2026年2月27日
揺らぐ専門職、変わる自分:プロフェッショナル・アイデンティティの再構築

自分はいったい何者なのだろうか。この問いは、職業生活において、ふとした瞬間に姿を現します。キャリアを歩む中で「こうありたい」という理想を描くものの、日々の仕事は必ずしもその通りに進むとは限りません。憧れの職業に就いたのに現実が想像と違っていたり、会社が求める人物像と自分の価値観がぶつかったりします。新しい役職に戸惑い、予期せぬ異動や組織変革で専門性が揺さぶられることもあるでしょう。
このような理想と現実、あるいは自己と他者からの期待との間に生じるズレや葛藤は、働く誰もが経験しうるものです。こうした葛藤に直面したとき、私たちはそれをどう乗り越え、自分らしさ、すなわち専門職としてのアイデンティティを再び見つけ出していくのでしょうか。そのプロセスは平坦ではなく、悩みや試行錯誤を伴います。本コラムでは、人々が自身のアイデンティティをどのように再構築していくのか、その複雑な道のりを紐解いていきます。
理想と現実の乖離が専門職アイデンティティを形成する
専門職がその職業らしい振る舞いを身につける過程は、教科書通りに進むものではありません。特に、理論と実践のギャップが大きい医療現場では、理想と現実の間で多くの葛藤が生まれます。ある6年間の質的研究は、研修医が経験するこの葛藤が、専門職としてのアイデンティティを主体的に形作る原動力となっていることを明らかにしました[1]。
この研究が示したのは、「仕事とアイデンティティの一貫性の乖離」という現象です。これは、研修医が抱く「医師とはこうあるべきだ」という自己認識と、実際の業務内容との間に生まれるズレを指します。この乖離のありさまは、専門分野によって異なっていました。
プライマリケアの研修医は、患者に寄り添う「ケアの調整役」という自己イメージを持っていました。幸い、実際の業務もそのイメージに近く、理想と現実のズレは比較的小さなものでした。
一方、外科の研修医は「手術で劇的な変化をもたらす専門家」という強い自己認識を抱いていました。しかし研修初期に待っていたのは、手術室での活躍ではなく、膨大な書類仕事や補助的な雑務でした。この現実は「自分はまだ外科医ではない」と感じさせるほど、理想からかけ離れたものでした。
放射線科の研修医が直面した乖離はさらに深刻でした。そもそも「放射線科医とは何か」という明確なアイデンティティがない状態でキャリアが始まり、研修初期の業務は講義の聴講や勉強が中心でした。これによって、無力感を覚えるほどの大きなズレを経験することになりました。
研修医たちはこの乖離をどう乗り越えたのでしょうか。研究によれば、彼ら彼女らは自身のアイデンティティを仕事内容に合わせて調整、いわば「カスタマイズ」することで解決しようとしました。その方法は主に三つの類型に分けられます。
一つ目は「深化」です。乖離が小さかったプライマリケアの研修医に見られ、既存の「ケアの調整役」というアイデンティティを捨てるのではなく、日々の経験を通してその意味をより深く、豊かなものへと発展させました。
二つ目は「パッチング」で、外科の研修医が用いました。理想と現実のギャップを埋めるため、既存の「外科医」アイデンティティに、医学部で学んだ「一般医」としてのアイデンティティを「継ぎ当て」したのです。これによって「私たちは手術も臨床もこなせる、病院で最も完璧な医師だ」という新たな自己認識を構築し、現実の業務に意味と誇りを見出しました。
三つ目は「スプリンティング」です。放射線科の研修医は「放射線科医」としてのアイデンティティが弱かったため、支えとなる「添え木」として過去の「学生」というアイデンティティを一時的に借用しました。勉強中心の業務を「また学生に戻ったようだ」と解釈し、現状を肯定的に捉え直したのです。その後、診断業務に本格的に参加し、確固たるアイデンティティが育つと、この添え木は不要になりました。
こうして作られたアイデンティティは、他者との関わりの中で妥当性が確かめられ、強化されます。上級医からの叱責や同僚間の噂話、ロールモデルとなる先輩の存在を通じて、彼ら彼女らは自身の進むべき道への確信を得ていくのです。専門職のアイデンティティ形成は、仕事のやり方を学ぶサイクルと、自分は何者かを学ぶサイクルが連動するプロセスです。
理想の労働者像に対しアイデンティティを操る
働く個人が抱く理想と現実の業務とのズレは、アイデンティティを見つめ直すきっかけとなり得ます。しかし、葛藤は個人の内面だけで完結しません。組織が期待する「理想の労働者像」が個人の価値観と衝突する時、より複雑な駆け引きが生まれます。あるコンサルティングファームの調査は、この組織からの圧力に対し、人々がいかに巧みに自身のアイデンティティを操っているかを浮き彫りにしました[2]。
この企業では、「理想の労働者」とは「仕事への全面的な献身と、恒常的な可用性を持つ人物」と定義されていました。仕事を最優先し、いつでも働ける状態にあることが高く評価され、昇進の基準となっていたのです。
多くの従業員は、この画一的な理想像と自身のありたい姿との間で葛藤を抱えていました。この期待に対し、人々は大きく三つの戦略で対処していました。
一つ目は「受容」です。組織の理想像を受け入れ、長時間労働や急な要請に積極的に応える生き方で、比較的スムーズに昇進していきます。
二つ目の戦略は「パッシング」です。理想像から逸脱した働き方をしているにもかかわらず、それを受容しているかのように見せかける振る舞いです。例えば、移動時間の少ない顧客を担当するなどして実質的な労働時間を管理しつつ、成果は維持します。しかし、こうした工夫を上司や人事に公式に願い出ることはしません。水面下で仕事のやり方を再設計し、周囲には「理想的な働き手」と認識させ続けるのです。パッシングを実践する人々の人事評価は「受容」戦略をとる人々と遜色なく、昇進も順調でした。
三つ目の戦略は「開示」です。自身が理想像から逸脱していることを組織に明らかにします。育児などを理由に配慮を公式に申請する行動がこれにあたります。しかし、このような「開示」は、コミットメントが低いという評価につながり、不利益を招くことが少なくありません。
戦略選択には、ジェンダーによる系統的な差が見られました。女性、特に母親は公式な配慮制度を利用しやすく、結果として「開示」を選びやすくなります。一方、男性は制度利用への社会的期待が低いため、水面下で働き方を調整する「パッシング」に向かいやすいという非対称性がありました。この構造が、女性のキャリアに不利に働く可能性が考えられます。
暫定的な自己の試行錯誤で専門職アイデンティティを構築
新しい役割を担う時、誰もが「新しい自分」にならなければならないというプレッシャーを感じます。これまでのやり方が通用せず、周囲からは異なる振る舞いを期待される。こうした状況で、人はどう新しい役割にふさわしい自分を見つけ、アイデンティティを築くのでしょうか。投資銀行とコンサルティングファームの若手を対象とした研究が、その試行錯誤のプロセスを描き出しています[3]。
この研究が提示する中心概念が「暫定的な自己」です。これは、新しい役割に適応するため、個人が一時的に試す「お試しの自分」とも言うべきものです。現在の自分と役割に期待される理想像とのギャップを埋めるため、様々なスタイルを実験的に試す中で、徐々に新しいアイデンティティが形作られていくと考えられています。
このプロセスは「観察」「実験」「評価」という三つの段階を繰り返すサイクルとして捉えられます。
最初の段階は「観察」です。優れた先輩や上司をロールモデルとし、その振る舞いを注意深く見つめます。身のこなし、話し方、交渉スタイルなど、役割にふさわしいとされる要素を「部品」として収集し、自分にとって実現可能か、望ましいかを吟味して将来像の候補を絞り込みます。
次の段階は「実験」です。観察で蓄えた「部品」を、実際の仕事の現場で組み合わせて演じてみます。これにはいくつかのパターンが見られました。身近な上司のスタイルをそのまま真似る「一括模倣」、複数のモデルから良い要素を組み合わせる「選択的模倣」、「自分らしさ」を土台に少しずつ試す「自己本位戦略」です。
最後の段階が「評価」です。実験的に演じた「暫定的な自己」を、内と外、二つの基準で振り返ります。内的な評価とは、その振る舞いが自分の価値観と合っているかという感情的な手応えです。一方、外的な評価は上司や顧客からのフィードバックであり、役割にふさわしい存在として認められたかを測ります。この二つを照合し、どの「部品」を残し、磨き、捨てるかを決め、アイデンティティを洗練させていきます。
この研究は、新しい役割への適応が受け身のプロセスではないことを教えてくれます。人々は、観察で選択肢を増やし、実験で試し、評価で調整するという、能動的な試行錯誤を繰り返しているのです。
アイデンティティを保留し、新しい仕事から自己を再構築
専門性とは異なる仕事を突然命じられたら、私たちはどう反応するでしょうか。長年の知識やスキルが無駄に感じられ、強い抵抗感を覚えるのは想像に難くありません。しかし、そのような強制された変化の中から、新しい自分を見出し、アイデンティティを再構築することは可能なのでしょうか。英国のある公共サービス組織を調査した研究が、この問いに一つの答えを提示しています[4]。
この組織では、三つの異なる専門職グループの仕事を一つに統合する、大規模な職務再設計が行われました。利用者の身体機能を評価する「作業療法士」、その補助を行う「作業療法士アシスタント」、利用者の経済状況を評価する「ケースワーカー」。専門性の異なる職員たちが、全員「住宅評価オフィサー」という新しい役職を与えられ、専門外の業務も一人でこなさなければならなくなりました。この変更は、全職員から強い反発を受けました。
研究者たちが彼ら彼女らの変化への向き合い方を追跡した結果、アイデンティティの再構築が四つの段階を経て進むことが明らかになりました。
第一段階は「抵抗と喪失」です。職員たちは当初、強い怒りを示し、「私は医療の専門家だ」と、新しい仕事が自身のアイデンティティと相容れないことを主張しました。これまで誇りを持って担ってきた立場を失うことへの悲しみも見られました。
第二段階は「回避」です。職員たちはアイデンティティを守るため、新しい仕事を巧妙に避けようとしました。例えば、作業療法士とケースワーカーが非公式にペアを組み、それぞれが得意な業務だけを分担するという「抜け道」を編み出したのです。
しかし、第三段階で転機が訪れます。経営陣がペア業務を禁止し、単独で取り組むよう圧力を強めました。ここで、研究者が「アイデンティティ・パーキング」と名付けた心理的プロセスが起こります。職員たちは、新しい仕事が自分のアイデンティティにとって何を意味するのかを「考えるのをやめ」「ただ、やるべきことをやる」と決意したのです。これは、葛藤を一時的に脇に置き、いわば「駐車場に停めておく」行為でした。この「保留」が、新しい仕事を学ぶ精神的な余裕を生み出しました。
最終段階が「再構築」です。新しい仕事に習熟し始めると、彼ら彼女らは利用者から肯定的なフィードバックを受けます。一人の担当者が最後まで責任を持つ新しいやり方が「たらい回しにされなくて良い」と高く評価されたのです。この感謝の声に触れ、職員たちは新しい仕事の価値を認識し、一時的に保留していたアイデンティティを修正しながら取り戻していきました。彼ら彼女らは「より全体的なサービスを提供できる、より良い専門家になった」と自己認識を更新し、新しい仕事とアイデンティティを肯定的に受け入れたのです。
新たな役割アイデンティティは過去と結びつき正当化
個人のアイデンティティだけでなく、一つの専門職が社会で持つイメージ、すなわち「職業的役割アイデンティティ」も時代と共に変化します。その代表例が看護職です。かつて「医師の補助者」というイメージが強かったこの職業は、時を経て「患者と協働する自律した専門職」へと位置づけを変えました。このような大きな変化は、どう社会に受け入れられ、正当化されたのでしょうか。数十年にわたる看護の入門教科書を分析した研究が、その裏にある言葉の戦略を解き明かしています[5]。
この研究では、教科書で語られる看護師のアイデンティティを構成するテーマの時代的変化が調査されました。結果、「医師への従属性」を示す記述は著しく減少し、一方で「患者の自律性を尊重する」「患者の権利を擁護する」といった主体的な姿勢を強調するテーマが増加していました。
研究の核心は、この変化が教科書の中でどういう言葉遣いや論法、すなわちレトリックで正当化されていたかの分析にあります。そこには五つの言語戦略が存在することが浮かび上がりました。
一つ目は「過去を自然化する」戦略です。新しいアイデンティティを、伝統的な価値観から自然に進化したものであるかのように描きます。例えば、新しい看護のあり方をナイチンゲールの精神を受け継ぐものとして語り、変化を断絶ではなく連続的な発展として見せます。
二つ目は「新しい意味を正常化する」ことです。「ケア」のような古くからある言葉に、時代に合わせた新しい意味を込めていきます。言葉は同じでもその内実が徐々に変化し、変化が目立たない形で浸透します。
三つ目は「アイデンティティの参照対象を変更する」戦略です。比較対象を「看護助手」から「医師」へと変えることで、「医師に従属する」関係性から「医師と協働する」という新しい関係性へと、人々の認識を誘導しました。
四つ目は「制度的環境と結びつける」ことです。看護職内部の変化を、消費者権利意識の高まりといった社会全体の価値観の変化と結びつけ、変化が社会の要請に応える適切な適応であると位置づけます。
五つ目は「権威を参照する」戦略です。正当性の根拠を、個々の著者から看護理論家、そして最終的には専門職団体全体の公式見解へと移行させます。これによって、定義が専門職全体の総意に基づくという印象を与え、正当性を高めています。
これらの戦略に共通するのは、過去を否定せず、むしろ連続性を演出しながら、変化を穏やかに、そして「正しいこと」として社会に浸透させるアプローチです。
脚注
[1] Pratt, M. G., Rockmann, K. W., and Kaufmann, J. B. (2006). Constructing professional identity: The role of work and identity learning cycles in the customization of identity among medical residents. Academy of Management Journal, 49(2), 235-262.
[2] Reid, E. (2015). Embracing, passing, revealing, and the ideal worker image: How people navigate expected and experienced professional identities. Organization Science, 26(4), 997-1017.
[3] Ibarra, H. (1999). Provisional selves: Experimenting with image and identity in professional adaptation. Administrative Science Quarterly, 44(4), 764-791.
[4] Chen, Y., and Reay, T. (2021). Responding to imposed job redesign: The evolving dynamics of work and identity in restructuring professional identity. Human Relations, 74(10), 1541-1571.
[5] Goodrick, E., and Reay, T. (2010). Florence Nightingale endures: Legitimizing a new professional role identity. Journal of Management Studies, 47(1), 55-84.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。
