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コラム

なぜ格差を容認するのか:公平性、自身の立ち位置、選択の自由が不平等への認識に与える影響

コラム

私たちの社会には、経済的な格差が存在します。所得や資産における隔たりは、日々のニュースや会話の中で取り上げられ、多くの人がその存在を問題として認識しているように見えます。しかし、その一方で、格差は社会に根強く存在し続け、私たちはまるでそれを受け入れているかのようです。

なぜ、多くの人が「問題だ」と感じながらも、格差は維持され続けるのでしょうか。この一見矛盾した状況は、一体どのようにして生まれるのでしょう。人は不平等を嫌うはずなのに、現実の社会はそれとは異なる姿をしています。

本コラムでは、この問いに迫るため、人が社会の不平等をどのように捉え、なぜそれを受け入れることがあるのか、その複雑な心の仕組みを研究知見を頼りに探求していきます。私たちが善しとする「公平さ」とは一体何なのか。自分自身の社会的な立ち位置が、世の中の見え方をどれほど変えてしまうのか。「個人の選択の自由」という、誰もが大切にする価値観が、意図せずして格差を容認する土台となってはいないか。これらの問いを解き明かしながら、格差と向き合う私たち自身の心の内側を見つめていきます。

人は平等よりも公平を重視し公平な不平等を望む

多くの人が、心のどこかで「平等な社会」を理想として描いているかもしれません。しかし、実験室の中で人々の行動を観察すると、必ずしも完全な平等を求めているわけではないことがわかってきます[1]

例えば、実験参加者に、自分とは無関係な二人の人間にお金を分けてもらうようにお願いする場面を想像してみてください。このとき、二人の背景について何の情報もなければ、ほとんどの人がお金を均等に分け与えます。これは幼い子どもでも同じで、余りが出たときには、不平等になるくらいなら捨ててしまった方がよいと考えることさえあります。このような状況では、人々は強い平等への志向性を見せます。

ところが、ここに「公平さ」という判断基準が加わると、状況は一変します。もし、お金を受け取る二人のうち、片方がもう一人よりも一生懸命に働いたという情報が与えられたらどうでしょうか。すると、大人も子どもも、よく働いた方により多くの分け前を与えるようになります。ここでの判断基準は、もはや「平等」ではありません。「貢献に見合った分配」、すなわち「公平」です。結果が不平等になったとしても、その不平等が努力や貢献といった正当な理由に基づいているのであれば、人々はそれを受け入れるのです。

公平さへのこだわりは、実験室の中だけの話ではありません。現実の社会に対する人々の考え方にも通底しています。ある調査で、アメリカの人々に「あなたの理想とする社会の富の配分はどのようなものですか」と尋ねたところ、興味深い結果が得られました。人々が望んだのは、完全な平等社会ではありませんでした。現状よりは格差が小さいものの、最も裕福な層が最も貧しい層の数倍の富を持つという、一定の不平等が存在する社会だったのです。この結果は、国や政治的な信条、年齢が異なっても共通して見られるものでした。

これらのことから見えてくるのは、人々が本質的に嫌っているのは「不平等」そのものではなく、「不公平」であるという可能性です。現実社会では、人々の能力や努力、社会への貢献度は様々です。そうした違いを適切に反映した結果として生じる不平等は、多くの人にとって「公平な不平等」として受け入れられるのかもしれません。私たちが格差について議論するとき、問題の本質は富の差がどれだけ大きいかということ以上に、その差がどのような手続きや理由によって生み出されたのか、という点にあるのかもしれません。

高所得者ほど格差を小さく低所得者ほど大きく知覚する

先ほどは、人々が「不公平」を嫌い、「公平な不平等」は受け入れる可能性があることを見ました。しかし、そもそも私たちは、自らが生きる社会の格差の大きさを、どれほど正確に認識しているのでしょうか。実は、社会全体の所得分布を正確に把握することは難しく、私たちの格差認識は、自分自身の経済的な立ち位置によって系統的に歪んでいることが、国際的な比較調査から明らかになっています[2]

そのメカニズムを理解する鍵は、「参照集団」という考え方にあります。私たちは社会全体を隅々まで見渡せるわけではありません。日々の生活の中で接するのは、家族、友人、同僚といった、自分と似たような環境にいる人々です。そして、私たちは無意識のうちに、この身近な人々の集まりを基準にして、社会全体の姿を推し量ってしまいます。

この参照集団の偏りは、所得の低い層と高い層とで、対照的な認識のずれを生み出します。所得の低い人々は、周囲にも同じような境遇の人が多いため、自分は社会の平均か、それより少し下くらいにいると考えがちです。実際にはもっと下位にいるにもかかわらず、自分の順位を過大評価してしまうのです。反対に、所得の高い人々は、裕福な人々に囲まれて生活しているため、それが社会の標準であるかのように感じます。その結果、自分はそれほど上位ではないと、自らの順位を過小評価するようになります。

この認識のずれは、社会全体の「形」のイメージにも及びます。国際社会調査計画(ISSP)という調査では、回答者に社会の構造を表現したいくつかの図形の中から、自分の国に最も近いと思うものを選んでもらいます。その結果、所得の低い人々は、ごく少数の富裕層が頂点に立ち、大多数が底辺にいる「ピラミッド型」の社会を想像しやすいことがわかりました。一方で、所得の高い人々は、中間層が厚く、底辺はそれほど多くない「花瓶型」や「ダイヤモンド型」の社会を思い描くことが多かったのです。

所得が高い人ほど、社会全体の平均所得も高く見積もることもわかっています。例えば、店の店員や工場の未熟練労働者の賃金を推測してもらうと、高所得者ほどその金額を高く見積もります。自分の所得が高いと、他の職業の人々の所得も高いだろうと考えてしまいます。

こうした認識の連鎖は、最終的に格差そのものへの評価につながります。所得の高い人々は、社会の形を中間層の厚いものと捉え、平均所得も高いと認識するため、「所得の差は大きすぎる」という意見に同意しにくくなります。自分たちの参照集団から推測される社会は、それほど格差が大きくないように見えるからです。反対に、所得の低い人々は、ピラミッド型の社会を想像し、富の偏りへの問題意識を強く抱きやすくなります。

このように、私たちの格差認識は、客観的な事実をありのままに反映したものではなく、自分の生活環境というフィルターを通して作られた主観的なものです。同じ社会に生きていながら、見えている景色は所得階層によって異なっています。この認識の隔たりが、人々の間で格差に対する態度が分かれる一因となっていると考えられます。

富裕層は社会を裕福と見なし再分配に消極的になる

自分の置かれた環境が社会全体の格差認識を形作ることは、先ほど見たとおりです。この認識の歪みは、「社会がどう見えるか」という問題にとどまりません。それは、格差を是正するための政策、例えば富の再分配に対する支持のあり方にまで関わってきます。特に、富裕層が再分配に消極的になる背景には、自己の利益を守りたいという動機だけでなく、身近な環境から生まれる認知的なプロセスが働いていることが、研究によって示されています[3]

その中心にあるのが、「社会サンプリング」と呼ばれる心の働きです。これは、自分の身の回り、つまりソーシャル・サークルにいる人々を標本(サンプル)として、社会全体の様子を推測するプロセスを指します。富裕な人々は、当然ながら、友人や隣人もまた富裕である場合が多いでしょう。その結果、自分の周りの豊かな暮らしぶりを社会全体の標準だと捉え、「世の中は全体的にかなり裕福なのだ」と認識しやすくなります。

この「社会は豊かである」という認識は、二つの判断基準に結びつきます。一つは「効率性」、もう一つは「公平性」です。社会全体の平均的な豊かさ(効率性)が高いと認識されると、人々は格差の存在、要するに分配の不平等さに対する関心を相対的に弱める傾向があります。社会が全体としてうまく機能しており、多くの人が満足のいく生活を送っているように見えるため、現状の経済システムは公平で、満足のいくものだと評価しやすくなるのです。

ある研究では、この一連の心の連鎖を検証するために、アメリカの人々を対象としたオンライン調査が行われました。参加者にはまず、自分の身近な人々の所得分布と、アメリカ全体の所得分布をそれぞれ推定してもらいました。

その結果は予測通りでした。所得の高い参加者ほど、自分のソーシャル・サークルの平均所得を高く見積もり、そこからアメリカ全体の平均所得も高いと推定しました。そして、国全体の平均所得を高いと認識している人ほど、現状の経済状態を「公平で満足できるものだ」と評価し、富裕層から貧困層へ富を移転させる再分配政策への支持が弱まることが確認されました。

この関連性は、政治的な信条や、再分配が自分にとって損か得かといった利己的な計算とは独立して見られました。富裕層の再分配への消極性は、イデオロギーや自己利益だけの問題ではなく、「自分の周りが豊かだから、社会全体も豊かで公平なのだろう」という、社会サンプリングから生じる認知的な判断に支えられている側面があります。

このメカニズムは、ニュージーランドで行われた別の調査でも裏付けられています。この調査では、人々の主観的な認識ではなく、実際に住んでいる地域の客観的な豊かさの指標が用いられました。結果は、やはり同じでした。所得の高い人は、経済的に恵まれた地域に住んでいることが多く、そうした地域に住んでいる人ほど、自国の経済や社会を「公平で満足のいくものだ」と評価するのです。

選択を想起すると人は富の不平等を受け入れやすくなる

これまでのところで、私たちの格差に対する態度は、「公平」という価値観や、自身の社会的な立ち位置からくる認識の偏りによって形作られることを見てきました。しかし、私たちの判断を左右するのは、そうした外部環境や価値観だけではありません。もっと些細な、日常的な心の働きかけが、不平等への見方を変えてしまうことがあります。その一つが、「選択」という概念です。

アメリカのように、個人の自由や自己決定を重んじる文化では、「人生の結果は個人の選択の積み重ねである」という考え方が広く浸透しています。この「選択」という考え方を意識するだけで、人々が富の不平等をより受け入れやすくなることが、一連の心理学実験によって明らかにされています。

ある実験では、参加者を二つのグループに分け、一方のグループには「今日、自分が行った選択」を思い出せるだけ書き出してもらい、もう一方のグループには「今日、自分が行ったこと」を書き出してもらいました[4]。これは、前者のグループの心の中に「選択」という概念を活性化させるための操作です。その後、両方のグループに、アメリカにおける富の偏在を示す統計データを見せ、それに対してどれくらい不快に感じるかを尋ねました。

その結果、事前に「選択」を思い出したグループは、そうでないグループに比べて、格差の事実に対する不快感や憤りが有意に弱まることがわかりました。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。研究者たちは、その背景にある心理メカニズムを探るために、さらに実験を重ねました。別の実験では、「選択」を意識させられた人々は、富裕層が成功した理由について考える際に、公共教育や法による所有権の保護といった、社会制度が果たした貢献を軽視するようになりました。成功はあくまで個人の選択と努力の賜物であり、社会的な基盤は副次的なものだと捉えるようになるのです。

この考え方は、具体的な政策への態度にも反映されます。例えば、所得の低い地域の子どもたちに教育資源を重点的に配分するような、再分配的な政策への支持が低下しました。その一方で、「富裕層は自らが築いた富を保持する権利がある」という考えをより強く抱くようになります。「選択」を意識することは、富の保持を個人の「権利」と見なす感覚を強め、それを他者に分け与える「責任」を軽く感じさせることにつながります。

興味深いことに、この効果は「再分配」を伴う政策に限定されていました。すべての子どもたちに恩恵が及ぶような、一般的な教育支出への支持は低下しませんでした。むしろ、少し高まる傾向すら見られました。このことから、「選択」の想起が反対するのは、政府による支出全般ではなく、富をある集団から別の集団へ意図的に移転させるという行為であることがうかがえます。

この効果は、実験室の中だけでなく、現実の政治的な文脈でも確認されました。2011年にアメリカ政府が債務上限問題に直面した際、国家的な危機を回避するために富裕層への増税が議論されました。このような状況でさえ、事前に「選択」を意識した人々は、富裕層への増税に対する支持が低くなりました。

これらの結果が示すのは、「選択」という、多くの人が肯定的に捉える概念が、意図せずして社会的な不平等を正当化し、維持する方向に作用しうるということです。人生における個人の選択の重要性を強調する言説は、社会の構造的な問題や制度的な要因から人々の目をそらさせ、格差は個人の自己責任の表れであるという見方を強化してしまうのかもしれません。

不平等の情報提示は相続税支持だけ大きく高める

ここまで、人々が格差を受け入れる背景にある、公平性へのこだわり、自己位置の認識、「選択」という観念の働きを見てきました。これらは、いずれも格差を容認する方向の心理メカニズムでした。では、逆に、格差の深刻さを示す客観的な情報を人々に提供すれば、格差是正への支持を高めることはできるのでしょうか。直感的には「できる」と考えたくなりますが、現実はそれほど単純ではないことが、調査実験からわかっています[5]

アメリカでは、過去数十年間にわたって所得格差が拡大し続けてきました。しかし、不思議なことに、「政府は格差を縮小すべきだ」と考える人々の割合は、それに伴って増加しているわけではありません。この謎を探るため、研究者たちは数千人規模のオンライン調査参加者を対象とした実験を行いました。

参加者の半分を無作為に「情報提供グループ」に割り当て、アメリカの所得格差がいかに大きいか、そして過去に比べてどれだけ拡大したかを示す、グラフや図を用いたわかりやすい情報を提示しました。残りの半分は、そうした情報を見ない「対照グループ」です。

まず、情報提供が人々の「認識」を動かしたかどうかを確認します。結果は明らかでした。情報を見たグループは、対照グループに比べて、「格差は非常に深刻な問題だ」と考える割合が大幅に上昇しました。情報の力で、問題意識を喚起することには成功しました。

しかし、この高まった問題意識は、具体的な政策への支持にはほとんど結びつきませんでした。富裕層への所得税増税や、低所得者向けの食料費補助(フードスタンプ)の拡充といった、典型的な再分配政策への支持は、ほんのわずかに上昇しただけでした。あれほど深刻な事実を知ったにもかかわらず、人々の政策選好は変化しなかったのです。

ただし、一つだけ例外がありました。それは「相続税」です。情報提供グループでは、相続税の引き上げ(または維持)への支持が、対照グループに比べて増加しました。その効果は、個人の政治的信条の違いによる支持率の差をはるかに上回るほど大きなものでした。

なぜ、相続税だけが特別だったのでしょうか。その理由は、人々が相続税に対して抱いていた、極端な「誤解」にありました。

実験後の知識テストでわかったことですが、多くの人々は、相続税がほとんどすべての人にかかる税金だと思い込んでいました。しかし実際には、アメリカではごく一握りの、最も裕福な遺産にしか課税されません。実験で提示された情報には、この事実、「相続税の課税対象となるのは亡くなった人のうち約0.1%に過ぎない」という説明が含まれていました。この単純明快な事実が、人々の大きな誤解を解き、政策への態度を覆したのです。

一方で、この実験は予期せぬ結果ももたらしました。格差の深刻さに関する情報を提供された人々は、政府に対する信頼度を低下させました。これは、格差という問題を前にして、政府の無力さや不作為を痛感した結果かもしれません。そして、この政府への不信感が、人々が再分配政策全般に消極的になる理由の一つであることが、追加の実験で確かめられました。人々は問題の存在を認識しても、「政府に任せても、うまく解決してくれるはずがない」と感じ、富の再分配を政府に委ねることをためらうのです。

脚注

[1] Starmans, C., Sheskin, M., and Bloom, P. (2017). Why people prefer unequal societies. Nature Human Behaviour, 1, 0082.

[2] Knell, M., and Stix, H. (2017). Perceptions of inequality (OeNB Working Paper No. 216). Oesterreichische Nationalbank.

[3] Dawtry, R. J., Sutton, R. M., and Sibley, C. G. (2015). Why wealthier people think people are wealthier, and why it matters: From social sampling to attitudes to redistribution. Psychological Science, 26(9), 1389-1400.

[4] Savani, K., and Rattan, A. (2012). A choice mind-set increases the acceptance and maintenance of wealth inequality. Psychological Science, 23(7), 796-804.

[5] Kuziemko, I., Norton, M. I., Saez, E., and Stantcheva, S. (2013). How elastic are preferences for redistribution? Evidence from randomized survey experiments (NBER Working Paper No. 18865, revised 2014). National Bureau of Economic Research.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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