2026年2月4日
なぜルールは機能不全に陥るのか:従業員の意欲を削ぐ「形骸化」のメカニズム(セミナーレポート)

ビジネスリサーチラボは、2025年12月にセミナー「なぜルールは機能不全に陥るのか:従業員の意欲を削ぐ『形骸化』のメカニズム」を開催しました。
日々の業務において、複雑な手続きや形骸化したルールに直面し、もどかしさを感じたことはないでしょうか。私たちはこうした現象を「お役所仕事」や「形式主義」と呼びますが、これらは実は「レッドテープ」という名で研究が進められている組織の課題です。
本セミナーでは、このレッドテープという現象を多角的に紐解き、組織改善への糸口を探りました。
レッドテープは、単にルールが多いことと同義ではありません。研究によれば、ルールが存在すること自体(公式化)と、それが本来の目的を見失い、組織の活動の足かせとなっている状態(レッドテープ)とは区別されます。なぜ有効だったはずのルールが機能不全に陥るのか、その発生のメカニズムから検討していきました。
特に、人事領域のレッドテープは深刻な影響があることがわかっています。煩雑な人事手続きは、組織の有効性を損なうだけでなく、従業員の組織への愛着や仕事への満足度を低下させます。学術的な知見を基に、レッドテープという複雑な問題を構造的に理解し、自社の組織課題を分析するための視点を提供しました。
※本レポートはセミナーの内容を基に編集・再構成したものです。
はじめに
なぜ、職場には「謎のルール」が存在するのでしょうか。新しい備品を買うだけなのに何人もの承認印が必要な稟議書。誰もその意図を説明できない、古くから続く申請フォーマット。こうした経験は、多かれ少なかれ、どの組織で働く人にも心当たりがあるかもしれません。私たちはそれを「非効率だ」と感じつつも、「会社の決まりだから」と半ば諦めて受け入れています。しかし、この日々の小さな「もどかしさ」の正体は何なのでしょうか。
本講演では、この現象を「レッドテープ」という学術的な概念を手がかりに解き明かしていきます。レッドテープは単なる非効率の問題ではなく、組織の活力を蝕み、従業員の意欲を削ぐ深刻な病理です。その発生メカニズムから、組織と個人に与えるダメージ、私たちが取りうる処方箋までを、様々な研究知見に基づいて解説します。
レッドテープの正体
組織の非効率性を語る際、「ルールが多すぎること」を問題視する人もいるでしょう。しかし、学術研究によれば、問題の本質はルールの量ではなく、その質と状態にあることが示されています。ルールや手続きが存在すること自体を指す「公式化」と、それが本来の目的を見失い、組織活動の足かせとなっている状態、すなわち「レッドテープ」とを区別しましょう[1]。
公式化は、業務プロセスを標準化し、担当者の恣意的な判断を防ぎ、公平性を担保するために不可欠な組織の仕組みです。一方でレッドテープは、そのルールが達成しようとしていた目的(機能的対象)に対して有効性を失い、組織や従業員に遵守のための負担だけを強いるようになった、一種の病理的な状態と定義されます[2]。
なぜルールは機能不全に陥るのでしょうか。その発生メカニズムは、大きく二つに分類されます。一つは、ルールが作られた時点ですでに問題を含んでいるケースです。例えば、問題の本質を十分に理解しないままルールが設計されたり、組織の公式な目的とは無関係に、特定の個人の権力を拡大するといった動機で作られたりする場合がこれにあたります。
もう一つは、制定当初は有効だったルールが、時間の経過とともに機能不全に陥っていくプロセスです。代表的なのが「ルールドリフト」と呼ばれる現象で、これはルールの本来の意味や精神が忘れ去られ、形骸化した儀式のように遵守されるだけになる状態を指します。
技術革新や外部環境の変化によって、かつては合理的だったルールが時代遅れになることも、この一例です。例えば、かつて個人情報保護に不可欠だった紙書類による厳格な本人確認プロセスが、セキュアなITシステム導入後もそのまま残り、新入社員の入社手続きを不必要に煩雑にしているといった状況は、多くの企業で見られるかもしれません。
このようなレッドテープという現象をより正確に捉えるため、ある研究では、一つの測定アプローチが提案されています[3]。このアプローチは、レッドテープを二つの異なる次元を持つものとして捉え直します。一方は「コンプライアンス負担」です。ルールを守るために過大な時間や労力を投じる必要がある度合いのことです。もう一つは「機能性の欠如」で、そのルールが本来の目的を果たすのに有効ではないと認識される度合いを指します。
この「負担」と「機能性」という二つの軸を用いることで、日々の業務におけるルールを、負担が大きく機能性も低い「レッドテープ」、負担は大きいが目的達成に必要な「必要な官僚制」、負担は小さいが役に立たない「不必要なルール」、負担が小さく機能性も高い「高品質なルール」という四つに分類して考えることができます。
この測定尺度の開発にあたり、研究者たちはオランダの中央政府で働く公務員たちにインタビューを行いました。公務員たちが「良いルール」と「悪いルール」について語る中で、彼ら彼女らが自発的に、ルールを評価する際に「コストや不満(負担)」と「目的を見失っている(機能性の欠如)」という二つの側面から話していることが確認されました。
この知見を基に質問項目が作成され、1200人を超える職員を対象としたアンケート調査が実施されました。その結果、「コンプライアンス負担」と「機能性の欠如」は、統計的にもそれぞれ独立した次元として測定できることが証明されました。
この新しい尺度を用いた分析から、示唆に富む結果が得られました[4]。従業員が自身の「中核的業務」に関わるルールをレッドテープだと認識している割合は約20%だったのに対し、「人事業務」や「財務業務」といった管理的な手続きに関するルールについては、その割合が約40%にまで達し、中核的業務の約2倍となりました。この研究は、現場の従業員の視点から、特に管理部門の手続きがレッドテープとして認識されやすいという実態を、具体的なデータで浮き彫りにしました。
ここまでのところで明らかになったのは、問題がルールの「量」ではなく「機能不全」にあること、それを「負担」と「機能性」の2軸で評価できることです。これを踏まえ、人事としては二つのアクションを取ることが可能でしょう。
第一に、人事関連ルールの棚卸しと目的の再定義です。採用、評価、異動、勤怠、福利厚生など、自社の人事領域に存在するルールや規定をリストアップします。それぞれのルールについて、「いつ」「どのような背景で」「何を達成するために」作られたのか、その「本来の目的」を掘り下げ、明文化します。このプロセス自体が、形骸化したルール、いわゆる「ルールドリフト」を発見するきっかけとなります。目的が曖昧であったり、現在の組織状況にそぐわなかったりするルールは、見直しの候補です。
第二に、現場の認識を2軸で可視化することです。オランダの研究で用いられた「コンプライアンス負担」と「機能性の欠如」という2つの軸は、現場の従業員がルールをどう受け止めているかを把握するために便利な枠組みとなります。
各人事ルールについて、現場の従業員や管理職を対象に、「このルールを守るための手続きは、時間や手間がかかりすぎると感じるか(負担)」および「このルールは、本来の目的を達成する上で、実際に役立っていると感じるか(機能性)」という観点からヒアリングやアンケートを実施します。これによって、単に不満の声を収集するのではなく、「負担は大きいが、必要なルールだ」あるいは「負担は小さいが、全く意味がない」といった現場の実感を捉えることができます。
特に「負担が大きく、機能性も低い」と評価されたルールが、組織の活力を削いでいる「レッドテープ」であり、最優先で簡素化・撤廃を検討すべき対象となります。
なぜレッドテープと感じるのか
組織のルールがレッドテープであるかどうかは、そのルールの客観的な性質だけで決まるわけではありません。同じルールに直面しても、それをどう受け止めるかは、個人の経験や心理状態によって異なります。私たちの認識を左右する要因は何なのか。この問いを探る研究は、手続きの負担感だけでなく、その手続きを通じて得られた「結果」と、従業員の「心理状態」が重要な役割を果たしていることを明らかにしています。
手続きの煩雑さが私たちのルールに対する評価に影響することは直感的にも理解できますが、その手続きを経た末に得られる「結果」は、私たちの認識をどのように変えるのでしょうか。この点を検証するため、ある研究では実験が行われました[5]。実験の対象となったのは公共行政修士課程の学生たちで、彼ら彼女らは大学のコース登録という状況を想定した短い物語を読みました。
参加者はランダムに四つのグループに分けられ、それぞれ内容の異なる物語を読みます。物語は、「手続きの長さ(短い/長い)」と「手続きの結果(肯定的/否定的)」という二つの軸で設計されました。例えば、「短い手続きで肯定的な結果」のシナリオでは、担当者にメールを一本送るだけで希望のクラスに登録できます。一方、「長い手続きで否定的な結果」のシナリオでは、電話やオフィス訪問といった手間をかけたにもかかわらず、最終的に登録はできませんでした。
物語を読んだ後、参加者は主人公が経験した手続きがどの程度レッドテープであったかを評価しました。
分析の結果、手続きが長いほど、そして結果が否定的であるほど、レッドテープの評価が高くなるという予想通りの関連が見られました。しかし、ここで着目すべきは、手続きの長さと結果の良し悪しが、それぞれ別個に、また同等の強さでレッドテープの認識と関連していたという事実です。例えば、「短い手続きで否定的な結果」に終わった場合のレッドテープ評価は、「長い手続きで肯定的な結果」が得られた場合の評価と統計的な差が見られませんでした。
このことは、私たちが手続きを評価する際、その負担の大きさと、もたらされた結果の好ましさを同等に考慮している可能性を示唆します。たとえ手続きがシンプルであっても、望まない結果になれば、そのプロセス全体を非効率なものと評価してしまうことがあります。人事担当者にとって、これは重要な示唆を与えます。採用や評価、昇進といったプロセスにおいて、手続きの効率化だけを追求するのではなく、従業員が納得できる「質の高い結果」を提供できているかを問い続ける必要があるのです。
さらに、ルールに対する感じ方の個人差を生むもう一つの大きな要因として、個人の心理状態が挙げられます。とりわけ、職場での経験を通じて形成される「疎外感」が、レッドテープ認識と関わっていることが示されています。
この関係を明らかにするため、ニューヨーク州の公的機関および民間企業の上級管理者を対象とした調査が行われました[6]。この調査では、組織のルールがどの程度レッドテープであると感じるかを尋ねると同時に、個人の心理状態を測定しました。ここで焦点が当てられたのが「職場における疎外感」、すなわち、自分の仕事や組織に対して誇りを持てず、どこか他人事のように感じてしまう状態です。
分析の結果、「職場における疎外感」が、レッドテープの認識と強い正の関連を持つことが明らかになりました。自身の働く組織から心理的に距離を感じている管理者ほど、組織のルールを過剰で非効率なものと見なす傾向が強かったのです。この関連の強さは、組織規模が大きいことといった、従来からレッドテープの源泉と考えられてきた要因と比較しても、遜色のないものでした。
この結果が示唆するのは、レッドテープの認識が、客観的なルールの存在だけでなく、従業員の主観的な状態に依存するということです。組織への帰属意識が低く、仕事に意義を見出せない状態では、たとえ合理的なルールであっても、それは自分を縛る不快な制約として認識されてしまうのかもしれません。これは、従業員エンゲージメントの低下がレッドテープ認識を加速させ、さらにそのレッドテープがエンゲージメントを低下させるという、負のスパイラルが存在しうることを示しており、人事担当者にとって看過できない問題です。
ここまでは、レッドテープの認識が手続きの負担だけでなく、「結果の質」と個人の「心理状態(疎外感)」に影響されることが示されました。この知見は、人事部門がプロセス改善に留まらない、より深層的なアプローチを取る必要性を示唆しています。
第一のアクションは、「人事プロセスの評価軸に『結果の納得感』を組み込む」ことです。例えば、目標設定や評価フィードバック、異動面談といった重要な人事プロセスについて、その手続きにかかった時間やステップ数といった効率性の指標だけでなく、「その結果(例:設定された目標、評価結果、異動先)に対して、従業員がどれだけ納得しているか」を測定する仕組みを導入します。これは例えば、組織サーベイの項目に加えることで実現可能です。
「プロセスは迅速だったが、評価の理由が不透明で納得できない」といった声は、手続きの裏に潜むレッドテープの兆候です。こうした声に耳を傾け、評価基準の透明化や、管理職向けのフィードバック研修の実施など、結果の質を高める施策につなげることが求められます。
第二のアクションは、「エンゲージメントデータとレッドテープ認識を連携させて分析する」ことです。「職場における疎外感」がレッドテープ認識を強めるという研究結果は、エンゲージメント施策と業務改善が不可分であることを示しています。人事としては、定期的に実施している組織サーベイの結果と、社内の目安箱や面談などで集まる「手続きに関する不満の声」を突き合わせて分析すべきです。エンゲージメントスコアが低い部署や従業員層から、どのようなルールや手続きに対する不満が多く寄せられているかを特定します。
彼ら彼女らが感じている「疎外感」が、どの手続きを「自分を阻む壁」として認識させているのかを把握することで、エンゲージメント向上のための施策(例:裁量権の拡大、コミュニケーションの活性化)と、具体的な業務プロセスの見直しを連動させた、より効果的な打ち手を講じることが可能になります。
レッドテープがもたらす二重のダメージ
機能不全に陥ったルール、すなわちレッドテープは、従業員のフラストレーションを高めるだけではありません。それは組織のパフォーマンスと、そこで働く個人のエンゲージメントの両方に対して負の影響を及ぼす、二重のダメージをもたらします。そして、その問題が特に顕著に現れるのが、人事領域です。
一般に「レッドテープは公的組織の問題」というイメージが持たれているかもしれませんが、ある研究はこの通説に疑問を投げかけます[7]。ニューヨーク州の公的組織と民間組織の管理職を対象とした調査で、両者のレッドテープ認識を比較したところ、「目標の曖昧さ」や一般的な「ルール執行の強度」といった点では、統計的に意味のある差は見られませんでした。
とはいえ、ある一部の領域において、両者の違いは顕著に認められました。それは「人事」の分野です。公的組織の管理職は、民間組織の管理職に比べて、「業績の低い従業員を解雇することが難しい」「業績と報酬が結びつきにくい」「採用や解雇に時間がかかる」と強く感じていました。これは、法律や条例で厳格な手続きが定められている人事制度に、レッドテープが集中しやすいことを示しています。
とはいえ、日本の民間企業においても、労働法規の遵守や公平性の担保といった要請から、人事プロセスは複雑化しやすく、レッドテープの温床となり得ることをこの研究は示唆しています。
レッドテープは組織と個人にどのようなダメージを与えるのでしょうか。初めに、組織のパフォーマンスへの影響です。過去約15年間に行われた25本の学術論文の結果を統計的に統合する「メタ分析」という手法を用いた研究があります[8]。
この分析によって、レッドテープは、組織業績と従業員アウトカム(仕事満足度やコミットメントなど)の両方に対して、小から中程度の負の関係を持つことが確認されました。レッドテープが組織と従業員の双方にとって好ましくない存在であるという認識が、多くの研究に共通する一貫したものであることが裏付けられました。
この分析における重要な発見は、レッドテープをその源泉によって分類した際に得られました。組織の外部(法律など)から課される「外部レッドテープ」よりも、組織自身が自らに課している「内部レッドテープ」の方が、組織業績や従業員アウトカムに対して、より強い負の関連性を持っていたのです。この事実は、有害なレッドテープの多くが、組織自身のコントロール下にあることを意味しており、改善の余地が内部に存在することを示しています。
続いて、個人へのダメージです。レッドテープは、従業員の心にも深刻な影響を及ぼします。とりわけ人事領域のレッドテープは、従業員のエンゲージメントを直接的に損ないます。ある研究では、全米の州政府機関の管理者を対象に、レッドテープと「労働疎外」の関係が検証されました[9]。労働疎外とは、仕事からの心理的な遊離状態を指し、この研究では「組織コミットメント(組織への愛着)」「職務満足度」「職務関与(仕事が人生の中心である度合い)」という三つの指標で測定されました。
分析の結果、「人事のレッドテープ」、すなわち人事考課や昇進、報酬に関するルールが機能不全に陥っていると認識している管理者ほど、これら三つの指標すべてが低くなる、すなわち疎外感が高まるという結びつきが示されました。個人のキャリアや処遇に直接関わる領域での手続きの不透明さや非効率性が、従業員の組織への愛着を失わせ、仕事への満足感や関与を低下させることを、この研究は明確にしたのです。
しかし、このようなレッドテープの悪影響を前に、組織は無力ではありません。処方箋は存在します。アメリカの州レベルのヒューマンサービス機関を対象とした研究は、「発展的文化」がレッドテープの害を和らげる効果を持つことを明らかにしました[10]。発展的文化とは、変化に対し柔軟かつ迅速に適応する姿勢を重んじ、組織の成長を重要視するような文化です。
この研究では、アンケート調査と幹部職員へのインタビューを組み合わせて分析が行われました。その結果、人事や情報システムに関するレッドテープは組織の有効性を低下させると認識されていましたが、同レベルのレッドテープに晒されていても、発展的な文化が根付く組織では、有効性の落ち込みが緩やかになるという「緩和効果」が認められました。
しなやかで前向きな組織文化が、避けがたい規則の重荷に対する緩衝材として機能します。人事担当者にとって、組織文化の醸成に努めることは、レッドテープという構造的な問題に対する有効な対抗策となり得ます。
ここでは、レッドテープ、特に「内部」で生み出された「人事」のそれが、組織と個人の両方にダメージを与える一方で、「発展的文化」がその害を和らげるという、問題の深刻さと希望の両面を示しました。人事としては、この構造を理解した上で、守りと攻めの両面からアクションを起こす必要があります。
第一に、守りのアクションとして、「『内部レッドテープ削減プロジェクト』の発足」が挙げられます。メタ分析で最も有害とされた内部レッドテープに焦点を絞ります。人事関連のルールやプロセスを「外部要因(法規制など)により変更が困難なもの」と「社内の意思決定で変更可能なもの(内部レッドテープ)」に切り分けます。その上で、後者を削減するための部門横断的なプロジェクトチームを立ち上げます。
メンバーには、人事だけでなく、現場の各部門や情報システム、経営企画などの担当者も巻き込むことが有用です。具体的な削減目標(例:稟議の承認ステップを3段階削減する、入社手続きにかかる時間を半減させる)と期限を設定し、経営層のコミットメントを得てトップダウンで推進します。これによって、現場の不満に終わらせず、全社的な改革として取り組むことができます。
第二に、攻めのアクションとして、「『発展的文化』を醸成する人事制度の設計・推進」があります。これは、レッドテープの害を根本から受けにくくする土壌を作ることです。人事は、文化醸成の担い手として中心的な役割を果たせます。
具体的には、①挑戦を奨励する制度の導入:減点主義ではなく、新たな挑戦や失敗から学ぶ姿勢を評価する制度への見直し。②心理的安全性の確保:個人面談の質の向上や、ハラスメント防止研修の徹底などを通じて、従業員が自由に意見を言える環境を整備する。③部門間の連携強化:配置転換の活性化や、部門横断プロジェクトへの参加を評価に組み込むなど、組織の風通しを良くする仕組みを構築します。これらの施策を通じて、変化を恐れない柔軟な組織文化を育むことは、レッドテープの悪影響を緩和する、持続可能な処方箋となります。
おわりに
本講演では、組織におけるルールや手続きがなぜ「レッドテープ」と化し、それが組織と従業員にどのような影響を及ぼすのかを、学術的な知見に基づいて解説してきました。レッドテープはただの「面倒な手続き」ではなく、組織の業績と従業員のエンゲージメントを同時に蝕む経営課題です。
特に、従業員のキャリアや処遇に直結する人事領域は、その問題が深刻に現れやすい場所であり、改善の鍵は外部環境よりも、私たちが自ら作り出している内部のルールにあります。ぜひ自社のルールを問い直すことから始めていただきたいと思います。そのルールは、今も本来の目的を果たしているでしょうか。
Q&A
Q:発生してしまったレッドテープを削減するだけでなく、発生を防ぐ「予防的なアプローチ」もあるように感じました。予防的なアプローチは実現が難しいのでしょうか。また、私の会社はまだ規模が小さく、大企業のような官僚制はありませんが、すでに非効率なルールが生まれ始めています。こうした無駄なルールの芽を早期に摘み取るためのポイントがあれば教えてください。
この二つの質問は実は関連していますので、合わせて回答します。まず、規模が小さい会社であってもレッドテープは簡単に生み出されてしまいます。理由はいくつかありますが、例えば創業メンバーの個人的なこだわりがルール化されるケースや、一度のトラブルに対する再発防止策がそのまま固定化してしまうケースが挙げられます。
トラブルへの対処は必要ですが、稀にしか起きない事象のために作られたルールで全社員を恒久的に縛ることになれば、それは組織を硬直化させるレッドテープと化します。
そこで「予防的なアプローチ」として有効なのが、ルールを作る際の設計です。最初から「期限付き」や「試験的」に導入するのです。有効期限を設け、そのタイミングで「本当にこのルールはまだ必要なのか」と定期的に見直す機会を作ります。
ルールを作ること自体が悪ではありません。しかし、形骸化して負荷だけが残る状態は問題です。期限付きで導入し、定期的に必要性を再評価するサイクルを回すことが、不要なルールの増殖を防ぐ有効な予防策になります。
Q:現場の負担を減らすためにルールの撤廃を提案しましたが、マネージャーから「ルールをなくすとリスク管理が甘くなる」と反対されました。どのように説得を試みればよいでしょうか。
そのマネージャーはリスク管理を重要視されているのでしょう。そうした方には、「効率化」よりも相手が気にする「リスク」の観点からアプローチするのが効果的です。
具体的には、「レッドテープを放置すること自体が、隠れたリスクを生む」と伝えてみる方法があり得ます。ルールが形骸化して現場の実情に合わなくなると、従業員は形式的に遵守したふりをしたり、抜け道を探し始めたりします。その結果、実質的なガバナンスはむしろ低下してしまいます。
「今のまま非効率なルールを放置し続けることは、組織にとって隠れたリスクになります」と説明するのです。楽をするための効率化ではなく、「より実効性のあるコンプライアンスを実現するために、機能していないルールを整理する必要があります」というロジックで対話を試みると、納得していただけるかもしれません。
Q:「手続きの結果が否定的だと、レッドテープだと感じやすい」というお話がありましたが、人事評価や昇進では希望が叶わない従業員も出てきます。ネガティブな結果を伝える際に、レッドテープだと感じさせない工夫はありますか。
人事評価ですべての人が満足する結果を出すことは不可能です。しかし、結果は変えられなくても、そこに至るプロセスに対する納得感を高めることは可能です。
ここで重要なのは「透明性」と「説明責任」です。なぜその評価になったのか、理由や背景を上司がしっかりとフィードバックします。もしプロセスがブラックボックス化していれば、従業員は不信感を抱き、「レッドテープだ」と感じてしまいます。
逆に、決定基準が公正でありプロセスが透明であれば、結果が希望通りでなくとも「正当な手続きの結果」と受け止めやすくなります。結果の良し悪しに関わらず誠実に説明責任を果たし、プロセスをオープンにすることが、誤解を生まないための防御策になります。
Q:DX推進の一環でシステムを導入したのですが、逆に入力項目が増えて現場が疲弊しています。デジタル化したのに、かえってレッドテープ化してしまう原因は何でしょうか。
システム導入で現場が大変になる原因の一つは、アナログの業務プロセスを見直さないままデジタルに置き換えてしまったことにあります。
アナログ時代の手続きは紙の運用などに最適化されており、デジタルと相性が良いとは限りません。それを見直さずにシステム上で再現しようとすると、入力項目が不必要に増え、以前より面倒な作業になってしまいます。
システム導入はあくまで手段であり、目的は業務の効率化です。ですから、導入「前」の準備が重要です。既存の業務フローを棚卸しし、不要な承認ステップの削除や重複入力の統合を行います。業務プロセス自体を断捨離してシンプルにし、その上でデジタル化を進める。この順序を守ることで、新たなレッドテープを生むことなくDXが進められるでしょう。
Q:多額の費用をかけたシステムや長年運用してきた制度については、廃止の決断が難しいです。抜本的な見直しを行うためには、どのような考え方を持てばよいのでしょうか。
いわゆる「サンクコスト(埋没費用)」の問題ですね。過去にコストを投じていると、「もったいない」という心理が働き、やめられなくなってしまいます。
この状況を打破するには、視点を「過去」から「未来」へ切り替えることが重要です。過去のコストではなく、「このまま非効率な状態を続けた場合、将来どれくらいのコストや機会損失が発生するか」を考えます。
古いシステムを使い続けることによる将来の保守費用や人件費、さらには従業員のモチベーション低下や離職リスクといったコストを試算してみてください。「もったいないから続ける」のではなく、「これ以上続けると将来これだけの損失が出る」という未来のリスクを可視化するのです。損切りという後ろ向きな発想ではなく、未来に向けて投資を最適化するというポジティブな枠組みで捉え直すことが、意思決定の鍵になります。
脚注
[1] Pandey, S. K., and Scott, P. G. (2002). Red tape: A review and assessment of concepts and measures. Journal of Public Administration Research and Theory, 12(4), 553-580.
[2] Bozeman, B. (1993). A theory of government “red tape”. Journal of Public Administration Research and Theory, 3(3), 273-303.
[3] Van Loon, N., Leisink, P. M., Knies, E., and Brewer, G. A. (2016). Red tape: Developing and validating a new job-centered measure. Public Administration Review, 76(4), 662-673.
[4] Van Loon, N., Leisink, P. M., Knies, E., and Brewer, G. A. (2016). Red tape: Developing and validating a new job-centered measure. Public Administration Review, 76(4), 662-673.
[5] Kaufmann, W., and Feeney, M. K. (2014). Beyond the rules: The effect of outcome favourability on red tape perceptions. Public Administration, 92(1), 178-191.
[6] Pandey, S. K., and Kingsley, G. A. (2000). Examining red tape in public and private organizations: Alternative explanations from a social psychological model. Journal of Public Administration Research and Theory, 10(4), 779-799.
[7] Rainey, H. G., Pandey, S., and Bozeman, B. (1995). Public and private managers’ perceptions of red tape. Public Administration Review, 55(6), 567-574.
[8] George, B., Pandey, S. K., Steijn, B., Decramer, A., and Audenaert, M. (2021). Red tape, organizational performance, and employee outcomes: Meta-analysis, meta-regression, and research agenda. Public Administration Review, 81(4), 638-651.
[9] DeHart-Davis, L., and Pandey, S. K. (2005). Red tape and public employees: Does perceived rule dysfunction alienate managers? Journal of Public Administration Research and Theory, 15(1), 133-148.
[10] Pandey, S. K., Coursey, D. H., and Moynihan, D. P. (2007). Organizational effectiveness and bureaucratic red tape: A multimethod study. Public Performance & Management Review, 30(3), 398-425.
登壇者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。
