2025年12月9日
計画は立てず、未来を創る:エフェクチュエーションで不確実性を乗りこなす
未来を正確に予測することが、かつてないほど難しくなっている時代に私たちは生きています。市場の動向、技術の進化、人々の価値観の変化は、生き物のように絶えずその姿を変え、私たちの目の前に現れます。このような不確実な世界で、私たちはどのように新しい価値を生み出し、事業を育てていけばよいのでしょうか。緻密な市場調査と精度の高い事業計画の必要性を説くビジネス書もあります。しかし、そもそも地図が存在しない未開の地へ乗り出すとき、私たちは何を頼りに一歩を踏み出せば良いのでしょう。
この問いに、一つの光を当てる考え方があります。それが「エフェクチュエーション」です。これは、熟達した起業家たちが、予測不能な状況下で実際に用いている意思決定の論理を体系化したものです。ゴールを定めてから最適な手段を探すのではなく、まず手元にあるもの(自分は誰か、何を知っているか、誰を知っているか)から出発し、関わる人々と共にゴールを創り上げていく。このアプローチは、計画通りに進めることよりも、予期せぬ偶然を味方につけ、状況を柔軟にコントロールしていくことを主眼に置きます。
エフェクチュエーションは、一部の特別な起業家だけが持つ魔法の杖ではありません。私たちが日々の仕事やプロジェクトで直面する、答えのない問題に取り組むための、実践的な知恵の宝庫でもあります。本コラムでは、エフェクチュエーションに関する学術的な探求が、どのように深まり、広がってきたのかを概観します。
エフェクチュエーション研究は概念期を越え成熟へ
エフェクチュエーションという考え方が学問の世界に登場して以来、その探求は長い道のりを歩んできました[1]。初期の段階では、この概念が一体何であるかを定義し、伝統的な経営理論、すなわち予測に基づいて目標を設定し、それを達成するための最適な手段を選ぶ「因果(コーゼーション)」と呼ばれる考え方との違いを明らかにすることに力が注がれていました。不安定で変化の激しい環境ではエフェクチュエーションが、反対に安定的で予測可能な環境では因果が、それぞれ適しているのではないか、という整理がなされたのです。
この時期の研究は、主に理論的な考察が中心であり、熟練した起業家ほどエフェクチュエーションを用いるという発見はあったものの、それを客観的に測定する「ものさし」がなかったため、量的なデータを用いた検証はほとんど進んでいませんでした。
この状況に一つの転機が訪れたのは、2011年のことです。エフェクチュエーションと因果を測定するための信頼性の高い尺度が開発されたのです。この尺度は、エフェクチュエーションを「実験」「許容できる損失」「柔軟性」といった、より具体的な要素に分解するものでした。この「ものさし」の登場は、研究の世界に変化をもたらしました。それまで概念的な議論に留まっていたエフェクチュエーションを、実際のデータに基づいて検証する道が開かれたのです。
2012年以降、この新しい尺度を武器に、エフェクチュエーションに関する実証研究の数は増加します。あるレビュー論文によれば、2012年から2016年の5年間だけで52本の主要な論文が発表され、そのうちの39本がデータに基づいた実証研究でした。これは、それ以前の14年間(1998年~2011年)の平均発表数を上回るペースです。
特に、量的データを用いた研究は、尺度が整備される前はわずか2本だったのに対し、その後は継続的に蓄積されていきました。2016年には、質的な研究と量的な研究の発表数がほぼ同じになり、この分野の研究が新たな段階に入ったことを物語っています。
研究テーマの広がりも顕著です。当初は新しい会社の創業期に限定されがちだった議論が、既存の企業における活動へと拡張されました。1998年から2011年の間に既存企業を対象とした研究は3本に過ぎませんでしたが、2012年から2016年の間には24本へと急増しています。研究開発や新製品開発のプロセス、中小企業の国際展開といった文脈で、エフェクチュエーションの考え方がどのように機能するのかが探求されるようになりました。
近年の研究潮流は、大きく四つにまとめることができます。第一に「イノベーションと製品開発」の領域です。顧客と共に製品を創り上げたり、大きな損失を避けるために小さな実験を繰り返したりするエフェクチュエーションの原理が、新製品開発の成果に結びつくことが分かってきています。
第二の潮流は「国際化」です。海外市場への進出のような不確実性の高い場面で、偶然の出会いを活かし、パートナーとの約束を積み重ねていくプロセスが有効であることが確認されています。
第三に「因果とエフェクチュエーションの併用」です。この二つの論理は、どちらか一方を選ぶものではなく、同じ組織の中で、状況に応じて使い分けられたり、組み合わせられたりすることが、多くの事例研究で明らかになってきました。予測しやすい場面では因果を、学習が必要な場面ではエフェクチュエーションを、というように補完的に用いる姿が描かれています。
最後の潮流は「起業家の熟達」に関する探求の深化です。熟練した起業家は、手元にあるものを起点に考え、許容できる損失の範囲で動き、人との関係性を紡ぎながら事業の方向性を定めていく、という初期の理論的な命題が、多くの実証研究によって繰り返し裏付けられています。
このように、エフェクチュエーション研究は、測定尺度の整備を契機として、概念的な創成期から、多様な文脈で実証的な知見を積み重ねる中間期へと着実に移行し、成熟期への扉を開きつつあります。それは、この考え方がスタートアップの理論に留まらず、不確実な環境下における組織の意思決定全般に関わる理論へと発展していく可能性を示唆しています。
熟達起業家が市場を共創する実践知として機能する
新しい製品を世に送り出すとき、マーケティングの教科書は、まず市場を調査し、顧客を分析し、競合を把握した上で、綿密な計画を立てるようにと教えます。しかし、まだ誰も見たことのない製品や、存在すらしていない市場に挑むとき、この手順は本当に有効なのでしょうか。予測の基盤となるデータが乏しい、あるいは全く存在しない不確実な状況で、経験豊かな起業家たちは一体どのように意思決定を行っているのでしょうか。
この問いに答えるため、ある研究者グループが実験を行いました[2]。実験では、起業家としての経験が豊富な「熟達者」27名と、起業経験が乏しい経営学修士(MBA)課程の学生などの「非熟達者」37名を集め、両者の思考プロセスを比較しました。参加者には、起業を学ぶための仮想のシミュレーションゲームソフトを開発するというシナリオが提示されます。
そして、この新しい製品のマーケティングについて考えを巡らせる際、頭に浮かんだことをすべて声に出してもらう「思考発話法」という手法が用いられました。これによって、意思決定の裏側にある思考の道筋を、詳細に追跡することができるのです。
実験の結果、熟達者と非熟達者の間には、マーケティングに対するアプローチに一貫した違いが見られました。まず、市場調査データに対する姿勢が異なります。非熟達者が提示された市場規模や成長率のデータを素直に受け入れる発話が多かったのに対し、熟達者はその数値を鵜呑みにせず、懐疑的な見方をする傾向がはっきりと現れました。
意思決定の根拠も異なりました。熟達者は、自身の過去の成功体験や失敗談といった個人的なエピソードを頻繁に引き合いに出し、そこからの類推で判断を下していました。また、リスクの捉え方にも違いがありました。熟達者は、「最悪の場合、いくらまでなら失っても耐えられるか」という「許容できる損失」の観点から、小さな規模で素早く試してみることを考える発言が多く見受けられました。
製品や市場そのものに対する考え方も対照的でした。同じ仮想製品から出発したにもかかわらず、熟達者は、当初の想定に固執せず、関わる人々との相互作用を通じて、製品の仕様やターゲットとする市場を柔軟に作り変えていこうと構想します。実際に、熟達者グループからは28通りもの新しい市場のアイデアが生まれたのに対し、非熟達者グループからは12通りに留まりました。これは、熟達者が市場を「発見する」対象としてではなく、「創造する」対象として捉えていることを物語っています。
価格設定や販売チャネルの選択においても、違いが確認されました。価格について、非熟達者は市場に広く浸透させるために低めの価格設定を好んだのに対し、熟達者は、初期の顧客との対話を通じて製品の価値を見極め、高めの価格から始めることを選びました。実際に熟達者が提示した平均価格は、非熟達者の約2倍でした。販売チャネルについては、熟達者は、創業者自身が直接顧客に会って販売し、そこから得られる学びや関係性を重視する姿勢が強く、また、販売パートナーとの連携を早い段階から構想していました。
これらの結果を総合すると、熟達した起業家が用いるマーケティングの論理は、予測・計画を中心とする伝統的なアプローチとは異なる姿をしています。それは、手元にある資源と人との関係性を起点とし、許容できる範囲で行動を起こし、その過程で生まれる偶然や他者からのコミットメント(関与の約束)を取り込みながら、市場を共創していくという、動的なプロセスです。この実践知は、市場を「当てる」ための技法ではなく、人々と「共に市場を作る」ための技法であると言えるでしょう。
熟練起業家はエフェクチュエーションを選び初心者は予測に頼る
先ほどは、マーケティングという特定の場面において、熟練した起業家と初学者の思考プロセスに違いがあることを見ました。熟練者は、予測に頼るのではなく、手元の資源や人との関係を活かして市場を共創していくアプローチを採っていました。この違いは、マーケティング手法の選択に留まるものではなく、問題解決に臨む際の「論理」の違いに根差しているのかもしれません。
学術の世界では、起業における意思決定の論理を、大きく二つのタイプに分けて考えます。一つは「因果ロジック」です。これは、まず達成したい目標を明確に設定し、その目標を達成するための最適な手段を分析・選択していく、というものです。未来はある程度予測可能であるという前提に立ち、期待できるリターンを最大化することを目指します。ビジネススクールで学ぶ、計画的で分析的なアプローチの多くは、この因果ロジックに基づいています。
もう一つが「効果創発ロジック」、すなわちエフェクチュエーションです。こちらは、因果ロジックとは逆の発想をします。まず手元にある手段(自分は誰か、何を知っているか、誰を知っているか)を確認することから始め、それらの手段を使って何ができるかを考えます。未来は予測困難で、人々の行為によって創造されるものだと捉えます。期待されるリターンを計算するのではなく、失っても構わない「許容損失」の範囲で行動を起こし、偶然の出来事を活用しながら、関わる人々と共に目標そのものを形作っていきます。
熟練した起業家と初学者は、これら二つの論理をどのように使い分けているのでしょうか。この点を明らかにするために、先ほど紹介したのと同じ研究者グループが、思考発話実験のデータを、今度はこの二つの論理の枠組みから分析しました[3]。参加者は、仮想の製品について考えるという同じ課題に取り組みましたが、分析の焦点は、個別のマーケティング判断ではなく、その判断の根底にある思考の「枠組み」に向けられました。
分析の結果、両者の思考の枠組みの違いが浮かび上がりました。熟練起業家たちの発話は、効果創発ロジックの特徴を色濃く反映していました。例えば、意思決定の根拠として、自身の過去の経験や人脈といった「手元の手段」を引き合いに出す頻度が、初学者に比べて有意に高かったのです。
また、投資の判断においては、資金の上限やコストを気にかけ、「いくらまでなら失ってもよいか」という「許容損失」の考え方に基づいて、小さな一歩を踏み出すことを語る場面が多く見られました。販売チャネルを考える際には、製品を流通させる経路として捉えるのではなく、顧客や提携先との関係を築き、共に事業を育てていく「パートナーシップ」の発想が強く表れていました。
一方、初学者の発話は、因果ロジックに沿ったものが大半を占めました。提示された市場調査のデータを信頼し、その情報に基づいて、どの顧客セグメントを狙えば最も収益が上がるかを計算しようとします。彼ら彼女らにとって、問題は「与えられた条件の下で、最適解を導き出す」パズルのようなものであり、問題の枠組み自体を自分の行動で変えていこうという発想はあまり見られませんでした。
この研究から分かることは、熟練起業家と初学者の違いは、知識や経験の量の差だけではないということです。両者は、不確実な問題に直面したときに用いる、思考のOSそのものが異なっているのです。熟練者は、予測が難しい状況をコントロール可能なものへと変えていく効果創発のフレームで問題を捉え直し、初学者は、学校で学んだ予測と最適化のフレームを適用しようとします。
エフェクチュエーション選好は起業家のキャリア動機に左右
なぜ、ある人は予測に基づいた計画的なアプローチを好み、また別の人は、手元の資源から出発して柔軟に未来を創り上げていくアプローチを好むのでしょうか。これまでの研究は、その理由を、起業家としての経験の差や、事業を取り巻く環境の不確実性の度合いに求めてきました。しかし、同じような経験を持ち、同じような環境に置かれていても、人によって意思決定のスタイルが異なることは珍しくありません。
この個人差を生み出す要因の一つとして、その人が自らのキャリアに対してどのような動機を持っているか、という内面的な側面に光を当てた研究があります[4]。この研究では、人々のキャリアに対する考え方を、四つのタイプに分類しました。
一つ目は「線形(リニア)」タイプです。組織の階層を一段ずつ上っていくように、権限や達成感を求めてキャリアを築いていこうとする動機です。二つ目は「専門家(エキスパート)」タイプ。特定の分野で専門性を深め、その道の第一人者として認められることに安定と満足を見出します。三つ目は「螺旋(スパイラル)」タイプ。一つの専門分野に留まらず、関連する新しい領域へと周期的に移りながら、自己成長を追求していく動機です。四つ目が「遷移(トランジトリー)」タイプ。多様な経験や独立性を求め、特定の組織や職務に縛られずに、比較的短い期間で仕事を変えていくことを好みます。
研究者たちは、これらのキャリア動機が、起業家が因果ロジックと効果創発ロジックのどちらを好みやすいかと関連しているのではないか、という仮説を立てました。この仮説を検証するために、スウェーデンの起業家291名を対象とした調査を実施しました。調査では、参加者のキャリア動機を測定する質問と共に、ビジネス上の意思決定に関するいくつかの設問に答えてもらい、それぞれの人が因果ロジックと効果創発ロジックのどちらをより好む傾向があるかを数値化しました。
統分析の結果、キャリア動機と意思決定ロジックの選好との間に関連性が見出されました。まず、予測に基づいた計画的な「因果ロジック」を好むと回答した人々は、「線形」タイプや「専門家」タイプのキャリア動機が強いという結果が出ました。目標が明確で、達成への道筋を描きやすいキャリアを志向する人々は、ビジネスの意思決定においても、同様に目標設定から入る予測的なアプローチを選びやすいと解釈できます。
一方で、手元の手段から出発する「効果創発ロジック」を好むと回答した人々は、「螺旋」タイプや「遷移」タイプのキャリア動機が強いことが分かりました。自己成長や多様な経験を求めて、キャリアの道筋を柔軟に描き直していくことを厭わない人々は、ビジネスにおいても、状況に応じて目標を共創していく、統制志向のアプローチと親和性が高いようです。
この研究では、もう一つ発見がありました。それは過去の起業経験が、意思決定ロジックの選好に与える影響です。分析を進めると、起業経験の豊富さは、すべての人の効果創発ロジック選好を高めるわけではないことが分かりました。「螺旋」タイプのキャリア動機を持つ人に限って、起業経験を積めば積むほど、効果創発ロジックを好む傾向が一段と強まっていたのです。これは、関連領域への越境を繰り返す学習スタイルを持つ人が、起業という実践の場で、偶然を活かしたり、手段を拡張したりする効果創発の作法を、より効果的に学び取っていく可能性を示唆しています。
この研究が明らかにしたのは、意思決定ロジックの選択が、状況判断や経験の有無だけで決まるのではないということです。その人が何を大切にし、どのようなキャリアを歩みたいかという、個人のアイデンティティや価値観にも根差しています。
脚注
[1] Matalamaki, M. J. (2017). Effectuation, an emerging theory of entrepreneurship: Towards a mature stage of the development. Journal of Small Business and Enterprise Development, 24(4), 928-949.
[2] Read, S., Dew, N., Sarasvathy, S. D., Song, M., and Wiltbank, R. (2009). Marketing under uncertainty: The logic of an effectual approach. Journal of Marketing, 73, 1-18.
[3] Dew, N., Read, S., Sarasvathy, S. D., and Wiltbank, R. (2009). Effectual versus predictive logics in entrepreneurial decision-making: Differences between experts and novices. Journal of Business Venturing, 24, 287-309.
[4] Gabrielsson, J., and Politis, D. (2011). Career motives and entrepreneurial decision-making: Examining preferences for causal and effectual logics in the early stage of new ventures. Small Business Economics, 36(3), 281-298.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

