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コラム

心理的安全性のパラドックス:安心が挑戦を奪う、そのメカニズム

コラム

心理的安全性。近年、この言葉を頻繁に耳にするようになりました。活気ある創造的な職場を作るための鍵として、多くの場面で語られています。メンバーが失敗を恐れず、自分の意見やアイデアを自由に発言できる環境は、誰もが理想とする職場の姿かもしれません。

しかし、物事には光と影があるように、この「心理的安全性」という概念も、常に肯定的な側面だけをもたらすとは限りません。その「何を言っても大丈夫」という安心感が、組織のためという大義名分のもとで行われる不正の隠れ蓑になったとしたら。あるいは、自由な発言が奨励されるあまり、意思決定者を疲弊させ、チーム全体の機能を麻痺させてしまうとしたら。失敗が許される心地よい環境が、仕事への動機さえも削いでしまうとしたら・・・。

本コラムでは、一般的に「善」として語られる心理的安全性の裏側に潜む、見過ごされがちなリスクについて、いくつかの研究知見を手がかりに掘り下げていきます。風通しの良い職場づくりが、意図せず組織を蝕む行動を育ててしまう可能性はないのでしょうか。理想の職場を考える上で、一度立ち止まってその複雑な性質を見つめ直すきっかけとなれば幸いです。

カリスマ上司は心理的安全性を利用し、部下の非倫理的行動を促す

人々を惹きつけ、壮大なビジョンで組織を導くカリスマ的なリーダー。その存在は、従業員の士気を高める力となり得ます。しかし、その強い引力が、部下を倫理的に危うい道へと歩ませてしまうことがあります。魅力的なリーダーシップが、どのように組織のためと信じ込まれた非倫理的な行動へつながるのか、その道筋を探った調査があります[1]

この調査の理論的な土台には、社会情報処理理論という考え方があります。これは、人は職場環境、特に上司のような存在からの情報や合図を解釈し、自身の態度や行動を形作るとするものです。部下は、尊敬するリーダーの言動を「社会的な手がかり」として受け取り、組織内で何が期待され、許されるのかを判断していくと考えられます。

調査は、中国のスキーリゾート運営会社で働く従業員を対象に行われました。研究者たちは約300人の正社員に協力を求め、調査を三つの時期に分けて実施しました。

最初の調査では、回答者の属性と共に、直属の上司がどれほどカリスマ的かを尋ねました。二回目の調査では、職場における心理的安全性の度合い、すなわち「自分の意見を言っても罰せられることはない」と感じるかどうかを測定しました。最後の三回目の調査で、組織の利益になるという名目で行われる非倫理的な行動について質問しました。ここでの非倫理的な行動とは、例えば会社の製品やサービスの真実を顧客に対して誇張するといった、組織を守るために社会の倫理観から逸脱する行為を指します。

分析の結果、いくつかの関係性が浮かび上がりました。部下が上司をカリスマ的だと認識しているほど、職場での心理的安全性を高く感じていました。カリスマリーダーは、言動で部下に安心感を与え、失敗を恐れずに行動できる空気を作っていたのです。この心理的安全性が高いと感じている従業員ほど、組織のための非倫理的行動に手を染めやすいことも確認されました。

このことから、カリスマ的リーダーシップは、直接的に非倫理的行動を命じるのではなく、心理的安全性というクッションを介して、間接的にそうした行動を促している構造が見えてきました。リーダーが作り出した「何をしても大丈夫」という安心感を背景に、部下は「組織のためならば」と、倫理の境界線を越えた行動を取りやすくなります。

この調査では「パフォーマンス圧力」、すなわち高い業績を達成しなければならないプレッシャーが、この関係性にどう作用するかも調べられました。その結果、カリスマ性から非倫理的行動へと至る一連の流れは、パフォーマンス圧力が高い状況下で、特に顕著になることが明らかになりました。逆に、業績へのプレッシャーが低い職場では、心理的安全性が高くても、それが非倫理的行動に結びつくことはありませんでした。

心理的安全性は、功利主義的なチームの非倫理的行動を助長する

先ほどは、リーダーと個人の関係性が非倫理的な行動を生むプロセスを見ました。しかし、不正は一人で行われるとは限りません。時には、チーム全体が合意の上で、倫理的に問題のある決定を下すことがあります。次に焦点を当てるのは、チームが共有する「考え方の癖」と心理的安全性が結びついた時に何が起こりうるのかです。チーム全体が非倫理的な行動に走るメカニズムを、ある大学での実験を通して探っていきましょう[2]

この研究の鍵となる概念は「倫理的志向性」です。これは、人が道徳的な判断を下す際にどのような考え方の枠組みに依拠するかを指します。大きく二つのタイプが想定されています。一つは「功利主義」です。行動の良し悪しを、その結果として生じる利益や害によって判断する考え方で、「結果的に誰も傷つかないのであれば、ルールを多少曲げても構わない」と判断する可能性があります。もう一つは「形式主義」で、こちらは行動の良し悪しを、ルールや社会規範といった原則に合致するかどうかで判断します。

調査は、米国の大学で経営学を学ぶ学生たちを対象に実施されました。378名の学生が、学期の初めにランダムに1263人組チームに分けられました。学生一人ひとりに対して、功利主義と形式主義のどちらに近い考え方をするかを測る調査が行われました。そして学期が進んだ10週目に、今度はチームとして、どれくらい心理的安全性を感じているかをオンラインで尋ねました。

その後、チームの非倫理的行動を測定するために、二つの課題が与えられました。一つ目は、架空のシナリオを用いた意思決定課題です。「あなたはチームでの課題に取り組んでいますが、期限が迫っています。時間を節約するために、友人が先輩の過去のレポートを流用することを提案しました。あなたのチームはこの計画に同意しますか?」という問いに、チームとして回答させました。

二つ目は、実際の課題における行動を観察する実験でした。学期の最終課題として、あるビジネスケースに関するレポートを提出させ、チームに自己採点するように指示しました。その際、採点の基準となるポイントが書かれた用紙を配布しましたが、そのうちの一つは、ケースの本文には一切登場しない企業名に言及した「おとりの項目」でした。もしチームがこの項目に点数をつけていれば、それは不正に点数を水増ししたと判断できる仕組みでした。

分析の結果、チームメンバーの功利主義的な考え方が強いほど、架空のシナリオで不正を決定し、実際の課題でも不正行為を行う確率が高いことが判明しました。この関係性は、チームの心理的安全性が高い場合に著しく強固になりました。一方で、形式主義的な考え方が強いチームでは、このような関係は見られませんでした。

心理的安全性は、時に意思決定者の疲弊や悪意ある発言を招く

ここまで、心理的安全性が「非倫理的」な行動をどのように助長しうるかを見てきました。しかし、その影の側面は、不正行為のような分かりやすい問題だけにとどまりません。日々の業務の効率や、健全な人間関係を損なう「非機能的」な事態を引き起こすこともあります。今度は、その実態を、医療の最前線である集中治療室での調査から探っていきます[3]。ここでは、心理的安全性が、善意から発せられた行動によって、かえってチームのパフォーマンスを低下させるという皮肉な現実が浮かび上がります。

この調査は、ロンドンにある病院の集中治療室で働く、様々な職種の医療スタッフ30名を対象としたインタビューを通じて行われました。研究者たちは、彼ら彼女らが日々の業務の中で心理的安全性をどのように感じているか、その環境がもたらす良い点と、潜在的な悪い点について話を聞きました。

インタビューの結果、参加者の大多数は自分たちの職場を心理的に安全だと感じていました。「チームの他のメンバーに助けを求めるのは簡単だ」「このチームではリスクをとっても安全だ」といった項目に、多くの人が同意していました。しかし、その一方で、心理的に安全な環境がもたらしうる負の側面についても、多くの参加者が認識していました。

分析から浮かび上がってきた悪影響は、主に三つのテーマに分類されました。

一つ目は、意思決定者の「帯域幅」への影響です。帯域幅とは、この文脈では、状況に対処するための精神的なエネルギーや処理能力を指します。心理的安全性が高い環境では、誰もが懸念やアイデアを自由に提起できます。しかし、その結果、臨床上の意思決定責任者のもとには、膨大な量の情報や意見が寄せられることになります。これによって、意思決定者は情報過多の状態に陥り、精神的に疲弊してしまうのです。この疲労は、臨床判断の質を低下させ、重要な情報を見過ごしたり、ミスを犯したりするリスクを高めることにつながります。

二つ目は、臨床状況の「文脈」が無視されがちになるという点です。集中治療室では、一刻を争う緊急事態が頻繁に発生します。そうした状況で、時間的な制約を考慮しない懸念や意見が提起されると、それは意思決定者の注意を散漫にし、患者の安全を危険にさらす行為になりかねません。また、階層がなくフラットな環境は、多様な意見が出やすい一方で、緊急時には意見がまとまらず混乱を招くリスクも指摘されました。

三つ目は、発言の「動機」の問題です。心理的に安全な環境は、必ずしも患者の安全や組織の改善といった建設的な目的からの発言だけを促すわけではありません。個人的な動機からの発言をも可能にしてしまうのです。例えば、他者を意図的に批判したり、自分より上の立場の人を貶めたりする目的で、あるいは単に自分が熱心に関わっているように見せるために、意見を述べることが容易になります。個人的な報復を恐れることなく、悪意ある発言ができてしまう環境が生まれる可能性を、一部の参加者は観察していました。

心理的安全性は、恐れを減らすが動機も下げ、効果を相殺しうる

これまで、心理的安全性が非倫理的な行動や非機能的なコミュニケーションといった、明確に「負」と言える結果につながる可能性を見てきました。しかし、その作用はさらに複雑です。ここでは、心理的安全性が持つ「正の側面」と「負の側面」が同時に働き、互いに打ち消し合うことで、結果的にチームのパフォーマンスが停滞してしまうメカニズムを探求した研究を紹介します[4]

この研究では、心理的安全性がもたらす二つの異なる道筋、「二重経路モデル」が提唱されています。

一つは、これまでもよく知られてきた「正の経路」です。心理的安全性が高いと、従業員は失敗することへの恐れを感じにくくなります。この恐れの低減が、「クッション」となり、会議で異論を唱えたり、新しいやり方を試したりといった挑戦的な行動を促します。これが、心理的安全性がパフォーマンスを高めるとされる主な理由です。

もう一つ、この研究が光を当てたのが「負の経路」です。心理的に安全な環境は、裏を返せば、厳しく評価されたり咎められたりすることがない、「ぬるま湯」のような状態を生む可能性があります。このような環境では、「常に見られている」という良い意味での緊張感が薄れ、説明責任の感覚が弱まります。その結果、従業員の仕事への動機が低下し、努力を要する行動を避けるようになるというのです。

この二重経路モデルを検証するために、二つの調査が行われました。

最初の調査は、中国の実際の職場80グループを対象としたフィールド調査です。チームのメンバーには、自分たちの職場の心理的安全性、失敗への恐れ、仕事への動機について回答してもらい、上司にはチームの発言や学習行動を評価してもらいました。分析の結果、モデルの予測通り、心理的安全性は二つの経路を同時に活性化させていることがわかりました。一方では失敗への恐れを減らして挑戦を後押しし、もう一方では仕事への動機を下げて、それらの行動を抑制していたのです。

二つ目の調査は、このメカニズムがどのような状況で強く現れるのかを調べるための実験でした。大学生を複数のチームに分け、「心理的安全性が高い/低い」という条件と、「チームの文化が集団主義的か/個人主義的か」という条件を操作しました。集団主義的な文化とはチーム内の調和や協力を重んじ、個人主義的な文化とは個人の成果や競争を重んじます。チームに「大学の授業を改善するためのアイデアを出す」という課題を与え、その創造性を測定しました。

結果は、チームの文化によって、心理的安全性の効果が異なることを示しました。集団主義的なチームでは、心理的安全性が高いと、主に「恐れが減る」という正の経路が強く働きました。その結果、チームが出すアイデアの独創性や多様性が高まりました。他者との関係性を重んじる文化では、安心感が対人リスクを乗り越えさせ、創造性を解き放つ起爆剤となったのです。

これに対して、個人主義的なチームでは、心理的安全性が高いと、主に「動機が下がる」という負の経路が強く働きました。その結果、チームが出すアイデアの数が減り、課題に取り組む時間も短くなりました。個人の達成が重視される文化では、安心感が「そこまで頑張らなくてもよい」という気の緩みにつながり、努力の量を減退させてしまいました。

脚注

[1] Zhang, X., Liang, L., Tian, G., and Tian, Y. (2020). Heroes or villains? The dark side of charismatic leadership and unethical pro-organizational behavior. International Journal of Environmental Research and Public Health, 17(15), 5546.

[2] Pearsall, M. J., and Ellis, A. P. J. (2011). Thick as thieves: The effects of ethical orientation and psychological safety on unethical team behavior. Journal of Applied Psychology, 96(2), 401-411.

[3] Grailey, K., Leon-Villapalos, C., Murray, E., and Brett, S. (2021). Exploring the factors that promote or diminish a psychologically safe environment: a qualitative interview study with critical care staff. BMJ Open, 11(8), e046699.

[4] Deng, H., Leung, K., Lam, C. K., and Huang, X. (2019). Slacking off in comfort: A dual-pathway model for psychological safety climate. Journal of Management, 45(3), 1114-1144.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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