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コラム

戦略人事の可能性と課題:競争力の源泉を探る

コラム

企業の競争力を決める要素が変わってきています。以前は生産設備や資金といった物理的な資源が重視されていましたが、今はこれに加えて人材や組織の能力が競争力の源泉として注目されています。

このような変化に伴い、人事の役割も変わっています。「戦略人事」という考え方が生まれ、企業の戦略実現に直接関わる役割を担うことが期待されるようになっています。

本コラムでは、戦略人事の重要性とその具体的な取り組みについて考えます。人事部門がどのように企業価値の向上に貢献できるのか、そのためにどんな視点や施策が必要かを探っていきます。研究知見を参考にしながら、戦略人事の全体像を明らかにしていきます。

人事は戦略的な役割を果たしうる

企業経営において、人事の位置づけは長らく議論されてきました。コストセンターとして見られることもあった人事が、企業の競争力を生み出す戦略的パートナーとしての役割を担うことが期待されるようになっています[1]。この変化の背景には、企業を取り巻く環境の変化があります。

例えば、グローバル化や技術革新により、競争優位の源泉であった生産設備や特許技術などの物理的資産が、他社に模倣されやすくなってきています。その結果、企業は模倣が難しい経営資源として、人材や組織能力に注目するようになっています。

この状況下で、人事の役割も変わりつつあります。管理業務から脱却し、企業の戦略実現につながる機能へと進化することが求められています。企業戦略に沿った人材の採用・育成・配置や、イノベーションを促進する組織文化の醸成など、企業の競争力向上につながる取り組みが必要です。

人事が戦略的な役割を果たすためには、経営陣との密接な連携がなければなりません。CEOCFOと並び、CHROという役職が注目されるようになったのも、そのためです。人事のトップが経営戦略の策定に参加し、人材面から企業の成長をサポートする。こうした体制をとる企業も出てきています。

人事はどのように企業の競争優位性に貢献できるのでしょうか。そのことを考える上で一つの切り口となるのが、VRIOフレームワークです。VRIOフレームワークは、企業の資源や能力が持続的に競争で優位に立つかどうかを判断する枠組みです。VRIOは次の4つの要素の頭文字を取ったものです。

  • 価値 (Value):資源が企業にとって価値があるかどうか。その資源が外部環境における機会を活用したり、リスクを軽減したりできるかどうかを評価します。例えば、優秀なスキルを持つ社員や効果的な研修プログラムが、市場のニーズに応えたり、競合に打ち勝ったりする上で価値があるかを考えます。
  • 希少性 (Rareness):資源が他の企業にも一般的に存在するものではなく、希少であるかどうか。人事施策の観点からは、独自の採用方法や、他社が真似できない企業文化などが該当するでしょう。
  • 模倣困難性 (Imitability):資源が他社に簡単に模倣されないかどうか。模倣が難しければ、その資源は持続的な競争優位をもたらす可能性が高まります。例えば、長年培われた組織文化や複雑な人事制度は、模倣が困難な資源として考えられます。
  • 組織 (Organization):企業が資源を十分に活用できる体制を持っているかどうか。優れた資源があっても、それを活用する組織能力がなければ、競争優位につながりません。人事の役割は、こうした組織能力を構築し、維持することです。

VRIOフレームワークを使って人事施策を検討することで、その戦略的意義が明確になります。例えば、ある企業の社内教育システムを考えてみましょう。それが市場ニーズに合った人材を育成するという点で価値があり(V)、他社にはない独自のプログラムであるため希少であり(R)、長年の経験から作り上げられているため容易に模倣できず(I)、さらに企業がこのシステムを効果的に運用する体制を持っている(O)場合、持続的な競争優位の源泉となる可能性があります。

高業績労働システムの重要性

人事が戦略的な役割を果たすための具体的なアプローチとして、高業績労働システム(High-Performance Work Systems: HPWS)が注目されています[2]HPWSとは、企業の戦略目標を達成するために、従業員の能力を引き出すための一連の人事管理システムです。

HPWSの特徴は、個々の人事施策を単独で捉えるのではなく、相互に関連付けられたシステムとして設計される点にあります。例えば、厳格な採用、業績連動型の報酬、継続的な育成などが、密接に結びついている状態です。

まず、厳格な採用について見てみましょう。HPWSでは、スキルや経験だけでなく、企業の文化や価値観との適合性も重視します。多段階の面接や適性検査などを通じて、長期的に企業に貢献できる人材を見極めます。

このような採用は時間とコストがかかりますが、その投資に見合う効果が期待できます。企業文化に適合した人材を採用することで、離職を抑制できます。その結果、採用や教育にかかるコストを削減できるのです。

次に、業績連動型の報酬です。HPWSでは、個人やチームの成果と報酬をうまくリンクさせます。目標管理制度(MBO)と連動したボーナスや、成果主義に基づく昇給・昇進システムなどが挙げられます。

このような制度設計によって、従業員は自分の努力が評価や報酬に反映されると感じることができます。その結果、モチベーションが高まり、企業の戦略目標達成に向けた行動が促進されます。

HPWS3つ目の柱は、継続的な育成です。従業員のスキルアップを支援する研修や、管理職のリーダーシップ開発などが含まれます。これらの取り組みは、企業の長期的な成長を支えるために必要な人材を育成します。

HPWSの実践において、人事の役割は重要です。システム全体を見渡し、各要素の整合性を保つ。そして、経営陣と現場をつなぐ橋渡し役として、HPWSの効果を最大化する視点が求められます。

戦略人事を批判的に検討する

戦略人事は、企業の競争力を高める可能性を秘めていますが、同時にいくつかの重要な課題も存在します。ここでは、戦略人事を批判的に検討し、その限界について考察します。

効果測定の難しさ

戦略人事における課題の一つは、その効果を測定することの難しさです。人材への投資が企業業績にどのように貢献しているのか、その関係を示すことは容易ではありません。

例えば、研修プログラムを実施した際、その効果が企業の業績向上にどの程度寄与したのかを正確に測定するのは極めて困難です。業績向上の要因は多岐にわたり、人材育成の効果だけを切り分けることはできません。

人材育成などの長期的な取り組みを、四半期ごとの財務指標のような短期的な尺度で評価することが適切かどうかも考える必要があるでしょう。人材への投資は、その効果が現れるまでに長い時間がかかることもあるからです。

効果測定の難しさは、戦略人事の取り組みを正当化する際の障壁となります。経営陣や株主に対して、人材投資の重要性を、説得力をもって説明することが難しくなります。

個別性や多様性の軽視

戦略人事の名のもとに、企業戦略に合った「理想的な人材像」を設定し、それに基づいて人材を評価・育成しようとする場合があります。しかし、このアプローチには課題があります。

まず、個人の持つ独自の才能や潜在能力が見逃される可能性があります。企業が定義する「理想像」に合わない人材が、実は革新的なアイデアや特殊なスキルを持っているかもしれません。画一的な評価基準ではそうした才能が適切に評価されない恐れがあります。

そうしたアプローチは多様性を重視する潮流とも矛盾します。特定の「理想像」に基づく人材評価は、多様性を阻害する可能性があります。

例えば、リーダーシップ能力の評価において、外向的で積極的なコミュニケーションスタイルが重視される場合、内向的な性格の人材が持つ洞察力や判断力といった別のスタイルが見過ごされるかもしれません。

ストレスと負担の増大

戦略人事の実践において、企業戦略と個人の目標を連動させることが求められますが、そのことが従業員にプレッシャーを与える可能性があります。

高い目標が課されることで、従業員は持続的なストレスにさらされることになります。短期的にはパフォーマンスが向上するかもしれませんが、長期的には従業員の健康や幸福を損ないかねません。

仕事とプライベートの境界が曖昧になり、ワークライフバランスが崩れる可能性もあります。企業戦略に基づいた目標達成のプレッシャーが、従業員の私生活にも影響を与えることがあります。

このような状況は、従業員の離職率が上がったり、モチベーションが低下したりする原因となり、結果として組織全体のパフォーマンスが低下してしまいます。

組織の柔軟性の低下

戦略人事は現在の企業戦略に基づいて人事システムを構築しますが、一度構築されたシステムを環境の変化に応じて柔軟に変更するのは容易ではありません。

例えば、特定のスキルを重視して人材を採用・育成してきた企業が、市場の変化に伴い戦略を変更しようとしても、既存の人材では対応できない場合があります。新たなスキルを持つ人材の採用や既存社員の再教育には、多くの時間とコストがかかります。

特に、不確実性の高い現代において、柔軟性の欠如は問題となり得ます。急速な技術革新やグローバル競争の激化によって、企業は戦略の見直しを迫られています。そのような環境下で、柔軟性を欠いた人事システムは企業の適応力を損ないます。

倫理的な問題

戦略人事が、従業員を企業の目標達成のための「手段」として扱うとすれば、それは問題です。人間の尊厳や個人の自由を軽視しているという批判につながります。

例えば、企業戦略に基づいた異動や配置転換が、従業員の意向や家庭の事情を無視して行われることがあるかもしれません。また、過度に成果主義的な評価や報酬制度は、従業員間の競争を激化させ、協力関係を損なう恐れがあります。職場の人間関係を悪化させ、長期的には組織の健全性を損ないます。

格差の拡大

戦略人事の実践、特に成果主義的な評価や報酬制度は、組織内の格差を広げる可能性があります。短期的には高業績者のモチベーション向上につながるかもしれませんが、長期的にはさまざまな問題が発生し得ます。

例えば、一部の優れた従業員に報酬が集中することで、他の従業員のモチベーションが低下することがあります。また、評価対象となる「成果」の定義が曖昧な職種や部門では、不公平感が生まれるかもしれません。

導入・運用のコスト

戦略人事の実践には高度な専門性と多くのリソースが必要です。データ収集やシステムの構築、専門知識を持つスタッフの育成、継続的な制度の見直しなど、多くの投資が求められます。

これは、中小企業や資金的に制約のある企業にとっては障壁となります。戦略人事の恩恵を受けられるのは一部の大企業に限られる可能性があるということです。

そうなると、企業間の格差を拡大し、公正な競争を阻害する要因となるかもしれません。中小企業が多くを占める日本の産業構造を考えると、戦略人事の普及が限定的になることが懸念されます。

とはいえ、これらの課題は、即座に戦略人事の意義を否定するものではありません。むしろ、戦略人事をより効果的かつ倫理的に実践するための視点となります。

戦略人事を進める上では、これらの課題を受け止め、改善を続ける必要があります。従業員の幸福と企業の成長の両立、短期的成果と長期的発展のバランス、個人の尊重と組織目標の達成。それらのジレンマを適切に管理していくことが、戦略人事には求められます。

戦略人事は、その理念や目的が正当であっても、実践においては慎重な配慮と継続的な改善が必要です。企業の競争力向上と従業員の幸福、そして社会的責任の達成をバランスよく実現することが、真の意味での戦略人事の成功につながるのではないでしょうか。

脚注

[1] Barney, J. B., and Wright, P. M. (1998). On becoming a strategic partner: The role of human resources in gaining competitive advantage. Human Resource Management: Published in Cooperation with the School of Business Administration, The University of Michigan and in alliance with the Society of Human Resources Management, 37(1), 31-46.

[2] Spratt, M. F. (1997). Hp as a Source (of Shareholder Value: Research and Recommendations. Human Resource Management, 36(1), 39-47.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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