2025年12月17日
合理性だけでは説明できない経営判断:制度ロジックという視点
企業の経営判断は、すべてが緻密な計算と合理性だけで成り立っているのでしょうか。私たちは、企業の合併・買収(M&A)やトップの交代といった大きな出来事をニュースで目にするとき、その背景にある戦略的な狙いや経済的なメリットに目を向けようとします。しかし、そうした意思決定の舞台裏では、目には見えない「空気」や「当たり前」とされる価値観が、経営者たちの思考や行動を静かに方向づけているのかもしれません。
組織や社会には、その時代や業界で支配的な、物事の考え方や行動の指針となる「暗黙のルール」が存在します。これを「制度ロジック」と呼びます。それは、何が正しく、何が評価され、どのような行動が許容されるかを定義する、共有された信念体系のようなものです。この制度ロジックは、決して一つではありません。古い価値観と新しい価値観がせめぎ合ったり、異なる業界の論理が衝突したりすることもあります。
経営者たちは、この複雑なロジックの交差点に立たされています。株主の利益を最大化すべきだという市場の論理と、従業員の雇用や社会の安定を守るべきだという共同体の論理。どちらも「正しさ」の一面を持っており、経営者はその間で難しい舵取りを迫られます。そして、この葛藤は、企業の戦略的な選択だけでなく、経営者自身の「自分は何者か」という自己認識、すなわちアイデンティティのあり方にも関わってきます。
本コラムでは、具体的な研究事例を読み解きながら、この目に見えない「制度ロジック」という力が、企業のM&Aの判断、経営トップの交代劇、そこで働くリーダーたちのアイデンティティ形成に、どのように作用しているのかを検討していきます。
制度ロジックの連立と権力源が企業のM&A判断を左右した
企業の将来を大きく左右する決断である合併・買収(M&A)は、周到な財務分析や市場調査に基づいて、最も合理的な選択がなされるものだと考えられるかもしれません。しかし、実際の意思決定のプロセスは、社内に存在する異なる価値観を持つグループ間の静かな力比べによって、その方向性が決まることがあります。ある研究では、経済体制が移行する最中にあった中国の企業を対象に、この力学がどのようにM&Aの判断を左右したかが分析されました[1]。
この時期の中国では、二つの異なる「正しさ」が企業内で共存していました。一つは、長らく経済の根幹をなしてきた、雇用を維持し社会の安定を第一とする国家主導の考え方(国家社会主義ロジック)です。もう一つは、市場経済化の進展とともに入ってきた、利益の最大化と株主価値の向上を至上命題とする考え方(市場資本主義ロジック)です。M&Aという戦略は、事業の効率化や再編を伴うことが多く、後者の市場ロジックと親和性が高い一方で、雇用の削減などにつながる可能性があり、前者の国家ロジックとは相容れない側面を持ちます。
この二つの対立するロジックのどちらが意思決定において優位に立つかは、それぞれのロジックを支持するグループが、企業内でどれだけの権力を握っているかにかかっていると考えられます。権力の源泉は、二つの経路から測定されました。
一つは「外部の権力源」としての株式所有です。政府機関や国有企業が多くの株式を保有していれば国家ロジックが強まり、民間企業や投資ファンドが大株主であれば市場ロジックが強まると想定されました。もう一つは「内部の権力源」としての取締役会の構成です。政府機関での勤務経験を持つ取締役が多ければ国家ロジックが、自社の株式を保有する取締役が多ければ市場ロジックが、それぞれ取締役会での議論を主導しやすくなると考えられたのです。
この仮説を検証するために、2000年から2012年にかけての中国の全上場企業を対象としたデータ分析が行われました。分析にあたっては、政府が主導する政策的な再編などは除外し、あくまで企業自身の戦略的な判断によるM&Aのみが対象とされました。どのような特徴を持つ企業が、市場志向のM&Aを実行するのかが調べられました。
分析の結果、浮かび上がってきたのは、権力源の構成がM&Aの実行確率と関連しているという事実でした。国家系の株主の持ち株比率が高い企業や、官僚出身の取締役の割合が高い企業ほど、M&Aの実行に慎重になることが確認されました。逆に、民間系の機関投資家が株主であったり、自社株を持つ取締役の割合が高かったりする企業では、M&Aが実行されやすいという関係が見いだされました。外部の所有構造と内部の取締役会の人的構成、この二つの力が合わさって、企業の大きな戦略判断を方向づけていました。
時間の経過とともに、この力関係に変化があったのかも調べられました。分析期間の後半になると、市場ロジックを支える民間株主や自社株保有取締役のM&Aを促進する力は、より一層強まっていました。しかし、興味深いことに、国家ロジック側の抑制力が一貫して弱まったという証拠は得られませんでした。これは、市場経済化が進んでも、なお国家的な価値観が企業の意思決定に根強く作用し続けていたことを物語っています。
投資家がこうしたM&Aのニュースをどう評価したのかについても分析が及びました。株式市場の反応を調べたところ、国家の色彩が強い企業がM&Aを発表した際には、その企業の株価が下がるという反応が見られました。これは、投資家たちが、国家ロジックの影響下で行われるM&Aの経済合理性や将来性に対して、懐疑的な見方をしていることの表れと考えられます。
この一連の分析から見えてくるのは、企業の戦略的意思決定が、異なる価値観を持つ社内連合の力学によって形作られるという姿です。そしてその力は、株式の所有構造や取締役会の構成といった、客観的に観測可能な形で現れます。M&Aの是非は、案件そのものの経済的な魅力だけで決まるのではなく、「誰が、どのような価値観を背景に、決定権を握っているか」という組織内の権力構造に依存しているのです。
制度ロジックの転換が経営トップ交代の力学を変えた
企業のトップが交代するという出来事は、組織にとっての一大事です。その背景には、後継者の資質や社内の派閥争いなど、様々な人間模様が渦巻いていることでしょう。しかし、一歩引いて業界全体を長い時間軸で眺めてみると、トップ交代の引き金となる要因が、時代とともに変化していることがあります。その業界を支配する「価値観」や「成功の定義」が転換するとき、権力の源泉もまた、その姿を変えるのです。
アメリカの高等教育向け出版業界の約30年間にわたる歴史を追跡したある研究は、このダイナミズムを描き出しています[2]。この業界では、1970年代半ばを境に、支配的な制度ロジックが転換しました。それ以前の時代は、「出版とは文化を担う専門職である」という「編集ロジック」が優勢でした。
この時代、企業の価値は、いかに優れた著者を発掘し、質の高い書籍プログラムを構築できるかで測られました。権威の源は、創業者のカリスマ性や、編集者たちが持つ専門的な評判、著者との個人的なネットワークにありました。多くは家族経営の小さな出版社で、編集長の意向が経営を左右していました。
ところが1970年代後半以降、大学進学率の上昇に伴う市場の急拡大や、外部からの資本流入、M&Aの活発化を背景に、業界の様相は一変します。ここで台頭したのが、「出版とは利益を生み出すビジネスである」という「市場ロジック」です。企業の価値は、株主価値や市場シェア、財務的な業績で測られるようになりました。投資銀行が業界再編の指南役として登場し、M&Aを通じて規模を拡大することが、競争に打ち勝つための戦略と見なされるようになりました。
この二つの時代では、経営トップが交代に至るメカニズムも異なっていたのではないか。研究者たちはそう考え、権力の基盤を三つの類型に分けて分析しました。一つ目は、創業者であるか、あるいは組織階層のどの位置にいるかといった「位置的権力」。二つ目は、どれだけ多くの出版ブランドや人脈を握っているかという「関係的権力」。三つ目は、株式を公開しているか、市場での競争が激しいか、あるいは会社が買収されたかといった「経済的権力」です。
編集ロジックの時代には位置的・関係的権力が、市場ロジックの時代には経済的権力が、それぞれトップ交代の発生しやすさを決める鍵になると予測されました。
この仮説を検証するため、業界史や関係者へのインタビューといった質的な情報と、出版社の役員交代に関する長期的な量的データを組み合わせた分析が行われました。分析の結果、時代の転換とともにトップ交代の力学が変化したことが明らかになりました。
編集ロジックが支配的だった前期(1958~1975年)においては、創業者がトップである場合、交代は起きにくいということが確認されました。また、社内での地位や、管理する出版ブランドの数(関係的権力の代理指標)が、交代の確率に結びついていました。トップの座は、組織内部の地位や人間関係の力学によって守られ、あるいは脅かされていたのです。
これに対し、市場ロジックが優勢となった後期(1976~1990年)では、状況が異なります。市場における競争の激化や、自社がM&Aの対象となるといった経済的な出来事が、トップ交代の引き金となる確率を高めていました。また、業界全体を見ても、後期の方がトップ交代は頻繁に発生していました。市場からの圧力や資本の論理が、経営者の進退を直接的に左右するようになりました。
この研究が描き出すのは、トップ交代の力学が、その時代や業界を支配する「正しさ」の基準によって、いかに条件づけられているかという事実です。編集ロジックの時代には、専門性や社内の関係性が権力の源泉でした。しかし、市場ロジックの時代には、資本市場からの評価や競争環境への適応力が、新たな権力の源泉となったのです。
制度ロジックの交錯が幹部のアイデンティティを揺さぶった
新しい価値観が組織に流れ込み、旧来の「当たり前」と衝突するとき、その最前線に立つリーダーたちは、自らをどのように定義し、日々の業務を遂行していくのでしょうか。制度ロジックの転換は、抽象的な理念の変化にとどまらず、そこで働く人々の自己認識、すなわちアイデンティティのレベルにまで浸透していきます。オーストリアの公的部門を対象としたある調査は、このアイデンティティの葛藤と再編成のプロセスを描き出しています[3]。
オーストリアの行政組織には、伝統的に「法治国家」の理念に根差した、厳格な規則と手続きを重んじる文化がありました。この「行政官ロジック」のもとでは、公務員は法の下で公平性・中立性を保ち、公共の利益に奉仕する「国家のしもべ」として自己を認識することが求められてきました。
しかし、1990年代以降、世界的な行政改革の流れの中で、民間企業の経営手法を取り入れ、効率性や成果、顧客志向を追求する「マネジリアル・ロジック」が導入されるようになります。これにより、公的組織の幹部たちは、「法の番人」であると同時に、「組織の経営者」でもあるという、二重の期待にさらされることになりました。
この新旧二つのロジックがせめぎ合う中で、幹部たちは自らの仕事をどのように語っているのか。研究者たちは、公的組織の幹部たちへの大規模なアンケート調査を実施し、特に自由記述欄に書かれた「言葉」に着目しました。幹部たちがどのような語彙を使い、何を価値あるものとして語るかを手がかりに、その背後にある自己呈示、要するに「演じられたアイデンティティ」を分析したのです。その結果、幹部たちの自己認識は、大きく三つの類型に分類できることが分かりました。
第一の類型は「行政官型」です。このタイプの幹部たちは、法的正当性や公平性、公共の利益の保護といった伝統的な価値を第一に語ります。改革に対しても、手続きの遵守や法の支配を損なわないかという視点から、慎重な姿勢を見せます。
第二の類型は「マネジャー型」です。成果、効率、顧客志向といった言葉を多用し、行政を一種のサービス提供組織として捉えます。民間企業の経営者のように、市場メカニズムの活用や競争の導入に前向きな姿勢を語ります。
第三の類型は「ハイブリッド型」です。このタイプの幹部たちは、一方の価値観に偏るのではなく、両者を統合しようと試みます。例えば、公共の利益を守るという行政官型の価値観を維持しながらも、組織運営の非効率性を認め、その改善のためにマネジリアルな手法を選択的に取り入れるべきだと語るのです。
どのような経歴や組織条件を持つ幹部が、どのアイデンティティを語りやすいのかを統計的に分析したところ、個人の経験とアイデンティティの間に関連があることが判明しました。
民間企業での勤務経験があったり、ビジネススクールなどで経営を学んだりした幹部ほど、「マネジャー型」の自己呈示を行う確率が高かったのです。これは、マネジリアル・ロジックが提供する言葉や考え方が、彼ら彼女らが持つスキルや経験と共鳴しやすいためと考えられます。逆に、公務員としてのキャリアが長い幹部は、伝統的な「行政官型」のアイデンティティを維持する傾向が見られました。
この分析が示すのは、新しい制度ロジックが、古いロジックを完全に消し去ったわけではないという事実です。むしろ、多くの幹部たちは、新旧両方のロジックから言葉や価値観を引き出し、自らの置かれた状況に応じてそれらを使い分け、組み合わせることで、現実的な「ハイブリッド型」のアイデンティティを築き上げていました。制度の変化は、組織のメンバーによって一方的に受け入れられるのではなく、個人のアイデンティティのレベルで、複雑な「再解釈」や「翻訳」のプロセスを経て、現場に根付いていくのです。
制度ロジックはアイデンティティ・ワークを通じ受容と抵抗を同時に生んだ
社会や組織に新しい価値観が広まるとき、人々はそれをただ無抵抗に受け入れるわけではありません。日々の言葉遣いや自分自身の語り方を通じて、新しいルールを自分なりに解釈し、時にはそれに巧みに抗いながら、自らの立場を築いていきます。この、自分は何者かを定義して語る営みは「アイデンティティ・ワーク」と呼ばれます。制度ロジックの浸透は、ミクロなアイデンティティ・ワークを通じて、受容と抵抗が同時に進行するという、一見矛盾したプロセスをたどることがあります。
この複雑な力学を解き明かしたのが、1980年代以降の英国を舞台にした研究です[4]。この時期、英国の経済界では「株主価値の最大化」を絶対的な善とする「株主価値ロジック」が急速に支配的になりました。研究の焦点は、この新しい「当たり前」に直面した企業の経営陣と、彼ら彼女らに「責任あるオーナー」としての行動を求めた機関投資家が、それぞれどのように応答したかに当てられました。
分析は、メディアの論調や政府の公式報告書が提示する「あるべき経営者像・投資家像」と、当事者たちがインタビューの中で実際に語った自己認識を比較することで進められました。
まず、機関投資家の応答には、二つのパターンが見られました。一つは、新しいロジックの「選択的借用」です。彼ら彼女らは、表向きは「責任あるオーナー」として企業との対話を重視するという言葉を使いながら、その実、対話を通じて得た情報を短期的な株式売買(トレーディング)の判断材料として利用していました。「責任あるオーナー」という新しいアイデンティティを、既存の短期的な利益追求という目的を達成するための手段として、都合よく借用していたのです。
もう一つのパターンは「並走的両立」です。これは、「責任あるオーナー」として議決権を行使したり経営陣と対話したりする活動と、短期的なトレーディングを、矛盾したまま並行して維持するやり方です。組織内で担当部署を分けるなどして、二つの相容れない活動を両立させていました。理念は受け入れつつも、実践のレベルでは既存の行動様式を温存するという適応戦略でした。
一方、経営陣の側にも、したたかなアイデンティティ・ワークが見られました。彼ら彼女らの多くは、株主価値を高めるための経営指標の導入や、投資家との対話といった、新しいロジックに沿った実践を積極的に採用していました。しかし、その一方で、インタビューの中での自己語りにおいては、異なる自己像を提示することで、自律性を確保しようと試みていました。
その一つが、自らを「長期価値の守護者」として位置づける語りです。投資家を短期的で気まぐれな存在として描き、自分たちの役割はそうした市場の圧力に屈することなく、企業の長期的な価値を守ることだと主張します。もう一つは、自らを「教師」として語る自己像です。アナリストや投資家は事業の複雑さを理解していないとし、彼ら彼女らとの面談を「教育」の場と位置づけることで、知的な優位性を確保し、外部からの介入をかわそうとします。これは、新しいロジックの実践は受け入れつつも、自己認識のレベルではそれに完全に同一化しない「距離化」と呼ばれる営みです。
これらの事例から浮かび上がるのは、制度ロジックの浸透が決して一直線には進まないということです。人々は、新しいルールや言葉遣いを採用しながらも、それを自らのアイデンティティや利益に合うように解釈し直し(翻訳)、既存のやり方を維持しようとします。この「受容と抵抗の同時進行」が、制度変化の現実の姿です。
脚注
[1] Greve, H. R., and Zhang, C. M. (2017). Institutional logics and power sources: Merger and acquisition decisions. Academy of Management Journal, 60(2), 671-694.
[2] Thornton, P. H., and Ocasio, W. (1999). Institutional logics and the historical contingency of power in organizations: Executive succession in the higher education publishing industry, 1958-1990. American Journal of Sociology, 105(3), 801-843.
[3] Meyer, R. E., and Hammerschmid, G. (2006). Changing institutional logics and executive identities: A managerial challenge to public administration in Austria. American Behavioral Scientist, 49(7), 1000-1014.
[4] Lok, J. (2010). Institutional logics as identity projects. Academy of Management Journal, 53(6), 1305-1335.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

