ビジネスリサーチラボ

open
読み込み中

コラム

多声的な自己:プロフェッショナルの語りに見る内なる共鳴

コラム

私たちは、日々さまざまな立場で振る舞いながら生きています。会社での自分、家庭での自分、友人たちと過ごす自分。それぞれの場所で、私たちの言動は少しずつ変化します。現代社会を生きることは、こうした複数の顔、すなわち複数の「アイデンティティ」を抱えながら生きていくことでもあります。「本当の自分は一つであるべきだ」という考え方もありますが、現実はもっと複雑です。

一人の人間の中に多様な自己が存在し、時に調和し、時に反発し合う。この複雑な内面のあり方は、私たちのキャリア形成や心の健康に関わりを持っています。例えば、新しい分野に足を踏み入れるとき、すでに持っている別の自己像が、未知の領域へ進む支えになることがあります。一方で、大切にしている二つの自己像が互いに相容れない要求を突きつけてくるとき、大きな葛藤や消耗を経験することもあるでしょう。本コラムでは、「複数の自己が織りなすアイデンティティ」というテーマを探求します。

複数のアイデンティティが専門職の自己形成を支える

専門家になる過程は、単に知識や技術を習得するだけではありません。それは、その分野の一員としてふさわしい価値観や行動様式を身につけ、「自分は何者か」というプロフェッショナル・アイデンティティを築き上げるプロセスでもあります。未来の自分像を明確に描けることは、学びへの意欲や行動につながります。この未来像はどのようにつくられるのでしょうか。その鍵の一つが、私たちが持つ「複数のアイデンティティ」です。

この問いを探るため、オーストラリアの大学で博士課程に在籍する22名の学生を対象に面接調査が行われました[1]。インタビューでは、自身の専門家としてのアイデンティティや指導教員との関係などが尋ねられました。この調査から、自分を説明するために使えるアイデンティティの種類と数が、未来の専門家像を形作る上で違いを生むことが浮かび上がってきました。

分析を進めると、学生たちは自身が持つアイデンティティの数によって二つのグループに分かれました。一方の学生たちは、「博士課程の学生」という単一のアイデンティティで自身を捉えていました。この学生たちは、「学生」という呼称が自分たちの専門性を正しく表現していないと感じ、しばしばもどかしさを語りました。自身の立場を、師匠のもとで教えを請う受動的な「徒弟制度」のように見なす様子がうかがえます。

対照的に、もう一方の学生たちは、「研究者」や「科学者」といった学術的なものから、過去の職務経験に基づく「エンジニア」や「理学療法士」といったものまで、複数のアイデンティティを併せ持っていました。この学生たちは、博士課程という不確実な状況に対し、持っているアイデンティティを巧みに使い分け、柔軟に対応していました。

特に、学術以外の専門職アイデンティティを持つ学生は、博士課程での学びが自身のキャリアにどう結びつくのか、肯定的な見通しを持っていました。複数のアイデンティティを持つ学生の多くは、博士課程を主体的に取り組むべき「仕事」として捉え、高い意欲を維持していました。

この結果から考察されるのは、複数のアイデンティティが、現在の自分と未来の専門家としての自分とをつなぐ「足場」のような機能を果たしているということです。多様な自己の側面を持つ学生は、将来の自分像について高い確実性を感じており、状況に応じて自分を肯定的に説明する自己管理にも長けていました。対照的に、単一のアイデンティティしか持たない学生は、自分が何者で、どこへ向かっているのかについて、高い不確実性を表明しました。

指導教員との関係性も、学生が持つアイデンティティの資源と関連していました。単一のアイデンティティを持つ学生は、指導教員を特定のスキルを学ぶ対象(実践モデル)と見るきらいがありました。複数の学術的アイデンティティを持つ学生は、指導教員を個人的な指導や支援をしてくれる存在(指導モデル)と捉えていました。そして、学術と専門職の両方のアイデンティティを持つ学生は、指導教員を将来の自分の姿や、なりたい自己の側面を体現する存在(存在モデル)として見ていました。

この学生たちは、自身の多様なアイデンティティを土台として、指導教員の姿から自分の理想と重なる部分を主体的に選び取り、自身の未来像を積極的に構築していました。

教員兼学生は二つのアイデンティティの間で自己を交渉

専門家を目指す過程で複数のアイデンティティがいかに成長の支えとなるかを見てきました。すでに「教員」という確立された専門家としてのアイデンティティを持つ人物が、新たに「学生」というアイデンティティを得たとき、その内面では何が起こるのでしょうか。この問いに、ある大学教員の個人的な経験を通して深く迫った探求があります[2]

この探求では、「オートエスノグラフィー」という手法が用いられました。研究者自身の経験を記録し分析することで、個人の内面で起こる繊細な変化や葛藤のニュアンスを深く理解しようとするアプローチです。常勤教員として働きながら博士課程を過ごした3年間の研究日誌が、分析の土台となりました。

分析の軸となるのが、「学んだ学者」と「学ぶ学者」という二つの自己像です。これは固定的な分類ではなく、人が状況に応じてその間を揺れ動く、流動的なものとして捉えられます。「学んだ学者」は、自身の専門性に依拠し、時には新しい学びに慎重になる自己の側面です。「学ぶ学者」は、試行錯誤を通じて学び、常に自身の考えを問い直そうとする意欲的な自己の側面を指します。

博士課程の初期、日記の書き手は、常勤教員という立場からくる孤独感や、学生としての無力感に悩まされます。課題に対し「私はもともと講師なのだから」と既存の知識で乗り切ろうとする「学んだ学者」としての一面を見せる一方で、研究能力への不安という「学ぶ学者」としての側面も抱えていました。しかし、新しい研究手法との出会いをきっかけに、彼女は「学ぶ学者」の側へと大きく動き、知を探求する喜びを見出します。

2年次になると、二つの立場の間の葛藤はより強くなります。同僚から「学生」ではなく「同僚」として扱われることに戸惑い、学生として未熟でいられる安全な場所と、教員としての専門的な評判との間で板挟みになります。しかし、学会発表などを経験する中で、学生としての成長を実感し、研究者としての新しい自己像を受け入れ始めました。

博士課程の終盤になると、彼女の中で講師と学生という二つの立場の境界線は次第に曖昧になっていきました。自身の学生指導の経験が、指導教員から受けた指導の理解を深めるなど、二つのアイデンティティは対立するものではなく、互いを豊かにする相補的なものとして統合され始めました。

口頭試問を目前にした時期には、専門家としての評価への不安が再燃する一方、審査員からのフィードバックを求める「学ぶ学者」でありながら、将来の共同研究を構想する「学んだ学者」としての視点も持ち合わせており、二つの自己像が一つに収束していく様子が描かれています。

この一連の経験が物語るのは、複数のアイデンティティを抱えることが、複雑な内面の交渉を伴うということです。「学んだ学者」としての経験は、学びを助ける一方、時には障壁にもなり得ます。しかし、内省的な実践を通じて、これらの対立する側面を乗り越え、最終的には二つのアイデンティティを統合し、より多面的な専門家へと成長していきました。

組織と専門職のアイデンティティ葛藤は従業員を疲弊させる

これまで、複数のアイデンティティが個人の成長や内面的な探求に結びつく側面を見てきました。しかし、二つのアイデンティティが求める価値観が真っ向から対立し、強い緊張関係にあった場合、何が起こるのでしょうか。ここでは、アイデンティティの衝突がもたらす、より深刻な側面、とりわけ働く人々の心身の消耗という問題に目を向けます。多くの社会人が持つであろう、「組織の一員としての自分」と「専門家としての自分」の衝突は、見過ごせない課題です。

この問題を探るため、「組織的および専門的アイデンティティ葛藤(OPIC)」という概念が提起されました。これは、組織内で求められる自己像と、専門職で求められる自己像との間で個人が経験する心理的な葛藤を指します。例えば、組織が利益を優先するあまり、専門職としての倫理観に反する行動を求められる状況です。この葛藤が従業員の心身の健康や離職しようとする気持ちにどう関わるのかを明らかにするため、米国の学術界と医療業界で働く人々を対象とした二つの量的調査が実施されました[3]

この調査の背景には、人が自分は何者であるかについて不確実性を感じると、それがストレスとなり精神的なエネルギーを消耗させるという理論があります。組織の価値観と専門職の価値観が対立すると、従業員は「どちらの期待に応えるべきか」という不確実な状況に置かれます。この理論に基づき、アイデンティティ葛藤が強い人ほど、仕事で燃え尽きを感じる「情緒的消耗感」や精神的な不調である「心理的苦痛」を経験しやすく、最終的には「離職意図」につながるのではないかという仮説が立てられました。

二つの調査の結果は、この仮説を裏付けるものでした。学術界と医療業界、どちらの調査においても、組織と専門職の間で強い葛藤を感じている人ほど、情緒的に消耗し、心理的な苦痛を感じやすいという関連が確認されました。二つのアイデンティティの板挟みになることは、働く人々を心身ともに疲弊させます。

離職意図への関わり方については、業界によって少し異なる様相が見られました。学術界で働く人々の場合、アイデンティティの葛藤は、心理的な苦痛を高め、その高まった苦痛が原因となって組織を去ることを考えさせるという間接的な道のりをたどっていました。

一方で、医療従事者を対象とした調査では、アイデンティティの葛藤が、離職意図に対して直接的で強い結びつきを示しました。これは、人の命に関わる現場では、組織の方針が自身の専門的倫理観と相容れないと感じたとき、それが職場を辞める直接的な動機となりうることを示唆しています。

対立する言説を内包し管理職のアイデンティティは作られる

組織と専門職のアイデンティティが衝突するとき、従業員が疲弊するという現実を見てきました。その葛藤の最前線に立つのが、管理職かもしれません。彼ら彼女らは、組織の目標達成という「ビジネスの論理」を代弁する一方、部下である専門家たちの価値観にも配慮しなくてはならないという、矛盾した期待にさらされています。このような状況で、管理職はどのように自分自身の仕事や自己像を語り、形作っているのでしょうか。

この問いを探るため、英国にある大手エンジニアリング企業で、管理職を対象とした質的な調査が行われました[4]。この会社は共同体性の強い環境にあり、「ビジネスか、人か」という葛藤がより色濃くなる背景があります。研究者たちは、インタビューなどを通じて、管理職たちが自らのアイデンティティを語る「言葉」に耳を傾けました。

その分析から見えてきたのは、管理職の語りが決して一貫したものではないという事実です。むしろ、彼ら彼女らの自己物語は、互いに対立する三つの響きを同時に奏でていました。

一つ目の対立は、「感情的な距離」と「感情的な関与」の間での揺れ動きです。管理職たちは、「仕事では感情を抑え、冷静であるべきだ」という規範を語ります。しかしその直後に、人員削減のような厳しい場面で感じた恐れや悲しみといった生々しい感情や、相手への共感を率直に口にするのです。「職務として非情にやり遂げた」という公式の顔と、「友人を解雇するのは辛かった」という個人の顔が、一つの語りの中に同居しています。

二つ目の対立は、「プロフェッショナル」と「アンプロフェッショナル」という自己像の間です。管理職は、自らを「職業倫理に則って行動するプロフェッショナルだ」と位置づけます。しかしその一方で、同じ口から、組織内に存在する縦割り主義や責任回避といった、「非プロフェッショナル」な現実も語られるのです。規律ある理想の自己像と、混沌とした現実の姿が並べられます。

三つ目の対立は、「事業(ビジネス)への関心」と「人(ピープル)への関心」の間です。管理職たちは、会社の存続のために「厳しい決断」を下すことが自分の責務であると力説します。しかし同時に、仲間であり部下でもある従業員たちの生活や尊厳への深い配慮も、同じくらい強く語られるのです。「ビジネスの論理」と「人への良心」の間を、彼ら彼女らの心は往復し続けています。

この研究から導き出される考察は、これらの対立する語りが、単なる矛盾ではないということです。それは、管理職が現実の複雑な状況の中で、「善い判断とは何か」を模索する、道徳的な営みの現れです。「感情を抑えよ」「プロであれ」「ビジネスを優先せよ」という組織からのメッセージを内面化し自己を律しようとしながらも、それに抗う人間的な感情や良心が、対抗する声として立ち現れる。彼ら彼女らのアイデンティティは、この両方の声を聞き、その緊張関係の中に身を置くことで形作られています。

脚注

[1] Bentley, S. V., Peters, K., Haslam, S. A., and Greenaway, K. H. (2019). Construction at work: Multiple identities scaffold professional identity development in academia. Frontiers in Psychology, 10, 628.

[2] Boncori, I., and Smith, C. (2019). Negotiating the doctorate as an academic professional: Identity work and sensemaking through autoethnographic methods. Teaching in Higher Education, 25(3), 271-285.

[3] Ostermeier, K., Anzollitto, P., Cooper, D., and Hancock, J. (2023). When identities collide: Organizational and professional identity conflict and employee outcomes. Management Decision, 61(9), 2493-2511.

[4] Clarke, C. A., Brown, A. D., and Hope Hailey, V. (2009). Working identities? Antagonistic discursive resources and managerial identity. Human Relations, 62(3), 323-352.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

#伊達洋駆

アーカイブ

社内研修(統計分析・組織サーベイ等)
の相談も受け付けています