ビジネスリサーチラボ

open
読み込み中

コラム

故郷からオフィスまで:場所が映す「自分らしさ」

コラム

自分の故郷や長年通ったカフェの特定の席を思い出すとき、心に浮かぶのは単なる風景だけではないはずです。そこには温かさや懐かしさといった感情と共に、「そこにいた自分」の記憶が色濃く結びついています。私たちは意識せずとも、特定の場所と自分自身を関連付けて生きています。

この人と場所との間の見えない絆は、どのように生まれ、私たちの自己認識、すなわち「自分とは何者か」という感覚にどう関わっているのでしょうか。本コラムでは、「場所アイデンティティ」という概念を軸に、この問いを探ります。学術研究の議論を紐解きながら、場所が私たちの内面をいかに形作り、支えているのかを多角的に明らかにしていきたいと思います。

過去の場所との経験がアイデンティティを形作る

私たちの「自分らしさ」という感覚は、周囲の世界との相互作用の中で絶えず形作られています。従来の自己に関する理論は内面的な安定性を語ることが多かったのですが、私たちが日々生活する家や街、職場といった「場所」が自己認識に与える働きは見過ごされてきました。しかし、人間は何らかの場所の中に存在しており、その関わりを抜きにして自己を語ることはできません。

そこで提唱されたのが、「場所アイデンティティ」という考え方です[1]。これは自己同一性の一部であり、人が物理的な世界について抱く記憶、感情、価値観、好みといった広範な心の働きが集まった構造体を指します。その核となるのは個人の「環境的な過去」、すなわち幼い頃に過ごした家や通学路の風景など、過去に経験した様々な場所と、それらが自らの欲求を満たす上でどう役立ったかという記憶の集積です。この構造は整然としたものではなく、多様な場所の記憶や感情が、人それぞれ異なる形で結びついています。

場所アイデンティティは、直接的な経験を通じて育まれますが、時間と共に記憶や解釈を通して再構成され、様式化されていきます。例えば「故郷」の記憶は、実際の風景そのものより、美化された心の中のイメージとして存在することが多いでしょう。環境に関する記憶は、このように選択的に整理されていくのです。

この「環境的な過去」の連続性は、安定した自己を保つ上で意味を持ちます。頻繁な転居を繰り返し、特定の場所と安定した関係を築けなかった場合、環境的な過去が断片的になり、場所アイデンティティの統合が難しくなるかもしれません。物理的な環境との不連続性もまた、自己認識の揺らぎにつながり得ます。

形成された場所アイデンティティは、私たちの心の中でどのような働きを担うのでしょうか。これには、いくつかの側面が考えられています。

一つ目は、場所を「認識する」働きです。私たちは過去の経験に基づき、今いる場所が「どのような場所か」を瞬時に判断します。初めての図書館でも、過去の記憶と照合することで、静かにすべき場所だと理解し、ふさわしく振る舞えます。

二つ目は、場所に「意味を与える」働きです。場所には本来の目的があり、場所アイデンティティはその場所で何がふさわしく、どう振る舞うべきかという規範的、象徴的な意味を提供します。これは社会的な文脈でその場所のあり方を理解することにつながります。

三つ目は、自己を「表出し、要件を整える」働きです。住居のスタイルや景観の嗜好は、その人の価値観を反映します。現実が好みと合わないとき、人は装飾を加えたり配置を変えたりして、場所を自分らしく調整します。

四つ目は、「変化を媒介する」働きです。人は成長の過程で、物理的環境を「読み解き」、求められる振る舞いを身につけます。そして、場や他者、自身の行動を調整する術を学び、現実とアイデンティティの不一致を埋めていきます。

五つ目は、「不安から自己を防衛する」働きです。場所アイデンティティは自己を定義し維持する基盤であるため、環境における危険を察知し、対処する心の準備をさせます。幼い頃に教えられた危険な場所の記憶は、自己の安全を守るために機能し続けるのです。

このように、場所アイデンティティは、個人の直接的な経験のみならず、周囲からの評価を取り込むことでも形成されます。人が社会で担う立場と、それにふさわしい物理的環境が結びつくことで、自己評価や自尊感情にも関わってきます。物理的世界との関わりの中で自己を社会化させていくプロセスは、人が適応し成長していく上で重要な営みと言えます。

住む場所との関係を通してアイデンティティを確認する

場所と自己との関わりを理論的に整理した議論に続き、ここでは、人々が住む場所との関係性を通じて、どのように自己のアイデンティティを確かめているのかを実証的に探った研究を見ていきます[2]。この研究は、人のアイデンティティが「独自性」「継続性」「自尊感情」「自己効力感」という四つの心理的な欲求によって導かれるというモデルを枠組みとしています。

四つの欲求とは、第一に他者とは違う特別な存在でありたい「独自性」、第二に時間や状況を超えた一貫した自己を保ちたい「継続性」、第三に自分や所属集団に肯定的評価を維持したい「自尊感情」、第四に物事をうまくやり遂げられるという能力への信念である「自己効力感」です。

調査の舞台は、1980年代に大規模な都市再開発が行われたロンドンのドックランド地区です。研究者たちは、この地域の住民を地域への愛着が強いグループとそうでないグループに分け、聞き取り調査を行いました。

分析の結果、地域への愛着が強い住民は、場所との関係を通じて、これら四つのアイデンティティ欲求を巧みに満たしている様子が浮かび上がってきました。

「独自性」については、愛着の強い住民の多くが、自分たちの住む場所を他の地域と比較することで自らのアイデンティティを際立たせていました。自分たちを「都会人」と位置づけ、都会の活気や利便性を田舎の静けさと対比させて肯定的に語ったり、自分たちの住む地域と隣接地域とを区別し、住んでいる人のタイプが違うと強調したりすることで、地域への帰属意識と独自性を確かめていたのです。

「継続性」に関しても、場所は重要な機能を果たしていました。ある人々にとっては、その場所が過去の自分や出来事を思い出すための参照点となっていました。例えば、配偶者をその地域で亡くした女性は、地域の環境が感情的に結びついた過去の出来事を記憶しておく貯蔵庫のようになっているため、離れたくないと語りました。長年住んでいる人々も、自らの人生を振り返りながら場所について語ることで、自己の継続性を確認していました。

「自尊感情」の維持においても、場所との関係が関わっていました。愛着の強い住民は、地域との結びつきから肯定的な感情を得ていました。例えば、自分が知る地域が良い方向に変化していくことに誇りを感じたり、再開発された「ドックランド」に住むこと自体にステータスを感じたりしていました。

「自己効力感」については、環境の管理しやすさという側面から語られました。愛着の強い人々は、職場への近さや施設の利便性など、日常生活を円滑に送れる環境の特質を挙げていました。自分の生活をうまくコントロールできている感覚が、自己効力感を支えていました。

この調査からわかるのは、住環境が単なる生活の背景ではなく、人々が自らのアイデンティティを能動的に構築し、維持していくための資源となっているという事実です。

机の装飾から、持ち主のアイデンティティを読み解く

住んでいる地域だけでなく、もっと身近で個人的な空間もまた、私たちのアイデンティティと結びついています。その代表例が、職場のオフィスや自席の机周りです。そこに置かれた家具や小物といった「装飾」は、持ち主がどのような人物であるかを物語る手がかりとなります。ここでは、人々が同僚のオフィスの装飾をどう解釈し、そこから持ち主の職場におけるアイデンティティを読み解いているのかを分析した研究を紹介します[3]

この研究における職場アイデンティティとは、その人の組織内での地位や個性に関する、中核的で持続的な自己認識を指します。オフィスの広さや家具の質が地位を、趣味の品々が個性を表現するように、物理的なアイテムは持ち主のアイデンティティを伝えるマーカーとして機能します。しかし、人々がそれらを具体的に「どのように」解釈しているのかという心のプロセスは、これまで詳しく分かっていませんでした。

研究者たちは管理職を対象に、質的な調査を行いました。分析から明らかになったのは、人々がオフィスの装飾品から他者のアイデンティティを解釈する際に、大きく分けて二つの対照的な認知プロセスが存在するということでした。

一つは「トップダウン・プロファイリング」と呼ばれるアプローチです。これは、いくつかの目立つ装飾品に意識を向け、それらを自らの頭の中にある「典型的な管理職」といったステレオタイプと照らし合わせて、素早く相手の人物像を判断しようとするものです。例えば、「立派な調度品があるから、地位の高い人物に違いない」といった判断がこれにあたります。効率的で直感的な解釈プロセスです。

もう一つは「ボトムアップ・プロファイリング」です。これは、すぐに結論を出さず、オフィスにある様々な装飾品を注意深く観察します。そして、なぜその装飾品を飾っているのかという動機を探り、より複雑で多面的な人物像を構築しようとします。判断の基準として、自分が知っている特定の実在の人物と比較する傾向が見られました。より慎重で、分析的な解釈プロセスといえるでしょう。

この研究では、オフィス装飾が持つ「持ち主からの独立性」(本人に会う前にオフィスを見ること)と「相対的な永続性」(装飾が長期間変わらないこと)が、これらの解釈プロセスにどう関わるかも調べられました。

持ち主本人に会う前にオフィスを観察する状況では、トップダウン式のアプローチを用いる人は主に持ち主の「地位」に、ボトムアップ式のアプローチを用いる人は「独自性」や個性に焦点を当てるという違いが見られました。

また、装飾が長期間変わらないという「永続性」の側面では、トップダウン式の人は、装飾が変わらないことを自らの最初の評価が正しかったことの証拠と捉える傾向がありました。対照的に、ボトムアップ式の人は、装飾の「変化」にも気づき、飾ってあるものが変わったことから、その人の地位や心境の変化を読み取るなど、アイデンティティの変化の印として捉えていました。

この研究は、オフィスという無生物の空間を通して、人々が他者のアイデンティティを能動的に解釈している様相を描き出しました。私たちの身の回りの空間は、私たちが思う以上に多くの情報を発信し、他者によって絶えず解釈され続けているのです。

場所アイデンティティは自己と場所の独自性から構成される

「場所アイデンティティ」という言葉は多義的に用いられており、研究者の間でもその捉え方は一様ではありません。この概念への理解を深めるため、ここでは、この概念がこれまでどのように扱われてきたかを包括的にレビューした研究に目を向けます[4]。この研究は、膨大な学術文献を分析することで、概念の全体像を提示しようと試みています。

分析の結果、場所アイデンティティという概念は、大きく分けて二つの異なる側面から論じられてきたことが示されました。

一つは、「人々の場所アイデンティティ」です。これは、個人が特定の場所に対して抱く一体感や、自己の概念にその場所を取り込む心の働きを指します。ある個人が「自分は〇〇(地名)の人間だ」と感じるような、個人的・主観的な結びつきが中心となります。

もう一つは、「場所の場所アイデンティティ」です。これは、ある場所を他の場所から区別する、その場所固有の独自性や特徴を指します。例えば、ある街の歴史的な建造物、独特の景観、文化的な伝統といった要素が、その街のアイデンティティを構成します。これは個人の内面の問題というより、客観的な特徴に基づき社会的に構築される概念です。

このように、場所アイデンティティという一つの言葉が、人の自己認識の側面と、場所そのものの独自性の側面という、二つの異なる意味合いで使われています。

この研究では、これら二つの側面の場所アイデンティティを、研究者がどのように測定しようとしてきたかについても整理しています。

「人々の場所アイデンティティ」を測定するには、主にインタビューや、自分が一体感を覚える地名をランク付けしてもらう方法、あるいは「この場所は私にとって多くの意味を持つ」といった項目への同意度を尋ねる尺度などが用いられます。

一方、「場所の場所アイデンティティ」を測定するアプローチはより多様です。市民に街のアイデンティティについて話し合ってもらったり、観光案内などでその場所がどう表現されているかを分析したり、住民自身にその場所らしさを表現する写真を撮ってもらったりする試みなどがあります。

これら二つの場所アイデンティティが社会でどのような働きを担っているのかも整理されています。「人々の場所アイデンティティ」は、個人が環境に適応し自己の安定性を保つ上で根源的な機能を果たします。「場所の場所アイデンティティ」は、地域開発において顕著な資源となります。地域ならではの強いアイデンティティは、住民の創造性を刺激し、グローバル化が進む中で地域固有の価値を維持するための拠り所となります。

このレビュー研究は、場所アイデンティティという概念の複雑さと豊かさを浮き彫りにします。それは、人の自己と場所の独自性という二つの側面が絡み合いながら存在する、重層的な概念です。

脚注

[1] Proshansky, H. M., Fabian, A. K., and Kaminoff, R. (1983). Place-identity: Physical world socialization of the self. Journal of Environmental Psychology, 3(1), 57-83.

[2] Twigger-Ross, C. L., and Uzzell, D. L. (1996). Place and identity processes. Journal of Environmental Psychology, 16(3), 205-220.

[3] Elsbach, K. D. (2004). Interpreting workplace identities: The role of office decor. Journal of Organizational Behavior, 25(1), 99-128.

[4] Peng, J., Strijker, D., and Wu, Q. (2020). Place identity: How far have we come in exploring its meanings? Frontiers in Psychology, 11, 294.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

#伊達洋駆

アーカイブ

社内研修(統計分析・組織サーベイ等)
の相談も受け付けています