2025年7月1日
余裕が生み出す競争優位:組織スラックの価値を探る
ビジネス環境において、企業は効率性を追求するよう求められています。無駄を省き、資源を最適化することは、企業経営の基本方針となっています。しかし、企業が持つ余剰資源、すなわち「組織スラック」が実は企業活動にとって価値ある存在であることを示す研究が存在します。組織スラックとは、企業が必要最低限の業務遂行を超えて保持している余分な資源のことを指します。これは現金や流動性の高い資産といった形で存在することもあれば、余裕のある人員配置や設備の余力といった形で存在することもあります。
このような余剰は非効率的に思えるかもしれません。実際、余剰資源は排除すべき非効率性として捉えることもあるでしょう。最小限の資源で最大限の成果を上げることが理想とされている場合はなおさらです。
しかし、組織スラックが企業にとって思いがけない利点をもたらす可能性があることを示唆する研究があります。革新的な投資を促進したり、リスクの高い戦略を可能にしたり、変化する環境への適応力を高めたりするなど、スラックの存在が企業の長期的な成功に寄与する側面が明らかになってきました。本コラムでは、組織スラックが企業活動にどのような影響を与えるのかについて、複数の研究成果を紹介します。
組織スラックが多い企業ほど革新投資が活発になる
企業が新たな技術や製品を開発するために投資を行う際、組織内の余剰資源はどのような働きをするのでしょうか。この問いに答えるヒントを与えてくれるのが、造船業界を対象とした研究です。
この研究では、日本の主要造船企業11社を対象に、26年間という長期にわたるデータを分析しました[1]。研究の目的は、企業の研究開発投資(R&D投資)と技術革新(イノベーション)が、企業のパフォーマンス評価、組織スラック、そして経営者のリスク許容度によってどのように影響されるかを明らかにすることでした。
企業内に余剰資源、特に「吸収型スラック」と呼ばれる余裕のある管理費や人員資源が多い企業ほど、研究開発への投資を増やす傾向がありました。吸収型スラックとは、すでに組織内に取り込まれているものの、必要に応じて再配分や活用が可能な資源のことを指します。
組織内に余裕があることで、企業は短期的な業績への圧力から解放され、長期的な視点で研究開発に取り組むことができます。日々の業務に追われることなく、将来の成長につながる探索活動に時間とリソースを割くことができるということです。
さらに、企業のイノベーション投入(実際に新技術や新製品を市場に導入すること)に関する発見もあります。企業の業績が目標水準を上回っている場合、イノベーションの市場投入は低下する傾向がありました。企業が好調な時には現状を維持しようとする保守的な姿勢を取りやすいためと考えられます。
企業内に「イノベーション・バッファー」と呼べるような、未投入のイノベーションを蓄積しておく緩衝機能が存在するという視点は、この研究から得られるものです。バッファーがあることで、企業は市場環境の変化に応じてイノベーションの投入タイミングを戦略的に決定できるようになります。
組織スラックは、企業の革新活動を支える基盤となり得ます。余裕がある企業ほど、未来への投資に積極的になれるという事実は、短期的な効率化だけでなく、長期的な成長のための資源配分のあり方を考えるうえで貴重な示唆となるでしょう。
組織スラックが多い企業ほど高リスクな価格戦略をとる
企業が新製品やサービスを市場に投入する際、その価格戦略は成功を左右する要因となります。組織内の余剰資源は、こうした価格戦略の選択にどのような影響を及ぼすのでしょうか。この疑問に答えるための研究が行われています。
研究では、アメリカの国防産業、特に航空宇宙産業における兵器システム契約53件を対象に、企業の価格設定戦略と組織スラックの関係が分析されました[2]。価格戦略は主に2つのタイプに分類されています。一つは「スキミング戦略」で、最初に高価格を設定し、その後、徐々に価格を下げていく方法です。もう一つは「ペネトレーション戦略」で、最初から低価格を設定して市場シェアの獲得を優先する方法です。一般的に、ペネトレーション戦略は短期的な利益を犠牲にする分、リスクが高いとされています。
研究の結果、組織スラックが多い企業ほど、リスクの高いペネトレーション戦略を採用することが判明しました。余剰資源があることで、企業がより冒険的な市場参入戦略を取れるようになることを意味します。
この研究では、組織スラックをいくつかの種類に分けて分析しています。「利用可能スラック」(現金など流動性が高く、すぐに使える資源)、「回収可能スラック」(間接費など組織に吸収されているが比較的容易に回収できる資源)、「潜在的スラック」(企業が環境から追加で資源を獲得できる能力)という分類です。
分析からは、特に流動性の高いスラック(利用可能スラック)の増加が、リスクの高い価格戦略の採用と関連していることが明らかになりました。一方で、固定資産などに投資された回収可能スラックは、むしろリスクテイクを抑制する効果があることも分かりました。
流動性の高いスラックは、企業に即座の対応力と柔軟性を与えます。もし低価格戦略が短期的に収益を圧迫しても、手元の流動資産でその期間を乗り切ることができるため、より冒険的な戦略を試みることができます。一方、固定資産に投資されたスラックは、すぐに現金化できない性質を持つため、企業は慎重な姿勢を取りやすくなります。
この研究は、企業が価格戦略を決定する際、その背後にある組織内部の資源状況が影響することを表しています。余剰資源、特に流動性の高いスラックを持つ企業は、短期的な利益を犠牲にしても長期的な市場シェア獲得を目指す戦略を取りやすくなります。
組織スラックが多い企業はリスクを取る傾向が強まる
企業が事業活動の中でリスクを取る行動は、成長や競争優位を確立するうえで避けて通れないものです。どのような条件下で企業はリスクを取るようになり、それが業績にどのような影響を与えるのでしょうか。この問いに対する一つ答えを提供しているのが、1991年に発表された研究です。
アメリカの製造業企業288社を対象に、1957年から1985年までの29年間のデータを分析しています。企業のリスクテイク行動と業績の関係、そしてその決定要因を検証しました[3]。
研究の結果、組織スラック(余裕資源)が多い企業ほど、リスクの高い意思決定を選択する傾向が強いことが明らかになりました。ここにおけるリスクテイクは、企業の収益変動性(総資産利益率の標準偏差)という指標で測定されています。余裕資源があることで、企業は収益が不安定になるような冒険的な選択をする余地が生まれるということです。
研究によると、スラックはリスクテイクを可能にする柔軟性を企業に提供します。余裕資源があれば、たとえリスクの高い意思決定が短期的に失敗したとしても、その衝撃を吸収することができるからです。これは「クッション効果」と呼ばれることもあります。
この研究ではもう一つ発見もありました。それは、企業の業績が目標とする水準を下回っている場合も、リスクの高い行動を選択する傾向が強まるということです。業績が芳しくない企業は、現状を打破するために冒険的な選択をせざるを得ないという状況に置かれるのかもしれません。要するに、リスクテイク行動を促す要因としては、「余裕があるから冒険できる」という面と、「苦境にあるから冒険せざるを得ない」という一見矛盾する二つの面があることになります。
さらに、リスクテイク行動が後の企業業績にどのような影響を与えるかも分析されています。結果、リスクテイクは実際に後のパフォーマンス低下と関連する場合があることが分かりました。ただし、この関係は単純なものではなく、他の要因にも影響されることが示されています。
実務的な面では、経営者は業績が悪化した時に過剰なリスクテイクをする傾向があることを認識し、慎重な意思決定を心がける必要があること、また組織のスラック管理を通じてリスクテイクを調整することが企業業績の安定化につながる可能性があることなどが示唆されます。
組織スラックは、企業がリスクテイクを行う際の一種の「安全網」として機能することがこの研究から見えてきます。適度な余裕資源を持つことで、企業は革新的かつ冒険的な選択を行いやすくなり、それが長期的な競争優位につながる可能性があります。ただし、そのリスクテイクが必ずしも良好な業績につながるわけではない点には留意が必要です。
組織スラックは適度な量で経済移行期の業績を高める
組織スラックが企業業績に与える影響は、単純な正負の関係ではなく、もっと複雑な形をしているかもしれません。経済が大きく変化している移行期においては、その関係性がどのようになるのでしょうか。この疑問に対する洞察を提供している研究を見てみましょう。
この研究は、経済移行期にある中国の企業を対象に、組織スラックが企業業績にどのような影響を与えるかを検証しています[4]。研究は2つの異なる調査から構成されており、一つは中国の電子産業に属する国有企業55社を対象としたサーベイ、もう一つは多業種にわたる国有企業1,532社を対象としたアーカイブデータ分析です。
研究の重要な発見は、スラックと企業業績の関係が「逆U字型」であるということでした。スラックが少なすぎても多すぎても業績は低下し、適度な量のスラックが最も業績を高めるという結果が得られました。
この研究では、スラックを「吸収型スラック」と「未吸収型スラック」の2つのタイプに分けて分析しています。吸収型スラックは、現在の業務に密接に関連し、他用途への転用が難しい資源(例えば固定資産や在庫資金)を指します。一方、未吸収型スラックは、現在特定の用途にコミットされておらず、柔軟に再配分可能な資源(例えば現金や流動性資金)を指します。
研究の結果、この2つのスラックタイプは企業業績に異なる影響を与えることが分かりました。吸収型スラックは企業業績に負の影響を与え、未吸収型スラックは正の影響を与えたのです。
吸収型スラックは、すでに特定の用途に割り当てられている資源であるため、その使用効率が低下すると、企業全体の効率性も低下します。例えば、使用率の低い設備や過剰な在庫は、維持コストがかかる割に収益に貢献しません。
一方、未吸収型スラックは柔軟性を企業に提供します。経済移行期のような不確実性の高い環境では、この柔軟性が価値を持ちます。予期せぬ機会やリスクに対応するための資源があることで、企業は環境変化に適応しやすくなります。しかし、未吸収型スラックも多すぎると問題が生じます。過剰な資金は非効率な投資や経営者の自己満足的なプロジェクトに使われる危険性があります。このため、スラックと業績の関係は逆U字型になるのでしょう。
組織スラックを一律に「良い」あるいは「悪い」と判断するのではなく、その種類や量、そして経営環境を考慮して評価する必要があることを示唆する結果です。特に不確実性の高い環境では、適度な未吸収型スラックは企業の生存と成長のための戦略的資源となり得ます。
組織スラックは多すぎても少なすぎても革新を阻害する
企業のイノベーション活動に組織スラックはどのような影響を与えるのでしょうか。2つの大手多国籍企業の子会社にある264の部門を対象に、スラックがイノベーションに与える影響を分析した研究を取り上げましょう[5]。
研究者たちは、従来のスラックとイノベーションの関係についての相反する見解を統合する視点を提案しました。スラックとイノベーションの関係は「逆U字型」であるという考え方です。スラックが少なすぎても多すぎても、イノベーションは抑制されるという仮説です。
この研究でのイノベーションとは、過去1年間で部門が生み出した新規の製品・プロセス・方法などから生じた経済的価値として測定されています。一方、スラックは、部門の予算や人員の10%削減時の影響度から逆算した量として測定されました。
分析の結果、スラックとイノベーションの関係は逆U字型を示しました。極端に低いスラックではイノベーションがほとんど起きず、極端に高いスラックでもイノベーションの価値が低下しました。最適なスラックレベルでは、最低または最高のスラックレベルと比較して、イノベーションの経済的価値が増加しました。
スラックがイノベーションを促進する理由ですが、まず、組織内に一定の余裕資源があれば、実験や新規プロジェクトの立ち上げが容易になります。新しいアイデアを試すためのリソースがあることで、イノベーション活動が活発化します。また、スラックは管理者の注意資源を解放し、短期的な業績圧力から解放されるため、長期的な視点での新しいアイデアやプロジェクトへの投資を可能にします。
一方、スラックがイノベーションを阻害する理由ですが、過剰なスラックが管理上の規律を緩め、経済的に正当化されないプロジェクトや非効率なプロジェクトの増加を招く可能性があります。また、余裕があることで管理者の自己満足や資源浪費が起こり、イノベーションの質や効率性が低下するという問題も指摘されています。
脚注
[1] Greve, H. R. (2003). A behavioral theory of R&D expenditures and innovations: Evidence from shipbuilding. Academy of Management Journal, 46(6), 685-702.
[2] Moses, O. D. (1992). Organizational slack and risk-taking behaviour: Tests of product pricing strategy. Journal of Organizational Change Management, 5(3), 38-54.
[3] Bromiley, P. (1991). Testing a causal model of corporate risk taking and performance. Academy of Management Journal, 34(1), 37-59.
[4] Tan, J., and Peng, M. W. (2003). Organizational slack and firm performance during economic transitions: Two studies from an emerging economy. Strategic Management Journal, 24 (13), 1249-1263.
[5] Nohria, N., and Gulati, R. (1996). Is slack good or bad for innovation?. Academy of Management Journal, 39(5), 1245-1264.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。