2025年12月16日
その笑いは同調か抵抗か:組織の規範とアイデンティティの攻防
組織という舞台の上で、私たちはどのように「自分」を演じれば良いのでしょうか。会社から与えられた筋書き通りに振る舞うべきか、アドリブを交えて自分らしさを表現すべきか。この問いは、多くの働く人にとって、日々の小さな葛藤の源泉かもしれません。私たちは、組織の一員として調和を保ちながらも、個としての自分を失いたくないという矛盾した願いを抱えています。大掛かりな変革は現実的でなくとも、日常に根差した自己表現の方法が存在するはずです。
本コラムでは、組織という権力構造の中で、人々がどのように自己を主張し、ささやかな変革を試みているのかを探ります。武器となるのは、意外にも場の空気を和ませる「ユーモア」や、与えられた立場を少しだけ「読み替える」という知的な営みです。これらの小さな行為は、実は組織の規範と個人のアイデンティティがせめぎ合う、奥深いドラマの舞台となっています。いくつかの研究事例を追いながら、組織の中で「自分」を生きるための抵抗の物語を紐解いていきましょう。
ユーモアをめぐる語りは自己を規律化し組織適合的な成員像を作る
ユーモアは人間関係を円滑にしますが、その背後には、人々を特定の型にはめ、組織にとって望ましい成員像を作り上げるという、もう一つの顔が隠れていることがあります。ニューヨークのある協同組合型スーパーマーケットで行われた調査は、このユーモアの規律化する力を描き出しています[1]。
このスーパーは会員が共同で運営し、毎月の労働奉仕が義務付けられています。平等主義的な文化が根付き、狭い空間で働くため、互いの行動が常に目に映る、相互監視的な環境が特徴です。調査は、研究者が約1年間、現場で働きながら観察とインタビューを重ねて行われました。分析対象は冗談そのものではなく、「どのようなユーモアが適切か」をめぐる人々の「語り」です。
ここには独特の規範があります。例えば店内放送では、サービス関係を連想させる「あなた(you)」を避け、対等な仲間を示す「私たち(we)」を使うべきだとされています。新人がうっかり「you」を使い、慌てて言い直した際に起きた笑いは、ただ間違いを面白がるものではありませんでした。それは、「私たちは階層のない対等な仲間だ」という自己像を皆で再確認し、規範を無意識に強化する瞬間だったのです。
分析から、ユーモアに関する語りが「均質化」「差異化」「個人化」という三つのプロセスを通じて、人々のアイデンティティ形成に作用していることが見えてきました。
第一の「均質化」は、皆を同じ「良き組合員」に近づける働きです。人々は組織への強い一体感を表明し、内輪の冗談も組織への愛着の証と見なされます。一方で、他人を傷つける冗談は厳しく戒められ、過去には嘲るような皮肉を好んだスタッフが解雇された事例もありました。こうした語りを通じて、「組織への愛着を示し、他者への敬意を忘れない」という暗黙のルールが形成されていきます。
第二の「差異化」は、望ましくない振る舞いをする他者と自分を区別する働きです。規則は守られますが、杓子定規な態度は笑いの対象です。また、価格の僅かな差に激怒するような「深刻すぎる」態度は嘲笑の的として語られます。人々はそうした逸話に笑いながら、「自分はああはならない」と、望ましい成員像との間で自身の位置を確認するのです。
第三の「個人化」は、集団の規範に埋没せず、自分らしさを主張する働きです。割り当てられた仕事に「ここはアメリカだ。私は自分の判断で動く」と冗談めかして反発する場面は、自律的な存在として所属していることを示すパフォーマンスとして機能します。興味深いことに、この「自律性の主張」も、組織が期待する規範の一部として組み込まれていました。
このように、ユーモアをめぐる日々の語りは、人々が互いを監視し合う中で、組織に適合的な自己像を自律的に作り上げていく、柔らかくも強力な規律の仕組みとして機能していました。
職場研修のユーモアは統制を攪乱し自己を取り戻す
組織がユーモアを管理の道具として使おうとしても、その意図は裏返り、従業員が自己を取り戻すための抵抗の武器へと転化することがあります。オーストラリアのある会社で行われたハラスメント防止研修は、ユーモアが持つこの攪乱的な側面を浮き彫りにしました[2]。
この会社は、以前の研修が退屈だった反省から、英国の人気コメディドラマ『The Office』を教材に使う新しいプログラムを企画しました。ドラマの不適切な場面を参加者に見つけさせ、問題点を理解させることが狙いです。研究者はこの研修に同席し、参加者の反応を詳細に観察しました。
上映後、進行役が「どのような不適切行動がありましたか?」と問いかけると、会場は予想外の反応を示しました。参加者たちは映像の内容を冗談めかして解釈し直し始めたのです。例えば、上司が女性の脚を褒める場面について、ある参加者は「相手が喜んでいるなら問題ない」と発言し、笑いを誘いました。進行役が真面目にリスクを説いても、「それは聞き耳を立てている側の問題だ」と冗談で応酬し、会場はさらに笑いに包まれました。
参加者たちは、研修で示される「適切な振る舞い」を、内心とは関係なく、演技として求められているものだと見抜いていました。ドラマの主人公が滑稽なのは、まさにその「ポリティカル・コレクトネスを演じている」不自然さです。参加者たちはドラマの多義性を利用し、組織が求める規範を「建前」として相対化し、笑いの保護膜の中で異議を唱え始めたのです。
この現象には重層的な力学がありました。参加者たちは、この研修が自分たちの「本来の自己」にまで踏み込む統制の試みだと感じ、抵抗していました。ユーモアは、組織が提示する一方的な意味づけから距離をとり、違和感を表明するための集団的な装置として機能しました。
しかし、この笑いには別の側面もありました。管理部門への抵抗として機能したユーモアは、同時に、男性参加者の間で既存のジェンダー秩序を再生産する働きもしていました。下ネタやからかいが交わされ、男性的な連帯感を強める一方で、女性参加者もその場の空気に合わせて笑いに加わることがありました。
この事例が明らかにしたのは、組織がコントロールの手段として持ち込んだユーモアという資源が、いかに容易に抵抗の燃料へと変わりうるかということです。組織は教材を一つの意味に限定しようとしましたが、参加者たちはそこから「管理の滑稽さ」を読み取りました。結果として研修は、規範を内面化させるどころか、組織の意図を脱臼させる場となってしまったのです。
南アのインド系女性管理職は交差的力学の中で自己を築く
自己をめぐる葛藤は、より深く、歴史的・社会的に刻まれたアイデンティティの交差によっても生じます。アパルトヘイトという歴史を持つ南アフリカで、インド系の女性管理職たちが経験したアイデンティティ形成の道のりは、この問いに対する洞察を与えてくれます[3]。
調査対象となった13人の女性は、アパルトヘイト体制下、インド系住民の指定居住区で育ちました。そこでは、女性は従順で慎み深くあるべきだという強い文化規範の中で教育されました。1994年の民主化後、彼女たちは管理職への道を開かれましたが、企業という空間は依然として白人男性的な価値観が支配する世界でした。そこでは、強い自己主張や対立を恐れない姿勢が「理想の管理職」とされ、彼女たちが身につけてきた文化規範とは対極にありました。
インタビューから、彼女たちが管理職としての自己を確立する上で直面した、三つの大きな困難が浮かび上がりました。
第一に、「強く主張すること」への内面的な葛藤です。幼少期から「物静かであること」を美徳とされてきたため、職場で意見を述べることに罪悪感を覚えました。昇進に必要だと理解していても、長年かけて内面化された価値観と衝突し、大きな精神的負荷となっていたのです。
第二に、「対立をマネジメントすること」の難しさです。コミュニティでは揉め事の処理は男性の仕事とされ、女性は争いを避けるべきだとされていました。そのため、職場で理不尽な扱いを受けても波風を立てずに受け流してしまい、それが「弱さ」と誤解され、さらなる攻撃を招く悪循環を生むこともありました。
第三に、「男性と密接に働くこと」への戸惑いです。男女の空間が分けられる文化で育った彼女たちにとって、男性の同僚や部下と緊密に協力することは挑戦でした。多くはそれを「職務上の専門的な関係」と割り切って適応しましたが、私的な領域では文化的アイデンティティとの折り合いをつけていました。
彼女たちのアイデンティティ形成は、単なる職場適応ではありませんでした。それは、白人男性的な規範を無批判に受け入れることを拒み、自らの文化的背景を選択的に保持しながら、職務に必要な振る舞いを戦略的に取り入れる、ハイブリッドな自己を創造する営みでした。
私的な領域では文化規範を尊重し、公的な職務領域では「プロフェッショナル」として振る舞う。このように自己を区画化することで、彼女たちは歴史が残した制度的な壁と文化規範という二重の制約の中で、自分らしい管理職のあり方を築き上げていったのです。
制度的矛盾を和解し役割再解釈で変革を体現する
組織や社会の内部には、時に相容れない価値観やルールが併存します。この「制度的矛盾」は、渦中に置かれた人々に深刻な葛藤をもたらしますが、同時に変革の原動力ともなりえます。アメリカのプロテスタント教派に所属する、同性愛者やトランスジェンダー(LGBT)の聖職者たちの経験は、このプロセスを描き出しています[4]。
調査対象は、LGBTの聖職者を認める教派と、当時は禁じていた教派です。後者では、すべての人を包摂するという教義と、LGBTを聖職から排除する制度との間に矛盾が存在していました。この状況で、当事者である聖職者たちがどのように自己を再構築し、変革の担い手となっていくのかが探られました。
分析の結果、彼ら彼女らが変革の主体となる過程は、三つの連続した心の動きとして捉えられました。
第一は、「制度的矛盾の内面化」です。教えと現実の矛盾は、当事者の内面で深い苦しみとなります。「神様、どうか私からこの同性愛を取り除いてください」と祈ったという痛切な語りや、性的アイデンティティを隠して生きる苦悩が述べられました。この段階では、矛盾は恥や自己嫌悪として個人の中に食い込んでいます。
しかし、痛みは限界に達し、第二のプロセス「アイデンティティの和解」へ移行します。これは、引き裂かれた自己を一つの統合された全体として捉え直す営みです。信仰、召命、性的アイデンティティを分かちがたく結びついた「自分そのもの」として受け入れ直すのです。彼らはキリスト教が持つ「恵み」や「回心」といった物語の力を借り、自らの経験を意味づけ直すことで、心理的な安定を獲得していきました。
内面で和解が果たされると、第三のプロセス「役割の主張と役割の使用」が始まります。彼ら彼女らは「聖職者」という立場を変革のための資源として能動的に使い始めるのです。一つは、教会の「正統」に内側から挑戦すること。もう一つは、「自分が変化そのものであることを体現する」ことです。パートナーの存在を隠さず、ありのままの姿で信徒の前に立つ。これらの行為は、制度が「両立不可能」とした命題を、その存在自体によって覆す、生きた反証となります。
このように、制度の矛盾によって引き裂かれた個人が、内面的な苦しみを経て自己を統合し、その立場を再解釈して行動を起こすことで、変革のエージェントへと生まれ変わるプロセスが明らかになりました。
交差的アイデンティティ・ワークは権力を変動させる
私たちのアイデンティティは、単一の属性で決まるものではありません。性別、人種、職位といった複数の要素が同時に作用しあっています。英国の企業で働くアジア系や黒人の上位職位者たちを対象とした調査は、この微細なプロセスを解き明かしています[5]。
調査では、日誌とインタビューを通じて、参加者のアイデンティティが強く意識された出来事を分析しました。焦点は「交差的アイデンティティ・ワーク」、つまり人々が状況に応じて複数のアイデンティティを資源や手がかりとして使い分け、力関係を調整していく実践に置かれました。分析の結果、この営みは部下、上司、顧客という異なる関係性の中で、権力のバランスを広げたり狭めたりする、両方向の働きを持つことが見えてきました。
部下との関係では、同じマイノリティであるといった属性の共有が、親近感を生む一方で、上司としての権限行使を難しくさせることがありました。「友人」としての信頼と「上司」としての立場が衝突し、管理上の線引きが曖昧になるのです。
上司との関係では、より複雑な戦略的思考が働いていました。参加者たちは、上司の属性を手がかりに、自分の言動がどう受け取られるかを予測し、自己提示を微調整していました。ジェンダー、エスニシティ、序列の組み合わせが、相互作用の行方を占う計算式のように機能していたのです。
顧客との遭遇は、印象管理が特に求められる場面でした。あるインド系の上級管理職は、顧客が同じ民族的背景を持っていたことから、予期せず会議の主導権を握る経験をしました。また、黒人女性の専門家は、相手を見越して、一般的に女性に結びつけられる「温かさ」といった特徴を戦略的に前面に出し、交渉を円滑に進めていました。
これらの事例から明らかになるのは、権力関係が職位だけで固定的に決まるのではないということです。相互作用の現場では、人々は自らが持つ複数のアイデンティティを前景化させたり後景化させたりしながら、その場の力学を絶えず動かしています。アイデンティティは静的なラベルではなく、日々のやり取りの中で交渉され、再配置される、パフォーマンスなのです。
脚注
[1] Huber, G., and Brown, A. D. (2017). Identity work, humour and disciplinary power. Organization Studies, 38(8), 1107-1126.
[2] Westwood, R., and Johnston, A. (2012). Reclaiming authentic selves: Control, resistive humour and identity work in the office. Organization, 19(6), 787-808.
[3] Carrim, N. M. H., and Nkomo, S. M. (2016). Wedding intersectionality theory and identity work in organizations: South African Indian women negotiating managerial identity. Gender, Work & Organization, 23(3), 261-277.
[4] Creed, W. E. D., DeJordy, R., and Lok, J. (2010). Being the change: Resolving institutional contradiction through identity work. Academy of Management Journal, 53(6), 1336-1364.
[5] Atewologun, D., Sealy, R., and Vinnicombe, S. (2016). Revealing intersectional dynamics in organizations: Introducing “intersectional identity work”. Gender, Work & Organization, 23(3), 223-247.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

