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コラム

従業員の心を動かす「経験」の作り方:ピーク・エンドの法則から学ぶ人事施策(セミナーレポート)

コラム

ビジネスリサーチラボは、202510月にセミナー「従業員の心を動かす『経験』の作り方:ピーク・エンドの法則から学ぶ人事施策」を開催しました。

従業員のエンゲージメント向上や離職率の低下といった課題の鍵を握るのが、日々の業務から面談、研修に至るまでの「従業員体験」の質です。しかし、良かれと思って設計した施策が、必ずしも従業員の記憶に残り、満足度につながるとは限りません。なぜなら、人の記憶は、経験した出来事すべてを均等に記録するビデオカメラのようにはできていないからです。

私たちの記憶は、むしろ印象的な場面を集めた写真帳に似ています。ある経験を後から振り返って「良かった」「悪かった」と評価する時、無意識のうちに特定の瞬間を切り取って判断しています。

この記憶の不思議なメカニズムを解き明かすのが「ピーク・エンドの法則」です。これは、経験全体の評価が、感情が最も高ぶった瞬間(ピーク)と、その経験の終わり(エンド)の印象に左右されるという法則です。

一見シンプルに聞こえる法則ですが、実はその働きは単純ではありません。例えば、喜びや達成感といったポジティブな経験では「終わり方」が、一方で不満や困難といったネガティブな経験では「最も辛かった瞬間」が、後の評価に強く影響を与えるという非対称性があることが近年の研究でわかってきました。さらに、休暇のような長期的な経験や、日々の業務のように複数の出来事が連なる複雑な状況では、この法則の適用には注意が必要です。

本セミナーでは、この「ピーク・エンドの法則」の基本から、その応用と限界までを掘り下げました。採用面接の締めくくり方、新入社員研修の最終日、あるいは退職者との最後のコミュニケーションなど、人事における重要なタッチポイントで従業員の記憶に残るポジティブな経験をいかにデザインできるでしょうか。この法則を理解することは、従業員のモチベーション向上や組織への帰属意識を高めるための新たな視点を提供できるはずです。

※本レポートはセミナーの内容を基に編集・再構成したものです。

はじめに

人事領域では、従業員のエンゲージメント向上を目指し、「従業員体験」の質を高めることに注目が集まっています。しかし、提供した施策や環境が、必ずしも意図した通りに従業員の心に刻まれているとは限りません。なぜなら、人間の記憶は選択的だからです。

私たちが過去の経験を評価する際、その全体を均等に思い出すのではなく、最も感情が揺さぶられた瞬間(ピーク)と、経験の最後の瞬間(エンド)に強く影響される傾向があります。これは「ピーク・エンドの法則」と呼ばれています。この記憶のメカニズムを理解することは、研修から日々のマネジメント、退職に至るまで、従業員の心に残る経験をデザインするための鍵となります。本講演では、この法則を深掘りし、人事への応用可能性を探ります。

なぜ記憶は「ピーク」と「エンド」で決まるのか

私たちは、過去の経験を評価する際、その経験中に感じた快楽や苦痛の総量で判断していると考えてしまいがちです。楽しい時間が長ければ良い経験であり、苦痛な時間は短ければ良い経験である、というように。しかし、心理学の研究は、私たちの経験評価がそれほど単純な足し算ではないことを明らかにしています[1]。むしろ、経験の中の特定の瞬間に強く影響されることがわかってきました。

このメカニズムを探る初期の研究では、経験の評価において「持続時間の無視」と呼ばれる現象が見出されています。例えば、被験者に不快な経験をさせる実験において、その持続時間を長くしても、後から振り返ったときの全体的な不快感の評価はほとんど変わらなかったのです。これは、経験の長さそのものよりも、その経験の中で最も強烈だった瞬間(ピーク)と、それがどのように終わったか(エンド)が、記憶に残る評価を決定づけていることを示唆しています。さらに、経験直後よりも、ある程度時間が経ってから評価を行うと、持続時間の影響はさらに弱まり、ピークとエンドの重要性が際立つことも確認されています。

この事実は、人間の記憶がまるでビデオカメラのように連続的に出来事を記録しているわけではないことを物語っています。私たちの記憶は、重要な場面だけを切り取ったスナップショット(静止画)の集まりのように、断片的に機能しています。

なぜピークとエンドがそれほど重要なのでしょうか。それは、この二つの瞬間が、その経験の持つ「個人的な意味」を凝縮して含んでいるからだと考えられています[2]

ピーク、すなわち感情が最も高まった瞬間は、その経験を乗り越えるために自分自身がどれだけの精神的・身体的資源を必要としたかを示す指標となります。困難なプロジェクトを完遂した瞬間の達成感(ポジティブ・ピーク)は、「自分にはこの難局を乗り越える力がある」という自己効力感を高め、将来同様の挑戦に立ち向かうための自信につながります。

一方、エンド、すなわち経験の最後の瞬間は、その経験に「完結感」を与えます。特に目標達成を目指す活動においては、エンドの状態がその活動の成功度合いや価値を象徴することになります。プロジェクトの成功を祝う打ち上げ(ポジティブ・エンド)は、そのプロジェクト全体の価値を決定づけます。仕事に対する誇りや仲間との絆といった深い意味を持つ感情は、記憶やその後の意思決定に影響を与えますが、ピークとエンドは、そうした深い感情が凝縮される瞬間です。

ビジネスを左右するピーク・エンド効果

このような心理学の話が、日々のビジネスや人事の仕事とどう関係するのか、疑問に思われる人もいるかもしれません。しかし、ピーク・エンドの法則は、私たちが意識していないだけで、職場の様々な場面で作用しています。

例えば、起業家が投資家から資金を調達する場面を分析した研究があります[3]。この研究では、クラウドファンディングサイトに投稿された多数のピッチ(プレゼンテーション)動画を分析し、起業家の感情表現が資金調達の成否にどう関わるかを調査しました。

顔表情分析ソフトウェアを用いた解析の結果、起業家が示す「喜び」の感情のピークが強いほど、資金調達額が増加することがわかりました。これは、起業家の熱意や自信が投資家に伝わったためと考えられます。

しかし、興味深いことに、その喜びの表現が約2.5秒以上続くと、逆に不自然な印象を与え、成果が低下することも判明しました。また、喜びのピークが記憶に残りやすいピッチの開始時と終了時に表現されると、資金調達の成功と強く関連していました。この研究は、ビジネスにおける意思決定が、合理的な判断だけでなく、記憶に残りやすい感情的な要素にも影響されることを示しています。

これを踏まえると、私たちの職場における様々なコミュニケーションにおいても、ピーク・エンド効果が作用していることが見えてきます。

例えば、忙しい同僚に「5分だけ質問してもいいですか」と依頼する場面を考えてみましょう。その5分間全体の平均的な丁寧さよりも、質問に対する相手の最初の反応(快く受け入れてくれたか、迷惑そうだったか)が感情的なピークとなり、会話の最後の「助かりました、ありがとうございます」「どういたしまして」というやり取り(エンド)が、その同僚に対する「相談しやすい人だ/しにくい人だ」という直後の印象を決定づけるかもしれません。

あるいは、廊下で会った上司に「あの件、どうなっていますか?」と聞かれ、2分ほどで進捗を報告する場面ではどうでしょうか。上司が報告内容のすべてを詳細に記憶するわけではありません。報告の中で最もインパクトのある数字(ポジティブまたはネガティブなピーク)と、別れ際の「順調ですね、頼みます」あるいは「そこは懸念点だから注視してください」といった最後の言葉(エンド)によって、上司はその進捗に対する「安心/不安」という短期的な印象を形成する可能性があります。

採用面接も同様です。候補者は、面接全体の平均点で企業を評価しません。面接官と意外な共通点で打ち解けて話せた瞬間(ピーク)と、面接終了後の見送りや最後の言葉かけ(エンド)の丁寧さが、「この会社で働きたい」という応募意欲につながり得ます。

さらに重要なのは、こうした記憶された経験が、従業員の将来の選択を左右するという点です。「また同じことをしたいか」という選択は、その時の「実際の経験」ではなく、後からどう記憶しているかという「記憶された経験」によって決まることが研究で示されています[4]

休暇体験を調査した研究でも、将来の再訪意欲は、休暇中の実際の幸福度よりも、記憶された幸福度と強く関連していました。記憶はしばしば美化されたり(バラ色の記憶効果)、ポジティブ・ネガティブ両方の感情が誇張されたりする傾向があるため、人はピーク・エンドの法則に影響された記憶に基づいて選択していると言えます。

このことを踏まえると、従業員の様々な行動に対するピーク・エンド効果の影響が見えてきます。

例えば、過去に担当した困難なプロジェクトが、途中は非常に大変だったとしても、最終的に顧客から熱烈な感謝を受けた瞬間(ポジティブ・ピーク)や、チーム全員で祝杯をあげた打ち上げ(ポジティブ・エンド)があれば、そのプロジェクトは「大変だったが、最高の経験だった」と記憶されます。そのため、次に同様の困難なプロジェクトへの参加を打診された際、「あの達成感をもう一度味わいたい」と考え、積極的に「参加する」ことを選択する可能性が高まります。

逆に、ある上司とのプロジェクトで、梯子を外されるような理不尽な経験(ネガティブ・ピーク)をすれば、たとえそれまで良好な関係だったとしても、「あの人とはもう仕事をしたくない」という記憶が形成されます。そして、将来の部署異動やプロジェクト編成の際に、その上司を「避ける」という選択をするようになります。

退職時の経験も決定的に重要です。たとえ数年間、やりがいのある仕事に恵まれ、同僚と良好な関係を築いていたとしても、退職時の引き継ぎでトラブルが続いたり、会社側の対応が冷淡であったりする(ネガティブ・エンド)と、会社での数々の良い思い出が上書きされ、「後味の悪い会社だった」という記憶が形成されてしまいます。

その結果、後日、会社からアルムナイ(退職者ネットワーク)への参加を案内されても、「あの会社とはもう関わりたくない」と感じ、「参加しない」という選択をする可能性が高くなります。良い記憶が、悪い最後の記憶によって塗り替えられてしまう典型例です。

快の記憶と不快の記憶はどう決まるか

ここまで、ピークとエンドが記憶を決定づけることを見てきましたが、実は、ポジティブな感情とネガティブな感情では、記憶のメカニズムに違いがあることが、近年の大規模な調査で明らかになってきました[5]。ピーク・エンドの法則は、感情の種類によって作用の仕方が異なるのです。

この違いを明らかにするために、アメリカで約1800名の成人を対象とした調査が行われました。この調査では、参加者に7日間にわたって日々の幸福感や悲しみなどを報告してもらい、週末にはその週全体の感情を振り返って評価してもらいました。そのデータを分析したところ、興味深い非対称性が浮かび上がりました。

幸福感や熱意といったポジティブな感情の評価は、経験の最後の瞬間である「エンド」の感情状態に強く影響されることが示されました。週の最後の日の気分が良ければ、その週全体が良かったと評価される傾向がありました。

一方で、悲しみや動揺といったネガティブな感情の評価は、経験の中で最も感情が強かった瞬間である「ピーク」が強く反映されることがわかりました。最も気分が悪かった日の印象が、その週全体の評価を支配していたのです。

なぜ、このような違いが生まれるのでしょうか。これは、人間の脳の情報処理の仕組みに関係していると考えられています。生存のためには、喜びよりも危険や脅威といったネガティブな情報に素早く反応し、それを強く記憶しておく必要があります。

この傾向により、ネガティブな情報はポジティブな情報よりも脳内で強く処理され、鮮明に記憶されます。その結果、ネガティブな経験においては、最も不快だった瞬間(ピーク)が記憶に深く刻み込まれ、後の評価を支配するのです。一方、ポジティブな経験は比較的記憶が薄れやすく、評価の際には最もアクセスしやすい直近の情報、すなわち「エンド」が重視されると考えられます。

この知見は、人事施策やマネジメントにおいて重要な示唆を与えてくれます。

ポジティブな経験に関しては、「終わりよければすべてよし」を強く意識する必要があります。ポジティブな出来事の記憶は、その最後の瞬間(エンド)に左右されます。これは、良い記憶を定着させる絶好の機会が、経験の最後に存在することを意味します。

したがって、会議や面談、プロジェクトなどをポジティブな雰囲気で締めくくることが重要です。会議において議論が紛糾したとしても、最終的には決定事項や次のステップを前向きに確認し、参加への感謝の言葉を添えるだけでも、参加者の記憶に残る印象は格段に良くなります。日常の業務においても、一日の終わりに「今日もお疲れ様でした」と笑顔で声をかけ合うなど、小さなポジティブな締めくくりを習慣にすることが、職場全体の良い記憶の蓄積につながります。

一方、ネガティブな経験に関しては、「最悪の瞬間」を作らないようにすることが肝要です。ネガティブな出来事の記憶は、感情が最も高ぶった瞬間(ピーク)によって決定づけられます。脳が生存のためにネガティブな情報を優先して記憶するため、この「ピーク」の影響力は強力です。

そのため、問題が発生した際や、部下に厳しいフィードバックを伝えなければならない際には、感情的なエスカレーションを避けることが優先事項となります。

例えば、人前で厳しく叱責する、相手の人格を否定するような強い言葉で詰問するといった行為は、強烈な「ネガティブ・ピーク」を生み出します。一度このようなピークが生まれてしまうと、相手に回復しがたい心の傷と悪い記憶を植え付け、その後の関係修復は非常に困難になります。

たとえ問題が長引いたとしても、感情の爆発といった事態を防ぐことができれば、その経験が記憶の中で取り返しのつかない最悪のものになることを防げます。重要なのは、ネガティブな感情の「最大瞬間風速」を抑えることです。

ピーク・エンド効果は短期決戦

ピーク・エンドの法則は、従業員の経験を理解する上で有用なツールですが、万能ではありません。この法則には適用限界があり、特に長期的で複雑な経験においては、必ずしも当てはまらないことが研究で示されています。

例えば、休暇旅行のような長期間にわたる経験を対象とした研究があります[6]。この研究では、参加者に休暇中の幸福度を毎日記録してもらい、休暇後に全体の評価を尋ねました。もしピーク・エンドの法則が常に成り立つなら、最も幸福だった瞬間(ピーク)と最終日(エンド)が全体の評価を決定づけるはずです。しかし、結果は異なりました。ピークとエンドの幸福度は、全体の評価とそれほど強い関連性を示さなかったのです。

むしろ、「最も記憶に残る一日」や「最も普段と違った特別な一日」の幸福度の方が、回想された全体評価とよく関連していました。この結果は、長期的な経験の評価には、単純なピークやエンドだけでなく、記憶に残った象徴的な瞬間や、予想外の出来事といった他の要素が影響することを意味しています。

この研究知見を踏まえると、人事施策を設計する際には、対象とする経験の性質(期間や複雑さ)に応じてアプローチを変える必要があります。

特に注意を払うべきなのは、短く、明確な区切りのある経験です。このような場面では、従来のピーク・エンド効果が作用するため、ピーク(感情の最大値)とエンド(終わり方)に細心の注意を払うべきでしょう。

例えば、1回の会議や個人面談です。参加者が「有意義だった」と思うかどうかは、議論が最も深まった瞬間や、会議の最後の前向きな締め方で決まります。半日や1日の研修も同様です。研修全体の満足度は、最も役立つと感じたワーク(ピーク)や、最後の質疑応答・まとめ(エンド)の印象に強く影響されます。

1つのプレゼンテーションの評価も、最もインパクトのあったスライド(ピーク)と締めの一言(エンド)で左右されます。また、従業員の退職手続き(オフボーディング)は、その従業員が会社に対して持つ最終的な印象を決定づける重要な「エンド」です。感謝を伝え、温かく送り出すポジティブなエンドを設計することが求められます。

逆に、考え方を変えるべきなのは、長期的で複雑な経験です。このような場合、ピークとエンドだけを意識しても、全体の評価には直結しにくいため、別のアプローチが必要です。

例えば、ある従業員の「A社での15年間」といった長期的なキャリア経験の評価は、特定の日(ピーク)の記憶だけで決まるわけではありません。1年以上にわたる大規模プロジェクトの評価も、最終日の記憶よりも、期間中に起きた様々な出来事の方が影響を与える可能性があります。組織風土や日々の人間関係のように、特定のピークやエンドが存在しない、連続的で複雑な経験もこれに該当します。

長期的な関係においては、どのようにして良い記憶を形成すればよいのでしょうか。鍵となるのは「象徴的な瞬間」を作ることです。キャリアやチームとの関係といった長期的な評価は、単純なピーク・エンドだけでは決まりません。より大きな視点での記憶のマネジメントが求められます。

普段から、記憶に残る物語を作ろうとすると良いでしょう。長い付き合いの中では、「あの時が一番大変だったけど、みんなで乗り越えたね」とか「あのプロジェクト成功のお祝いは最高だった」といった、後から語ることのできる象徴的な出来事が、関係性全体の印象を決定づけます。

また、非日常を意識することも有効です。普段と違う特別なイベントや、困難な状況を乗り越えた経験は、忘れられない記憶として定着します。こうした「記憶のフック」となるような体験を意識的に共有することが、長期的なエンゲージメントを高める上で効果的です。

おわりに

本講演では、「ピーク・エンドの法則」という人間の認知特性から、従業員の心を動かす経験の作り方について考えてきました。私たちの記憶は、経験の長さや平均的な感情ではなく、最も感情が動いた瞬間と最後の瞬間に強く影響されます。また、ポジティブな記憶はエンドで、ネガティブな記憶はピークで決まるという非対称性も存在します。

これらのメカニズムを理解することは、人事施策の効果を最大化する上で有益です。日々の会議の締め方から、フィードバックの方法、退職時の対応に至るまで、様々な場面でこの法則は作用しています。この知見を活用し、意図的にポジティブな記憶が残る瞬間を設計することで、エンゲージメントを高め、より良い組織作りに貢献できるはずです。

Q&A

Q:「ポジティブな終わり方」を意識的に演出しすぎると、従業員から「わざとらしい」と受け取られかねません。自然な形で良い記憶として残してもらうには、どうすればよいでしょうか。

ご指摘の通り、不自然な演出は逆効果です。大切なのは、特別なイベントとして無理に作り出すのではなく、日常業務の中に「意味のある締めくくり」を自然に組み込んでいくことです。

例えば1on1ミーティングの最後に、部下自身の言葉で「今日の気づき」を話してもらう時間を設けます。本人が自らの言葉でポジティブな変化を語ることで、「有意義な時間だった」という実感のこもった良い記憶として残りやすくなります。また、会議の終わりには、リーダーが参加者一人ひとりの貢献に触れ、「〇〇さんのおかげで議論が深まりました」と感謝を伝えるのも有効です。

いずれも、形式的な言葉でなく、その場の状況に合わせて誠実な気持ちで締めくくることが重要です。このような小さな積み重ねが、心に残るポジティブな経験を育みます。

Q:事業再編に伴う部署異動や厳しい業績評価など、ネガティブな内容を伝えなければならない場面があります。従業員の記憶に「最悪の瞬間」として残るのを避けるには、どのような伝え方をすればよいでしょうか。

このような状況で記憶のダメージを最小限に抑える鍵は、「誠実さ」と「透明性」でしょう。例えば部署異動を一方的に通告すれば、従業員は尊重されていないと感じ、「最悪のピーク」を生み出します。たとえ内容が厳しくても、「なぜその決定に至ったのか」という背景や経緯を、誠意をもって丁寧に説明することが不可欠です。会社の現状や決定の意味を話す「透明性」が、従業員の理解を助けます。

さらに「誠実さ」という観点では、本人のこれまでの貢献に敬意を払い、今後のキャリアへの配慮を示す姿勢が求められます。厳しい評価を伝える際も、11で向き合う時間を確保し、相手の感情を受け止めた上で、今後の成長に向けた支援策を共に考える。こうしたプロセスを踏むことで、「厳しい状況でも、きちんと向き合ってくれた」という人間的な信頼に基づいた記憶が残ります。

Q:フィードバックの場で従業員が感情的になるなど、一度発生してしまったネガティブなピークを後から和らげる方法はありますか。

「最悪の瞬間」でその経験を終わらせないことです。議論が紛糾してしまった場合、まず取るべきは、一旦その場を収め、冷静になるための時間を設けることです。「改めて来週お話ししませんか」と提案し、仕切り直すのが賢明です。これによって、感情的な対立が最高潮の瞬間が「終わり」になるのを防ぎ、経験をリセットできます。

そして後日、話し合いの場を設けた際には、前回のやり取りについて、まずはこちらから誠実に謝罪します。「先日は感情的になり、申し訳ありませんでした」と伝えることで、相手への尊重を示せます。この一連の対応は、「対話を通じて解決しようとした」という姿勢として伝わり、当初の「最悪の瞬間」という記憶を、「最終的にはきちんと向き合ってくれた」というポジティブな記憶で上書きできる可能性があります。

Q:長期的な従業員体験において重要だという「象徴的な瞬間」は、どのようにすれば作り出せるのでしょうか。

「象徴的な瞬間」とは、後から「あんなことがあったね」と語り草になるような、心に残る特別な出来事です。これには「非日常感」と「一体感」が要素となることが多いです。例えば、部署や役職の垣根を越え、普段関わらないメンバーと共通の目標に取り組む活動は象徴的な瞬間になり得ます。部門横断プロジェクトなどが良い例です。

大きなプロジェクトの節目に、メンバー全員で頑張りを称え合う時間を設けることも有効です。打ち上げの場で、お互いの貢献に感謝し合うことで、その瞬間は参加者にとって忘れられない記憶となります。日常業務だけでは生まれにくい、こうした感情的なインパクトを伴う経験が、エンゲージメントや帰属意識に長期的に影響を与えます。

Q:感情の起伏が生まれにくい定型的な業務において、「ピーク・エンドの法則」はどのように応用できますか。

平坦な経験には、「小さなピーク」と「ポジティブなエンド」を意図的に作り出していくアプローチが良いでしょう。例えば、一週間の終わりにチームで短いミーティングを行い、「今週達成できたこと」を共有します。これは週末を迎える直前に、ささやかな達成感という「小さなピーク」を味わう機会になり、週の仕事をポジティブに締めくくる「良いエンド」にもなります。

毎日の朝礼で、同僚の良い仕事ぶりを皆の前で紹介し、賞賛するのもおすすめです。本人にとって嬉しい「小さなピーク」ですし、周囲も前向きな気持ちになります。日常にこうしたポジティブな瞬間を散りばめることで、仕事の満足度を高めていくことができます。

Q:弊社では退職がネガティブな「終わり」になりがちです。これをポジティブな体験に変え、退職後も良好な関係につなげる工夫はありますか。

退職プロセスである「オフボーディング」をポジティブな体験にすることが、企業の未来を左右します。大切なのは、これまでの貢献に対する心からの「感謝」と、プロフェッショナルとしての「承認」を伝えることです。

最終出社日には、直属の上司だけでなく、関わりのあった役員や他部署のメンバーからも感謝のメッセージを寄せるといった工夫が考えられます。「多くの人が自分を見ていてくれた」という実感は、最高の餞別になります。

最終面談では、労をねぎらうと共に、今後のキャリアの成功を心から願っている気持ちを真摯に伝えることが大切です。定型句ではなく、「私たちは会社を辞めてもあなたのことを応援しています」と本気でエールを送る。このような丁寧なオフボーディングを経験した従業員は、会社に良い印象を抱き、将来的な協業や再雇用につながる可能性が生まれます。

脚注

[1] Fredrickson, B. L., and Kahneman, D. (1993). Duration neglect in retrospective evaluations of affective episodes. Journal of Personality and Social Psychology, 65(1), 45-55.

[2]  Fredrickson, B. L. (2000). Extracting meaning from past affective experiences: The importance of peaks, ends, and specific emotions. Cognition & Emotion, 14(4), 577-606.

[3] Jiang, L., Yin, D., and Liu, D. (2019). Can joy buy you money? The impact of the strength, duration, and phases of an entrepreneurs peak displayed joy on funding performance. Academy of Management Journal, 62(6), 1848-1871.

[4] Wirtz, D., Kruger, J., Scollon, C. N., and Diener, E. (2003). What to do on spring break? The role of predicted, on-line, and remembered experience in future choice. Psychological Science, 14(5), 520-524.

[5] Ganzach, Y., and Yaor, E. (2019). The retrospective evaluation of positive and negative affect. Personality and Social Psychology Bulletin, 45(1), 93-104.

[6] Kemp, S., Burt, C. D. B., and Furneaux, L. (2008). A test of the peak-end rule with extended autobiographical events. Memory & Cognition, 36(1), 132-138.


登壇者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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