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コラム

「対立」を「推進力」に変える思考法:『人事・HRフレームワーク大全』で乗り越えるマネジメントの「二項対立」

コラム

マネジメントは、絶え間ない意思決定の連続です。その意思決定の多くは、相反する価値観の狭間で下されます。個人の才能を尊重すべきか、組織の規律を優先すべきか。既存事業の安定を守るべきか、リスクを取って変革に挑むべきか。結果としての成果を追求すべきか、そこに至るプロセスの公正さを大切にすべきか。ビジネスの現場は、こうした二項対立、すなわちジレンマに満ちています。

この緊張関係の前で「どちらか一方」を選ばなければならないという思考に陥るリーダーも少なくありません。短期的な成果を追えば長期的な歪みが生まれ、安定を求めれば変化の速度に対応できなくなる。このジレンマが、マネジメントの難しさの本質と言えるかもしれません。一つの正解を選び取ろうとする思考は、しばしば組織を硬直化させ、本来両立し得たはずの価値を切り捨ててしまいます。現代の複雑な事業環境において、単純な二者択一のアプローチは機能しにくくなっています。

この度、上梓した『人事・HRフレームワーク大全』は、このような経営やマネジメントにおける「二項対立」を乗り越えるための、新しい思考の基盤を構築することを意図しています。本書は、83のフレームワークを通じて、複雑な人と組織の問題を解き明かします。それは単一の答えを示すものではなく、矛盾する価値を統合し、対立を組織の推進力へと転換するための「両極思考」を読者の皆さんに習得していただくための実践の書です。本コラムでは、組織が直面する主な二項対立を三つ取り上げ、フレームワークがいかに私たちの思考を深め、より高次の解決策へと導くのか、そのプロセスを解説していきます。

第一の対立:「個の尊重」か、「集団の規律」か

組織運営における問いの一つに、個人の能力や主体性を最大限に引き出すことと、組織としての一体感や規律を維持することのバランスをどう取るかという問題があります。優秀な個人の自由な発想や行動は、イノベーションの源泉となります。しかし、その力が個人の利益のためだけに使われ、組織の方向性と一致しなければ、それは才能の無駄遣い、あるいは組織の混乱を招く要因になりかねません。一方で、集団の規律や同質性を過度に求めれば、個の創造性は抑圧され、組織は活力を失い、環境変化に対応できない硬直的な集団となってしまいます。この「個の尊重」と「集団の規律」というジレンマに、私たちはどう向き合えば良いのでしょうか。

この問いに対して、まず「個」を深く理解するための視点を提供してくれるのが、本書で解説する「P-Eフィット(個人と環境の適合性)」というフレームワークです。この理論は、人がその能力を最も発揮するのは、個人の価値観や能力、ニーズが、組織の文化や職務要件、提供できる資源と適合している時であると示唆します。

これは単にスキルが合っているかという話に留まりません。仕事の進め方や対人関係の好み、キャリアに対する考え方といった、より深いレベルでの適合性が重要になります。画一的な人材配置や育成ではなく、一人ひとりの特性と組織環境との「相性」を捉えることの重要性を教えてくれます。ある人にとっては挑戦的な目標が動機づけとなる一方、別の人にとっては安定した環境がパフォーマンスを高める要因となるかもしれません。個人の欲求と組織が提供できるものを合致させていくアプローチは、個のエンゲージメントを高めるための第一歩となります。しかし、個人のフィット感だけを追求していては、組織は個人商店の集まりのようになり、部門間の連携が失われる危険性も伴っています。

そこで「集団」を育むための視点が必要になります。チームは人が集まっただけでは機能しません。『人事・HRフレームワーク大全』に収録されている「グループ発達」のフレームワークは、チームが成熟していくプロセスを描き出します。メンバーが集まり互いを探り合う「形成期」、意見の対立が表面化する「混乱期」、その対立を乗り越えて規範が生まれる「統一期」を経て、高い成果を出す「遂行期」へと至る。

この理論は、チーム内の対立、すなわち「混乱期」を単なる問題としてではなく、より強固な集団になるために不可欠なプロセスとして捉え直すことを可能にします。リーダーに求められるのは、この発達段階を的確に理解し、対立から逃げずに建設的な対話を通じて、チームが次のステージへと進むための支援を行うことです。衝突を恐れて表面的な調和を保とうとすれば、チームはいつまでも成熟しないのです。

ここで「両極思考」が求められます。優れた組織運営とは、「個の尊重」と「集団の規律」のどちらかを選ぶことではありません。その両方を、より高い次元で実現することです。P-Eフィットの観点から、個々の才能が最も活きる役割や環境を設計します。その上で、グループ発達のプロセスをマネジメントすることで、多様な個性を持つ人々が、対立を乗り越えながら協力し合うチームを築き上げていく。

例えば、チームの目標や行動規範といった「集団の規律」は全員で合意形成しつつ、その目標を達成するための具体的なアプローチは「個の尊重」に基づき各メンバーの裁量に任せる、といった運営が考えられます。個の力が集団の力を高め、集団の成功が個のさらなる成長を促す。そのような好循環を生み出すことが、この二項対立に対する解決策となるのです。

第二の対立:「安定による深化」か、「変革による探索」か

企業経営における永遠のテーマとも言えるのが、既存事業の効率化、すなわち「深化」と、新規事業への挑戦、すなわち「探索」のバランスです。深化は、組織に短期的な収益と安定をもたらす重要な活動です。しかし、それに安住していては、市場の変化や技術革新の波に乗り遅れ、企業の存続が危うくなります。一方で、未来の成長に不可欠な探索活動は不確実性が高く、既存事業で生み出した貴重な資源を消耗するリスクを伴います。この「守り」と「攻め」のジレンマを、組織はいかに乗り越え、持続的な成長を実現すれば良いのでしょうか。

「守り」の重要性を理解するために、本書で紹介する「組織戦略類型」の中の「防衛型戦略」が参考になります。市場が成熟し、競争環境が比較的安定している局面においては、組織の焦点を効率性の追求に絞り、コスト優位や品質維持によって盤石な地位を築く戦略が有効です。この戦略を支えるのは、標準化された業務プロセスや厳格な品質管理、階層的な組織構造です。既存の強みを磨き込み、確実な収益を確保することは、組織の基盤を支える上で有用です。しかし、この戦略は環境変化への対応力が犠牲になるという側面を併せ持っています。

そこで「攻め」の視点が必要になります。同じく「組織戦略類型」における「探索型戦略」は、予測困難な市場において、新しい機会を探し、リスクを取ってイノベーションを追求する戦略の有効性を示します。柔軟で分権的な組織構造を志向し、多くの試行錯誤の中から新たな成長の種を見つけ出す。このダイナミズムが、未来を切り拓きます。ここでは、短期的な失敗は学習の機会と見なされ、挑戦が奨励されます。しかし、探索だけに経営資源を注力すれば、組織は安定した収益基盤を失い、不確実性の高い状態に置かれることになります。

ここでもまた、どちらか一方を選ぶのではなく、両立を目指す「両極思考」が求められます。この二つの戦略を組織内で同時に追求する経営が、「両利きの経営」です。そして、「組織戦略類型」における「分析型戦略」が、その具体的な姿を示しています。分析型組織は、既存事業においては防衛型の論理で効率性を徹底的に追求し、安定した収益を確保します。そして、その事業で生み出された資源を、全く異なる論理で動く探索部門、例えば新規事業開発チームや研究開発部門に戦略的に投資するのです。

重要なのは、両部門に異なる評価基準、プロセス、文化の存在を許容することです。安定と変革、深化と探索。性質の異なる二つのエンジンを一つの組織内で同時に動かし、それらを経営レベルで統合していく。それによって、組織は短期的な収益性と長期的な成長性を両立させ、持続的な発展を遂げることが可能になるのです。

第三の対立:「結果の追求」か、「プロセスの公正」か

ビジネスの世界において、結果を出すことは重要です。目標達成や業績への強いコミットメントがなければ、組織は競争の中で生き残ることはできません。しかし、結果を追い求めるあまり、そのプロセスにおける不公平さや非倫理的な行動が看過されるようになれば、従業員の組織への信頼は失われ、長期的な視点で見れば組織は崩壊へと向かいます。この「結果」と「プロセス」の間に存在する緊張関係に、リーダーはどのように向き合えば良いのでしょうか。

初めに、人々を「結果」へと導く動機づけのメカニズムを理解することが重要です。本書で解説する「期待理論」は、人が行動を起こす際の心理的なプロセスを解き明かします。人は、自らの「努力」が「成果」に結びつき、その「成果」が自身にとって魅力的な「報酬」につながると信じられる時に、強く動機づけられる。

このフレームワークは、明確な目標設定と成果に連動した報酬体系が、組織のパフォーマンスを高める上で強力な手段となり得ることを示しています。結果を出すことへのインセンティブを設計することは、組織運営において不可欠な要素です。この期待の連鎖がどこか一つでも途切れれば、動機づけは損なわれます。

しかし、この成果主義的なアプローチだけでは、人は機械のようには動きません。そこで重要になるのが、「プロセス」の公正さです。『人事・HRフレームワーク大全』に収録されている「組織的公正」の理論は、人が「何を得たか」という分配の公正さだけでなく、「その結果がどのように決められたか」という手続きの公正さを重視することを明らかにしています。

たとえ自分にとって望ましくない結果、例えば希望の部署への異動が叶わなかったとしても、その決定プロセスが透明で一貫した基準に基づいており、自身の意見を述べる機会が与えられていれば、人は組織への信頼を維持しやすいのです。公正でないプロセスから生まれた結果は、たとえ一時的な報酬が伴ったとしても、従業員の長期的なエンゲージメントにはつながらないでしょう。

優れたマネジメントは、この「結果」と「プロセス」を統合します。期待理論に基づいて、成果に対するインセンティブを効果的に設計する一方で、その評価や意思決定のプロセスには、組織的公正の考え方を徹底させる。誰もが納得できる透明なルールの下で健全な競争が行われ、その結果として得られた成果が正当に報われる。

例えば、挑戦的な目標を設定する際には、その達成プロセスを評価する仕組みや、失敗から学ぶことを許容する文化を同時に育むことが重要です。この両立が実現されれば、従業員は安心して目標達成に邁進することができ、組織は持続的な活力を得ることが可能になります。結果を出すことと、その過程で誰もが尊重されること。この二つは対立するものではなく、相互に強化し合う関係にあるのです。

フレームワークは「両極」を乗りこなすための思考基盤

本コラムでは、組織運営においてリーダーが直面する二項対立を乗り越えるための「両極思考」を、本書のフレームワークと共に探求してきました。「個の尊重」と「集団の規律」、「安定による深化」と「変革による探索」、「結果の追求」と「プロセスの公正」。これらの問いに対する単純な答えは存在しません。それぞれの組織が置かれた状況に応じて、最適なバランス点を探り続けることが求められます。

『人事・HRフレームワーク大全』に収められた83の思考の道具は、皆さんを「どちらか一方」を選択するという思考の罠から解放してくれるはずです。複雑な現実を前にして、対立する価値観を安易に切り捨てるのではなく、それらを統合し、より高次の解決策を生み出すための視座を与えてくれます。これは、やみくもに知識を増やすことではなく、思考の質を変える試みです。

この本は、一度きり読み終えるためのものではありません。人と組織に関わる問題は、常に変化し、新たな様相を呈します。本書が提供するのは、変化の激しい現代ビジネスの環境下で、皆さん自身が思考を鍛え、組織をより良い未来へと導くための、信頼できる思考の基盤です。ぜひ、この思考基盤を手に、皆さんの現場で、新たな一歩を踏み出していただきたいと思います。


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『組織内の“見えない問題”を言語化する 人事・HRフレームワーク大全』、『イノベーションを生み出すチームの作り方 成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(ともにすばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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