2026年2月27日
「沈黙」は語る:組織の中で声を失う理由

職場で何か意見を求められたとき、あるいは会議で議論が白熱している最中に、ふと口をつぐんでしまった経験はありますか。「これを言ったら、どう思われるだろうか」「言ったところで、どうせ何も変わらない」。そんな考えが頭をよぎり、発言の機会を逸してしまう。あるいは、あえて黙っていることを選ぶ。組織における「沈黙」は、日常的に見られる光景です。
私たちは、沈黙をどこか否定的なものとして捉えています。意見を言わないのは、やる気がないからだ、あるいは上司からの報復を恐れているからだ、と。もちろん、そういった側面も存在します。しかし、その沈黙が、組織や仲間を守るための配慮から生まれていることもあります。あるいは、自分の考えに自信が持てず、どう表現すればよいか分からないという内面的な葛藤の表れである場合もあります。
沈黙は、一枚岩ではありません。その背後には、恐怖や諦めだけでなく、善意、不安、計算など、多様な動機が渦巻いています。人が口を閉ざすとき、その心の中では一体何が起きているのでしょうか。本コラムでは、組織における沈黙という現象を多角的に掘り下げ、その複雑な内実を探求していきます。
沈黙は、恐怖だけでなく多様な動機から生まれる
現代の組織において、従業員が自らの意見やアイデアを表明する「ボイス」は、組織の健全な発展に有益なものとされています。新しいアイデアはイノベーションの源泉となり、問題点の指摘は致命的なエラーを未然に防ぎます。従業員一人ひとりが持つ知識や経験を組織運営に活かすことが、競争力の源泉となるのです。
しかし、その有益性が広く認識されているにもかかわらず、多くの従業員は仕事に関する懸念や改善案を持っていても、それを口にすることをためらう現実があります。意図的に意見を表明しない行為が「サイレンス(沈黙)」です[1]。沈黙は、個人の心理的な負担となるだけでなく、組織全体にとっても、不正行為の隠蔽や重大な問題の見過ごしといった深刻な事態を引き起こしかねません。
この沈黙とは一体何なのでしょうか。私たちはしばしば、沈黙を「ボイスがない状態」と単純に捉えてしまいます。しかし、両者の関係はそれほど単純なものではありません。沈黙がボイスの欠如とは異なる、独立した現象であると考えられる理由は、主に三つあります。
第一に、発言しないという事実だけでは、その人がそもそも貢献できる意見を持っているかどうかが分かりません。沈黙は、意見を持っているにもかかわらず、それを意図的に差し控えるという選択的な行為を指します。
第二に、人が黙っている動機が分からなければ、その背景を理解することは困難です。例えば、同僚を守るために黙っているのか、それとも発言しても無駄だと諦めているのか。その動機によって、沈黙の意味は異なります。
第三に、従業員は、ある問題については意見を言う一方で、別の問題については沈黙を選ぶかもしれません。ボイスとサイレンスは、常にどちらか一方を選ぶ二者択一の関係にあるとは限りません。
この複雑な関係性を捉えるために、いくつかの考え方が提示されています。一つは、ボイスとサイレンスを一本の直線の両端にある対極の概念と見なす考え方です。もう一つは、両者が一つの連続した次元の中にあり、状況によってどちらかが優勢になるという見方です。そして、もう一つ、両者をそれぞれ独立した別の次元、例えば縦軸と横軸のように捉える考え方もあります。この最後の立場に立てば、「意見をたくさん言う(高ボイス)けれど、同時に多くのことについて黙っている(高サイレンス)」という状態も理論的にはあり得ることになります。
このように、沈黙は奥深い現象ですが、その動機についても古くから考察されてきました。沈黙の動機として、二つの類型が知られています。
一つは「静止的沈黙」と呼ばれ、発言すれば罰せられるかもしれない、人間関係が悪化するかもしれないといった危険を察知し、自己防衛のために口を閉ざす状態です。もう一つは「黙従的沈黙」です。こちらは、どうせ意見を言っても聞き入れられない、何も変わらないだろうという諦めや無力感から、関与することをやめてしまう状態を指します。
組織や仲間を守るための向社会的沈黙がある
先ほど見たように、従業員の沈黙は、恐怖や諦めといった動機だけでは説明しきれない複雑さを持っています。沈黙の背後にある多様な動機を理解するために、ある理論的枠組みでは、人の行動を「無関心(あきらめ)」「自己防衛(恐れ)」「他者志向(協力)」という三つの動機から捉えようと試みています[2]。この視点を借りることで、沈黙の多面的な姿がより鮮明に浮かび上がってきます。
この枠組みに基づくと、沈黙は三つのタイプに分類できます。一つ目は「従順的サイレンス」です。これは「無関心(あきらめ)」の動機から生じます。従業員は、自分が何を言っても組織や状況は変わらないと信じ込んでおり、改善への関与を放棄してしまいます。その結果、現状をただ受け入れるという、受動的な沈黙が生まれます。
二つ目は「防衛的サイレンス」です。これは「自己防衛(恐れ)」の動機に根差しています。発言することで、上司から不利な扱いを受けたり、同僚との関係がこじれたりすることを避けるため、意図的に情報を隠したり、意見を差し控えたりする行動です。これは、状況を冷静に判断した上で、自身へのリスクを最小化するために選択される、能動的な沈黙と言えるでしょう。
三つ目は、この枠組みで新たに提示された「向社会的サイレンス」です。これは「他者志向(協力)」という、他者や組織への配慮から生まれる沈黙です。これも防衛的サイレンスと同じく能動的な行動ですが、その動機は自己保身ではなく、他者や組織の利益を思う協調性や利他主義にあります。
例えば、会社の重要な機密情報を守るために口を閉ざすことや、同僚のプライバシーに関わる事柄について話すのを控えるといった行動がこれにあたります。些細な不平不満を口にせず、組織の和を保とうとする態度も、この一種と見なせるかもしれません。このように、沈黙は、必ずしも否定的な動機から生まれるとは限らないのです。善意や思いやりが、人を沈黙させることもあります。
意見を表明する「ボイス」も、これら三つの動機から説明できるとされています。組織を良くしたいという純粋な思いから改善策を提案する「向社会的ボイス」。自分の責任を回避したり、他者を非難したりするために発言する「防衛的ボイス」。自分の意見はないものの、ただ周囲の意見に同調する「従順的ボイス」。同じ「発言する」という行動でも、その裏にある動機は異なる場合があります。
ここで一つ、重要な論点が浮かび上がります。ボイス、すなわち発言する行為は、言葉の内容や声のトーン、表情といった、その動機を推測するための手がかりを多く含んでいます。しかし、沈黙にはそうした明白な手がかりがほとんどありません。その結果、沈黙の背後にある動機は、周囲の人間にとって非常に曖昧で、誤解されやすくなります。
特に、組織や仲間を思っての「向社会的サイレンス」が、やる気がないための「従順的サイレンス」や、何かを恐れて隠している「防衛的サイレンス」だと誤解されてしまう可能性は十分に考えられます。善意から生まれた行動が、意図しない否定的な評価につながってしまう。沈黙は、そのような悲劇をもたらし得ます。
自信のなさも従業員の沈黙の重要な動機
組織や仲間への配慮といった善意でさえ、人を沈黙させうることが分かってきました。沈黙の動機は、私たちが思う以上に多岐にわたります。この動機の全体像をより実証的に捉えるため、ある研究プロジェクトでは、従業員が実際にどのような理由で沈黙を選んだのかを、調査によって明らかにしようとしました[3]。
このプロジェクトの第一段階として、大学生から企業の従業員まで、幅広い立場の人々に対し、職場で「重要だと感じたにもかかわらず、意図的に黙っていた経験」を自由に記述してもらう調査が行われました。参加者には、どのような出来事について、誰に対して、そしてなぜ黙っていたのかを、具体的なエピソードとともに報告してもらいました。
集まった数多くのエピソードを分析したところ、人々が沈黙を選ぶ場面や理由の多様な姿が見えてきました。沈黙の対象となった出来事で最も多かったのは、「不公平な扱い」に関するもので、次いで「他者の非倫理的な行為」や「同僚の能力や仕事ぶりへの懸念」が続きました。沈黙する相手としては、直属の上司や経営層といった、自分よりも権限を持つ立場の人物が全体の約7割を占めていました。
光を当てるべきは、沈黙の「理由」です。分析の結果、多くの動機が確認されました。最も頻繁に挙げられたのは、「話しても効果がないと思った」という、いわゆる無力感や諦めでした。その他にも、「個人間の対立を避けたかった」「報復が怖かった」「告げ口や不平屋だと思われたくなかった」など、様々な理由が挙げられました。
研究チームは、これらの理由のデータを統計的な手法を用いて整理し、従業員の沈黙の動機が、主に六つの次元に分類できることを見出しました。
第一に「無効感」。これは、何を言っても無駄だという諦めです。第二に「関係志向」。対人関係を維持したい、相手を傷つけたくないという配慮です。第三に「防衛」。罰や不利益を避けたいという自己保身です。第四に「脱関与」。自分には関係ない、関わる価値がないという無関心です。第五に「逸脱」。意図的に情報を与えず、他者や組織に害を与えようとする悪意です。これは非常に稀なケースでした。
六つ目の次元として浮かび上がってきたのが「自信欠如」です。これは、「どう言えば良いか分からなかった」「自分の考えに自信がなかった」「恥をかきたくなかった」といった、個人の内面的な不安や自己効力感の低さに根ざす沈黙です。外的なリスクを恐れる「防衛」とは異なり、自分自身の能力や知識への不確かさが、発言をためらわせるという、これまであまり光が当てられてこなかった動機です。
この六つの動機の次元は、異なる状況設定(例えば、不正行為を目撃した場面と、業務改善を提案する場面)や、異なる対象者(学生と社会人)においても、おおむね共通して見られる構造であることが確かめられました。このことは、これら六つの動機が、従業員の沈黙を理解する上で、広く一般的に当てはまる基本的な枠組みであることを示唆しています。
どんな動機の沈黙も、従業員の幸福感を損なう
これまで、沈黙が恐怖や諦めだけでなく、仲間への配慮や自信のなさといった、多様な動機から生まれることを見てきました。その動機がどのようなものであれ、沈黙という行為は、従業員自身に何をもたらすのでしょうか。善意から生まれた「向社会的サイレンス」は、従業員に満足感をもたらすのでしょうか。それとも、やはり意見を表明しないことには、何らかの代償が伴うのでしょうか。
この問いに答えるため、ある研究では、沈黙の動機を細かく分類し、それぞれが従業員の幸福感やストレスにどう結びついているかを検証しました[4]。この研究では、これまでに議論されてきた「黙従的サイレンス(諦め)」「静止的サイレンス(恐怖)」「向社会的サイレンス(他者への配慮)」に加えて、「日和見的サイレンス」という新しい概念が導入されました。これは、自分の知識の優位性を保ったり、面倒な仕事を避けたりするなど、自分自身の利益を最大化するために、戦略的に情報を差し控える沈黙を指します。
研究チームは、これら四つの沈黙の形態(黙従的、静止的、向社会的、日和見的)を測定するための質問項目を開発し、多くの従業員を対象とした調査を実施しました。そして、それぞれのタイプの沈黙が、職務満足度や幸福感、ストレス、さらには離職を考える気持ちと、どのような関係にあるかを分析しました。
分析の結果、職務満足度については、四つの沈黙の形態すべてが、満足度を低下させる方向に関連していました。動機が諦めであれ、恐怖であれ、他者への配慮であれ、あるいは自己利益の追求であれ、意見や情報を意図的に差し控えることは、仕事に対する満足感を損ないます。
従業員の幸福感とストレスに関する結果は、より深く考えさせられるものでした。予想通り、諦めからくる「黙従的サイレンス」と、恐怖からくる「静止的サイレンス」は、幸福感を低下させ、ストレスを増加させていました。意見を言いたいのに言えないという葛藤が、心の健康を蝕むことは想像に難くありません。
しかし、注目すべきは、他の二つの沈黙に関する結果です。他者や組織のためを思っての「向社会的サイレンス」もまた、従業員の幸福感を下げ、ストレスを増加させていることが明らかになりました。善意に基づいた行動であるにもかかわらず、それは個人の犠牲の上に成り立っているのかもしれません。自分の意見や感情を抑え、組織や他者を優先することが、知らず知らずのうちに心の負担となっている可能性があります。
最も意外な結果は、「日和見的サイレンス」に関するものでした。自分の利益のために沈黙するこの行為は、最も幸福感を低下させ、最も強いストレスと関連していたのです。短期的な利益を得るために情報を隠すという戦略は、長期的には、罪悪感や孤立感といった形で、本人に大きな心理的コストを強いるのかもしれません。
脚注
[1] Knoll, M., Wegge, J., Unterrainer, C., Silva, S., and Jonsson, T. (2016). Is our knowledge of voice and silence in organizations growing? Building bridges and (re)discovering opportunities. German Journal of Human Resource Management, 30(3-4), 161-194.
[2] Van Dyne, L., Ang, S., and Botero, I. C. (2003). Conceptualizing employee silence and employee voice as multidimensional constructs. Journal of Management Studies, 40(6), 1359-1392.
[3] Brinsfield, C. T. (2013). Employee silence motives: Investigation of dimensionality and development of measures. Journal of Organizational Behavior, 34(5), 671-697.
[4] Knoll, M., and van Dick, R. (2013). Do I hear the whistle…? A first attempt to measure four forms of employee silence and their correlates. Journal of Business Ethics, 113(2), 349-362.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。
