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コラム

意志力の科学:「個人の意志」を「組織の強み」に(セミナーレポート)

コラム

ビジネスリサーチラボは、20258月にセミナー「意志力の科学:『個人の意志』を『組織の強み』に」を開催しました。

「あの人は意志が強いから、高い成果を出せる」「自分はつい先延ばしにしてしまう」。私たちは日々の業務や生活の中で、無意識のうちに「意志力」という言葉で片付けてしまうことがあります。

しかし、従業員の生産性やエンゲージメント、ひいては組織全体のパフォーマンスを考える上で、この「意志力」の正体を知ることは、人の成長や組織開発に携わる皆様にとって、これまでにない視点をもたらすでしょう。

近年の研究では、意志力が単なる精神論や根性論ではなく、科学的に解明されつつある心の働きであることがわかってきました。意志力は、生まれつきの才能という側面だけでなく、後天的に鍛えられる能力であることも明らかになっています。

重要なのは、意志力そのものの強さだけでなく、私たちが意志力をどのように捉え、どのように向き合うかです。意志力に対する少しの工夫や考え方の転換が、困難な状況における粘り強さや、日々の仕事で感じる心理的な消耗度に影響を与えることも、研究によって示唆されています。

本セミナーでは、こうした意志力に関する研究知見を皆様にご紹介しました。従業員のパフォーマンスを科学的な観点から見つめ直し、明日からの施策や事業に活かすための新たな気づきを提供しました。

※本レポートはセミナーの内容を基に編集・再構成したものです。

はじめに

「意志力」と聞くと、精神論や個人の資質の問題だと考えられることがあります。しかし、もしそれが組織の生産性を左右する「鍛えられる技術」だとしたら、どうでしょう。本講演では、これまで曖昧に語られてきた意志力に科学の光を当て、その正体を解き明かします。意志力は、個人の頑張りだけに留まらず、組織全体のパフォーマンスを向上させるための「戦略的資源」となり得ます。

最新の研究に基づいて、意志力のメカニズムを紐解き、具体的な強化法から組織での活用術までを体系的に解説します。社員一人ひとりが持つポテンシャルを、組織の持続的な成長エンジンへと転換する。そのための実践的な知見をお伝えします。

意志力の鍛え方

私たちの行動は、単純化して言えば、理性と感情のせめぎ合いの中にあります。心理学の世界では、この内なる葛藤を、短期的な欲求や感情に素早く、自動的に反応する「ホットシステム」と、長期的な視点で情報を分析し、論理的に思考する「クールシステム」という二つの異なる心の働きで説明します[1]。例えば、目の前の魅力的なデザートに「今すぐ食べたい」と瞬時に反応するのがホットシステムであり、「これを食べると長期的な健康目標が遠のく」と冷静に判断するのがクールシステムです。

意志力とは、これら二つのシステムのバランスを巧みに取り、自分を望ましい方向へと導く、自己調整能力と言えるでしょう。このバランスは、ストレスによっても変動します。特に、強いストレス下ではクールシステムの機能が低下し、衝動的なホットシステムが優位になりやすいことがわかっています。

有名な「マシュマロ・テスト」は、このメカニズムを巧みに示した実験です。すぐにご褒美に飛びつかず、より大きな報酬のために待つことができた子どもたちは、ただ我慢していたわけではありません。彼ら彼女らは、注意をマシュマロから意図的に逸らしたり、マシュマロを「食べ物」ではなく「白い雲のようなただの物体」として捉え直したりといった認知的な戦略を用いていました。これは、クールシステムを意識的に活性化させ、ホットシステムの衝動を乗り越えた事例です。

では、こうした意志力はどのようにすれば強化できるのでしょうか。意志力は、単なる根性論ではなく、自分の内なる衝動や長年の習慣から自由になり、理想とする自分と現実の行動との間の溝を埋めるための、知的な精神活動です。

ある調査では、トップリーダーやアスリートなど、様々な分野で高い成果を出す人々は、一般の人々と比較して意志力が強い傾向にあることが示されました[2]。彼ら彼女らは、幼少期に親や兄弟といった身近なロールモデルから規律や努力の価値を学んだ経験を持つなど、興味深い共通点が見られました。目標に対する強い「コミットメント」、すなわち「必ずやり遂げる」という深い関与を持ち、あまりに壮大な目標は現実的な小タスクに分割して着実に実行するなど、意志力を効果的に発揮するための技術を後天的に身につけていました。

さらに、意志力はトレーニングによって鍛えることが可能であると、多くの研究が示唆しています[3]。例えば、思考を整理し行動を柔軟に切り替える能力を鍛える認知トレーニング、継続的な身体運動、そして自分の心の状態を静かに観察するマインドフルネスなどが、自分をコントロールする能力を向上させることが報告されています。

こうしたトレーニングは、努力に対する価値観そのものを変える可能性も秘めています。「学習された勤勉性」という理論によれば、多大な努力の末に高い報酬を得るという経験を繰り返すことで、私たちの脳は「努力すること自体が価値あることだ」と学習します。その結果、努力を要する困難な課題に対しても、以前より前向きに取り組めるようになるのです。ある実験では、あえて努力を要する課題を経験させた子どもたちが、トレーニング後には、より大きな報酬を得られる困難な選択肢を自ら好むようになったことが示されており、この理論を裏付けています。

しかし、目標達成のための賢明な戦略は、必ずしも強靭な意志力で誘惑と正面から戦うことではない、という指摘も重要でしょう。近年の研究では、自己制御に長けた人々は、日常生活において意志力に頼る場面が少ないことが明らかになってきました[4]。目標達成を妨げるような誘惑に満ちた状況を意図的に避け、目標に沿った行動が自然とできるように日々の生活を習慣化・システム化することで、そもそも意志力を使わなければならない葛藤の場面を未然に防いでいるのです。

誘惑に抵抗する試みが成功することもありますが、その成功率は安定していません。それよりも、集中を妨げるスマートフォンの通知を切っておく、重要な思考作業は邪魔の入らない会議室で行うなど、計画的に誘惑を回避する方が、効果的で持続可能な自己制御につながります。もちろん、新しい習慣を身につける初期段階では意志の力も必要ですが、長期的な視点に立てば、誘惑を遠ざける環境整備や、仕事の進め方をルーティン化するといった戦略を組み合わせることが、個人のパフォーマンスを安定させ、ひいては組織全体の生産性を高める要因となります。

意志力は有限か、無限か

「昨日はあれだけ頑張ったのだから、今日はもう無理だ」と感じる日もあれば、「大変だったけれど、かえって調子が出てきた」と感じる日もあります。この違いは、どこから来るのでしょうか。その鍵を握るのが、私たち一人ひとりが無意識のうちに抱いている「意志力は有限か、無限か」という信念です。この信念が、日々の目標達成のあり方を左右することが、数々の研究によって明らかになってきました。

ある研究では、大学生たちに日々の負荷の度合いと翌日の目標達成に関する予測と行動を記録してもらいました[5]。その結果、意志力を「使うと消耗する有限な資源」と捉えている学生(有限理論)は、前日に高い負荷を経験すると、「昨日の疲れが残っているから、今日はパフォーマンスが落ちるはずだ」と翌日の目標達成予測を低く見積もる傾向がありました。そして実際に、翌日の行動の効率も低下していました。

一方で、意志力を「使っても減らない、むしろ活性化する無限の資源」と信じている学生(無限理論)は、前日の負荷が高いほど、「昨日の経験を活かして、今日はもっとやれるはずだ」と翌日の目標達成予測を高く設定し、実際の行動もより効果的になるという、正反対の結果が見られたのです。無限理論者にとって負荷の高い日は「意志力を鍛える絶好のトレーニング」と解釈され、有限理論者にとっては「回復不能な資源の枯渇」と認識される。この解釈の違いが、翌日のパフォーマンスを変えていたのです。

この「意志力は有限だ」という信念は、困難な課題の後に休息を求める心理を無意識のうちに強めることもわかっています[6]。実験で、参加者に自己制御を要する課題に取り組んでもらった後の行動を観察したところ、有限理論を持つ人々は、その後に「リラックス」「休憩」といった休息を促す言葉への反応が速くなり、ソファや枕といった休息を連想させる道具をより肯定的に評価しました。そして実際に、次の課題へ移る前の休憩時間も、無限理論を持つ人々より長く取る傾向が見られました。

これは、有限理論を持つ人々にとって、自己制御はエネルギーの「貸し」であり、休息によって「返済」されるべきものだと無意識に判断されていることを示唆しています。意志力に関する信念は、困難なプロジェクトを終えた後、次の挑戦にすぐ向かうか、あるいは一旦休息を取るかという、職場での重要な意思決定にも日々影響を与えている可能性があります。

学習の持続性という観点からも、この信念の影響は明らかです。ある実験では、参加者に意志力に関する異なる内容の記事を読んでもらい、一時的に特定の信念を植え付けました[7]。その後、難易度の高い学習課題に取り組んでもらったところ、意志力を「無限の資源」と捉えるよう促された人々は、課題を通して継続的にパフォーマンスを向上させることができました。

対照的に、「有限の資源」と捉えるよう促された人々は、学習の途中で成長が止まってしまいました。有限理論を持つ人は、精神的な負荷を「エネルギーの枯渇」と解釈して無意識に努力をセーブするのに対し、無限理論を持つ人は、それを「成長を促す刺激」と捉え、挑戦を続けることができるのです。

さらに、長期的な追跡調査では、意志力を無限と信じる学生は、有限と信じる学生に比べて、全般的に自己制御能力が高いことが示されています[8]。特に試験期間など、学業の負荷が高まる状況下でその差は顕著になり、無限理論の学生は課題の先延ばしが少なく、結果的に、高い学業成績を収めていました。このことから、意志力に対する「信念」そのものが、実際の自己制御能力を育む土壌となっている可能性がうかがえます。

この効果は、ビジネスの現場にも当てはまります。顧客対応などで本心とは異なる感情を表現する「感情労働」は、大きな心理的負担となります。調査によると、有限理論を持つ人は、この感情的な負担による疲労感を職場だけでなく家庭にまで持ち越してしまう「負の波及効果」に苛まれやすい傾向がありました[9]。しかし、無限理論を持つ人は、同様の感情的負担を経験しても、自我の消耗が少なく、ワークライフバランスを良好に保つことができていました。

そして、意志力に関する信念は私たちの幸福感にまで影響を及ぼします。複数の調査を統合すると、意志力を有限と考える人ほど、生活全般に対する満足度が低く、不快な気分を経験しやすいという一貫した傾向が見られます[10]。無限と信じる人は、ストレスの多い時期でも目標達成に向けて前進しやすく、その進捗を実感すること自体が幸福感を支えるという好循環を生み出していました。

意志力は有限か、無限か。この見えざる前提が、私たちの行動、成長、そして幸福の質を左右しているのです。

無限の意志力を引き出す方法

意志力を「無限の資源」と捉えることが、パフォーマンスや幸福感にこれほど良い影響を与えることは見てきた通りです。では、どうすれば組織のメンバーがそのような信念を育むことができるのでしょうか。生まれつきの性格だと諦める必要はありません。研究は、特定の経験や環境が、私たちの意志力に対する考え方を後天的に形成し、変容させることを示唆しています。

興味深いことに、意志力に関する信念は年齢と共に変化する傾向があります。ある調査によると、年齢を重ねるほど、意志力を「無限な資源」と信じる人が増えることがわかりました[11]。この変化の背景には、「自律性」、すなわち「自分の行動を自分で決定している」という感覚が関わっていると考えられています。

高齢者は若者に比べ、困難な課題に直面した際に「他者から強制されたのではなく、自分の意志で取り組んでいる」と感じる度合いが強く、この感覚が意志力を無限だと捉える信念につながっています。実際に、実験で若者に意図的に高い自律性を感じさせると無限理論に傾き、逆に高齢者から自律性を奪うような状況を作ると有限理論に近づくことが確認されており、自律性が意志力の信念を形作る上で重要であることがわかります。

この「自律性」の役割は、目標追求の動機に関する研究によって、さらに明確になります。「やらなければならないからやる」という義務感や外的圧力に基づく目標追求ではなく、「心からやりたいからやる」という内発的な動機に基づいた自律的な目標追求が、人の内なる「活力」を高めることがわかっています[12]。そして、この高まった活力が、「意志力は消耗するものではなく、むしろ使うほどに湧き出てくる無限の資源である」という信念を育みます。

実験的に、参加者に自分の興味や価値観に基づいて課題に取り組むよう促したところ、より強い活力を感じ、意志力は消耗しないという無限理論を支持しました。これらの結果は、意志力の信念が固定的・先天的なものではなく、日々の仕事や生活における「活力の経験」によって柔軟に変わり得ることを示しています。

これらの知見を基にすれば、社員が自らの意志力を無限の資源として活用できるよう、組織として支援できることが数多く見えてきます。それは、本人が内なる活力を生み出すための工夫と、周囲がその活力を引き出す環境づくりに集約されます。

本人ができることとして重要なのは、「やらされ感」を「やりたいこと」に転換し、仕事における自律性を主体的に獲得することです。例えば、単調に思える報告書作成も、「この報告書を通じて、自分の分析能力をチームに貢献させる絶好の機会にしよう」と仕事の意味を自ら再定義することで、義務は価値創造の挑戦へと変わります。

上司から与えられた仕事の進め方に対して、「この部分は新しいツールAを試して、進めてみて良いでしょうか」と自分の裁量を盛り込む提案をすることも有効です。このように「自分でコントロールしている」という感覚が活力を生み、困難に立ち向かう尽きない力の源泉となります。

一方で、周囲、特に上司の役割は重要です。部下の自律性を尊重し、無限理論を育む環境を作ることが求められます。マイクロマネジメントはその最たる障壁と言えるでしょう。「この手順でやりなさい」と細かく指示するのではなく、「このゴールを目指してほしい。そこへの最適な道のりは、あなたの専門性を信じて任せます」と結果を定義してプロセスを委任する。この権限移譲が、部下を「やらされ感」から解放します。

また、方針を伝える前に、「この件、どう進めるのがベストだと思いますか」と意見を求める姿勢も、部下の意思決定への参加を促し、「自分も望んだことだ」という当事者意識、すなわち自律性を育みます。

1on1などの対話の場では、本人が「何をやりたいのか」「どんな仕事にやりがいを感じるのか」という内発的動機に焦点を当て、その挑戦を奨励し、たとえ失敗しても「良い学びになった。この経験を次にどう活かすか」と前向きに受け止める文化が大事です。失敗を許容する心理的安全性が、活力を伴う自律的な挑戦を促し、結果的に本人の無限理論を後押しすることになるでしょう。

おわりに

本講演を通じて、意志力が個人の精神力や気質の問題ではなく、脳の仕組み、日々の習慣、そして自らの信念によって左右される、後天的に育成可能なスキルであることを探ってきました。衝動をコントロールし、誘惑を賢く避け、努力を価値ある経験へと変えて、そして何よりも「意志力は無限である」と信じること。その鍵は、個人と組織が一体となって「自律性」を育み、そこから生まれる内なる「活力」を引き出す環境を構築することにあります。

組織としては、社員一人ひとりの意志力を、規律で縛る管理対象としてではなく、組織の持続的な成長を支える貴重な人的資源の一つとして捉え、その無限の可能性を最大限に引き出すための視点を持つ必要があるでしょう。個の力が解放された時、組織はかつてない強さを手に入れることができるかもしれません。

Q&A

Q:従業員の多様性を尊重するという観点からの質問です。人の特性や価値観は様々です。中には、自分の意志力には限りがあるという「有限理論」を持つことで、無理をせずに自分を守り、かえって安定的にパフォーマンスを発揮できるタイプの人もいるのではないでしょうか。組織として一律に、意志力は無限であるという「無限理論」を推奨することが、個性を抑圧し、息苦しさを生むことにはならないでしょうか。

非常に重要で本質的なご指摘をありがとうございます。結論から申し上げますと、ご指摘の通り、「無限理論」を組織の統一見解として画一的に押し付けることは避けるべきです。

今回の議論で本当に大切なのは、「では、人の心に無限理論的な考え方を育むものは一体何なのか」という点です。セミナーでお伝えした通り、それは「自律性」(やらされ感なく、自身の判断で仕事を進められる感覚)や「内発的動機」(仕事そのものへのやりがい)といった要素が土台になります。

社員一人ひとりに対して「意志力は無限なのだから、もっと頑張りなさい」と教え込むことには、ほとんど意味がありません。それよりも、従業員が自分の仕事に価値や意味を見出しやすいようにサポートしたり、主体的に業務に取り組めるよう適切な権限移譲を進めたりする、といった環境を整えるアプローチが重要です。そのような環境が整えば、社員は自ずと仕事に対する活力を感じ、その結果として、自然と無限理論に近いスタンスが育まれていきます。この順番を間違えると、単なる精神論に陥ってしまいます。

Q:「無限理論」という考え方が、「無限に働いても大丈夫」という誤った解釈をされ、従業員の過剰な自己犠牲やサービス残業を助長してしまう危険性はないのでしょうか。また、もしそのような危険性があるとしたら、人事は誤用を防ぐためにどのようなメッセージを発信すべきでしょうか。

これもまた重要なご指摘です。そのリスクは十分にあると認識しています。「有限理論」を持つ人が努力を怠るリスクがあるのと同様に、「無限理論」を持つ人が過剰に働きすぎてしまうリスクは存在します。この二つのリスクは表裏一体です。

セミナーで触れた「自律性」や「内発的動機」も、仕事が楽しくなりすぎるあまり、結果的に心身の健康を損なうほどの長時間労働につながってしまう副作用を及ぼす可能性があります。

したがって、組織としてはまず、「休息の重要性」を公式に、そして繰り返し発信し続けること。「無限理論」とは、決して「無限に長時間働くための理論」ではなく、「困難な挑戦を通じてむしろ活力が湧いてくる心の働き」なのだと区別して伝える必要があります。

言うまでもなく、労働時間の適切な管理も不可欠です。パフォーマンスを高める環境整備と、社員の安全と健康を守る労務管理は車の両輪です。どちらか一方が欠けても、組織は前に進めません。

Q:私の職場には、部下を細かく管理し、逐一指示を出すことこそが自分の仕事だと信じ込んでいる管理職がいます。このような上司に対して、部下の自律性を尊重するように促すには、どのようなアプローチが有効でしょうか。

マネジメントの現場で直面する、悩ましい問題ですね。いわゆる「マイクロマネジメント」が管理職の役割だと信じている方の意識を変えるのは、一筋縄ではいきません。

特効薬はありませんが、原理原則として有効なのは、「任せてみたら、うまくいった」という成功体験を、その管理職自身に経験してもらうことです。人は、どれだけ論理的に説得されても長年の信念を変えるのは難しいものですが、自らの体験を通じてなら変化のきっかけが生まれます。

もちろん、いきなり全てを任せるのは不安が大きいでしょうから、小さなステップから始めるのが現実的です。例えば、その管理職が信頼している部下を一人か二人選び、プロジェクトの特定の一部分の裁量を委ねてみるのです。

部下は主体性を持って仕事に取り組むようになり、そして、管理職自身が細々とした指示や進捗確認から解放され、より本質的な業務に集中できるようになるでしょう。「任せたら、自分も楽になった」という体験が、凝り固まった信念を少しずつ溶かしていくきっかけになるはずです。

Q:「経験学習のサイクル」を回す際には、ただ挑戦的な仕事(ストレッチアサインメント)を与えるだけでなく、そこに「無限理論」の考え方を組み込んでいく必要があると感じました。

ここで言う「経験学習のサイクル」とは、挑戦的な仕事を経験し、それを振り返り、教訓を引き出し、次に活かす、という成長の循環を指すという理解でお答えします。

このサイクルを回す上で、ただ難しい仕事を与えるだけでは不十分な場合があります。挑戦を前にして「自分の力では無理だ」と有限理論的な考えが先に立つと、経験から学ぶどころか、挑戦そのものを避けてしまうからです。

そこで重要になるのが、挑戦的な仕事を与える際に、本人の「自律性」や「内発的動機」を高める働きかけを同時に行うことです。例えば、裁量権を与えたり、仕事の意義を伝えたりする。こうした働きかけによって、本人はその挑戦を「やらされるタスク」ではなく、「自分の成長のための機会」だと捉えることができ、経験学習のサイクルがより円滑に回り始めるでしょう。

Q:「学習された勤勉性」を育むには、「努力に見合う報酬経験」が重要だと理解しました。しかし、昨今の若手社員には「タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視し、非効率な努力を嫌う傾向があります。このような価値観を持つ人たちに、どうアプローチすれば良いでしょうか。

まず、「タイパ」重視という価値観を否定しないことが前提です。その上で本質は、その努力が「本人にとって価値あるもの」と認識できるかどうかにあります。無意味な努力は誰でも嫌なものです。

解決策は、1on1などを通じて本人のキャリア観や興味を深く理解すること。次に、その価値観に合った挑戦的な仕事を設計すること。そして、挑戦の過程で「こんな力がつきましたね」と具体的なフィードバックを与え、本人が努力の成果(報酬)を実感できるようサポートすることです。これによって、「学習された勤勉性」が育まれていきます。

脚注

[1] Metcalfe, J., and Mischel, W. (1999). A hot/cool-system analysis of delay of gratification: Dynamics of willpower. Psychological Review, 106(1), 3-19.

[2] Karp, T., Lagreid, L. M., and Moe, H. T. (2014). The power of willpower: Strategies to unleash willpower resources. Scandinavian Journal of Organizational Psychology, 6(2), 5-25.

[3] Audiffren, M., Andre, N., and Baumeister, R. F. (2022). Training willpower: Reducing costs and valuing effort. Frontiers in Neuroscience, 16, 699817.

[4] Ainslie, G. (2021). Willpower with and without effort. Behavioral and Brain Sciences, 44, e30.

[5] Bernecker, K., and Job, V. (2015). Beliefs about willpower moderate the effect of previous day demands on next days expectations and effective goal striving. Frontiers in Psychology, 6, 1496.

[6] Job, V., Bernecker, K., Miketta, S., and Friese, M. (2015). Implicit theories about willpower predict the activation of a rest goal following self-control exertion. Journal of Personality and Social Psychology, 109(4), 694-706.

[7] Miller, E. M., Walton, G. M., Dweck, C. S., Job, V., Trzesniewski, K. H., and McClure, S. M. (2012). Theories of willpower affect sustained learning. PLoS ONE, 7(6), e38680.

[8] Job, V., Walton, G. M., Bernecker, K., and Dweck, C. S. (2015). Implicit theories about willpower predict self-regulation and grades in everyday life. Journal of Personality and Social Psychology, 108(4), 637-647.

[9] Konze, A. K., Rivkin, W., and Schmidt, K. H. (2019). Can faith move mountains? How implicit theories about willpower moderate the adverse effect of daily emotional dissonance on ego-depletion at work and its spillover to the home-domain. European Journal of Work and Organizational Psychology, 28(2), 137-149.

[10] Bernecker, K., Herrmann, M., Brandstatter, V., and Job, V. (2017). Implicit theories about willpower predict subjective well-being. Journal of Personality, 85(2), 136-150.

[11] Job, V., Sieber, V., Rothermund, K., and Nikitin, J. (2018). Age differences in implicit theories about willpower: Why older people endorse a nonlimited theory. Psychology and Aging, 33(6), 940-952.

[12] Sieber, V., Fluckiger, L., Mata, J., Bernecker, K., and Job, V. (2019). Autonomous goal striving promotes a nonlimited theory about willpower. Personality and Social Psychology Bulletin, 45(8), 1295-1307.


登壇者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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