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コラム

組織的公正の副作用:正しさが人を追い詰めるメカニズム

コラム

「公正であること」は、職場や社会で疑いなく肯定的な価値を持つ理念です。私たちは公正なルール、評価、リーダーを求め、それが納得感や満足感を高め、組織への信頼を育むと信じています。手続きが明快で一貫していれば、下された決定は受け入れやすいはずです。これは私たちの直感にも合致します。

しかし、その「公正な手続き」が、自分に不利益な結果をもたらしたらどうでしょうか。例えば、昇進試験に落ちた理由が、一点の曇りもない客観的な評価だったと説明された時、私たちは素直に納得し、前向きになれるものでしょうか。あるいは、公正な処遇が、かえって組織を思うあまりの行き過ぎた行動を後押ししてしまうとしたら、どう思いますか。

本コラムでは、こうした公正さがもたらす、普段は光の当たらない側面に目を向けます。公正という理念が、自己評価や倫理観、心身の健康に予期せぬかたちで作用する可能性を探ります。

失敗した時、手続きが公正であるほど自己評価はかえって傷つく

組織内での決定が公正な手続きに則ることは、従業員の満足度や納得感を高める上で欠かせない要素だとされます。しかし、その公正さが、時として私たちの心に負の作用を及ぼすとしたら、それはどのような状況でしょうか。特に、否定的な結果を受け取った時、手続きが「この上なく公正だった」と知らされることは、慰めになるのか。この問いは、手続きの公正さと個人の自己評価の関係性について深く考えさせます。

この関係性を説明する考え方として、二つの異なる視点があります。一つは、人が集団との関わりを重んじる側面から説明するものです。この立場では、公正な手続きは組織が自分を「尊重すべき価値ある一員」として扱っている証拠だと解釈され、結果の良し悪しに関わらず自己評価を高めると予測されます。

もう一つは、人が物事の原因をどう解釈するかという心の働きに着目する視点です。人には、自らの評価を守るため、成功は自分自身の能力のおかげ(内的要因)と考え、失敗は運が悪かったせい(外的要因)にしたいと願う心の動きがあります。

この考え方を当てはめると、悪い結果を受け取った時、手続きが完全に公正だと失敗の原因を自分以外の何かに求めることは難しくなります。「手続きに問題があった」という言い訳ができず、失敗の矛先は自分自身の能力不足へと向かい、自己評価を直接傷つけます。逆に手続きが不公正なら、「手続きが偏っていたから失敗した」と考えることで、自尊心への打撃を和らげられます。

この対立する予測を検証するため、ある実験が行われました[1]。大学生に管理職の適性課題に取り組んでもらい、「採用」か「不採用」のフィードバックを与えました。その後、評価手続きが客観的で一貫性のある「公正なもの」だったか、主観的で一貫性のない「不公正なもの」だったかを伝え、その時点での自己評価を測定しました。

結果は後者の視点を裏付けました。「採用」という良い結果を得た参加者は、手続きが公正な場合に自己評価が高まりました。成功を「自分の実力だ」と確信できたためです。一方、「不採用」という悪い結果を受け取った参加者は、手続きが不公正な場合に、公正であった場合よりも自己評価が高く維持されました。公正な手続きは失敗の責任を個人に帰属させ、言い逃れの余地をなくすため、自己評価を低下させたのです。

この発見は、大学の期末試験といった現実の場面でも確かめられました。試験結果が悪かった学生ほど、評価手続きが公正だと感じる場合に自己評価が低くなる関連が見られました。別の実験では、事前に期待を操作する偽の中間フィードバックを与えました。すると、自己評価を左右したのは最終結果よりも事前の期待であり、否定的な期待を与えられた参加者は、手続きが公正だと知らされると自己評価が下がる結果になりました。

これらの結果が示唆するのは、公正な手続きが持つ「有害な側面」です。とりわけ失敗した時や悪い結果を予期している時、非の打ち所がない公正な手続きは、個人の自己評価を深く傷つける両刃の剣となり得ます。それは失敗の責任を個人に背負わせ、外部への言い訳を許さないからです。公正さを追求する営みの中に、このような心の痛みを伴う力学が潜んでいることは、記憶にとどめておくべきでしょう。

公正な扱いは、組織を思うあまりの非倫理的行動を引き起こしうる

先ほどは、手続きの公正さが個人の自己評価に与える予期せぬ作用を見ました。公正さは、私たちの内面だけでなく、組織に対する行動にも一筋縄ではいかない形で関わってきます。一般に公正な職場は倫理的な行動を促進すると考えられていますが、組織から公正に扱われることが、かえって組織を助けるためなら非倫理的な行為も厭わないという行動につながる可能性が指摘されています。

ここで考えるのは、「非倫理的向組織行動」です。これは私利私欲のためでなく、所属組織の利益になると信じて行われる道徳に反した行動を指します。例えば、業績を良く見せるための会計報告の数字操作「利益管理」がそれに当たります。従来、こうした行動は上司の圧力や個人的な報酬が動機だと考えられてきましたが、従業員が純粋に「会社を助けたい」という思いから手を染めることがあるのではないか、と問われています。

この現象を理解する鍵は、社会的アイデンティティの考え方にあります。人は所属集団の一員であることから自己の概念を形成します。組織から公正に扱われることは、従業員にとって「この組織は信頼でき、自分はその価値ある一員だ」という感覚、すなわち組織との一体感を強めることにつながります。公正な扱いは、自分がその集団の一員であることに誇りを持ち、組織の成功を自らの成功のように感じる心を育みます。

問題は、この高まった組織との一体感が、時に倫理の境界線を曖昧にしてしまう点です。組織と自分を強く同一視すると、組織の利益を守ることが至上命題となり、手段の倫理性は二の次になることがあります。「公正な扱い」が「組織との強い一体感」を生み、その一体感が「組織のためならば」という大義名分のもとで非倫理的行動を引き起こす連鎖が起こり得るのです。

この関係性を探るため、会計士を対象とした調査が行われました[2]。勤務先からの公正な扱いの認識、組織との一体感、組織のためなら利益管理にどの程度関与したいと思うかを尋ねました。分析の結果、予測された連鎖が確認されました。組織から公正に扱われていると感じる会計士ほど組織との一体感が強く、そして一体感が強いほど、「組織のためなら」と利益管理を行う傾向が見られたのです。

ただし、この連鎖には「道徳的アイデンティティ」、すなわち公平さや誠実さといった価値観をその人がどれだけ大切にしているかが関わっていました。道徳的アイデンティティが高い人は、たとえ組織との一体感が強くても、非倫理的な行動には一線を画しました。自身の内なる倫理観が組織への忠誠心に歯止めをかけたのです。一方、それが高くない人の場合、組織との一体感は非倫理的行動へと直結しやすくなっていました。

この関係を確かめるため、実験も行われました。参加者に公正な会社と不公正な会社を想像してもらったところ、公正な会社を想像したグループの方が組織との一体感をより強く感じ、組織のためなら利益管理を行うことへの抵抗が少ないことが示されました。公正な扱いは従業員の帰属意識や忠誠心を高めますが、その忠誠心が、時に組織を守るという目的のために手段を選ばない行動へと姿を変えてしまう危険性も内包しています。

揺れ動く公正さは、一貫して不公正であるより強いストレスを生む

これまで、一貫して存在する公正さがもたらす逆説的な側面を探ってきました。しかし私たちが日常で経験する「公正さ」は、常に一定とは限りません。上司の態度は日によって変わり、組織の方針は揺れ動きます。このような「公正さの変動」は私たちの心にどう作用するのでしょうか。結論から言えば、時々公正で時々不公正という揺れ動く扱いは、一貫して不公正である場合よりも強いストレスを生む可能性があります。

この現象の背後には、人間が持つ「確実性を求める心」があります。私たちは自分の周りの世界が予測可能であり、その中での自分の立場を把握したいと願います。上司の対応が日によって大きく変わる、要するに公正さが安定しない状況は、この予測可能性を損ないます。次は何が起こるのか、どう振る舞えば良いのかわからず、常に緊張を強いられるのです。この「先が読めない」感覚が、コントロール感を失わせ、ストレスの原因となります。

対照的に、一貫して不公正な上司は不満の対象ですが、その行動はある意味で「予測可能」です。私たちはその上司から公正な扱いを期待せず、どう対処すべきかを学習できます。もちろん望ましい状況ではありませんが、心理的な不確かさという点では、気まぐれに公正さが変動する状況よりも負担が少ない場合があるのです。

この仮説を検証するため、実験室で学生を対象とした研究が行われました[3]。参加者はコンピューター上で課題を行いながら、模擬的な上司から「常に公正」「常に不公正」「変動的」の三パターンのメッセージを受け取りました。そして参加者の心拍数が、生理的なストレスの指標として測定されました。

結果は明確で、心拍数が最も高くなったのは「変動条件」の参加者でした。その平均心拍数は、常に公正な条件の参加者はもちろん、常に不公正な条件の参加者よりも高かったのです。これは、平均的に見ればそこそこ公正な扱いでも、その公正さが揺れ動くこと自体が、一貫した不公正より強い生理的ストレス反応を引き起こすことを物語っています。

実際の職場で働く従業員を対象とした日記形式の調査も行われました。毎日の終業時に、その日の職場の不確実性や感じたストレス、上司の公正さなどを記録してもらったところ、上司の公正さの変動が大きい従業員ほど、日々のストレスレベルが高いことが確認されました。

この公正さの変動は、職場に存在する他の不確実性がストレスに与える作用を増幅させることもわかりました。会社の将来が不透明といった状況下で、上司の態度まで不安定だと、従業員のストレスはさらに高まるのです。この日々のストレスは、仕事への不満や情緒的消耗へとつながっていきました。上司自身の自己抑制能力が低いほど、部下に対する公正さにばらつきが生じやすいという関連も見出されました。

これらの知見は、管理者が部下に接する上で、「何を言うか」と同じくらい、「いかにブレないか」が大切であることを示唆しています。予測可能性は心の安定を保つための資源であり、揺れ動く公正さは、その資源を奪い去るストレッサーとなり得るのです。

対人的に公正な上司との関係は、良すぎると逆に成果が伸び悩む

公正さが自己評価を傷つけたり、非倫理的行動を誘発したり、その不安定さが強いストレスになったりする側面を見てきました。今度は、上司と部下の良好な人間関係という、誰もが望ましいと考える文脈の中で公正さのパラドックスを探ります。尊敬できる公正な上司と信頼に基づいた良い関係を築くことは、仕事の成果を高める上で効果的だと信じられています。しかし、ここにも「良すぎることの弊害」が潜んでいるかもしれません。

上司と部下の関係の質は、高ければ高いほど良いとされ、それが部下のパフォーマンス向上につながる、という直線的な関係が想定されるところです。しかし、物事には最適点があり、それを超えると効果が減少することがあります。上司との関係もまた、ある一点を超えると成果の伸び悩みにつながる可能性はないのでしょうか。

この問いを解く鍵は、上司が示す「対人的な公正さ」にあります。これは部下に敬意を払い、尊厳を持って接することを指します。このような上司は、特定の部下をえこひいきしていると見られることを強く避けようとするかもしれません。

ここで、非常に良好な関係を築いている部下がいると想像してください。上司がこの部下の成果をさらに高めようと、特別な情報や重要な仕事といった資源を優先的に与えれば、それは周囲から「お気に入りへの偏った配分」と見なされるリスクを伴います。対人的な公正さを重んじる上司ほど、こうした疑念を恐れ、たとえ関係性が密接でも資源の配分はあくまで公平に行おうとするでしょう。その結果、極めて高いレベルの良好な関係を築いても、それがさらなる成果につながる追加的な資源には結びつかず、パフォーマンスは頭打ちになるというシナリオが考えられます。

この複雑な関係性を明らかにするため、ルーマニアの様々な組織で働く従業員とその上司を対象とした調査が行われました[4]。部下は上司との関係の質や上司の対人的公正さを評価し、一方で上司は部下の仕事の成果を評価しました。

分析の結果、予測されたパターンが浮かび上がりました。上司が「対人的に公正である」と評価されている場合に限り、上司と部下の関係の質と、部下のパフォーマンスとの間に、逆U字の関係が見られたのです。関係の質がある程度まで高まるにつれてパフォーマンスも向上しますが、その頂点を超えて関係が良くなりすぎると、パフォーマンスは横ばいか、わずかに低下しました。

一方で、上司が対人的に公正でないと評価されている場合は、このような曲線関係は見られず、関係が良ければ良いほどパフォーマンスも高まるという、より単純な直線的関係に近かったのです。

この結果は、組織における最も基本的な人間関係においても、「過ぎたるは猶及ばるが如し」という状況が存在することを示唆します。とりわけ、上司が公正であろうと努める職場環境において、部下との過度な親密化は、意図せずその部下の成長を鈍化させる一因となり得るのかもしれません。良好な関係は重要ですが、その成果には公正さという文脈によって規定される上限が存在するのです。

脚注

[1] Schroth, H. A., and Shah, P. P. (2000). Procedures: Do we really want to know them? An examination of the effects of procedural justice on self-esteem. Journal of Applied Psychology, 85(3), 462-471.

[2] Lavelle, J. J., Herda, D. N., and Bates, K. M. (2025). The dark side: Linking organizational justice to unethical employee behaviors. Social Justice Research, 38, 75-97.

[3] Matta, F. K., Scott, B. A., Colquitt, J. A., Koopman, J., and Passantino, L. G. (2017). Is consistently unfair better than sporadically fair? An investigation of justice variability and stress. Academy of Management Journal, 60(2), 743-770.

[4] Ionescu, A.-F., and Iliescu, D. (2021). LMX, organizational justice and performance: Curvilinear relationships. Journal of Managerial Psychology, 36(2), 197-211.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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