2025年7月15日
喜びはエンドで、不快はピークで:感情が記憶を形作るメカニズム
最近行った旅行や受けたサービスのことを思い出してみてください。その体験全体を評価するとき、実は特定の瞬間だけを選び出して判断しています。「ピーク・エンドの法則」は、人間の記憶の不思議な選択性を明らかにしています。この法則によれば、私たちは体験全体ではなく、最も感情が強く動いた瞬間(ピーク)と最後の瞬間(エンド)を基準に過去を評価しているのです。
レストランで長時間待った後に素晴らしいデザートを楽しめば、不満は和らぎます。逆に、素晴らしい休暇の最終日に財布を紛失すれば、旅行全体の印象が台無しになることもあります。この現象は消費者行動から医療、教育、ビジネスに至るまで、私たちの生活の様々な側面に影響を与えています。
しかし最新の研究では、この法則はより複雑で状況依存的であることが示唆されています。感情の種類によって評価は変わるのか。すべての状況でエンドは同じ影響力を持つのか。本コラムでは、ピーク・エンドの法則に関する研究を通じて人間の記憶と判断の精妙なメカニズムを探ります。これによって、自分自身の意思決定や他者の行動を理解し、効果的な体験を設計する方法を見出すことができるでしょう。
快でエンド、不快でピークが重要
過去の出来事を思い出すとき、その全体を正確に記憶しているわけではありません。記憶は選択的であり、特定の瞬間が全体の印象を形作ります。これまでの研究では、「ピーク・エンドの法則」として知られる現象が報告されてきました。この法則によれば、人は経験の中で最も感情が強かった瞬間(ピーク)と最後の瞬間(エンド)に基づいて、過去の経験を評価する傾向があるとされています。
しかし、この法則はもう少し複雑であることが明らかになってきました。特に、ポジティブな感情とネガティブな感情では、記憶の仕方に違いがあることが分かってきたのです。
ある研究では、222人の参加者を対象に、5日間にわたる感情の変化を調査しました[1]。参加者はスマートフォンアプリを使って、一日の中で感じた感情をリアルタイムで記録しました。そして一日の終わりと週の終わりに、その期間全体の感情を振り返って評価しました。研究者たちは、「熱意」や「動揺」といった様々な感情項目を使って、感情の強さと頻度を測定しました。
この調査から見えてきたのは、ポジティブな感情とネガティブな感情で、記憶の仕方に違いがあるということです。ポジティブな感情の場合、人々は経験の最後の瞬間(エンド)の感情状態に強く影響されて全体を評価する傾向がありました。一方、ネガティブな感情の場合は、経験の中で最も強い感情を感じた瞬間(ピーク)が全体評価に反映されていました。
しかし、この研究だけでは参加者数が限られていたため、結果の確からしさに疑問が残ります。そこで研究者たちは、より大規模な調査を行うことにしました。アメリカ全土から抽出された1,812名の成人を対象に、電話インタビューを用いて7日間の感情経験を調査したのです。参加者は毎日の「幸福感」や「悲しみ」などの感情の頻度を報告し、週末にはその週全体の感情を振り返って評価しました。
この調査の結果は、最初の研究結果を裏付けるものでした。ポジティブな感情の評価では、最後の日(エンド)の感情状態が強い影響力を持っていましたが、最も強い感情を感じた日(ピーク)の影響はほとんど見られませんでした。反対に、ネガティブな感情の評価では、ピークの日の感情が強い影響力を持ち、最後の日の影響はほとんど見られなかったのです。
この違いについて、研究者たちは、ポジティブな感情とネガティブな感情が脳内で異なる方法で処理されることが関係しているのではないかと考えています。ネガティブな情報は一般に、ポジティブな情報よりも私たちの認知システムに強く働きかけ、鮮明に記憶されます。危険や脅威に素早く反応するという生存に関わる機能が関係していると考えられています。
その結果、ネガティブな経験の中で最も不快だった瞬間(ピーク)は記憶に残りやすく、後の評価に強い影響を与えます。一方、ポジティブな経験は比較的記憶が薄れやすく、最も新しい情報である「最後の瞬間(エンド)」が評価により大きな比重を占めることになるのでしょう。
この発見は、ピーク・エンドの法則をより精緻化したものと言えます。単に「ピークとエンドが重要」というだけでなく、「ポジティブな感情ではエンドが、ネガティブな感情ではピークが特に重要」という区別が必要です。
この知見は、私たちの日常生活でも見られる現象を説明するかもしれません。例えば、素晴らしい休暇の最終日に不快な出来事があると、休暇全体の印象が損なわれることがあります。これは、ポジティブな経験の評価がエンドに強く依存しているためと考えられます。逆に、怖い映画を見た経験を思い出すとき、映画の中で最も恐ろしかったシーン(ピーク)が全体の印象を支配することが多いでしょう。
エンドが常に重要とは限らない
感情の種類によって記憶の仕方が異なることを見てきました。ポジティブな感情はエンドに依存し、ネガティブな感情はピークに依存するという非対称性が明らかになりました。しかし、ピーク・エンドの法則に関する別の研究では、「エンド効果」そのものが必ずしも普遍的ではないことが示されています。
エンド効果とは、経験の終了時点が全体の評価に特別な影響を与えるという考え方です。この効果は多くの分野で広く受け入れられ、「サービスの最後を良くすれば、全体の評価が上がる」といった実践的な応用にもつながってきました。
しかし、実際のところ、エンド効果は本当に常に存在するのでしょうか。ある研究では、この疑問に答えるために7つの実験を行いました[2]。研究者たちは、「エンド効果は本当に存在するのか」「存在するとすれば、どのような条件下で現れるのか」を検証したのです。
最初の実験では、参加者に不快な騒音を聞かせました。一方のグループには最初が不快で徐々に良くなる音を、もう一方のグループには最初が快適で徐々に不快になる音を聞かせ、全体の不快感を評価してもらいました。もしエンド効果が強く働くなら、終わりが良い音の方が評価は高いはずです。しかし、結果は予想に反して、終わりの良さは評価に有意な影響を与えませんでした。
第二の実験では、不快な音に「やや快適な部分」を追加し、それを前半に入れる条件と後半に入れる条件で比較しました。エンド効果が働くなら、快適な部分が後半にある方が全体評価は良くなるはずです。しかし結果は、快適な部分が前半にあっても後半にあっても評価に差はなく、むしろ体験の平均的な不快度が下がることが評価向上の原因だという結論になりました。
第三の実験では、快適な音楽の途中または最後に不快な部分を挿入し、その影響を調べました。エンド効果が強いなら、最後に不快な部分がある方が全体評価は大きく下がるはずです。しかし、不快な部分が最後にあっても途中にあっても、評価への悪影響は同程度でした。最後の部分に特別な重みはありませんでした。
これらの実験結果は、単一の経験においては、エンド効果が自動的に起こるわけではないことを示唆しています。なぜ、これまでの研究ではエンド効果が報告されてきたのでしょうか。
研究者たちは、次の実験でこの疑問に答えようとしました。第四の実験では、参加者に「始まりが悪く終わりが良い音」と「始まりが良く終わりが悪い音」の両方を聞かせ、順序を変えて評価してもらいました。比較の要素を導入したのです。
1つ目の音を評価するときにはエンド効果は見られませんでしたが、2つ目の音を評価するときには、「終わりが良い方」が好まれるというエンド効果が現れました。2つ目の評価が直前の音との比較に基づいて行われたためと考えられます。
第五の実験では、この比較効果をさらに詳しく調べました。同じ種類の音で構造だけが異なる場合はエンド効果が見られましたが、音の種類が異なると効果は消失しました。このことから、エンド効果は「構造が評価の唯一の判断基準になる場合」、つまり比較が容易な場合にのみ生じると結論づけられました。
実験室での発見を実生活でも確かめるため、研究者たちは障害物レースの参加者データを分析しました。もしエンド効果が強く働くなら、最後の障害物の評価が全体評価に強い影響を与えるはずです。しかし分析の結果、最後の障害物が特別に重視されることはなく、他の障害物も同様に重要であることが分かりました。
さらに別の実験では、漫画を用いて検証が行われました。最後の漫画は確かに全体評価に影響を与えましたが、同じ漫画を最初に配置した場合も同程度の影響があったため、「最後だから特別」とは言えない結果となりました。
これらの一連の実験から、研究者たちは次のような結論を導き出しました。エンド効果は自動的に起こる現象ではなく、「最後」という属性だけでは体験が重視されることはありません。「最後」が評価に特別な影響を与えるのは、体験の構造を意識させる場合や、比較が容易な場合、あるいは最後に特別な意味がある場合などの特定の条件下に限られます。
この研究の意義は、「ピーク・エンドの法則」の要素であるエンド効果が、これまで考えられていたほど普遍的ではないことを実証した点にあります。サービス設計において「最後を良くする」という一般的な推奨は、常に効果があるとは限りません。
ピークの喜びが起業家の資金調達を左右
ピーク・エンドの法則が感情の種類や状況によって異なる働き方をすることを見てきました。この法則が実際のビジネス場面でどのように作用するかに目を向けてみましょう。起業家が投資家から資金を調達する場面における感情表現の影響について考えます。
起業家がビジネスアイデアを投資家や一般大衆にプレゼンテーション(ピッチ)する際、その内容だけでなく、起業家自身の感情表現も重要な役割を果たしています。とりわけ「喜び」という感情がどのように表現されるかが、資金調達の成否に関わってきます。
ある研究では、クラウドファンディングプラットフォーム「Kickstarter」で資金調達を試みた起業家のピッチ動画1,460本を分析しました[3]。研究者たちは顔表情分析ソフトウェアを使用し、約820万フレーム(動画内の瞬間的な画像)を解析して、起業家が示す喜びの感情を精密に計測しました。その上で、喜びの表現と資金調達の成功(調達金額や支援者数)との関連を調べました。
この研究では、感情のピーク(最も強い瞬間)に焦点が当てられました。研究者たちは、ピークの喜びの「強さ」「持続時間」「タイミング(フェーズ)」という3つの要素が資金調達の成果にどう関連するかを分析しました。
分析の結果、喜びのピークの強さが大きいほど資金調達額は増加することが明らかになりました。起業家が強い喜びを表現すると、投資家や支援者はそのアイデアや製品に対する起業家の確信や熱意を感じ取り、投資意欲が高まるのかもしれません。
しかし、ピークの持続時間については意外な結果が出ました。ピークの喜びが長すぎると、資金調達の成果は逆に低下したのです。最も良い結果をもたらしたのは約2.5秒の持続時間で、それ以上続くと支援者の反応は悪くなりました。これは、長すぎる喜びの表現が過剰な自信や不自然さという印象を与えるためかもしれません。
ピークの喜びがピッチのどのタイミングで表現されるかも重要でした。分析の結果、ピッチの開始時と終了時のピークの喜びが資金調達の成功に関連していることが分かりました。人は情報の最初と最後を特によく記憶する傾向があるため、これらのタイミングでの感情表現が印象に残ったのでしょう。
これらの知見は、起業家にとって実践的な価値があります。ピッチ中の感情表現を管理することで、投資家や支援者からの反応を向上させる可能性があります。ピッチの冒頭と最後の感情表現に気を配り、強い喜びを表現しつつも、その持続時間を最適なレベルに調整することが大切でしょう。
ポジティブな感情(この場合は喜び)の表現が投資判断に関係するという点は、人間のコミュニケーションにおける感情の重要性を改めて示すものです。純粋に合理的な判断だけでなく、感情的な要素も意思決定に関わっているのです。
脚注
[1] Ganzach, Y., and Yaor, E. (2019). The retrospective evaluation of positive and negative affect. Personality and Social Psychology Bulletin, 45(1), 93-104.
[2] Tully, S., and Meyvis, T. (2016). Questioning the end effect: Endings are not inherently over-weighted in retrospective evaluations of experiences. Journal of Experimental Psychology: General, 145(5), 630-642.
[3] Jiang, L., Yin, D., and Liu, D. (2019). Can joy buy you money? The impact of the strength, duration, and phases of an entrepreneur’s peak displayed joy on funding performance. Academy of Management Journal, 62(6), 1848-1871.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。