。失敗を乗り越え、改善できるという希望があるとき、恥は私たちを奮い立たせます。しかし、その希望が見出せない絶望的な状況では、恥は私たちを内向きにさせる重しとなります。

不道徳行為から生じる恥は、自己イメージを守るための献身を促す

失敗がやり直せる状況では、恥が自己改善のきっかけになり得ることがわかりました。その失敗が、単なるミスではなく「不道徳な行為」であった場合はどうなるのでしょうか。職場で規則を破ったり、誰かを欺いたりといった行為は、自己のイメージを揺るがす深刻な事態です。このような状況で生じる強烈な恥の感情は、人をどのような行動へと駆り立てるのでしょうか。

この問いを探るべく、一連の調査が行われ、従業員が自身の不道徳な行為をどう受け止め、どう振る舞うかという心の動きが追跡されました[2]。この探求の根底には、不道徳な行為が「自分は価値のある人間だ」という自己イメージへの深刻な脅威となり、その脅威が恥という感情を引き起こすという考え方があります。そして、人はこの耐え難い恥の感情から自己イメージを守るために、特別な行動をとるのではないかと予測されました。

その特別な行動とは、「自己呈示」と呼ばれるものです。これは、人並み外れた献身や勤勉さを見せつけることで、「自分は組織にとって価値のある人間だ」と周囲にアピールする行動を指します。例えば、必要以上に残業や休日出勤をして仕事への熱心さを誇示するような振る舞いです。不道徳な行為で傷ついた自己イメージを、このような献身的な姿を見せることで回復・防衛しようとするのではないかと考えられたのです。

このプロセスは上司のマネジメントスタイルによって変化する可能性も考慮されました。特に、成果や数字といった最終結果(ボトムライン)を至上とみなし、他の価値を軽視する「ボトムライン志向」の上司の下では、状況が異なると予測されました。部下が不道徳な行為を犯したとき、その行為が「結果のためなら手段を厭わない」という上司の価値観と重なって見えるかもしれません。これによって、部下は「自分も上司と同じタイプの人間だ」と感じて自己評価が一層傷つけられ、より強い恥を感じるのではないかと想定されたのです。

この心の連鎖を検証するため、複数の手法で調査が実施されました。実験や、過去の経験を回想してもらう調査から、不道徳な行為が自己イメージへの脅威として恥の感情を引き起こす、という基本的な関連性が確認されました。

そして、実際の職場で働く従業員と上司を対象とした調査では、より詳細な関連性が調べられました。従業員には、自身の不道徳行為の頻度、感じた恥の度合い、献身を示す自己呈示行動の頻度を尋ねました。同時に、その上司がどの程度ボトムライン志向であるかを、部下の視点から評価してもらいました。

分析の結果、予測された心の動きが浮かび上がりました。恥の感情が強い人ほど、自己呈示としての献身的な行動を多くとる傾向にありました。不道徳行為と恥の関係は、上司のボトムライン志向の強さによって左右されることが明らかになったのです。上司のボトムライン志向が高い職場では、不道徳な行為を犯した従業員は、より強い恥を感じていました。逆に、そのような志向が低い上司の下では、両者の間に強い結びつきは見られませんでした。

これらの結果は、一つのストーリーを物語っています。不道徳な行為は、それ自体が恥を引き起こし、傷ついた自己イメージを守るための献身的な行動につながる可能性があります。この一連の流れは、特に結果至上主義の上司の下で働く場合に、より強まります。自分の非道徳的な行いが、上司の価値観を映す鏡のように感じられ、そのことが恥の感情を増幅させ、過剰ともいえる自己犠牲的なアピール行動へと人を駆り立てるのかもしれません。

恥への対処は文化で異なり、蘭では業績低下、比では向上へ

恥の働きは、失敗の状況や組織環境によって変わります。私たちが身を置く、より大きな枠組みである「文化」は、恥という感情との付き合い方にどのような違いをもたらすのでしょうか。同じように恥ずかしい経験をしても、その後の行動や仕事の成果は、文化が異なれば変わってくるのでしょうか。

この問いに答えるため、文化的な背景が大きく異なる二つの国、オランダとフィリピンの営業担当者を対象とした比較調査が行われました[3]。オランダは個人が独立し自律的であることを重んじる文化、フィリピンは他者との関係性や協調性を重んじる文化とされています。この「自己の捉え方」の違いが、恥への対処法に決定的な差を生むのではないかと考えられました。

調査では、両国の営業担当者に、顧客とのやり取りで恥を感じるような場面を読んでもらい、その状況でどう感じ、どう行動し、それが自身の営業成績にどう結びつくと考えるかを尋ねました。

明らかになったのは、恥という感情の「体験」は、文化を超えて似通っているという点でした。オランダ人もフィリピン人も、恥を「自分の内面を詮索されている感覚」「自分は能力が低いと思われているという脅威」「めまいなどの身体的症状」「その場から隠れたいという衝動」といった要素を伴う感情として、同じように認識していました。恥という感情の核となる部分は、文化が違っても共通しているものであることがうかがえます。

しかし、その感情にどう対処し、仕事の成果にどう結びつくかという点においては、両国の間で正反対の結果が見られました。

個人としての独立性を重んじるオランダの営業担当者にとって、恥は個人の価値への脅威と受け止められました。そのため、恥を感じると、自己を守るための行動が引き起こされました。顧客との関わりを避ける「防御的行動」が著しく増え、同時に、顧客のニーズに合わせて柔軟に対応する能力も低下しました。自己防衛に心のエネルギーが割かれてしまうためです。これらの内向きで防御的な対処法は、最終的に売上やコミュニケーション能力といった営業パフォーマンス全体の低下につながっていました。オランダ文化においては、恥は仕事の成果を害する要因として機能していたのです。

一方、他者との調和を重んじるフィリピンの営業担当者にとって、恥は個人の自己よりも、社会的なつながりへの脅威と捉えられました。そのため、恥を感じても、防御的になったり柔軟性を失ったりすることはありませんでした。それどころか、恥の感情は、顧客との関係を修復し、より良いものにしようとする行動を直接的に促していました。さらに、会社のイメージ向上に貢献するような、自分の職務を超えた行動をも引き出していました。フィリピン文化においては、恥はむしろ仕事の成果を高める要因となっていたのです。

この調査は、恥という一つの感情が、文化というフィルターを通して異なる帰結をもたらすことを描き出しました。感情の体験は普遍的でも、その意味づけと対処法は、私たちがどのような自己観を持つかという文化的な背景に根ざしています。独立した自己を守ろうとする文化では、恥は人を引きこもらせ、パフォーマンスを低下させます。対照的に、つながりの中の自己を維持しようとする文化では、恥は関係修復への動機づけとなり、パフォーマンスを向上させます。

恥が倫理行動を促すかは、個人から組織文化までの多層で決まる

恥の働きは、失敗の修復可能性、上司の価値観、文化といった様々な文脈によって変わります。これらの要因は、それぞれ独立しているのではなく、複雑に絡み合いながら私たちの行動を形作っています。個人の中から組織全体に至るまで、恥がどのように倫理的な行動、あるいは非倫理的な行動へとつながっていくのか、その全体の地図を描く試みがあります[4]

この試みでは、初めに「恥」と似て非なる感情とを区別します。「罪悪感」は特定の「悪い行動」に向けられますが、恥は「自分自身が悪い存在だ」という、自己全体への否定的な評価に関連します。「当惑」が些細な出来事から生じる一時的なものであるのに対し、恥は自己の根深い欠点が露呈したと感じる、より深刻で痛みを伴う感情です。

この理論的な枠組みの中心には、恥を二つの異なるプロセスで捉える考え方があります。一つは、実際に過ちを犯した「後で」感じる恥、「フェルトシェイム(感じられた恥)」です。これは過去の行動に対するフィードバックとして機能します。もう一つは、行動を選択する「前に」予期される恥、「アンティシペイトリィ・シェイム(予期的恥)」です。これは、ある行動をとれば恥ずかしい結果になるかもしれないと予測することで、社会的に望ましい行動へと自らを導く役割をします。

この二つの恥のプロセスが、個人から組織に至るまでの複数のレベルで、様々な要因と相互作用しながら、最終的な行動に結びつくと考えられています。

最もミクロな「個人内」のレベルでは、ある出来事が自己の全体的な失敗だと認識されると「フェルトシェイム」が、将来の失敗を脅威と感じると「予期的シェイム」が生じます。これらの恥の感情は、「自分は悪い存在だ」という直感的な判断を引き起こし、行動は二つの道に分かれます。一つは自己改善や謝罪といった倫理的な修復行動、もう一つは他者への攻撃や責任転嫁といった非倫理的な行動です。

続いて、「個人差」のレベルです。人が恥にどう反応するかは、その人の気質にも左右されます。もともと恥を感じやすい性質の人は、深く傷つきやすく、その痛みから逃れるために、他者を非難するなどの非倫理的な行動に走りやすいことが指摘されています。

「対人関係」のレベルでは、感情の表現が関わってきます。西洋文化圏では、恥は口にすること自体がはばかられるため、人は恥を感じていることを隠そうとします。この感情を隠す行為自体が、さらなるストレスを生み、個人内の恥の経験にフィードバックされる循環が起こり得ます。

そして、「グループ」のレベルです。所属するチームの空気が、恥の働きを変えます。失敗を恐れずに発言できる「心理的安全性」が確保された環境では、恥を伴う経験も、学びや改善の機会として活かされやすくなります。逆に、安全性が低い環境では、恥は隠蔽や嘘といった非倫理的な行動の温床となりかねません。

これらすべてを包み込むのが、「組織文化」です。失敗した従業員を公然と非難し、見せしめにするような「恥の文化」を持つ組織では、従業員は自己防衛に走り、非倫理的な行動が助長されます。一方で、組織全体で倫理的な行動が奨励される風土は、そもそも恥につながるような出来事の発生自体を減らすでしょう。

脚注

[1] Leach, C. W., and Cidam, A. (2015). When is shame linked to constructive approach orientation? A meta-analysis. Journal of Personality and Social Psychology, 109(6), 983-1002.

[2] Bonner, J. M., Greenbaum, R. L., and Quade, M. J. (2017). Employee unethical behavior to shame as an indicator of self-image threat and exemplification as a form of self-image protection: The exacerbating role of supervisor bottom-line mentality. Journal of Applied Psychology, 102(8), 1203-1221.

[3] Bagozzi, R. P., Verbeke, W., and Gavino, J. C., Jr. (2003). Culture moderates the self-regulation of shame and its effects on performance: The case of salespersons in the Netherlands and the Philippines. Journal of Applied Psychology, 88(2), 219-233.

[4] Murphy, S. A., and Kiffin-Petersen, S. (2017). The exposed self: A multilevel model of shame and ethical behavior. Journal of Business Ethics, 141(4), 657-675.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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