ビジネスリサーチラボ

open
読み込み中

コラム

働く場の美学:組織が人を惹きつけるもう一つの理由

コラム

私たちが日々働くオフィスや職場は、業務をこなすためだけの場所なのでしょうか。効率性や生産性といった言葉が飛び交う現代の組織では、ともすれば職場は合理的な意思決定が積み重なる、無味乾燥な空間として認識されるかもしれません。

しかし、少し立ち止まって周囲を見渡してみると、そこには光の加減、壁の色、家具の配置、同僚たちの声の響き、コーヒーの香りといった、私たちの五感を刺激する無数の要素が存在しています。私たちは、そうした感覚的な世界の中で、知らず知らずのうちに心地よさや違和感、あるいは高揚感や疎外感といった複雑な感情を抱きながら過ごしているのではないでしょうか。

本コラムでは、そうした組織における感覚的・感情的な側面に光を当てる「組織美学」という考え方を紹介します。美学と聞くと、芸術やデザインといった特定の分野を思い浮かべるかもしれませんが、ここで扱うのは、もっと広く、人間が五感を通じて世界をどのように経験し、そこにどのような意味や価値を見出すのかという問いです。職場の物理的なデザインが人の心にどう働きかけるのか。組織が発信するメッセージが、従業員のアイデンティティとどう響き合うのか。人が組織に「居場所がある」と感じる感覚は、どのように生まれるのか。これらの問いを、美学という視点を通して探求していきます。

組織の美学は従業員の「美への欲求」に応え定着を促す

人が組織を去る理由、あるいは留まり続ける理由は何でしょうか。給与や昇進の機会、働きやすさといった条件が、従業員の離職を考える上で要因となることは、これまで数多く語られてきました。しかし、人の動機はそれだけなのでしょうか。心理学の世界では、人間には食欲や安全への欲求といった基本的なものだけでなく、より高次な欲求が存在すると考えられています。その一つに「美への欲求」があります。整ったもの、調和のとれたものに心地よさを感じ、美しいものに触れたいと願う感覚です。この「美への欲求」という視点から、従業員の定着と離職の問題を捉え直した研究があります[1]

イランのある社会保険機関で働く従業員を対象に行われたこの調査は、質的なアプローチを用いて、職場の「美学」が従業員の心にどのように働きかけるかを探求しました。調査では、合計24名の従業員に対して、一人ひとり時間をかけた半構造化インタビューが実施されました。研究チームは、インタビューの内容が新しい情報を生まなくなる「理論的飽和」という状態になるまで、丁寧に対話を続けました。

集められた語りを分析する中で浮かび上がってきたのは、従業員の心の中核にある「美への欲求」という現象でした。人は美しいものを快いと感じ、その感覚は仕事に対する価値判断や動機づけにもつながっていくという考え方です。この欲求は、美に対する感情、知覚、価値観、経験、判断といった、様々な要素が絡み合って形成されていました。

この従業員の欲求に対して、組織側が応答する手段が「組織美学」であると位置づけられました。ここでいう組織美学とは、オフィスの内装やデザインといった目に見えるものだけを指すのではありません。制服のあり方、コミュニケーションの取り方、さらには組織が生み出す成果物の見た目の美しさまで、従業員が職場で経験するあらゆる感覚的な側面を包括する広い概念です。

この組織美学という戦略が、従業員の定着という結果につながる過程には、二つの条件が関わっていることも見出されました。一つは「物理的環境」です。建物のデザイン、家具の質、室内の明るさ、空気の清浄さといった、空間の心地よさが、美的経験の土台となります。もう一つは「身体イメージと外見的特性」です。従業員の身だしなみや制服、表情や話し方といった、人と人が接する場面での感覚的な要素が、組織美学がどのように受け止められるかに彩りを添えます。

これらの要素が組み合わさることで、組織美学は従業員の心に働きかけます。美しい、あるいは心地よいと感じる環境は、仕事への満足感や組織への愛着、自己尊重感といった内面的な資源を育みます。その結果、従業員は「この組織に留まりたい」という気持ちを強め、離職しようという意図が抑制されるというメカニズムが描かれました。この研究は、従業員の定着を考える上で、報酬や制度といった条件面だけでなく、人が持つ「美への欲求」に応えるという、感性的で人間的な次元がいかに大切かを示唆しています。

職場の美しさは組織への愛着を介し主体的な行動を促す

先ほどは、職場の美しさが従業員の「ここにいたい」という気持ち、すなわち定着に結びつく可能性を見てきました。心地よい環境が、組織を去るという選択を思いとどまらせる力を持つのかもしれません。美学的な配慮は、人を引き留めるだけでなく、従業員の働き方に、より積極的な変化をもたらすことはないのでしょうか。

この問いを探るために、視点を「定着」から「主体的な行動」へと移してみましょう。従業員が、与えられた業務をこなすだけでなく、自らの仕事をより良くしようと自発的に工夫する。そうした前向きな姿勢の背景にも、職場の美しさが関わっている可能性を検討した調査があります[2]

この調査は、チリの公的機関および民間企業で働く400名以上の従業員を対象に、質問紙を用いて行われました。焦点となったのは、「職場の視覚的な美しさ」に対する従業員の主観的な評価が、「ジョブ・クラフティング」という行動にどう結びつくかという点です。ジョブ・クラフティングとは、従業員が自らの仕事内容や人間関係に能動的に手を加え、仕事の意味ややりがい、自身の成長を追求する行動を指します。例えば、新しい知識を学ぼうとしたり、挑戦的なプロジェクトに自ら参加したり、同僚や上司からのフィードバックを求めたりといった行動がこれにあたります。

調査では、これらの変数に加えて、もう一つ「情緒的コミットメント」という心理的な状態も測定されました。これは、従業員が組織に対して抱く、感情的な愛着や一体感のことです。「この組織の一員であることが誇らしい」「この組織に貢献したい」といった気持ちを指します。

分析の結果、興味深い関係性が見えてきました。従業員が自分の職場を「視覚的に美しい」と評価しているほど、組織に対する情緒的な愛着が強いという関連が確認されました。この情緒的な愛着が強い従業員ほど、積極的にジョブ・クラフティングを行っていることも分かりました。

それでは、職場の美しさは、直接的に主体的な行動を促すのでしょうか。これらの変数間の関係性をより詳しく分析したところ、少し異なる姿が浮かび上がりました。職場の美しさは、ジョブ・クラフティングに直接作用するというよりも、まず従業員の「組織への愛着」を高めるという形で機能していました。そして、その高まった愛着が、従業員をより主体的な行動へと駆り立てていたのです。要するに、情緒的コミットメントが、職場の美しさとジョブ・クラフティングとの間をつなぐ「架け橋」となっていたという解釈ができます。

この発見が示すのは、職場の美観に配慮することは、従業員の感情面に働きかけ、組織とのポジティブな関係性を育む上で価値を持つということです。美しいと感じる環境は、従業員に「自分たちは組織から大切にされている」という感覚を抱かせ、それが組織への愛着につながるのかもしれません。

その愛着が、従業員が自らの仕事をより良くしようと工夫し、成長しようとする、自発的で前向きなエネルギーの源泉となる。この研究は、職場の物理的なデザインが、従業員の心理状態を介して、その行動までも変容させうるという連鎖の存在を明らかにしました。

組織美学による統制に対し、従業員は美的抵抗で対抗する

ここまで、組織美学が従業員の定着や主体性といったポジティブな側面を育む可能性について見てきました。美しい職場は、従業員の心に潤いを与え、組織との良好な関係を築く上で、一つのきっかけとなりうるようです。しかし、物事には常に多面的な性質があります。組織によって意図的にデザインされた「美」が、もし従業員にとって息苦しい「統制」として感じられたとしたら、何が起こるのでしょうか。ここでは、組織美学のもう一つの顔、すなわち権力や管理の道具としての一面と、それに対する従業員の応答について考えていきます。

この問題を考察した研究の舞台は、イスラエル外務省の新庁舎です[3]。建築賞を受賞し、「世界で最も美しい建築の一つ」と称されたこの建物は、まさに組織美学を体現した空間でした。しかし、その華やかさの裏で、移転後には長期にわたる労使間の対立が続いていたといいます。この研究は、この一つの建物をめぐる組織と従業員の相互作用を、フランスの思想家ルフェーヴルの空間論を応用して分析しました。

ルフェーヴルは、空間を三つの層で捉えます。一つ目は「構想された空間」。これは、建築家や経営者が「こうあってほしい」と計画し、設計した空間です。二つ目は「知覚された空間」。計画が、建物の素材や部屋の配置、人の動線といった物理的な形として実現された空間です。三つ目は「生きられた空間」。それは、実際にその空間を使う人々が、日々どのようにその場所を経験し、解釈し、意味づけているかという、生活実感のレベルの空間です。

イスラエル外務省の新庁舎において、「構想された空間」は、国家の「ショーウィンドウ」として設計されていました。ガラスと金属を多用したモダンなデザインは、西欧的で先進的な国家イメージを内外に発信するためのものでした。この構想は、建物だけでなく、そこで働く職員のあり方にも及びました。静粛さ、秩序、きちんとした服装といった、理想的なプロフェッショナル像が求められ、それは職員の身体的な振る舞いを規制する力として働きました。

この構想は、「知覚された空間」として、透明な壁、階級によって分けられた執務エリア、統一された外観といった形で物理的に実装されました。均質で整然とした空間は、そこで過ごす人々に、抑制的で規律ある振る舞いを無言のうちに要請します。

しかし、問題は「生きられた空間」で生じました。職員たちは、この美しく統制された空間に込められた政治的なメッセージを敏感に感じ取っていました。組織が提示する理想的なアイデンティティと、自分たちが持つ本来の感覚との間に生じたズレや違和感。それに対し、職員たちは公然と反抗するのではなく、「美的ジャミング」とでも呼ぶべき、ささやかで創造的な抵抗を試みました。

これは、組織が設定した美学的な秩序を、日常の行為の中で少しずつ撹乱し、本来の意味をずらしていく実践です。例えば、均質性を壊すように私物を持ち込んだり、決められた空間の使い方を意図的に逸脱したりといった行為です。管理者側から見れば単なる「乱用」や「破損」と映る行為も、職員たちにとっては、押し付けられた美学に対する、自分たちの感覚やアイデンティティを守るための抵抗だったのです。

この事例が物語るのは、組織美学が、意図せざる形でアイデンティティを規制する装置となりうること、そして人間は決してその意図を一方的に受け入れるだけの存在ではないということです。押し付けられた美は、時に息苦しさを生み、かえって抵抗の火種となりうる。組織と個人の美的感覚が衝突する時、空間は静かな闘争の舞台となります。

帰属感と排除感は、互いを強めあう美的経験である

組織が提示する美学と、それを受け取る従業員の感覚との間には、時に緊張関係が生まれることを見てきました。個人が組織に対して抱く「つながり」の感覚、帰属感は、そもそもどのように生まれるのでしょうか。それは、合理的な判断の結果なのでしょうか、それとももっと身体的で、感覚的な経験なのでしょうか。この問いを、研究者自身の体験を通して掘り下げたエスノグラフィ(参与観察)研究があります[4]。この研究は、組織を外から分析するのではなく、研究者自らがその組織の一員として日々を過ごす中で感じた、生々しい感覚や感情をデータとしています。

調査の舞台は、英国のある非営利組織でした。研究者は約9か月間にわたり、週の数日をこの組織のオフィスで過ごし、会議や昼食、さらには海外出張にも同行しました。その中で記録されたのは、会議の議事録や客観的な観察記録だけではありません。研究者自身が感じた喜び、不安、居心地の良さ、疎外感といった、主観的な心の動きでした。

分析から浮かび上がってきたのは、「帰属感」と「排除感」という、一見すると相反する二つの感情が、いかに密接に結びついているかという事実です。

参与を始めてしばらく経つと、研究者は組織への強い誇りや温かい連帯感を感じるようになります。それは、自分の仕事が評価される喜びといった知的な満足感だけではありませんでした。オフィスに流れる穏やかなリズム、同僚たちとの談笑の声、一緒に囲む食卓の匂いといった、五感を通じた経験が重なり合って生まれる、身体的な「しっくり感」でした。それはまさに、心地よい「美」の経験と言えるものでした。

しかし、その心地よい帰属感の高まりと同時に、鋭い排除感も経験します。自分だけが招待されていない集まりの噂を耳にした時、自分の専門性を軽んじるような冗談を聞いた時、心にちくりとした痛みが走ります。それは、激しい怒りのような大きな感情ではなく、居たたまれなさや、かすかな嫉妬といった「小さな感情」の連なりでした。美しい風景の中に、ふと不穏な影が落ちるような感覚です。

この研究の興味深い洞察は、この帰属感という「美」と、排除感という「醜」が、単に併存しているのではなく、互いを強め合っているという点です。組織への強い帰属感を経験しているからこそ、ささいな排除のサインに敏感になり、その痛みも一層深く感じられる。逆に、疎外されているという不安が続いた後に、ふと温かく迎え入れられるような経験をすると、その喜びや安堵感は、何倍にも増幅されて感じられるのです。帰属と排除は、コインの裏表のように、一方があるからこそ、もう一方の輪郭がはっきりと浮かび上がります。

この研究は、私たちが組織との関係性の中で経験する感情が、いかに複雑で、揺れ動くものであるかを教えてくれます。組織への帰属とは、一度手に入れたら安泰なものではなく、日々のささいな感覚的経験の中で、常に生成され、時には脅かされ、再確認されていくものです。それは、論理だけでは捉えきれない、私たちの身体と感情に深く根差した美学的な営みであると言えます。

脚注

[1] Molahosseini, I. S., Pourkiani, M., Beygzadeh Abbasi, F., Salajeghe, S., and Manzari Tavakoli, H. (2020). The influence of organizational aesthetics on employee retention and turnover intentions from organization. Management Theory and Studies for Rural Business and Infrastructure Development, 42(2), 171-177.

[2] Gonzalez-Suhr, C., Salgado, S., Elgueta, H., and Alcover, C. M. (2019). Does visual aesthetics of the workplace matter? Analyzing the assessment of visual aesthetics as antecedent of affective commitment and job crafting. The Spanish Journal of Psychology, 22, e38.

[3] Wasserman, V., and Frenkel, M. (2010). Organizational aesthetics: Caught between identity regulation and culture jamming. Organization Science, Articles in Advance, 1-19.

[4] Kenny, K. (2008). Aesthetics and emotion in an organisational ethnography. International Journal of Work Organisation and Emotion, 2(4), 374-388.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

#伊達洋駆

アーカイブ

社内研修(統計分析・組織サーベイ等)
の相談も受け付けています