2025年5月7日
私の当たり前はあなたの当たり前ではない:知識の呪いの心理メカニズム
自分が知っていることを知らない人へ伝える際、どうすれば分かりやすい説明になるかに頭を悩ませた経験を持つ人は多いかもしれません。知識や情報を獲得すること自体は喜ばしいことですが、いざ他者の視点に立とうとすると、いつの間にか自分の知識を当然のように思い込んでしまい、相手も同じくらい把握しているのではないかと誤解してしまうことがあります。そこから生まれる誤解の数々は、行き違いにとどまらず、対話を重ねても噛み合わないやりとりを引き起こす場合があります。
この誤解を誘発する要因の一つとして、「知識の呪い」という概念が知られています。何かを深く理解したあとに、その深さが当たり前になり、そうでない状態を想像しにくくなる傾向を指すものです。例えば、子どもに学問的な話題を教える場面でも、当の大人は「きっとこれくらいは分かるだろう」と思い込み、混乱を深めてしまうことがあります。こうした思い込みは年齢や環境を問わず見られ、社会生活のさまざまな場面に波紋を広げています。
本コラムでは、この知識の呪いが生じる仕組みをいくつかの視点から整理し、どのような研究手法で確かめられてきたかに触れつつ、その多面的な姿を追っていきます。そこで登場するのは、情報を想起しやすいかどうかに基づいて他者も分かるはずだと考える現象や、学習した内容が身近であるほど多くの人が知っていると誤って推測してしまう例などです。そして一見するとネガティブにしか思えない知識の呪いが、場面によっては情報の質を高めたり、知的謙虚さを促す要素となったりするという、やや意外な側面にも目を向けてみたいと思います。
知識の呪いは流暢性の錯覚で起きる
ある情報を容易に思い浮かべられるとき、ついその情報は多くの人に共有されているだろうと感じてしまうことがあります。この感覚は「流暢性の錯覚」と呼ばれ、知識の呪いを誘発するメカニズムの一つとして取り上げられてきました。
ある研究では、359名の学部生に対して三つの実験が行われ、彼ら彼女らに質問を出してから正解を教え、別の段階で「その答えを他の人々も分かっているだろうか」と評価してもらう手続きを踏んでいます[1]。この一連の流れでは、いったん正解を頭に入れてしまった人ほど「皆も知っている可能性が高い」と見積もる度合いが高まることが明らかになりました。
実験では忘却を促すために時間を空けて再テストする手法も用いられました。正解を知ったあとでしばらく経つと、思い出す作業に時間がかかる場面も増えるはずです。しかし、すでに忘れかけている情報であっても、一度学んだという事実だけで「多くの人が分かるに違いない」と判断する様子が示されています。実際には正答を思い出せないにもかかわらず、頭のどこかに「以前に自分は正解を手にした」という記憶が残っていることで、自分が得た知識を他人にも当てはめてしまうのです。
実験の中には、答えを学んでいなくても問題文だけを繰り返し読んだ参加者が、他の人も答えを知っていると過大評価する結果が含まれていました。問題文に触れる回数が増すだけで親しみが生じ、その親しみが誤った推定に直結してしまいます。
こうした点は抑制制御とは異なる経路を浮かび上がらせます。抑制制御に基づく説明では、「自分の知識を無視するのが難しいからバイアスに陥る」と考えられがちでしたが、その実験群からは「そもそもその知識がなくても、繰り返し触れるだけで『知っているとみなす』錯覚が生じる」とされました。
流暢性の錯覚という観点では、頭の中で情報がスラスラ想起されるほど、それは誰にでも簡単にイメージできると誤解されやすいと言えます。まだデータとして定かでない部分はあっても、人間は「思いつきやすいこと」を「広く共有されている知識」と安易に結びつけてしまうのでしょう。このことは個々人の思い込みの強さにつながり、場合によっては集団のコミュニケーション全体を難しくする要因になり得ます。
知識の呪いは馴染みで生じる
流暢さという概念に加えて、その情報が「どれほど馴染みやすいか」も影響すると報告されています。馴染みのある事柄の場合、人は他者も当然それを知っているだろうと思い込むようです。例えば4歳から7歳の子どもを対象にした研究があり、子どもたちに事実に関するクイズを出題してから正解を伝え、同年代の子がどれくらいその答えを知っていそうかを推定してもらいました[2]。
子どもが学んだ答えが身近な内容だと感じられるときに限って、「多くの仲間もその答えを把握している」と過大評価する現象が生じました。一方、学んだ答えがまったく馴染みのないものだった場合、その過大評価は生じにくいことがわかりました。事実を学んだ直後であっても、人が自分を基準に判断する度合いは、情報への親しみ具合と連動しやすいことがうかがえます。
このような結果が得られた背景には、流暢性だけでなく馴染みが持つ力もあるとされています。身近な題材ほど想起しやすくなるのはもちろんですが、それと同時に「自分にとって自然に理解できるものは、他の人にも当たり前に通じるのではないか」という思い込みが強化されます。そのため、仮に客観的に見ると難易度が高いトピックであっても、自分にとって馴染みが深ければ、相手も容易に把握しているかのように錯覚してしまいます。
加えて、小さい子どもは他者の知識を推し量るときに、抑制制御が未発達なため自分の情報を相手が知らないという想定が苦手だという説も提示されています。しかし、馴染みのない内容についてはそこまで強いバイアスが出なかったことから、認知機能の発達度だけで説明するのは難しく、「どれほど日常に溶け込んだ知識か」が作用していると考えられます。こうした知見は、子どもに限らず大人にも当てはまる可能性があると言えそうです。
知識の呪いで情報の質が高まる
知識の呪いについては困惑ばかりが目立ちますが、一部では興味深い視点も示唆されています。コミュニケーションのためにコストを払って情報を集める場面においては、このバイアスが情報の品質を高める方向へ働く場合があるという指摘です。ある研究では、送信者と受信者が分業して情報をやり取りするゲーム形式を用い、送信者が受信者の認知レベルを過大評価してしまうことが、送信者の情報精度向上につながるケースを示しています[3]。
その研究では、送信者が「相手は自分と同じくらい内容を理解しているだろう」と見なす度合いが強まるほど、届ける報告の正確性を高めようと工夫する様子が明らかになりました。通常であれば「そこまで厳密に調べなくてもいいか」と思うような状況でも、「相手はすでに自分のレベルを踏まえて話を聞くだろう」と考えると、誤情報を出せないプレッシャーが働くのだろうという解釈です。
しかし、この仮説にはもう一つの側面があり、過剰なまでに相手が理解していると誤解してしまうと、送信者がコミュニケーションの手間を省いてしまい、かえって受信者に不親切な情報伝達になってしまう場合もあります。つまり送信者が情報を正確に集めるよう努力はするものの、説明不足のまま伝えることで誤解が生じる余地が残る、という複雑な結果が指摘されているのです。
その点をもう少し掘り下げると、知識の呪いが軽微な範囲にとどまる場合は情報の精度が高まり、全体としての成果が上がるかもしれない一方、知識の呪いの度合いが一定のラインを超えて極端になれば、コミュニケーションがおざなりになりすぎて当初の目的を果たせなくなるリスクが高まり得ます。
同じバイアスでも、出力される結果がコミュニケーション改善につながるか、それとも混乱につながるかは、状況や個人の動機次第で変わる可能性があるのだと言えます。
知識の呪いが知的謙虚さを生む
最後に、知識の呪いと知的謙虚さと呼ばれる特性との関連を取り上げます。ここにおける知的謙虚さとは、自分の理解力や能力を必要以上に高く見積もらず、他者の能力も尊重できるような態度を指します。こうした謙虚さは認知バイアスと対極にあるように思われるかもしれませんが、一部の議論では、知識の呪いがむしろそうした謙虚さを促進すると指摘されています。
ある考察によれば、自分が分かっていることを他者も当然分かるだろうと捉える認識的自己中心性は、自分だけが際立って優秀だとは思いにくい心理状態を生むかもしれないとされています[4]。例えば、まわりの人々を「きっと同じレベルだ」と感じていると、自分だけが特別なわけではないと思いやすくなり、自然と「自分もまだまだだ」という姿勢をとりやすくなるのです。
実際の場面では、知識の呪いと自己顕示欲が混在し、矛盾した行動が見られることもあるでしょう。ある人がゲームを異様に得意だとして、「こんなの誰でも当てられる」と思いつつも、自分の腕をひけらかすような態度に出る状況も否定できません。したがって、知識の呪いに伴う認識的自己中心性があれば自動的に謙虚さが得られるとは限らないものの、場合によっては「他者にも同等の知識があるのだから、自分ばかりが賞賛される必要はない」という一種の均衡感覚を育む契機になるのではないか、ということです。
認知バイアスがプラスの側面をもたらすというのは意外かもしれません。ただしこれは、知識の呪いが必ず知的謙虚さをもたらすという話ではなく、そういう心理状態と相性が良い場合もあるという主張にすぎません。一般的には、知識の呪いが他者への理解を阻む面が大きいとみなされており、この現象を認知するだけで人間関係の摩擦が少なくなるわけではありません。それでも、自分と他人を同じように知的に扱う視点を深める結果としての謙虚さにつながる場合もあり得るのです。
知識の呪いの多面性と組織への影響
以上のように、知識の呪いは一見すると誰もが避けたい厄介なもののように思われますが、その発生メカニズムには複雑な側面があります。馴染みのある情報を学んだときに他者の理解度を過大評価してしまう点、流暢に思い浮かぶ事柄ほど相手も当然把握しているはずだとみなす錯覚など、誤った推測を積み重ねる仕組みはさまざまです。一方で、情報を徹底的に調べあげようとする動機が高まるケースや、自分だけがとび抜けて優れているわけではないと感じる心理を誘発する場合があるなど、その現れ方は一様ではありません。
職場のマネジメントにおいても、知識の呪いは多方面に波及しやすいと考えられます。例えば、新任の社員に対して熟練者が指導を行う際、あまりにも当然に見える知識を省略してしまい、新任の社員が初歩的なつまずきを抱えたままになってしまうかもしれません。あるいは、専門的なスキルを身につけたベテランが、その技術についての詳細な説明をせずに指示を出し、結果的に誤解が積み重なる例も想定されます。
全員が同じレベルで理解していると信じているために、わざわざ補足の説明を入れないまま作業を進め、そのまま大きな不整合が生まれる場面もあるでしょう。こうした問題は、ちょっとした会話や段階的な情報共有をおろそかにすると加速しかねません。さらに、幅広い知識を持つ管理職が部下の認識状況を深く考えないまま指示を出したときに、組織全体が混乱するリスクも出てきます。
細部まで伝えたいという意識の強い専門家ほど、かえって理解度を高く見込みすぎてしまう場合もあります。どのレベルの社員同士でも知識の呪いがかかわる可能性があります。ただし、その結果として高精度な情報を準備するようになり、周囲にとって分かりやすい資料を整えるケースもあるという点で、一概に悪影響ばかりとは限りません。
いずれにしても、スムーズなやりとりを妨げるかもしれない、この現象を知ることは、チーム内の摩擦や誤解の種を見過ごさない上で適切です。結果的にどのような方向へ転ぶかは、組織風土や成員の意識に左右されるのではないでしょうか。そうした多面的な要素を踏まえながら、知識の呪いが潜むリスクに注目しつつ、職場内の意思疎通を見直す視点が求められるのでしょう。
脚注
[1] Birch, S. A., Brosseau-Liard, P. E., Haddock, T., and Ghrear, S. E. (2017). A ‘curse of knowledge’in the absence of knowledge? People misattribute fluency when judging how common knowledge is among their peers. Cognition, 166, 447-458.
[2] Ghrear, S., Fung, K., Haddock, T., and Birch, S. A. (2021). Only familiar information is a “curse”: Children’s ability to predict what their peers know. Child Development, 92(1), 54-75.
[3] Banerjee, S., Davis, J., and Gondhi, N. (2023). Information Provision and the Curse of Knowledge. https://snehalbanerjee.github.io/wp/BDGcursed.pdf
[4] Hannon, M. (2020). Intellectual humility and the curse of knowledge. In A. Tanesini and M. P. Lynch (Eds.), Polarisation, arrogance, and dogmatism: Philosophical perspectives (pp. 104-119). Routledge.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。