2026年1月5日
「あえて言わない」が起こるとき:研究から読み解く向社会的沈黙(セミナーレポート)
ビジネスリサーチラボは、2025年11月にセミナー「『あえて言わない』が起こるとき:研究から読み解く向社会的沈黙」を開催しました。
会議で活発な議論が生まれず、重い沈黙が流れる―私たちは、その沈黙の理由を「良い考えが浮かんでいない」「発言する勇気がない」からだと考えがちです。しかし、沈黙の裏には「今これを言えばチームの士気が下がるかもしれない」「発言することで上司や同僚の顔を潰してしまう」といった、仲間や組織を思う“善意”が隠れているのかもしれません。
本セミナーでは、他者への配慮や組織を守りたいという動機から「あえて言わない」選択をすることを表す「向社会的沈黙」について解説しました。職場に起こる沈黙の3つのタイプ、向社会的沈黙の効果、向社会的沈黙が起こりやすい意外な職場環境、そして複雑な現象である向社会的沈黙との向き合い方について、研究知見を交えてご紹介しました。
「何でも発言させる」ことだけがゴールではありません。沈黙の背後にある動機を理解し、その質を見極めることこそ、現代のマネジメントに求められる新たな視点です。沈黙の真意を捉え、建設的なコミュニケーション文化を育むための実践的なヒントをお伝えしました。
※本レポートはセミナーの内容を基に編集・再構成したものです。
職場を取り巻く「3つの沈黙」
職場で発生する「沈黙」には、その理由に応じて様々な種類が存在しています。分類方法はいくつか存在しますが、今回は代表的な「3つの沈黙」についてご紹介します[1]。
「言っても無駄だから」言わない:黙従的沈黙
一つ目は「黙従的沈黙(Acquiescent Silence)」と呼ばれるものです。学術的には、諦めや服従、「何を言っても変わらない」といった無力感から発言を差し控えることと定義されています。
例えば、「意見を言っても無駄だ」と感じてしまい、会議で一切アイデアを出さない。非効率な業務フローが存在していても、「これがうちのやり方だから」と諦め、改善を働きかけることなく黙々とそのルールに従う。決定された方針に疑問を感じても、「どうせ物事はトップダウンで決まるのだろう」と考え、一切の質問や異議を唱えない。このような沈黙が、黙従的沈黙に当てはまります。
この沈黙が生まれる背景には、「過去の経験」が強く影響しています。例えば、「自分の意見や提案が聞き入れられたことがなかった」、「改善を訴えても結局は何も変わらなかった」という経験です。このような経験が積み重なった結果、自らの発言が状況や周囲に影響を与えるという感覚(効力感)を失ってしまっていると考えられます。
黙従的沈黙の難しさは、表立った怒りや反発を伴わない点にあります。この沈黙を選択している従業員は、文句を言わず淡々と仕事をこなしているため、一見すると「従順で問題のない従業員」に見えるかもしれません。しかし、その内面では、仕事への熱意や組織への愛着感が著しく低下している可能性があります。
この「言っても無駄だから」という沈黙は、様々な悪影響を及ぼすことがわかっています。アメリカの会社員約300名を対象とした研究では、黙従的沈黙をしている人ほど、感情的な「燃え尽き(バーンアウト)」に近い状態を招き、早退や欠勤の増加、ひいてはパフォーマンスの低下を引き起こすことがわかっています[2]。諦めや無力感といったネガティブな感情に対処するためにエネルギーが浪費され、目の前の仕事に集中できなくなるのです。
「自分のために」言わない:防衛的沈黙
二つ目は「防衛的沈黙(Defensive Silence)」です。この沈黙は、発言することが個人的に危険であるという恐れから、自分自身を守るために意図的に発言を差し控える行動を指します。
例えば、上司の提案に明らかな欠陥を見つけても、「反論すれば生意気だと睨まれる」と恐れて黙ってしまう。プロジェクトの重大な遅延や問題に気づいているものの、「報告すれば自分が責任を追及されるかもしれない」と考え、口をつぐんでしまう。同僚の不正行為を目撃したが、「告発して、組織から排斥されること」を恐れて、見て見ぬふりをする。このような沈黙が、防衛的沈黙に当てはまります。
この「自分を守るための沈黙」の背景にあるのは、個人的なリスクに対する恐れや警戒心です。発言による報復、人間関係の悪化、ネガティブな評価、キャリアへの悪影響など、自分が被るであろう不利益を想定し、それらから身を守るために戦略的に口を閉ざしている状態と言えます。
防衛的沈黙の特徴として、この沈黙を選択する従業員は決して無関心なわけではない、ということが挙げられます。むしろ、問題意識や当事者意識を強く持っている場合が多いのです。「言うべきだ」という正義感と、「言ってしまうと損をする」という現実的なリスクとの間で葛藤した結果、防衛的に沈黙しているのです。
中国の研究機関の職員約500名を対象に行われた研究では、防衛的沈黙をする人ほど、業務に必要な情報について「知らないふりをする」「共有しなくなる」ということがわかっています。さらにこれがエスカレートすると、組織のルールを無視したり、意図的に仕事のペースを落としたり、遅刻や欠勤をするといった「非生産的な行動」が増えることも示されています[3]。
「あなたのためにあえて」言わない:向社会的沈黙
「向社会的沈黙」とは、「他者や組織に利益をもたらすことを目的として、仕事に関連するアイデアや情報、意見を意図的に差し控えること」を表します。
例えば、会議の進行を妨げないように、本筋から外れる些細な意見や話題はあえて口に出さない。プレゼンテーションを終えたばかりの同僚の自信を削がないように、細かな表現の誤りを見つけても、今は指摘しないでおく。同僚のプライバシーに関わる情報を耳にしても、他者に広めないよう沈黙を守る。皆さんも、このような形で「言わないでおこう」と配慮した経験があるのではないでしょうか。
黙従的沈黙や防衛的沈黙は、焦点が「自分自身」の諦めや不安にあります。一方で、向社会的沈黙は「他者や組織」にベクトルが向いています。つまり、相手やチームのためを思った「善意の沈黙」であり、黙従的・防衛的沈黙と動機が異なるという違いがあります。
向社会的沈黙はスポーツマンシップと類似
向社会的沈黙という現象を深掘りするために、組織市民行動(Organizational Citizenship Behavior)というフレームワークが参考になります。
組織市民行動とは、職務として明確に決められているわけではないものの、組織全体が円滑に回るように従業員が自発的に行う行動のことです[4]。例えば、自発的なオフィスの整理整頓や、同僚の手伝いなどが挙げられます。組織市民行動は経営学や組織行動論の分野で知見が蓄積されており、仕事の品質向上や効率化といったポジティブな効果につながることがわかっています。
組織市民行動は主に4つの要素で構成されています。
- 援助行動:同僚を手伝う、トラブル防止のために連絡を取り合うなど
- 市民の美徳:会議への積極的な参加、建設的な提案など、当事者意識を持つこと
- 誠実性:誰に見られていなくても、求められている以上に熱心に業務を行うこと
- スポーツマンシップ:些細なことで不平不満を言わず、前向きに状況を受け入れること
この中の「スポーツマンシップ(些細な不平不満を言わない)」こそが、向社会的沈黙との接点になります[5]。チームのことを思ってあえて不満を口にしない行動は、協力して仕事を進めるための「潤滑油」とも言えるでしょう。
向社会的沈黙の効果
向社会的沈黙は、「善意に基づく諸刃の剣」とも言える複雑な効果を持っています。
まずポジティブな効果として、複数の研究を統合したメタ分析[6]によれば、向社会的沈黙をするほど、本人の職務に対する満足度が高まることがわかっています。「自分の我慢がチームの役に立った」「和を保てた」という認識が、満足感につながるからと考えられます。
また、同じメタ分析内で、業務におけるパフォーマンスが向上することも示されています。必要な対立を避け、他者の面目を保つことで職場の人間関係が円滑になり、結果として個人の業務遂行もスムーズになるからです。
一方で、無視できないネガティブな効果も存在します。例えば、向社会的沈黙をするほど、本人のストレスや燃え尽き感、離職意思が増加することもわかっています[7]。本当は指摘したほうが良い問題だと分かっていながら「相手のために言わない」という選択を続けることは、本人にとって大きなストレスになります。この蓄積が、感情的な燃え尽きや離職しようという意思の増加につながってしまいます。
また、トルコの看護師約300名を対象とした研究では、個人の向社会的沈黙が、チーム内で努力を怠る現象を増加させることが示されました[8]。例えば、パフォーマンスの低いAさんを庇って問題を報告せず、密かに仕事をカバーしたとします。これが続くと、Aさんは「手を抜いても誰かがカバーしてくれる」と学習してしまい、結果として「努力を怠る文化」がチームに蔓延してしまうのです。善意の沈黙が、皮肉にも手抜きを助長してしまう例と言えます。
さらに、向社会的沈黙の原典となる論文では、沈黙はその意図が曖昧で分かりにくく、その真意を誤解されかねない、ということが指摘されています[9]。
例えば、同僚のAさんの面目を保つためにミスを指摘しなかったとします。その後、問題が発覚した際に、上司やAさんから「なぜ報告しなかったのか」「非協力的な人だ」とネガティブに評価される可能性があるということです。「Aさんのために」という善意があっても、周囲には「面倒だったから」「無関心だから」と誤解され、本人の動機と周囲の評価にギャップが生じてしまうリスクがあるのです。
向社会的沈黙が起こりやすい環境
突然ですが、次のような職場があったとしたら、皆さんはどのような印象をお持ちになるでしょうか。
- 部下が上司に本音で相談できる
- 上司が倫理的であり、部下にも倫理的な行動を促している
- メンバーが「自分と組織は一心同体である」とみなしている
- 報酬が公平に分配され、意思決定のプロセスもしっかりと可視化されている
おそらく、ほとんどの方が「基本的に良さそうな職場だ」「こういう組織を目指したい」と思われるのではないでしょうか。
しかし、研究では意外な結果が示されています。前述の4つの職場環境は、黙従的沈黙・防衛的沈黙を減少させる一方で、向社会的沈黙を増加させてしまうことが分かっているのです[10]。つまり、健全で良い職場では、諦めや恐怖による沈黙は減るものの、善意による沈黙は起こりやすいということです。
では、この4つの職場環境が、どのようなメカニズムで向社会的沈黙を促すのか、詳しく見ていきましょう。
上司への信頼が上司への配慮を生む
「上司への信頼」は、部下が「この上司なら自分に不利益なことはしないだろう」と信じ、本音で相談できる状態を表しています[11]。上司を信頼しているほど、部下が新しい仕事のやり方を試みるといった革新的な行動が増えたり、自分の役割として決まっていない仕事であっても成果が向上したりすることが研究で示されています[12]。
では、なぜ上司への信頼が、向社会的沈黙を促してしまうのでしょうか。それは、部下が上司の有能さや人柄を信頼しているからこそ、「この信頼できる上司を支えたい」「余計な負担をかけたくない」という配慮が働いてしまうからです。
例えば、チーム内で人間関係のトラブルなど、デリケートな問題が起きたとします。その際、「あの上司は忙しいのに、こんな人間関係のような厄介な問題を持ち込めば、上司の心労を増やしてしまうのではないか」と考えてしまいます。あるいは、「もう少し様子を見て、上司には伝えずに自分たちの間で解決を図る方がいいのではないか」と判断し、口を閉ざしてしまうのです。このように、上司への信頼が強いからこそ、過度な配慮につながることで、沈黙を生んでしまう可能性があります。
倫理的リーダーシップが周囲への配慮を生む
「倫理的リーダーシップ」は、リーダー自身が模範となる適切な振る舞いをし、双方向のコミュニケーションや評価・意思決定を通じて、部下にも同様の倫理的な行動を促すリーダーシップスタイルのことを指します。
この倫理的リーダーシップも、部下の倫理的な行動や主体性、協力行動、パフォーマンスを向上させるといったポジティブな効果が実証されています。また、ストレスや離職意思、職務怠慢などのネガティブな職務行動を低下させることも分かっています[13]。
倫理的なリーダーの下で働く部下は、リーダーの価値観や行動スタイルを、自分のものとして取り込もうとします。その「倫理」には、他者を思いやることや、チームの調和を保つことも含まれており、部下はそれらを重要だと認識して行動するようになります。この「他者への思いやり」や「チームの調和」が、「他者への配慮」としての沈黙につながり得るのです。
例えば、ある施策の企画会議で、倫理的なリーダーが「今回は素晴らしい案にまとまりました。このチームの一体感を、私はとても誇りに思います」と語ったとします。その時、あるメンバーが「企画をこのまま進めると、潜在的なリスクがあるのではないか」と気づいたとします。
しかし、「ここで議論を蒸し返すことは、リーダーが大切にしている調和を乱してしまう」「みんなの士気を下げることになるのではないか」と考え、あえて口をつぐんでしまうかもしれません。このように、リーダーが大切にする調和や配慮を守ろうとすることが、沈黙の要因になり得るのです。
組織と一体である意識が貢献としての沈黙につながる
「組織同一視」は、従業員が「組織と自分は一心同体である」と強く認識している状態やその程度のことです[14]。自分が働いている組織と自分を重ね合わせているほど、組織同一視が高いと言えます。この組織同一視も、仕事に対する満足度やエンゲージメント、役割内外のパフォーマンス向上など、様々なポジティブな要素につながることが分かっています[15]。
「組織と自分が同じような存在である」と強く認識している従業員にとって、組織の成功や失敗は、まるで自分自身の成功や失敗のように感じられます。この感覚が、まさしく「組織を守るための沈黙」の引き金になります。
例えば顧客向けに新しいサービスを展開した後、軽微なバグが見つかったとします。ここで組織同一視が高い、つまり組織と一体化している従業員は、「この問題が広まって組織の評判が傷つくのは耐えられない」と感じます。その結果、問題が公になる前に自分だけで修正しようと試み、上司への報告などを差し控える可能性があります。
注意していただきたいのは、この状況における向社会的沈黙は、「自分のミスを隠蔽しようとしている」といった保身のためではないという点です。「短期的な混乱や外部からの批判を避け、現場で解決することこそが組織のためになる」という、忠誠心によるものです。
組織からの恩恵に報いようとする感情が周囲への配慮に繋がる
「組織的公正」は、給与の配分、意思決定のプロセス、上司からの処遇などが適切であると、従業員が主観的に感じている状態を指します。「報酬の配分は適切だ」「プロセスが透明化されている」「上司に適切に扱われている」と感じている従業員は、組織的公正が高いと認識しています。前述の3つの概念と同様に、組織的公正も高いほど、組織に対する愛着やパフォーマンスが向上し、欠勤や離職が低下するという良い効果が示されています[16]。
組織における公正な処遇は、従業員に「自分は尊重され、大切にされている」という感覚を与えます。そして、その感覚によって生まれた組織やチームへの信頼感は、「そのように良くしてくれる組織やチームに報いなければ」という「お返しへの義務感」を抱かせます。その結果、従業員は自分の利益だけでなく、周囲の利益についても考えるようになります。このメカニズムが、向社会的沈黙を促す可能性があるのです。
例えば、チームの同僚が小さなミスを犯してしまったとします。公正な風土の中で周囲の利益を考えるようになったメンバーは、「このミスを指摘すれば、同僚の面子を潰してしまうのではないか」「今は指摘せず、この人にストレスをかけない方が得策であり、本人のためになるのではないか」といった配慮が働きやすくなってしまうのです。
向社会的沈黙との向き合い方
まず、ここまでの内容を振り返っておきましょう。「向社会的沈黙」とは、諦めや恐怖から来る「黙従的沈黙」や「防衛的沈黙」とは異なり、チームや組織のためを想う「善意」に基づいた沈黙のことでした。
向社会的沈黙は、ポジティブな面とネガティブな面の両方の効果をもたらします。さらに厄介なのは、一般的に「良い職場」とされる要素があることで、むしろこの沈黙が促されてしまう可能性があるという点です。
では、この複雑な「向社会的沈黙」に対して、私たちはどのように向き合えばよいのでしょうか。いくつかのアプローチが考えられますが、本セミナーではそのうちの一つとして、「沈黙と発言を賢明に使い分ける組織を目指す」という方針に基づいたアプローチを考えてみたいと思います。
繰り返しになりますが、向社会的沈黙のベースにあるのは「他者や組織への善意」です。この善意そのものは、ぜひ維持したいものと言えます。今回の方針は、この善意を保ちつつも、状況に応じて「沈黙したほうが良いか、発言したほうが良いか」を、メンバー一人ひとりが賢明に使い分けられる組織を目指す、ということになります。
ステップ1:診断
最初のステップは、職場で起きている沈黙の理由を見極めることです。もしあなたが上司の立場で、会議で部下が黙っている場面に直面したとします。その際に、「上司である私が怖いから黙っているに違いない」「どうせ意見を言っても無駄だと諦めているのだろう」などと、すべての沈黙を「恐怖」や「諦め」のせいだとすぐに決めつけるのは避けたほうが良いでしょう。
もし、その沈黙が「周囲のために、善意で黙っている」という向社会的沈黙であった場合、「もっと自由に発言していい」といくら説得しても、効果は薄いと考えられます。
まずは勤務態度を観察したり、1on1ミーティングや組織サーベイなどを活用したりして、現状を診断してみると良いでしょう。「言いたくても言えない(諦め・恐怖)」のか、「あえて言わない(向社会的)」のか。沈黙の背景にある動機を探ることから始めてください。沈黙をすぐにネガティブなものと決めつけず、一度立ち止まって観察する勇気を持つことが大切です。
ステップ2:土壌づくり
ステップ1での診断の結果、もし職場に「言っても無駄(黙従的沈黙)」や「責められるのが怖い(防衛的沈黙)」といったネガティブな沈黙が蔓延しているようであれば、まずはその解消を優先するのが良いでしょう。
そのためには、「発言しようと思えば発言できる」という土壌を整えることが不可欠です。先ほどご紹介した「上司への信頼」や「組織的公正」といった4つの要素は、黙従的・防衛的な沈黙を低減させる効果が実証されています。上司が倫理的で信頼できる存在になったり、評価や意思決定を公正に行ったりすること。これらを進めていくことで、まずは恐怖や諦めを取り除き、メンバーが発言を選べる土壌を整えていくことができます。
ステップ3:判断基準の共有
発言と沈黙を選べる土壌が整ったら、次はそれらを賢明に使い分ける「基準」を設ける段階です。まずは、組織として「これは絶対に沈黙する」「これは絶対に発言する」という最低限のルールを明示するのが良いでしょう。
例えば、沈黙の基準にはクライアントの機密情報、未公開の業績情報、個人のプライバシーに関わることなどが挙げられます。一方で、発言の基準の例としては、製品の欠陥、法令違反、目標達成を妨げる根本的な問題などが考えられます。これらは社会人として当然のことだと思われるかもしれませんが、改めて「ここは最低限守らなければならないラインだ」と組織内で徹底することが重要です。
しかし、実際の仕事現場では、最低限の基準だけでは判断できない場面の方が多いでしょう。例えば、「同僚の細かいミスを指摘したほうが良いか」「会議でのちょっとした懸念を伝えるべきか」といったケースです。こうした場面に対応するために、新たな判断基準を設ける必要があります。それは、「その沈黙(あるいは発言)は、本当に周囲や組織のためになっているか?」という、結果への考慮を促す問いかけです。
向社会的沈黙は、「目の前の相手」や「今の関係性」への配慮に基づいて行われがちです。この視点を、「中長期的な組織貢献」「顧客や社会への価値提供」というように、未来志向へシフトさせるよう働きかけましょう。メンバー自身が「この配慮は未来の価値につながるか?」と自問できるように促すことで、近視眼的な沈黙を減らし、善意が持つ価値を最大化できます。
「未来の価値」に基づく基準として、例えば「問題点の重大さ」を軸にすることが考えられます。その問題は、組織目標の達成を妨害したり、重大なリスクに直結したりする(発言した方が良い)ものか。それとも、個人の主観や好みのレベルにとどまる(あえて沈黙する配慮が必要)ものかといった基準です。
また、「伝えるタイミングと状況」も基準になり得ます。今すぐ指摘しないと手遅れになる(すぐに発言するのが良い)か、あとで1対1で伝えたほうが効果的(一時的に沈黙し、後で発言する)かといった形で、発言と沈黙のどちらが適切かを考えるのです。
こうした判断基準を職場ですり合わせ、常に自分に問いかけられる風土を作っていくことが、発言と沈黙を賢く使い分ける組織づくりにつながります。
おわりに
本日は3つのパートにわたり、複雑な「向社会的沈黙」の世界について解説してきました。職場で起きる沈黙には、様々な動機が隠されています。そのため、「沈黙は悪だ」「とにかく発言しろ」と叱咤激励するだけでは、本質的に良いコミュニケーションが生まれる職場にはならないかもしれません。特に向社会的沈黙は、善意に基づいているがゆえに、それをただ咎めるのも考えものであるという、一筋縄ではいかない現象です。
私の願いは、この「善意」を活かしつつ、沈黙と発言を賢明に使い分けられるような、本質的に「コミュニケーションが良好な」組織が増えることです。まずは皆さんの職場でどのような沈黙が行われているか、その裏側にある動機を探るところから始めてみてはいかがでしょうか。
Q&A
Q:沈黙の理由を見極めるための観察のポイントなどはありますか。
なぜ黙っているのか、その理由を直接本人に「どうして黙っているのですか?」と聞き出すのは難しいものです。そこで有効なのが、普段の勤務態度の観察です。「向社会的沈黙」をする従業員は、基本的には組織への貢献意欲が高く、普段は意欲的に仕事をしています。また、周囲の状況もよく見ていると考えられます。
もし、普段の仕事は誠実にこなしており、周囲への配慮もできる人が、会議などの特定の場では意見を出さないという場合、それは「向社会的沈黙」を行っている可能性があります。このように、普段の勤務態度と、特定の場での沈黙というギャップを観察することが、見極めの一つの方法になります。
Q:マイナスベース(悪い状態)からの土壌整備の場合に注意すべき点や、より良い環境へ戻すための方法はありますか。
悪い状態、今回で言えば諦めや恐怖に基づく沈黙が蔓延している組織において、「沈黙は悪だ」「もっと発言しましょう」と直接的に発言を迫るようなアプローチには、より一層注意が必要です。そのようなメッセージのみを伝えるだけでは、メンバーから反発が起きたり、発言がさらに減ってしまったりする可能性もあります。
特にマイナスベースの場合は、いきなり問題に直接アプローチするよりも、「間接的」なアプローチが必要になります。今回で言えば、「上司への信頼」「倫理的リーダーシップ」や「組織的公正」を高めていくことが当てはまります。日頃のコミュニケーションにおいて、リーダーが誠実かつ公平に関わり続けること。焦らず、じわじわと信頼関係を回復していくことが、遠回りのようで重要な過程になります。
Q:管理職が個別に訴えるだけでは、周囲への配慮などで変わらないこともあると思います。マネジメント層から一般層まで、組織全体に対して「中長期的な組織貢献」の視点を持ってもらうには、どのように訴えていくべきでしょうか。
ご指摘の通り、個別に訴えるだけでなく、組織全体でも取り組んでいったほうが良いといえるでしょう。例えば経営層の取り組みとして、企業理念やミッション・バリュー・パーパス、中期経営計画などを通じて、未来志向を持つことの重要性を、従業員に発信することが考えられます。
ただ、そのようなメッセージを従業員が自分事にしていくためには、やはりマネジメント層の働きも必要になってきます。日々のコミュニケーションや各個人・その部署としての目標設定などを通じて、善意の焦点を「今」だけでなく「将来の組織」へ視点を広げていくことが重要です。
Q:心理的安全性が高い職場を目指していますが、逆に心理的安全性が向社会的沈黙を助長してしまう恐れはあるのでしょうか。
「心理的安全性」とは、リスクがあるような発言をしても、周囲からそれを咎められることはないだろうという安心感のことです。
研究では、心理的安全性が高まると、黙従的沈黙や防衛的沈黙が減ることが分かっています[17]。つまり、心理的安全性を高めることは、諦めや恐怖に基づく沈黙を減らすための土壌作り(ステップ2)としては有効です。一方で、心理的安全性と向社会的沈黙との関係については、研究の蓄積がまだ少ないのが現状です。
理論的に考えると、心理的安全性は向社会的沈黙を減らすこともあれば増やすこともあると考えられます。確かに、心理的安全性が高く「自分が責められない」環境であっても、向社会的沈黙の動機は「他者や組織への配慮」にあるため、「相手を傷つけないためにあえて言わないでおこう」という判断が成立し得ます。つまり、心理的安全性が高くても、善意による沈黙が維持される可能性はあります。
そうはいいつつも、まずは心理的安全性を高めて「発言すること自体は可能である」という状態を作ることを優先したほうが良いでしょう。その上で、過度な配慮による沈黙について検討する、あるいは判断基準を設定していくという順序が良いと考えられます。
脚注
[1] Hao, L., Zhu, H., He, Y., Duan, J., Zhao, T., & Meng, H. (2022). When is silence golden? A meta-analysis on antecedents and outcomes of employee silence. Journal of Business and Psychology, 37(5), 1039-1063.
[2] Whiteside, D. B., & Barclay, L. J. (2013). Echoes of silence: Employee silence as a mediator between overall justice and employee outcomes. Journal of business ethics, 116(2), 251-266.
[3] Qi, F. S., & Ramayah, T. (2022). Defensive silence, defensive voice, knowledge hiding, and counterproductive work behavior through the lens of stimulus-organism-response. Frontiers in Psychology, 13, 822008.
[4] Podsakoff, P. M., & MacKenzie, S. B. (2014). Impact of organizational citizenship behavior on organizational performance: A review and suggestions for future research. Organizational Citizenship Behavior and Contextual Performance, 133-151.
[5] Acaray, A., & Akturan, A. (2015). The relationship between organizational citizenship behaviour and organizational silence. Procedia-Social and Behavioral Sciences, 207, 472-482.
[6] 脚注1(Hao et al., 2022)と同じ
[7] 脚注1(Hao et al., 2022)と同じ
[8] Türe, A., Akkoç, İ., Arun, K., & Çalışkan, A. (2025). The mediating role of job stress between organisational silence and social loafing in nurses. Journal of Research in Nursing, 17449871241270773.
[9] Dyne, L. V., Ang, S., & Botero, I. C. (2003). Conceptualizing employee silence and employee voice as multidimensional constructs. Journal of management studies, 40(6), 1359-1392.
[10] 脚注1(Hao et al., 2022)と同じ
[11] Tan, H. H., & Tan, C. S. (2000). Toward the differentiation of trust in supervisor and trust in organization. Genetic, social, and general psychology monographs, 126(2), 241-260.
[12] Legood, A., van der Werff, L., Lee, A., & Den Hartog, D. (2021). A meta-analysis of the role of trust in the leadership-performance relationship. European Journal of Work and Organizational Psychology, 30(1), 1-22.
[13] Bedi, A., Alpaslan, C. M., & Green, S. (2016). A meta-analytic review of ethical leadership outcomes and moderators. Journal of Business Ethics, 139(3), 517-536.
[14] Lee, E. S., Park, T. Y., & Koo, B. (2015). Identifying organizational identification as a basis for attitudes and behaviors: A meta-analytic review. Psychological bulletin, 141(5), 1049.
[15] Karanika-Murray, M., Duncan, N., Pontes, H. M., & Griffiths, M. D. (2015). Organizational identification, work engagement, and job satisfaction. Journal of Managerial Psychology, 30(8), 1019-1033.
[16] Colquitt, J. A., Conlon, D. E., Wesson, M. J., Porter, C. O., & Ng, K. Y. (2001). Justice at the millennium: a meta-analytic review of 25 years of organizational justice research. Journal of applied psychology, 86(3), 425–445.
[17] 脚注1(Hao et al., 2022)と同じ
登壇者

小田切 岳士 株式会社ビジネスリサーチラボ フェロー
同志社大学心理学部卒業、京都文教大学大学院臨床心理学研究科博士課程(前期)修了。修士(臨床心理学)。公認心理師。働く個人を対象にカウンセラーとしてのキャリアをスタート。その後、企業人事として制度・施策の設計・運用などに携わる。現在は主な対象を企業や組織とし、臨床心理学や産業・組織心理学の知見をベースに経営学の観点を加えた「個人が健康に働き組織が活性化する」ための実践を行っている。特に、改正労働安全衛生法による「ストレスチェック」の集団分析結果に基づく職場環境改善コンサルティングや、職場活性化ワークショップの企画・ファシリテーションなどを多数実施している。

