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コラム

空間がつくる私:働き方とアイデンティティの関係

コラム

皆さんが今いるその場所は、皆さん自身をどのように形作っているでしょうか。私たちは一日の多くの時間を、オフィスや自宅といった「働く場所」で過ごします。その空間は、業務をこなすための背景なのでしょうか。それとも、私たちの心や身体、他者との関係性、「私」という存在そのものに関わっているのでしょうか。

近年、働き方が多様化し、オフィスに集う意味が問い直される中で、物理的な環境と私たちの内面との結びつきは見過ごせないテーマとなっています。壁の色やデスクの配置、窓から見える風景、聞こえてくる音。そうした一つひとつの要素が、私たちの感情や思考に作用し、知らず知らずのうちに仕事への向き合い方をも変えているのかもしれません。

本コラムでは、働く場所と自己の形成という問いを、いくつかの学術的な知見を頼りに紐解いていきます。空間が、ある人にとっては自己を肯定するための砦となり、ある集団にとっては一体感を育む器となる。あるいは、空間への関わり方が、仕事への熱意や組織への愛着を左右することもあるでしょう。物理的な環境と私たちの心との間に交わされる、目には見えない対話に耳を澄ませることで、自分自身と働くことの意味について、新たな光景が見えてくるかもしれません。

感覚で整える職場は、自己を肯定する場所となる

働く場所と自己の関係を考えるとき、個人的で身体的な感覚から出発してみましょう。社会的な偏見や困難な状況に置かれた人々にとって、自らの手で整え、コントロールできる空間はどのような意味を持つのでしょうか。物理的な安全を確保する以上に、その場所は自己を支え、肯定する上で大きな力となり得ることが、ある研究から浮かび上がってきます[1]

カナダの性労働者を対象とした調査があります。参加者は日常的に社会的なスティグマや暴力のリスクに直面しています。この調査が探求したのは、そうした状況下で、屋内の「職場」が自己肯定感や働きやすさとどう結びついているのかという点でした。特に、色彩やアート、音楽といった五感に訴える要素が、空間を自分自身の延長として体験するプロセスにどう関わるのかを掘り下げています。

この調査のユニークな点は、参加者を「協働研究者」として迎え入れ、言葉によるインタビューだけでなく、コラージュや写真、環境音の録音といった多様な表現手法を用いたことです。これによって、言葉だけでは捉えきれない、人と場所との間の身体的で感覚的なつながりを、より豊かに描き出すことを試みました。

浮かび上がってきたのは、職場づくりが、参加者一人ひとりにとって「自分とは何者か」を表現し、交渉するための個人的なプロジェクトであったという事実です。例えば、色彩は自己像を空間に投影するための媒体でした。ある参加者は、自身のアイデンティティの中核である「養育者」の側面を、生命力を象徴する「緑色」で表現し、ベッド周りをその色で整えていました。別の参加者は、空間全体を紫色で統一することで、「この空間は私のものだ」という所有と主権の感覚を強く表明していました。

視覚的な芸術作品も同様に機能していました。壁一面のアートは、その人の好みや価値観を映すと同時に、社会的な抑圧に対する静かな抵抗の表明でもありました。かつて不安定な住環境を経験した参加者は、家族からの表彰状をリビングの中心に飾り、「我が家」としての空間の確かさを日々確認していました。仲間同士で贈り合った品々は、孤立しがちな状況の中で、相互扶助のネットワークが存在することを可視化するものでした。

音、特に音楽の存在も欠かせません。祖母の形見であるピアノを部屋の開けた場所に置き、自ら奏でる音で家を満たすことで、「安全で最も自分らしい自己」を保つと語る参加者がいました。ジャズやローファイ・ヒップホップは、仕事の流れを身体的に組み立てるためのサウンドトラックとなります。鏡の前で好きな音楽に合わせて踊る時間は、自己肯定感を高める大切な習慣でした。

このように五感を通じて丁寧に整えられた空間は、参加者に強いコントロール感をもたらします。人の動線や座る位置、会話の始め方まで自分で設計できる環境では、他者との境界線を設定しやすくなります。それは安心感と自信につながり、仕事の質を支えます。この場所づくりという行為自体が、社会から押し付けられがちなステレオタイプを覆し、「私はプロフェッショナルであり、尊重されるべきコミュニティの一員である」というメッセージを発信する政治的な実践ともなっていたのです。

理念が伝わる建築は、従業員や学生の一体感を育む

個人の感覚を通じて空間を「自分のもの」にしていく営みから、少し視点を引き上げてみましょう。組織が意図を持って作り上げた建築や空間デザインは、そこに集う人々の集合的な意識、すなわち「一体感」や「帰属意識」にどのように作用するのでしょうか。個人の自己肯定から、集団のアイデンティティへ。ロンドンにあるビジネススクールの事例が、この問いに一つの光を当てます[2]

この研究は、ある大学のビジネススクールが特徴的な内部建築を持つ新しい校舎に移転したタイミングで行われました。調査の目的は、「場所のアイデンティティへの態度(学校の理念への好感度)」、「場所の建築への態度(新校舎のデザインへの好感度)」、従業員や学生がその学校に抱く「一体感」という三つの要素の関係性を解き明かすことでした。建築という組織の器が、人々の心にどう響き、帰属意識を育むのかを検証しようとしたのです。

調査は、インタビューといった質的なアプローチと、300人以上を対象としたアンケート調査という量的なアプローチを組み合わせて進められました。これによって、統計的な関係性の強さを測ると同時に、人々がその空間を実際にどう体験し、意味づけているのかという生の声も捉えることができました。

分析の結果、予測された通りの強い結びつきが確認されました。学校が掲げる理念やビジョンに好意的な人ほど、新しい校舎の建築デザインも高く評価し、理念と建築の両方に好意的な人ほど、学校そのものへの一体感を強く感じていたのです。これは、組織のフィロソフィーと物理的な表現がうまく噛み合ったとき、人々の帰属意識が育まれることを示唆しています。

もう少し詳しく見ていくと、濃淡が見えてきます。例えば、学校のロゴといった「ビジュアルアイデンティティ」や、学校からの「コミュニケーション」に好意的な人たちは、建物の物理的な構造や光、温度といった環境条件に対しても、好意的な評価を下すという連鎖が見られました。組織からの分かりやすいシグナルが、空間全体の受け止め方をポジティブな方向へ導いていたと考えられます。

一方で、すべての要素が単純に結びついていたわけではありません。意外なことに、組織の「哲学、使命、価値観」といった、より抽象的な理念への共感は、建築の物理的な側面の評価には直接つながっていなかったのです。また、学校の「ビジュアルアイデンティティ」に好感を持っていても、それが校舎内に飾られた絵画や植物といった個々の「装飾」への評価に結びつくわけでもありませんでした。

これらの結果から言えるのは、組織が建築を通して伝えたいメッセージと、そこで働く人々が実際に受け取るメッセージとの間には、時に隔たりが生まれるということです。ロゴのように視覚的に明確なものや、丁寧なコミュニケーションは、空間の評価にも良い影響を及ぼしやすい。しかし、「共創」や「革新」といった抽象的な哲学は、美しい建物を建てただけでは自動的に人々の心に響くとは限らないのです。物理的なデザインは、組織理念を伝えるための万能の翻訳機ではないと言えるでしょう。

このことは、組織が新しい空間を創出する際、デザインの美しさや機能性だけを追求するだけでは不十分だと教えてくれます。その空間がどのような理念に基づいて設計されたのかを、言葉を尽くして伝え続ける努力が求められます。建築という静的な「器」に、理念という動的な「意味」を吹き込む対話があって初めて、その場所は人々の心を一つにする一体感の源泉へと変わっていくのかもしれません。

従業員が変えられる職場は、自分ごとと感じる場所になる

組織が理念を込めて建築を設計しても、その意図が必ずしも働く人々に伝わるとは限らないことを見てきました。視点を変え、働く人々自身がその空間に「関わる」、要するに自分の手で職場を少しでも変えられる自由を持つことは、仕事への姿勢にどのような変化をもたらすのでしょうか。あるグローバル・ソフトウェア企業の事例が、この転換が持つ意味を解き明かしてくれます[3]

この研究の出発点は、「オープンオフィスは良いものか、悪いものか」という長年の問いでした。同じオープンな空間でも評価は一貫していません。研究者たちは、この違いを生む鍵が、物理的なレイアウトそのものではなく、働く人々がその場所をどれだけ「自分ごと」として捉えられているか、すなわち「場所アイデンティティ」の強さにあるのではないかと考えました。

調査の舞台は、伝統的なオフィスから、可動式の家具や自由に書き込める壁を備えた、開放的で可変性の高い新しい「イノベーション・センター」へと移行した複数の拠点です。研究者たちは、この移行の前後で同じ従業員を長期間追跡し、面接や観察、アンケート調査を通じて、人々の心理的な変化を測定しました。

明らかになったのは、場所アイデンティティ、つまり自分の働く場所を「自分たちのものだ」と強く感じられることの力でした。場所を自分ごと化できている従業員ほど、同僚との非公式な情報交換が活発になり、仕事への熱意である「ワーク・エンゲージメント」や、組織への誇りである「組織コミットメント」も強いことが示されたのです。空間との心理的なつながりが、日々の協働の質を高め、仕事への情熱や組織への愛着を育んでいました。

何がこの「自分ごと化」を促すのでしょうか。騒音の少なさや日当たりの良さといった物理環境のスペックは、決定的な要因ではありませんでした。それよりも強く作用していたのは、社会的な、あるいは心理的な条件でした。

第一に、「ビジョンの理解」です。なぜこの新しい空間が導入されたのか、その目的や意味が十分に共有されている場合、従業員は新しい空間をポジティブに受け入れ、同一化しやすくなります。

第二に、「リーダーの態度とモデリング」です。管理職が自ら率先して新しい空間の機能を使いこなし、メンバーと気軽に交流する姿を見せること。その行動が、空間の望ましい使い方を伝え、ポジティブな雰囲気を作り出します。

第三に、最も重要だったのが、従業員自身の「エージェンシー」、すなわち裁量権でした。家具の配置を変えたり、座る場所を選べたり、自分たちのエリアを装飾したり。空間のルールづくりに少しでも参加できるという感覚が、所有感と「自分ごと」の意識を強く育むのです。

この研究は、働く場所の価値が物理的な快適さだけで決まるのではないことを描き出しています。その空間が持つ意味を理解し、リーダーがその使い方を体現し、何よりも働く人々自身が主体的に関与できる余地があること。これらの条件が整ったとき、物理的な空間は心理的な「居場所」へと昇華し、人々の仕事への熱意や組織への愛情を力強く支え始めます。

場所の裁量権がないと、従業員の満足度や幸福感は低下する

従業員が自分の働く場所に関与できる「裁量権」が、その場所を「自分ごと」として捉える感覚を育むことを見てきました。逆に、裁量権が奪われ、管理者が一方的に空間をコントロールする状況が生まれたら何が起こるのでしょうか。ものごとのポジティブな側面を理解した上で、その裏側にあるネガティブな側面にも目を向けることで、働く場所と自己の関係はより立体的に見えてきます。

この研究が依拠したのは、人は集団への所属を通じて自己を定義するという「社会的アイデンティティ理論」です[4]。ここから研究者たちは、職場空間の管理方法が、従業員の心理にどのような連鎖反応を引き起こすのかを検証しました。仮説の中心は、管理者による空間統制が、いくつかの心理的ステップを経て、従業員の満足度や幸福感に悪影響を及ぼすというものです。

調査は、イギリスの多様な業種で働くオフィスワーカー約2000人を対象に、二度にわたって実施されました。参加者は、自分の職場がどの程度管理者によって統制されているか、そして自分自身の心理的な状態を回答しました。

分析の結果、負の連鎖が浮かび上がりました。管理者による空間の統制が強まり、従業員の自律性が低いと感じるほど、その人の「心理的な快適性」は低下します。自分のいる場所に居心地の悪さを感じるようになるのです。

この心理的な快適性の低下が、次のドミノを倒します。自分の居場所を快適だと感じられない人ほど、その組織を自分の一部だと感じること、すなわち「組織アイデンティフィケーション」が損なわれていきます。「この場所は快適ではない」という感覚が、「この組織は自分の居場所ではない」という感覚へと転移していくかのようです。

最終的に、この組織への一体感の喪失が、従業員の「職務満足度」の低下と「幸福感」の悪化という、具体的なネガティブな結果に結びついていました。管理者が空間を強く統制することから始まったプロセスが、従業員の心身の健康を蝕んでいました。

この研究が明らかにしているのは、働く場所への裁量権が奪われるという事態が、「見た目が画一的で不便だ」といった表面的な問題にとどまらないということです。それは、日々の「快適性」を損なうことを通じて、自分が所属する組織との心理的な距離を生み出してしまう、より根深い問題なのです。「この組織は、私のことを尊重していないのではないか」という無言のメッセージとして管理統制は受け取られ、組織への所属意識を揺るがしかねません。

逆に言えば、従業員が自分の働く空間を少しでもコントロールできるという感覚は、日々の快適性を保ち、ひいては組織との心理的なつながりを維持する上で見過ごせない要素です。それは、仕事における満足感や幸福感を下支えするのです。

脚注

[1] Grittner, A. L. (2023). “Carefully Curated/For Heart and Soul”: Sensing place identity in sex workplaces. Sexes, 4, 473-492.

[2] Foroudi, M. M., Balmer, J. M. T., Chen, W., Foroudi, P., and Patsala, P. (2020). Explicating place identity attitudes, place architecture attitudes, and identification triad theory. Journal of Business Research, 109, 321-336.

[3] Pearce, B., Hinds, P. J., Thomason, B., Altman, H. T., and Varlander Winterstorm, S. (2023). Cultivating place identity at work. Organizational Dynamics, 52(3), 100997.

[4] Knight, C., and Haslam, S. A. (2010). Your place or mine? Organizational identification and comfort as mediators of relationships between the managerial control of workspace and employees’ satisfaction and well-being. British Journal of Management, 21, 717-735.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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