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コラム

ブリコラージュの知恵:ありあわせから未来を作る

コラム

「ブリコラージュ」という言葉を聞いたことがありますか。フランス語で「日曜大工」や「修繕」といった意味合いを持つこの言葉は、組織論の世界で、限られた手持ちの資源、すなわち「ありあわせの道具や材料」を組み合わせて、新しい価値や解決策を生み出す行為を指す概念として用いられています。それを資金や人材が不足している状況でやむを得ず行う、その場しのぎの工夫や苦肉の策と捉える人もいるかもしれません。ブリコラージュが資源制約の中で生まれることが多いのは事実です。しかし、その本質は場当たり的な対応に留まるものではありません。

ブリコラージュを深く見つめていくと、それは一つの実践的なスキルであると同時に、物事の捉え方や世界との関わり方といった、より根源的な知のあり方や世界観にまで結びついていることが見えてきます。それは、計画通りに物事を進める整然としたアプローチとは対極にある、混沌とした現実としなやかに向き合うための知恵とも言えます。

組織の中で、ブリコラージュという行為は、どのような可能性を秘めているのでしょうか。時に既存の秩序を揺るがし、時にイノベーションのスピードを加速させ、またある時には、組織の壁に挑むための武器にもなります。

本コラムでは、ブリコラージュという概念を通して、組織の中で繰り広げられる様々な現象を読み解いていきます。基礎となる概念から、具体的な事例、それがもたらす成果の光と影まで、異なる角度から光を当てることで、ありあわせのもので未来を拓く、この人間味あふれる行為の奥深さに迫ってみたいと思います。

ブリコラージュは実践と知と世界観を結ぶ組織行為の理想

ブリコラージュという行為を理解するためには、その中核にある三つの要素を分解してみるのが良いでしょう[1]。一つ目は「レパートリー」です。これは、ブリコラージュを行う人(ブリコルール)が事前に持っている、用途がまだ決まっていない道具や材料のストックを指します。

ガレージに眠る古い部品や、いつか役立つかもしれないと集めておいた雑多な知識や人脈。これらは特定の目的のために集められたのではなく、「何かに使えるかもしれない」という漠然とした可能性に基づいて蓄積されたものです。ブリコラージュは、この有限で異質な要素からなる「蔵」を探索することから始まります。

二つ目は「対話」です。目の前に課題が現れたとき、ブリコルールは自身のレパートリーを吟味し、要素と要素を試しに組み合わせてみます。これは、設計図通りに部品を組み立てる作業とは異なります。手の中の要素に「あなたは何ができるのか」「隣の要素と組み合わせたらどうなるのか」と問いかけるような、試行錯誤のプロセスです。設計と実行が分かれておらず、作りながら考え、考えながら作るという行きつ戻りつつの対話が続けられます。合わない要素は捨て置かれ、別の要素との新たな組み合わせが試されます。

三つ目は「結果」です。ブリコラージュから生まれる成果物は、元の要素の痕跡を残した「新しい配列」となります。それは、初期のぼんやりとした着想ではなく、対話の過程で偶然生まれた形かもしれません。その成果物は再び分解され、未来のブリコラージュのためのレパートリーとして「蔵」へと還っていく循環の中に位置づけられます。

このような特徴を持つブリコラージュは、「エンジニア」の仕事のやり方と対比されます。エンジニアは、明確な仕様や設計図から出発し、それに合致する最適な資源や理論を外部から探し出して適用します。成果物は、部品の継ぎ目が見えないように統合され、一般的な規格や性能によって評価されます。世界を分解可能で階層的なものとして捉え、一般法則に基づいて最適な解を導き出そうとします。

これに対して、ブリコルールは世界を相互に関連しあう複雑なものと捉え、手元にある具体的なものから出発します。その知恵は、要素の性質を知ることではなく、特定の文脈の中で「何と何が結びつくか」という関係性を見出すことにあります。

ブリコラージュという行為は、個人だけのものではありません。集団で行われることもあります。その形態は大きく二つに分けられます。一つは「親密型」のブリコラージュです。国立公園の消防隊のように、同じ場所と時間を共有し、互いのスキルや持っている道具を熟知しているチームに見られます。長い時間をかけた共同学習を通じて、暗黙のうちに共有されたレパートリーが形成され、その場の状況に応じて即座に共同作業が進められます。

もう一つは「規約型」のブリコラージュです。メンバーが時間的・空間的に離れている場合に成立します。お互いの手の内が見えにくいため、道具の貸し借りや使い方に関する最低限の「取り決め」や、共通の用語といった、少しだけ形式的なルールを設けることで、共同での作業を可能にします。

ただし、このようなブリコラージュを現代の多くの組織に持ち込むと、様々な緊張が生じます。専門性や効率性が求められる組織では、部門を横断したり、試行錯誤を繰り返したりするブリコラージュは「逸脱」や「無駄」と見なされるかもしれません。成果が出るまで評価が難しく、誰の功績でどの資源が使われたのかも曖昧になりやすく、所有権やコスト計算といった組織の論理とは相容れない側面を持ちます。

ブリコラージュから生まれた成果を組織に受け入れてもらうためには、マニュアルを作成したり、見た目を整えたりといった「形式的な投資」が必要になることもあります。これは、ブリコラージュの自由な精神とは逆説的な関係にあると言えます。

カテゴリー境界は高位シェフのブリコラージュで崩れた

ブリコラージュが個人の工夫に留まらず、組織や社会の慣習といった、より大きな構造に働きかけることがあります。確立されたカテゴリーの境界線を揺るがし、新たな標準を生み出す原動力になり得ます。その過程を、フランスの高級料理界で起きた変化を分析したある調査から見てみましょう[2]

1970年代のフランス料理界には、「クラシック」と「ヌーヴェル・キュイジーヌ」という二つの対立するスタイルが存在していました。これらは調理法が違うというだけでなく、食材の選び方、ソースの使い方、サービスのあり方、料理哲学に至るまで、それぞれが独自の規範体系を持つ、はっきりと区別されたカテゴリーでした。クラシックが濃厚なソースや技巧を凝らした調理を特徴とする一方、ヌーヴェルは素材の味を活かした軽やかさや、異文化の技法を取り入れることをよしとしました。

この調査では、二つのカテゴリーの境界がどのように曖昧になっていったのかを、1970年から1997年までの期間にわたって追跡しました。その際に着目されたのが、一方のカテゴリーに属するシェフが、もう一方のカテゴリーの調理技法を自身の料理に「借用」する行為です。例えば、クラシックのシェフがヌーヴェルの技法を取り入れた料理を、店の看板メニューとして発表するといった具合です。この「借用の数」を丹念に数えることで、カテゴリー間の壁の高さが時間と共にどう変化したかを測定しようと試みました。

分析から見えてきたのは、興味深いプロセスでした。当初、このような越境行為は稀であり、一部の挑戦的なシェフだけが行っていました。当然、食文化の番人ともいえるミシュランガイドのような評価者からは、純粋性を損なうものとして見なされ、星を失うというペナルティを受けるリスクも伴いました。

しかし、変化の引き金を引いたのは、すでに高い評価を得ている、多くの星を持つトップシェフたちでした。その地位の高さから、彼ら彼女らにはある程度の逸脱が許される裁量がありました。トップシェフが新しい技法の借用を始めると、その行為が他のシェフたちの模倣を誘います。すると、地域全体で借用を行うレストランの数が徐々に増えていきました。最初はばらつきが大きかった借用の度合いも、多くのシェフが追随するにつれて、ある程度の範囲に収斂していきます。越境が「普通のこと」になっていくのです。

この動きと連動して、評価者のスタンスも変わっていきます。借用が広く普及するにつれて、個々の越境行為に対するペナルティは弱まっていきました。1988年頃を境にして、潮目は完全に変わります。それまでは純粋なスタイルを守ることが評価につながっていましたが、この年以降は、むしろ二つのスタイルを融合させたハイブリッドな料理が高く評価されるようになり、かたくなに純粋性を守るレストランが昇格の機会を逃すという現象まで見られるようになりました。

この一連の出来事が物語るのは、ミシュランガイドのような評価者が、絶対的な基準を持つ固定的な門番として君臨していたわけではないということです。現場のシェフたちのブリコラージュ的な実践、すなわち、手元にあるクラシックとヌーヴェル双方の技法を創造的に再結合する試みの広がりに追随する形で、評価基準を書き換えていく「語り部」であったことがうかがえます。

ブリコラージュは速さを促進し創造性は中庸で頂点となる

ブリコラージュが既存の秩序を塗り替えるほどの力を持ち得ることは、フランス料理界の事例からも明らかです。しかし、ビジネスの世界、特に新製品開発の現場では、「創造性」と並んで「スピード」もまた、競争力を左右する要素です。ブリコラージュという行為は、この二つの異なる成果に対して、それぞれどのように関わっているのでしょうか。この問いに答えるため、中国の様々な業種の企業222社を対象に行われたアンケート調査があります[3]

この調査では、各企業が新製品開発において、どの程度ブリコラージュ(手持ちの技術や知識、設備などを再利用・再結合すること)を実践しているか、その結果、製品開発のスピードと、生み出された製品の創造性がどうなったかを分析しました。

「開発スピード」との関係を見てみましょう。分析の結果、ブリコラージュを実践している度合いが高い企業ほど、新製品開発のスピードが速いという、一貫した正の関係が確認されました。手元にある資源を使って試行錯誤を繰り返すことは、外部から新たな資源を調達する時間やコストを節約し、プロトタイプの作成や設計変更を迅速に行うことを可能にします。

とりわけ、技術の陳腐化が速いなど、市場環境の変動が激しい業界においては、ブリコラージュがスピードにもたらす好ましい作用は一層強まることも分かりました。不確実な状況下では、計画通りに進めることよりも、手元のありあわせで素早く対応することの価値が高まるからです。

一方で、「新製品の創造性」との関係は、複雑な様相を呈していました。こちらは、ブリコラージュをすればするほど創造性が高まるという単純な右肩上がりの関係ではありませんでした。結果として示されたのは「逆U字」の関係です。

これは、ブリコラージュの実践が中程度のレベルにあるときに、製品の創造性が最も高まることを意味します。手元にある異質な要素を組み合わせることは、確かに新しい発想の源泉となり、創造性を刺激します。しかし、その実践が行き過ぎてしまうと、開発チームの目が内部の既存資源にばかり向き、外部から新しい知識や技術を取り入れることを怠るようになります。その結果、発想の多様性が失われ、ありあわせの組み合わせによる「間に合わせ」のアイデアに終始してしまい、かえって創造性が低下してしまいます。

この調査から得られる一つの示唆は、ブリコラージュが万能の解決策ではないということです。達成したい目標によって、その「さじ加減」が求められる行為だといえます。開発競争で一刻も早く市場に製品を投入したい、というスピードが最優先される局面では、ブリコラージュは強力な武器となります。しかし、これまでにない画期的なアイデアを生み出したい、という創造性が求められる局面では、手元の資源をいじることだけに固執せず、適度なレベルに留め、同時に外部の新しい風を取り入れるバランス感覚が必要になるのです。

社内起業家のブリコラージュが大企業の社会的革新を拓く

ブリコラージュの実践には、目標に応じた「さじ加減」が求められることが分かりました。特に創造性を求める際には、手元の資源に固執しすぎないことが肝心です。では、これを巨大な組織、例えば世界中に拠点を持つ多国籍企業の中で行おうとすると、どのような風景が見えてくるのでしょうか。潤沢な公式の資源を持つ一方で、厳格な社内ルール、短期的な利益を求める評価制度、失敗を許容しない文化といった、特有の制約も存在します。

このような大組織の中で、貧困層支援のようなすぐには利益に結びつかない社会的なイノベーションを推進しようとする人々がいます。社内起業家(イントラプレナー)と呼ばれる彼ら彼女らが、組織の壁に直面したときに頼るのが、ブリコラージュの知恵です。ある研究では、二つの多国籍企業で行われた二つのプロジェクトの軌跡を、数年間にわたって追跡しました[4]

一つは、通信機器メーカーNokiaの事例です。担当者たちは、農村部のための低コストな携帯電話ネットワークを構築しようとしました。しかし、このアイデアは既存の事業との競合を懸念され、技術的にも困難と見なされ、上司からは中止命令まで出されてしまいます。公式な予算も承認も得られない中で、担当者たちは諦めませんでした。

休暇を返上して密かにプロトタイプを開発し、私的なPCを改造して通話実験に成功させます。社内の研究所の協力を非公式に取り付けたり、事業再編の混乱に乗じてプロジェクトの受け皿を見つけたりと、ありとあらゆる手元の資源(自身の時間、人脈、組織の隙間)を創造的に束ねて、プロジェクトを少しずつ前進させ、ついには事業化にこぎつけました。

もう一つは、電力・重電メーカーABBの事例です。担当者は、アフリカの農村に小型の水力発電所を設置するプロジェクトを立ち上げました。フィンランドで開発された別の用途の発電機を転用するという、これもまたブリコラージュ的な発想から始まっています。

担当者は現地に移住し、NGOや政府、国連など社外のネットワークを駆使して実現可能性を探りました。しかし、現地データの不確実性や制度の未整備といった壁にぶつかり、社内で定められた期限内に成果を示すことができませんでした。Nokiaのケースとは対照的に、このプロジェクトは組織の硬直的な評価基準の前に力尽き、中止となってしまいました。

この二つの事例の明暗を分けたものは何だったのでしょうか。それは、個人の情熱や才覚だけではありません。より大きな要因は、組織側にあった「寛容さ」の差です。Nokiaでは、非公式な活動やルールからの逸脱を黙認し、危機的な局面では事後的にプロジェクトを救済する柔軟な受け皿が存在しました。一方でABBでは、そうした寛容さが乏しく、プロジェクトは周縁に置かれたまま、公式の評価基準によって機械的に判断されてしまいました。

ここから見えてくるのは、大企業におけるブリコラージュが、個人のスキルである以上に、組織との間の駆け引きであるという側面です。社内起業家たちは、公式のルートが閉ざされたときにブリコラージュという戦術を用います。しかし、その戦術が成功するか否かは、彼ら彼女らの努力だけでなく、その行為を許容し、時には見守り、最終的には組織の公式な成果として受け入れる度量が、組織の側にあるかどうかにかかっているのです。

脚注

[1] Duymedjian, R., and Ruling, C.-C. (2010). Towards a foundation of bricolage in organization and management theory. Organization Studies, 31(2), 133-151.

[2] Rao, H., Monin, P., and Durand, R. (2005). Border crossing: Bricolage and the erosion of categorical boundaries in French gastronomy. American Sociological Review, 70(6), 968-991.

[3] Wu, L., Liu, H., and Zhang, J. (2017). Bricolage effects on new-product development speed and creativity: The moderating role of technological turbulence. Journal of Business Research, 70(C), 127-135.

[4] Halme, M., Lindeman, S., and Linna, P. (2012). Innovation for inclusive business: Intrapreneurial bricolage in multinational corporations. Journal of Management Studies, 49(4), 743-784.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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