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コラム

なぜ人は仕事を辞めないのか:ジョブ・エンベデッドネスが示す人材定着の鍵

コラム

企業が長期的に成長を維持し、安定的に運営するためには、人材の流出を防ぐことが不可欠です。従業員の定着策について検討する際のアプローチとしては、不満要素とその対策を考えることが一般的でしょう。たとえば社内アンケートを実施し、「給与の低さ」「人間関係が良くない」などといった項目が不満要素として上位に挙がり、それに対する施策を実行する形です。

上記のアプローチは「なぜ人は組織を辞めてしまうのか」という観点から出発しているといえます。しかし従業員の定着を促進するためには、「なぜ人は辞めないのか」についても深く理解する必要があります。この点に着目し、近年注目を集めているのがジョブ・エンベデッドネス(Job Embeddedness)です。

ジョブ・エンベデッドネスは、従業員がどのように組織に「埋め込まれているか」、つまり組織との深い結びつきや関係がどれほど強いかに焦点を当てています。この視点は、従業員が組織に長く留まる理由を理解し、定着を促進する戦略を見出すための新しいアプローチを考える際に有効です。

本コラムでは、ジョブ・エンベデッドネスの定義、その効果やメカニズムについて説明します。また、ジョブ・エンベデッドネスを高めるうえでの注意点にも触れ、どのようにその効果を最大化し、リスクを回避するかについても考察します。

ジョブ・エンベデッドネスとは

ジョブ・エンベデッドネスとは、人が所属する組織に留まり続けるかどうかに影響を与える様々な要素の組み合わせを表します[1]。特にジョブ・エンベデッドネスは、所属する組織(企業や職場など)と組織外のコミュニティ(家族や地域社会など)の双方の場面[2]における、絆・適応・犠牲の3つの側面に注目しています。以下、これらの側面について解説します。

絆(Links

ジョブ・エンベデッドネスにおける絆とは、人と組織や組織外の人々との間にあるつながりを表します。このつながりには、職場内での同僚や上司との人間関係、部門間での協力関係、さらには地域社会との関わりなどが含まれます。

所属する組織内における絆が多ければ多いほど、組織を辞めることによって失うつながりが増えるため、従業員は組織への定着意欲が強まります。たとえば、長期間同じチームで働く従業員は、同僚との友情や上司との関係性が深まり、転職を考える際にはその関係性が大きな障壁となります。

また職場外でも、自分が転職に伴い引っ越さなければならなくなった場合は、地域社会とのつながりを絶たなければなりません。もし転職によってそのネットワークを失うことを避けたいと考えた場合、定着につながりやすくなるとされています。

適応(Fit

適応とは、従業員の価値観やスキル、キャリア的な目標が、組織やそこで行う職務にどれほど合っているかを表します。従業員が組織やその業務に適していると感じると、組織に対する愛着が強まり、その結果として長期的な定着に繋がります。これは地域社会のコミュニティに対しても同様です。

たとえば、成長したいと強く考える人が、従業員の育成に力を入れている組織に所属したとします。その場合、自分の価値観が組織の価値観と一致していると感じ、組織に対して深い忠誠心を持つことになります。結果として、従業員が辞めようとする動機づけが弱くなり、逆に組織の目標に対してより積極的に貢献しようとする動機が強まります。

犠牲(Sacrifice

犠牲とは、従業員が組織を辞めることによって失うもの、つまり辞めた場合に被るコストを表します。このコストには、収入や福利厚生、昇進の機会、興味のあるプロジェクトなどの喪失が含まれます。また、地域コミュニティ内で自分が尊敬される立場である場合は、それを失うこともコストとしてみなされます。

組織を辞めることによってこれらを失うことに対する犠牲感が大きければ大きいほど、従業員は組織に留まりやすくなります。たとえば、長年同じ組織で働き、安定した給与や福利厚生を得ていたり、組織内でのステータスや人間関係が築かれていたりする従業員が転職を考えたとします。この場合、辞めることで失うものが大きくなるため、その選択を避ける心理が働きます。

このメカニズムは、地域社会におけるコミュニティでも同様に起こりえます。転職に伴う引っ越しによって今住んでいる地域から離れなければならず、コミュニティ内で得ている信頼の眼差しや地位などが失われてしまうことに対して犠牲感を強く感じた場合、少なくとも転居を伴う転職は避けやすくなります。

ジョブ・エンベデッドネスの考え方では、これらの3つの要素が総合的に作用することで、従業員は組織に埋め込まれるとされています。加えて、ジョブ・エンベデッドネスは組織のパフォーマンスやイノベーションに寄与する可能性もあるのです。

ジョブ・エンベデッドネスがもたらすポジティブな効果

ジョブ・エンベデッドネスは、様々なポジティブ効果をもたらすことが実証されています。代表的な要素は以下の通りです。

  • 定着率の向上[3]:ジョブ・エンベデッドネスが高い従業員は、組織に対する感情的なつながりが強かったり、辞めることによる損失が大きいと考えたりするため、転職や離職しようとする意志が低下します。
  • 欠勤の減少[4]:自発的に欠勤することは、自身の仕事の能力が低下したり、出せる成果が少なくなってしまったりするリスクを孕んでいます。ジョブ・エンベデッドネスが高い従業員は、そのリスクによって組織との関係性が悪化し、自身の雇用状態が脅かされることを恐れます。結果として、自発的な欠勤が減少しやすくなります。
  • パフォーマンスの向上[5][6]:ジョブ・エンベデッドネスが高い従業員は、組織の目標に対して強い貢献意欲を持っています。これにより従業員のパフォーマンスが向上し、組織全体の成果も向上する傾向があります。また、役職や業務の枠を超えて協力的な行動を取ることが多くなります。さらに、ジョブ・エンベデッドネスが高い従業員は職場に革新的なアイデアをもたらし、その実行に向けて奔走することも分かっています。

ジョブ・エンベデッドネスを高めるうえでの注意点

ジョブ・エンベデッドネスの向上には様々なメリットがあります。それゆえ、「ジョブ・エンベデッドネスをとにかく高めればよい」と考えてしまうのは無理もないことです。ただし、ジョブ・エンベデッドネスを際限なく高めようとすることは、個人・組織に対して思わぬデメリットをもたらす可能性もあります。代表的なデメリットは以下の通りです。

  • 新たな人間関係を築かなくなる[7]:マネージャーを対象とした研究において、ジョブ・エンベデッドネスが高い場合、時間と共に新たな人間関係を築くための行動が減少することが示されています。これは現在の自分の立場を築く基盤となったこれまでの人間関係の維持が優先される一方で、新たにネットワークを構築することに対して明確なメリットが見えず、消極的になった結果と考えられます。
  • 仕事と家庭の間での葛藤が高まりやすい[8]:ジョブ・エンベデッドネスが高い従業員は、仕事で求められる役割と家庭で求められる役割間で摩擦が生じやすくなることが分かっています。たとえば、職場での人間関係が強固なものでありすぎるため、同僚が残業していればそれに付き合って自分も残業しなければと思い、家族との時間が過ごせないといったことが考えられます。
  • 組織への信頼が低い場合、組織を害する行動をとりやすい[9]:組織からないがしろにされたり迫害されたりするなどの経験をした従業員は、組織への信頼が下がります。このような従業員にとってジョブ・エンベデッドネスは、現状を維持したいモチベーションというよりも、状況を改善したいと願う自分を縛る“鎖と捉えられてしまうのです。自律性を妨げられた従業員はフラストレーションを感じ、失われた自律性を補おうとします。結果として、組織に対して職務規律違反などの行動に出る可能性が高まりやすくなります。

実践に向けたポイント

このように、ジョブ・エンベデッドネスの向上には魅力的なメリットがある一方で、高めすぎることのデメリットや、かえって悪影響につながってしまう状況・環境要因も存在します。

これらの研究知見に基づくと、実践する際の前提として(1)組織に留まるメリットと組織を去るデメリットをそれぞれ強化すること、(2)それらを、自分を縛る鎖ではなく、個人的・組織的な目標達成に向けたモチベーションと従業員が捉えられるように状況を整えることの2点を押さえておくべきでしょう。

以上を踏まえたうえで、組織・人事として実践する際のポイントをご紹介します。

ジョブ・エンベデッドネスの現状把握

ジョブ・エンベデッドネスが低いと離職の可能性が高まる一方で、ジョブ・エンベデッドネスが高すぎると、新たな人間関係の構築を避けたり、仕事と家庭間での対立を引き起こしやすくなったりします。よって、いきなりジョブ・エンベデッドネスを高めようとするのではなく、まずは組織サーベイなどで現状のジョブ・エンベデッドネスがどの程度なのかを把握することが必要といえます。

収集した結果を組織単位・役職単位などで分析することにより、施策のターゲットを絞ることや、対象に合わせたアプローチの変更ができます。また数値的に把握しておくと、施策実施後との比較を行うことで効果検証することもできます。

具体的な施策の検討・実行

ジョブ・エンベデッドネスの現状を把握した後、具体的な施策を検討し、実行しましょう。組織としてできる施策の例は以下の通りです。

  • 人間関係の強化:従業員が部署内外でネットワークを構築できるよう、チームビルディングや部署横断型のプロジェクトを積極的に行いましょう。上司・同僚間での支援関係を構築したり、チーム内や部門間の交流を促進したりすることで、職場でのつながりが深まり、従業員が組織に埋め込まれる感覚が強まります。
  • 従業員の適合感の促進:従業員が自分のスキル、価値観、目標に合った仕事に従事していると感じることが、組織に留まるための大きな要因となります。組織は従業員に対して明確なキャリアパスを示し、個々の目標に合った成長の機会を提供することが重要です。
  • ワーク・ライフ・バランスの促進:ジョブ・エンベデッドネスは、働いている組織だけでなく、住んでいる地域やプライベートのコミュニティとのつながりも含みます。柔軟な勤務形態や育児休暇など、ワーク・ライフ・バランスを支援する制度を通じて、従業員が家庭やプライベートとの調和を保ちやすい環境を提供するとよいでしょう。

組織に対する信頼感を高める

従業員がジョブ・エンベデッドネスを鎖ではなくモチベーションとして捉えるためには、従業員の組織に対する信頼感も同時に高めることが必要です。研究では、組織内外に対する倫理的な対応、公正な人事評価、従業員の幸せに対する組織的なケア、オープンなコミュニケーションなどが、組織に対する信頼感を高めることが示唆されています[10]。ジョブ・エンベデッドネスを高めようとする際には、これらの点についても現状を把握し、適切な促進策を検討すべきです。

ジョブ・エンベデッドネスを高めることは、離職防止のための人事施策だけでなく、企業全体の戦略として重要です。従業員が組織に対して深い絆を感じ、適応し、そして離職のリスクを最小限に抑えることで、企業は長期的に持続可能な成長を遂げることができます。人間関係を強固なものにして、従業員が安定した職場環境の中で自己実現できるよう支援していくことが、最も効果的な定着戦略となるでしょう。

脚注

[1] Mitchell, T. R., Holtom, B. C., Lee, T. W., Sablynski, C. J., & Erez, M. (2001). Why people stay: Using job embeddedness to predict voluntary turnover. Academy of management journal, 44(6), 1102-1121.https://doi.org/10.5465/3069391

[2] 企業や職場におけるジョブ・エンベデッドネスは「オン・ザ・ジョブ・エンベデッドネス」、家庭や地域社会などのコミュにおけるジョブ・エンベデッドネスは「オフ・ザ・ジョブ・エンベデッドネス」と呼ばれます

[3] 脚注1Mitchell et al., 2001)と同じ

[4] Lee, T. W., Mitchell, T. R., Sablynski, C. J., Burton, J. P., & Holtom, B. C. (2004). The effects of job embeddedness on organizational citizenship, job performance, volitional absences, and voluntary turnover. Academy of management journal, 47(5), 711-722. https://doi.org/10.5465/20159613

[5] 脚注4 Lee et al., 2004)と同じ

[6] Ng, T. W., & Feldman, D. C. (2010). The impact of job embeddedness on innovation‐related behaviors. Human resource management, 49(6), 1067-1087.https://doi.org/10.1002/hrm.20390

[7] Ng, T. W. H., & Feldman, D. C. (2010). The effects of organizational embeddedness on development of social capital and human capital. Journal of Applied Psychology, 95(4), 696–712. https://doi.org/10.1037/a0019150

[8] Ng, T. W., & Feldman, D. C. (2012). The effects of organizational and community embeddedness on work-to-family and family-to-work conflict. Journal of Applied Psychology, 97(6), 1233-1251. https://doi.org/10.1037/a0029089

[9] Marasi, S., Cox, S. S., & Bennett, R. J. (2016). Job embeddedness: is it always a good thing?. Journal of Managerial Psychology, 31(1), 141-153. https://doi.org/10.1108/JMP-05-2013-0150

[10] Pučėtaitė, R., Lämsä, A. M., & Novelskaitė, A. (2010). Building organizational trust in a low‐trust societal context. Baltic Journal of Management, 5(2), 197-217. https://doi.org/10.1108/17465261011045124


執筆者

小田切 岳士 株式会社ビジネスリサーチラボ フェロー
同志社大学心理学部卒業、京都文教大学大学院臨床心理学研究科博士課程(前期)修了。修士(臨床心理学)。公認心理師。働く個人を対象にカウンセラーとしてのキャリアをスタート。その後、企業人事として制度・施策の設計・運用などに携わる。現在は主な対象を企業や組織とし、臨床心理学や産業・組織心理学の知見をベースに経営学の観点を加えた「個人が健康に働き組織が活性化する」ための実践を行っている。特に、改正労働安全衛生法による「ストレスチェック」の集団分析結果に基づく職場環境改善コンサルティングや、職場活性化ワークショップの企画・ファシリテーションなどを多数実施している。

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