2025年12月24日
不平等をめぐる対立の源泉:「事実」の見え方は価値観で変わる
私たちの社会に横たわる「格差」の問題は、多くの人々の関心事であり続けています。日々様々な情報に触れる中で、私たちは社会のあり方について思いを巡らせます。しかし、私たちが頭の中に描いている「格差の姿」は、社会の客観的な実像をどれほど正確に映しているのでしょうか。
もしかすると、私たちは同じデータや出来事に触れても、一人ひとり異なる景色を見ているのかもしれません。ある人には大きな断絶に見えるものが、別の人には自然な序列に見える。その「見え方」の違いはどこから生まれ、私たちがどのような政策を支持するのかという政治的な態度と、どう結びついているのでしょうか。
本コラムでは、いくつかの研究を手がかりに、人々の心の中にある「格差」の輪郭を探ります。それは、知識の正誤を問う話ではありません。私たちの願望や信念が、現実の認識をどう形作っているのかという、人間の認知の仕組みを覗き込む試みです。人々は社会の不平等をどのように認識し、その認識が政治的な態度の形成に至るのか。この複雑な心の働きを見つめることで、現代社会における意見の対立の根源について、新たな視点を得られるかもしれません。
反平等志向は社会の不平等を小さく知覚させる
社会の不平等をめぐる議論では、人々の価値観が論点になりがちです。「もっと平等であるべきだ」と考える人もいれば、「ある程度の階層は自然だ」と考える人もいます。この価値観の違いが政策への賛否につながるのは、直観的に理解しやすいでしょう。しかし、もしその価値観が、賛否の判断以前に、そもそも「社会がどれだけ不平等か」という現実認識の段階から作用しているとしたらどう思いますか。
この問いを探求した一連の研究があります[1]。そこでは、人が集団間の階層構造を維持しようとする心理的な傾向、すなわち「社会的身分支配志向」が、不平等の知覚にどう結びつくのかが検証されました。仮説は、この志向が強い人ほど、社会に存在する格差を実際よりも小さく認識するのではないかというものです。
アメリカの居住者を対象とした調査では、人種間、男女間、階級間の権力差をどう思うか尋ねました。結果、社会的身分支配志向が強い人ほど、これらの権力差を小さいと評価する関連が見られました。そして、この「小さな不平等」という認識は、福祉政策や差別是正措置への支持が低いこととも結びついていました。階層を肯定する考えを持つ人は、社会の不平等を大きな問題と捉えず、その認識が平等化政策への反対につながる可能性がうかがえます。
この関連の因果の方向性を探るため、同じ人々を数週間あけて追跡する調査も行われました。最初の時点での社会的身分支配志向が、後の時点での不平等認識を予測するかを分析したのです。結果は、最初の志向が強い人ほど、後の時点で不平等をより小さく認識するようになっていたことを裏付けました。このことから、価値観や動機が先行し、それに合うように現実の認識が形作られていく心の働きが考えられます。
この現象は、より統制された状況でも確かめられています。例えば、架空の国で二つの集団が対立している文章を読んでもらう実験です。全員が同じ文章を読んだにもかかわらず、社会的身分支配志向が強い人ほど、二つの集団の権力差を小さく見積もりました。
富の分配をはしごの絵で、権力構造をピラミッドの図で示した、より単純な視覚情報に対しても同じことが起きるのかが調べられました。客観的には誰にとっても同じ図であるはずが、社会的身分支配志向が強い人ほど、はしごの段差が少なく、ピラミッドがより平坦である、つまり不平等が小さいと認識する反応を示しました。
人々は意図的に事実と異なる回答をしているのでしょうか。この点を確かめるため、別の実験では「正確に答えた人にはボーナスを出す」と金銭的なインセンティブが設けられました。しかし、正確に答えようとする動機を高めても、社会的身分支配志向と「不平等を小さく見る」認識との関連は、ほとんど変わりませんでした。意識的な回答操作というより、無意識のレベルで知覚が異なっている可能性を示唆しています。
この心の働きは、記憶にまで及ぶようです。実験で組織図を見せた後、実際に見た図を選択肢から選んでもらうと、社会的身分支配志向が強い人ほど、実際より平坦な図を「見た」と誤って記憶していました。
一連の研究から浮かび上がってくるのは、不平等をめぐる対立の根底に、価値観の相違だけでなく、「事実」の見え方の違いが存在するということです。平等という理想を抱く人には社会の亀裂が大きく見え、既存の階層を肯定的に捉える人には同じ社会がより平坦に映る。この「動機づけられた知覚」とも呼べるメカニズムが、人々を異なる政策選好へと導く源泉の一つとなっているのかもしれません。
人々は不平等を広く誤認し知覚が政治態度を左右する
先ほどは、個人の平等への志向が、不平等の「見え方」をどう変えるかを見てきました。では、社会全体を見渡したとき、人々は自国の不平等の実態を、どの程度正確に把握しているのでしょうか。ここでは、国際比較調査のデータを用いて、人々の認識と現実の乖離、そしてその認識が政治にどのような帰結をもたらすのかを探ります[2]。
政治経済学の理論の中には、「人々は、自国の不平等の大きさや、自分が所得分布のどのあたりにいるのかを、大まかには理解している」という前提に立っているものもあります。しかし、この前提自体が揺らいでいるとしたら・・・。
この問いを検証した研究は、世界各国の調査データを横断的に分析し、人々の認識と客観的な統計データを突き合わせました。そこから見えてきたのは、人々の不平等認識が、専門家の理論が想定する正確さからは遠いという実態でした。
人々の頭の中にある「社会の形」がどれほど現実と異なるかが調べられました。社会の構造を模式化した5種類の図から自分の国に最も近いものを選んでもらう課題では、世界平均の正答率は、偶然に選んだ場合と大差ありませんでした。国によっては際立った認識のズレも見られます。例えば、客観的には比較的平等な国で、回答者の6割以上が最も不平等な社会の図を選ぶといった例がありました。
各国の回答から「人々が認識している不平等の度合い」を算出し、実際の統計指標と比較すると、両者の相関は弱いものでした。実際に不平等が大きい国の人々が、それを正しく「不平等だ」と認識しているとは限らないのです。
不平等の全体像だけでなく、自分がその中でどこに位置しているのかという自己認識もまた、体系的にずれています。所得分布の中で自分の世帯がどのあたりにいると思うかを尋ねると、所得の多寡にかかわらず、多くの人の回答が「真ん中あたり」に集中しました。客観的に見て裕福な層でさえ、半数以上が自分を「全国の中央値より下」だと評価し、経済的に困窮している層でも、自分を中位あたりに位置づける人が少なくありませんでした。人々は自分を「平均的な中間層」の側に引き寄せて考えてしまうようです。
「格差は広がったか、縮まったか」という趨勢についての認識も同様に不確かです。過去5年間の格差の変化を尋ねた調査では、正答率は三択問題で偶然当たる確率とほぼ同じでした。
もし人々の認識がこれほど不正確なら、政治的な態度は何によって動かされているのでしょうか。再分配政策への支持や階級対立意識といった政治的態度と、客観的な「実際の不平等」および主観的な「認識された不平等」のどちらが強く結びついているのかが分析されました。
結果、政府による所得格差の是正を求める声の強さや、階級間の対立が激しいと感じる度合いと連動していたのは、一貫して「人々が認識している不平等」の方でした。「実際の不平等」の大きさは、人々の政治的な態度をほとんど説明しなかったのです。
この研究が伝えるのは、不平等をめぐる政治力学を理解するには、統計数値を眺めているだけでは不十分だということです。人々を動かすのは、客観的な現実そのものではなく、人々の頭の中にある「主観的な現実」に他なりません。人々が何を信じ、社会をどう見ているのか、その「認識の政治」が社会の行方を左右しているのです。
人々は不平等を問題視しつつ自己の税負担感から減税を支持する
ここまで、人々の不平等認識が主観的で不確かなものであることを見てきました。では、人々は「不平等」という社会問題と、「税制」のような政策とを、心の中でどう結びつけているのでしょうか。ここには、一見矛盾に満ちた複雑な心理が横たわっています。「格差の拡大は問題だ」と思いながら、結果的に富裕層に有利な減税策を支持してしまう。このような態度は、なぜ生まれるのでしょうか。
この逆説的な現象の解明に挑んだ研究があります[3]。2000年代初頭のアメリカを舞台に、不平等が拡大する一方で、富裕層への恩恵が大きい減税が世論の支持を得て成立した事実を手がかりに、人々の意識構造が分析されました。
分析に用いられた意識調査のデータから、人々の意識の基本的な状況が見えてきます。回答者の大多数は、「過去20年間で貧富の差は拡大した」と認識し、その多くが「それは悪いことだ」と評価していました。人々は不平等の拡大を肯定的に捉えていたわけではありません。
しかし、話が税金のことになると様相が変わります。富裕層の税負担については「もっと払うべきだ」と考える人が半数を超える一方、自分自身の税負担については「取られすぎだ」と感じている人が最多でした。人々は「富裕層はもっと負担すべきだが、自分の負担は重すぎる」という非対称な税負担感を持っていたのです。この意識を背景に、相続税の廃止や大規模な減税といった政策には、所得階層にかかわらず幅広い支持が寄せられていました。
では、この減税支持という態度は、どのような心理的要因によって成り立っていたのでしょうか。分析によると、減税への賛否を強く左右していたのは、「富裕層はもっと払うべきか」という他者への視点ではなく、「自分の税金は取られすぎだ」という自分自身に向けられた負担感でした。人々は政策の是非を判断する際、社会全体の公平性という大きな視点よりも、自分の財布に直結する身近な感覚をより強く判断基準にしていたことがうかがえます。
この構図は、相続税をめぐる態度でより鮮明になります。アメリカの相続税は、実際にはごく一部の富裕層のみが対象となる税制です。それにもかかわらず、廃止を求める声は、所得の低い層や中間層においてむしろ最も強いものでした。客観的に利益を得る可能性は低いにもかかわらず、「自分の税金は重い」という一般的な感覚が、自分とは直接関係のない税制への意見へと転化していたのです。
人々の意識の分断を示す結果も見られました。医療や教育で「政府はもっと支出を増やすべきだ」と考えている人ほど、その財源を減らすはずの減税を支持していたのです。歳出拡大への願いと歳入を減らす政策への支持が、心の中で矛盾なく両立しており、多くの人々が政府の財政活動を統合されたものとして捉えられていない可能性を示しています。
こうした意識構造に、政治に関する知識の量はどう関わるのでしょうか。分析によると、政治についてよく知っている人ほど、大規模な減税への支持は弱まることが分かりました。ただし、相続税については、知識の働きは一様ではありません。格差の拡大を問題だと考えている人の間では、知識が豊富なほど廃止への反対が強まりましたが、格差を問題視していない人の間では、逆に知識が豊富なほど廃止への賛成が強まりました。知識や情報は、それを受け取る人の価値観という土台があって初めて、特定の方向へと作用します。
この研究が描き出すのは、人々の心の中で、不平等という社会全体への懸念と、税という個人の負担感が、必ずしも上手く接続されていない実態です。理念の上では格差是正を願いながらも、具体的な政策の選択場面では、より切実で分かりやすい「自分の負担」という判断軸に引き寄せられる。その結果、自らが抱く価値観とは必ずしも一致しない政策選択が生まれる余地が生じています。
不平等認識は質問形式次第で大きく変わる
これまでのところで、私たちの不平等認識がいかに主観的で、不確かで、複雑な過程を経て政策態度に結びついているかを見てきました。しかし、ここで一つ立ち止まるべきことがあります。私たちが「人々の認識」として論じてきたデータそのものは、本当に人々の心の中を正確に写し取ったものなのでしょうか。
ここでは、「認識」そのものが、それを測定しようとする「問いかけの仕方」で大きく姿を変えてしまう問題に光を当てます。もし回答が質問形式に左右されるなら、世論調査の結果は、人々の真意というより測定方法が生み出した人工物かもしれません。
この問題を指摘した研究では、アメリカの人々に不平等の大きさを尋ねる二つの代表的な質問形式が比較されました[4]。一つは、各所得階層が国富全体の何パーセントを保有するかを尋ねる「パーセント形式」。もう一つは、各階層の平均的な富の額を直接尋ねる「平均額形式」です。
論理的には、二つの形式から得られる回答は矛盾しないはずですが、実験の結果、両者は異なることが分かりました。「理想の」富の分配を尋ねると、パーセント形式では非常に平等的な社会が描かれたのに対し、平均額形式ではより不平等で現実味のある社会が理想として示されました。
「現実の」富の分配についての認識を尋ねると、この乖離はさらに大きくなりました。パーセント形式では現実を大幅に過小評価したのに対し、平均額形式では富の極端な集中をより的確に捉えた、大きな数値が引き出されたのです。
なぜ、このような違いが生まれるのでしょうか。研究者たちは、パーセント形式が人々を思考のショートカットへと誘うからだと考えています。5つの階層に合計100%を割り振るという課題を与えられると、私たちの心は無意識に「均等なら各20%」という基準点を設定し、そこから少し調整して答えてしまう。その結果、現実には極端な偏りがあっても、比較的平等に近い回答が生み出されるのです。
この解釈を裏付けるため、実験が行われました。参加者に両方の形式で答えてもらった後、二つの形式の論理的な結びつきを説明し、自身の回答の矛盾を示した上で、「どちらが本当の考えに近いか」と尋ねたのです。結果、大多数の人が、パーセント形式で答えた「平等に近い認識」ではなく、平均額形式で答えた「より大きな不平等を反映した認識」の方が、自分の実感に近いと答え直しました。
この実験が物語るのは、世論調査などで報告される「人々の不平等認識」がいかに脆く、あやふやなものであるかということです。それは人々の知識や考えだけを反映したものではなく、問いかけの仕方が、人々の答えを特定の方向へと導き、現実とは異なる「認識」を作り出している可能性があります。
脚注
[1] Kteily, N. S., Sheehy-Skeffington, J., and Ho, A. K. (2017). Hierarchy in the eye of the beholder: (Anti)egalitarianism shapes perceived levels of social inequality. Journal of Personality and Social Psychology, 112(1), 136-159.
[2] Gimpelson, V., and Treisman, D. (2018). Misperceiving inequality. Economics & Politics, 30(1), 27-54.
[3] Bartels, L. M. (2005). Homer gets a tax cut: Inequality and public policy in the American mind. Perspectives on Politics, 3(1), 15-31.
[4] Eriksson, K., and Simpson, B. (2012). What do Americans know about inequality? It depends on how you ask them. Judgment and Decision Making, 7(6), 741-745.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

