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コラム

私たちは「意味」を求めている:センスメイキングとセンスギビングで読み解く組織のダイナミズム

コラム

私たちの周りでは、日々、大小様々な出来事が起こります。組織での新しい方針の発表、社会を揺るがす予期せぬ危機、あるいは地域で持ち上がる開発計画。そうした変化に直面したとき、多くの人が「一体、何が起きているのだろう」「これからどうなるのだろう」と問いを抱きます。出来事を理解し、自分なりに納得のいく物語を見つけ出そうとする心の働きを「センスメイキング」と呼びます。私たちは誰もが、日常的に意味づけを行いながら生きています。

一方で、組織や社会には、この一人ひとりの意味づけに働きかけ、特定の方向へと導こうとする営みも存在します。これを「センスギビング」と呼びます。誰かが発した言葉や提示した物語が、ばらばらだった人々の解釈を一つの方向へと束ね、混乱した状況に秩序をもたらすことがあります。これは組織のリーダーが担うものだと考えられがちですが、現実はもっと複雑で豊かです。センスギビングは、リーダーシップという言葉だけでは捉えきれない、多様な人々による、様々な状況下での営みです。

本コラムでは、センスギビングが繰り広げられる四つの異なる舞台裏をのぞいてみたいと思います。組織の日常業務、社会全体が混乱に陥る危機、地域社会の合意形成、企業の社会貢献活動が市場から評価される舞台です。これらの探求を通じて、センスギビングという営みの奥深さと、それが私たちの組織や社会を形作っている力の一端に触れることができるでしょう。

センスギビングは意味づけの空白で専門性と場により生じる

組織は、日々の活動の中で絶えず意思決定を繰り返しています。新しい企画を立ち上げる、不調な部門にてこ入れをする、従業員の契約条件を見直す。こうした課題に対して、関係者はそれぞれの立場で解釈し、行動します。その解釈がばらばらになりそうなとき、誰が、どのような条件下で、人々の意味づけを方向づける営みを始めるのでしょうか。この問いに光を当てた研究があります[1]

この研究は、イギリスの三つの交響楽団を舞台に、二年以上にわたって行われました。交響楽団は、芸術的価値と経営判断がせめぎ合い、多様な利害関係者が存在する複雑な組織です。

研究者たちは、レパートリー編成や指揮者の選任といった九つの課題領域に焦点を絞り、組織内の意思決定プロセスを追跡しました。そのために、経営陣から演奏者の代表まで幅広い立場の人々へ120件のインタビューを行い、100回を超える会議やリハーサルを観察し、内部文書も収集しました。この膨大な記録から、誰が、いつ、どのようにセンスギビングを行うのかを浮かび上がらせました。

分析から、リーダー以外の従業員や関係者、いわゆるステークホルダーが担い手となる場合の条件が明らかになりました。引き金となるのは二つの認識の重なりです。一つは、直面する課題が組織や自分自身にとって大切だという認識。もう一つは、本来組織を導くはずのリーダーが、この課題にうまく対処できていないのではないかという認識です。この二つがそろうと、ステークホルダーは「自分たちが動かなければ」と感じ、意味づけを主導しようとし始めます。

ただし、動機だけではセンスギビングは実行できません。それを可能にする条件も三つ見出されました。一つ目は、課題に関する「専門性」です。例えば演奏の不調について語るなら、演奏技術に詳しいパート首席の言葉が重みを持ちます。二つ目は「正統性」です。演奏者全体の代表といった公式な立場が、その発言に「聞かれるべき理由」をあたえます。三つ目は、発言するための「機会」です。定例会議や全体集会といった、自らの解釈を表明し、広めるための舞台が不可欠でした。

一方で、組織のトップであるリーダーがセンスギビングを行うのは、異なる条件の組み合わせによります。リーダーが前面に出るのは、課題の「不確実性」が高いときです。何が正解か分からず解釈が多様に分かれうる状況や、予測不能な出来事が続く状況で、リーダーは組織を束ねる統一的な解釈を示す必要に迫られます。もう一つの引き金は、ステークホルダー環境の「複雑性」です。観客、スポンサー、演奏者など、関わる人々の利害や価値観が鋭く対立するときほど、それらを橋渡しする物語が求められます。

そして、リーダーによるセンスギビングを可能にする条件も見出されました。一つは、やはり「専門性」です。当該領域の深い知識や経験が、説得力のある説明の土台となります。もう一つは、その領域における「組織の良好なパフォーマンス」でした。芸術的な評価や健全な財務状況といった実績が、リーダーの言葉に信頼性をもたらし、人々は耳を傾けやすくなるのです。

これらの分析を進めると、ステークホルダー側とリーダー側、双方の条件の奥に共通の構造が見えてきます。いずれの状況も、組織内に「意味づけの空白」が生じている状態だと言えます。「誰かがこの状況を整理し、道を示さねばならない」という感覚が、センスギビングの動機となるのです。そして、それを可能にするのは、専門性や実績に裏打ちされた「言語的な説得力」と、会議などの「プロセス上の促進要因」でした。

この研究は、センスギビングが特定のリーダーだけのものではなく、意味の空白に気づき、それを埋める資源と場を持つ者が担う、組織の日常に埋め込まれたプロセスであることを教えてくれます。

センスギビングは危機下で希望と現実を往復生成する

組織の日常に生じる「意味の空白」は、時に、社会全体の混乱によって深刻な「意味の危機」へと発展します。予測不能で生活の根幹を揺るがす事態に直面したとき、組織のメンバーは激しい不安に駆られ、意味づけに苦しみます。日常的な課題解決の場面とは異なる、極度の不確実性の中では、センスギビングはどのように機能するのでしょうか。

この問いを探求するため、COVID-19のパンデミックに見舞われた、北欧三国のホテル組織を対象とした研究が行われました[2]。この研究の特徴は、リーダーから従業員へという一方的な視点ではなく、両者が互いにどう反応し、意味の世界を共に作り上げていったのかを、時間の経過と共に追跡する「往復視点」にあります。研究者たちは、五つのホテルで経営層と現場従業員の双方に、約一年間にわたり複数回のインタビューを重ね、職場の様子も観察しました。

分析から浮かび上がってきたのは、危機下における意味づけが、希望と絶望、行動と混乱の間を激しく揺れ動く、相互生成的なプロセスであるという実態でした。

パンデミック初期、ホテル業界は予約の消失という直撃を受け、休業や大規模な人員整理を余儀なくされました。リーダーも従業員も「悪夢」と表現するほどの制御不能感を味わいました。この状況でリーダーたちは、希望を失わせず、しかし状況を偽らない、という難しい舵取りを迫られます。「分からないことは分からないと正直に伝える」といった語りが試みられましたが、株主からの圧力と現場の不安との板挟みにもなりました。一方、現場の従業員は、顧客に感染対策の規制を説明するという新たな感情的な負担を強いられ、組織の内外で意味づけの連鎖が生まれていきました。

続いてリーダーたちの多くが取ったのは、「行動すること」によるセンスギビングでした。受け身に陥ることを恐れ、たとえすぐに変更になるとしても、衛生対策の導入や新たな業務分担といった計画を次々と打ち出しました。これは、具体的な行動や日々の目標を示すことで、混乱した状況に新たな「手がかり」を作り出し、集団としての感覚を再構築しようとする試みでした。

しかし、目まぐるしく変わる規則は現場に混乱と疲弊をもたらし、意欲の低下を招きます。当初は毎日行われたミーティングも減り、従業員の間ではリーダーの「不在感」や、非公式な情報への依存が強まっていきました。

この危機は仕事と私生活の「境界の曖昧化」を引き起こしました。解雇や休業は従業員の生活を直接脅かします。リーダーは経営判断として非情な通告をしつつも、部下の苦境を思い罪悪感に苛まれました。従業員は「雇用を守る」という大義のもとで不規則な勤務を受け入れましたが、一方で負担の偏りへの不公平感や経営陣への疑念も募らせました。

こうした中で、従業員たちの意味づけには二つの方向性が見られました。一つは、自らの存在価値を証明しようとする「能動型」です。困難な状況でも役割を広げ、「組織に必要な自分」というアイデンティティを確かめようとします。もう一つは、制御不能な現実を受け入れ、指示に従うことで状況をやり過ごそうとする「受動型」です。情報収集への意欲を低下させる一方、状況の早期正常化という期待に希望を見出そうとします。

この研究が描き出したのは、危機におけるセンスギビングの一筋縄ではいかない姿です。リーダーによる意味の提示は、従業員の不安や疲弊、生活の現実とぶつかり合い、予期せぬ反応を生み出します。意味は一方的に流れるのではなく、互いの言動を参照し合う中で、希望と現実の間を往復しながら共同で生成されていく。この相互作用のダイナミズムが、危機という極限状況における組織コミュニケーションの核心にあるものだと言えるでしょう。

センスギビングは風力開発を受容へ導く舞台化である

組織内部での意味づけから、今度は、組織がその外側に広がる社会、とりわけ地域住民や行政に対して行うセンスギビングへと視野を移しましょう。新しい技術や社会的に賛否の分かれる大規模プロジェクトを進める際、組織はどのようにして計画への理解、ひいては受容を促そうとするのでしょうか。それは、論理的な説得だけでは完結しない、戦略的で多層的な営みです。

このプロセスを描き出したのが、スウェーデンにおける風力発電所の建設許認可プロセスを分析した研究です[3]。この研究は、センスギビングを、演劇の舞台演出になぞらえた「mise-en-sens(意味づけの舞台化・方向づけ)」という新しい概念で捉え直そうと試みます。開発事業者が、まだ存在しないプロジェクトを、どのように語り、見せ、反対意見に応えながら、最終的な許認可というゴールを目指すのか。その過程を、詳細なインタビューや公聴会の観察、膨大な申請書類の分析から解き明かしました。

研究者たちがまず明らかにしたのは、許認可プロセスが、法律で定められた手順通りに進む直線的なものではないという事実です。法改正や市場の変化、新たな関係者の登場によって絶えず計画の修正や交渉のやり直しが発生する、複雑に絡み合った過程でした。事業者は、鳥類保護、漁業、景観、住民の意見、国の政策といった無数の要素を一つのプロジェクトとして束ね、それがばらばらにならないよう常に配置を調整し続けなければなりません。

この複雑なプロセスの中で、事業者が用いるセンスギビングの実践が、三つのパターンに整理されました。

一つ目は「文脈化」です。プロジェクトを単体で語るのではなく、より大きな、社会的に受け入れられやすい物語の中に位置づける手法です。例えば、国のエネルギー政策や地球温暖化対策といった上位の目標に言及し、この発電所がその達成に貢献すると位置づけます。ある都市の事例では、発電所を「未来の都市」という都市再生のストーリーの一部として描き出し、クリーンなエネルギーと先進的な暮らしのイメージを結びつけました。外部の権威ある物語を「共演者」として舞台に上げることで、プロジェクトに正当性をあたえるのです。

二つ目は「オントロジー化」です。まだ図面の中にしかない計画を、あたかも「既にそこにある実在のもの」として描き出す手法です。タービンの数や発電量、騒音レベルといった膨大な属性データを詳細に提示します。特に景観への懸念に対しては、コンピューターグラフィックスを駆使して完成後の風景をリアルに見せます。これにより、受け手は抽象的な計画ではなく、具体的な手触りのある「モノ」としてプロジェクトを認識するようになり、アイデアが物質的な実在感へと翻訳されていきます。

三つ目は「反対意見の中和」です。事業者は、寄せられる懸念や批判を論理的に打ち負かそうとするだけではありません。例えば、鳥の渡りに配慮してタービンの色を工夫するなど、批判を部分的に計画に「取り込む」ことで対応します。あるいは、よくある質問と回答を公開して事実を丁寧に説明し、時には相手の不満の存在は認めつつ、議論の焦点を別の場所へ移したりもします。

ここでの目的は、反対意見を消し去ることではなく、意思決定者である行政が、それを理由にプロジェクトを「拒否しにくい」状態へと、評価の天秤を巧みに傾けることです。

これら三つの実践は、演劇の舞台演出のようです。「文脈化」と「オントロジー化」は、プロジェクトが最も魅力的に見えるように「舞台装置」を整える作業です。そして「反対意見の中和」は、観客の解釈を受容という「望ましい方向」へと導く演出に他なりません。この研究は、センスギビングが言葉による説得という一面的な行為ではなく、資料、映像、タイミングといったあらゆる要素を動員して、受け手の認識が生まれる「舞台」を構築していく、総合的な演出行為であることを示しています。

センスギビングは従業員関与を示す寄付で市場評価を高める

では、センスギビングの相手が、企業の価値を経済合理性という厳しいものさしで測る「投資家」である場合、それはどのように機能するのでしょうか。特に、企業の社会貢献活動のような、直接的な利益に結びつきにくい行為は、市場からどう解釈されるのでしょうか。企業の行為そのものだけでなく、それをどのような物語として「語る」かが、経済的な評価にまで結びつくことを示した、量的研究があります。

この研究の舞台は、2005年にアメリカを襲った巨大ハリケーン・カトリーナという、社会全体が大きな不確実性に見舞われた危機的状況です[4]。研究者たちは、この災害を受けて多くの企業が行った「寄付」に対する株式市場の反応に着目しました。危機時に企業が利益に直結しない寄付を行うことは、投資家から「今は経営資源を事業の維持・回復に集中すべきだ」と懐疑的に見なされる可能性があります。研究者たちは、寄付という行為の「語り方」によって、市場の解釈、すなわち株価の反応が変わるのではないか、という仮説を立てました。

分析対象は、アメリカの大企業番付フォーチュン500に名を連ねる企業です。研究チームは、これらの企業が発表した186件の寄付に関するプレスリリースを収集し、その内容を精査しました。そして、プレスリリースの中に「従業員の関与」について言及があるかどうかに焦点を当てました。例えば、「従業員からの募金」「会社による上乗せ寄付」「社員による現地ボランティア」といった記述の有無で、発表を二つのグループに分けました。

分析には、ある出来事が株価にどのような影響を与えたかを測定する手法が用いられました。寄付額の大きさや企業業績など他の要因の影響を取り除いた上で、純粋に「従業員の関与を語ること」の効果を検証しました。

結果、従業員の関与に触れていない寄付の発表は、平均して株価にマイナスの反応を引き起こしていました。投資家がこうした寄付を、経営資源の無駄遣いと見なしたことがうかがえます。ところが、従業員の関与を打ち出した寄付の発表に対しては、株価はマイナスになるどころか、わずかにプラスの反応を示したのです。二つのグループの差は統計的にも意味があり、「従業員の関与を語る」というセンスギビングが、市場の否定的な評価を打ち消し、好意的な評価へと転換させる力を持っていたことが確認されました。

なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。研究者たちはその背景を二つの側面から説明しています。第一に、従業員の関与を強調することは、寄付行為が単なる売名ではなく、企業の本心からの「誠実な」行動であるという印象を強め、信頼という形の「評判資本」を築きます。危機のような状況では、こうした信頼できる企業が困難を乗り越えるだろうと投資家は期待します。

第二に、従業員が自発的に参加しているという事実は、その企業の従業員の士気が高く、組織としての一体感が強いことのシグナルとなります。投資家はこれを、その企業が持つ人的資本の質の高さ、そして危機からの回復力の高さの証しとして読み取ります。結果的に、「寄付は資源の浪費である」という否定的な解釈は、「寄付は組織の強さを示す投資である」という肯定的な解釈へと書き換えられるのです。

脚注

[1] Maitlis, S., and Lawrence, T. B. (2007). Triggers and enablers of sensegiving in organizations. Academy of Management Journal, 50(1), 57-84.

[2] Hogberg, K. (2021). Between hope and despair: Sensegiving and sensemaking in hotel organizations during the COVID-19 crisis. Journal of Hospitality and Tourism Management, 49, 460-468.

[3] Corvellec, H., and Risberg, A. (2006). A mise-en-sens process: Sensegiving and wind power development (GRI-rapport 2006:11). Gothenburg Research Institute, School of Business, Economics and Law at Goteborg University.

[4] Muller, A., and Kraussl, R. (2011). The value of corporate philanthropy during times of crisis: The sensegiving effect of employee involvement. Journal of Business Ethics, 103(2), 203-220.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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