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コラム

エビデンスに基づく人事に向けて:『人と組織の行動科学』の紹介

コラム

20222月に、拙著『人と組織の行動科学 現場でよくある課題への処方箋』(すばる舎)が出版されました。本書では、組織や人事の現場でよくある44の課題を取り上げ、それぞれの解決策を提示しました。

これらの解決策は、学術研究の知見に基づいており、各課題について関連する研究結果を丁寧にレビューし、そこから導かれる実務的な示唆を解説することを心がけました。

それから2年が経ち、振り返ってみると、この本で扱った課題の多くが、今なお、人や組織の重要なテーマであることに気づかされます。

この2年間で、デジタルトランスフォーメーション(DX)の進展やニューノーマルへの移行など、企業を取り巻く環境は大きく変わりました。テレワークの拡大やオンラインコミュニケーションの浸透は、働き方や組織のあり方に影響を与えています。

他方で、イノベーション創出やウェルビーイング経営といった経営課題の重要性はますます高まっています。環境が変化しても、人と組織に関する本質的な問いは色褪せず、その解決の糸口を科学的知見に求める意義は変わらないと感じます。

本書の狙いは、学術研究の知見を現場の視点から理解し、実践的な処方箋として提示することにありました。エビデンスに基づく人事マネジメントの重要性が叫ばれて久しいものの、研究知見を実務に活かすのは容易ではありません。

学術と実務の間の垣根は、思いのほか厚いのが実情です。とはいえ、不確実性が高い時代の人と組織のマネジメントにおいて、学術研究の貢献の余地は大いにあるはずです。「理論と実践の架け橋」は、私の変わらぬテーマであり、その思いを込めて本書を執筆しました。

本コラムでは、改めて本書の概要をご紹介します。本書の要点を紹介とともに、刊行から2年を経た今、本書で提示した知見が人と組織の課題解決にどのように役立つかを考察してみたいと思います。

エビデンスに基づく課題解決の重要性

本書の基本的なスタンスは、人と組織に関する意思決定に際して、科学的根拠「も」参考にすると良いのではないかというものです。人や組織の実務家は、採用、育成、評価、組織開発など、さまざまな場面で意思決定を求められます。

その際、自らの経験や勘に頼ることも少なくないでしょう。もちろん、経験には学ぶべき点が数多くあります。スキルの習得段階を着実に踏んできた人の知恵は、机上の空論を凌駕する迫力を放っています。

しかし、経験則だけでは、意思決定の精度を高められない場面もあります。ともすれば、バイアスに影響された判断に陥るリスクもあります。だからこそ、エビデンス「も」重要なのです。

人や組織について科学的に検証した研究は数多く蓄積されており、そうした知見を自社の文脈に引き寄せて理解することで、より確度の高い意思決定が可能になるはずです。現場での経験とエビデンスを融合させる。これこそが、不確実な時代を生き抜く人事の要諦だと思います。

もっとも、研究の知見をそのまま鵜呑みにしてはなりません。脱文脈的に一般化された知見をそのまま適用しようとしても、効果は得られないでしょう。大切なのは、自社の組織風土や人材特性を見定めた上での「翻訳」です。

一般的な理論を探究する学術研究と、個別具体的な状況への対処を迫られる人事実務。両者の調停をするのは容易ではありません。だからこそ、エビデンスを道標としつつ、自社の文脈に即して仮説検証を重ねる必要があります。

本書では、こうした観点から、現場の課題に寄り添ったアクションを提示しています。「求職者の応募を増やしたい」「新人を早期戦力化したい」といった悩みは枚挙に暇がありません。

人事の課題に対して、関連する研究知見を手がかりに、打つべき施策を例示しています。加えて、それぞれの課題に対して、対症療法ではなく、根本的な解決につながるような処方箋を意識しました。

本書のもう一つの特徴は、各課題の理論的背景にも言及している点です。なぜその施策が効果を発揮すると考えられるのか、組織行動論の理論をできる限り平易に解説することを目指しました。

人事施策の背後にある人間行動の原理を理解することは、各社の実情に合わせた施策の考案にも役立つはずです。もちろん、人の心理や行動のメカニズムはきわめて複雑であり、万能の理論はありません。しかし、組織行動論の枠組みは、人事施策を考案する上での思考の補助線にはなるでしょう。

不確実な環境下で高度な意思決定が問われる中、経験知とエビデンスの融合はますます重要になるはずです。本書が示すエビデンスが、高度な意思決定を支える羅針盤となることを願ってやみません。

人と組織の課題解決に向けた処方箋

本書の中核をなすのが、人と組織に関する課題への処方箋です。採用、マネジャー、評価、育成、組織文化、働き方など、7つのカテゴリーに分類された44の課題について、その解決策を提示しました。

各課題の設定に際しては、私自身のサービス提供経験も踏まえつつ、喫緊の人事課題を意識しました。同時に、人と組織に関わる継続的な問題意識にも応えられるよう腐心しました。

例えば、採用の領域では、「求職者の応募を増やしたい」という課題とともに、「オンライン面接で志望度を高めたい」といったニューノーマルを見据えた論点も取り上げました。

求職意思を促す要因として「仕事の特徴」「組織イメージ」「リクルーター要因」「P-O fit」の4点を挙げ、エビデンスに基づく具体的施策を例示しています。採用における企業と求職者のミスマッチを防ぐためにも、求職者の心理や行動を捉えた採用施策が肝要です。

マネジャー育成については、「部下育成力の向上」「次世代リーダーの育成」「上司部下関係の改善」など、リーダーシップ開発に関する多岐にわたる課題を扱いました。

コーチングの効果を高める要因として「自己効力感」「学習目標志向性」などを抽出したり、変革型リーダー育成に向けた「一皮むける経験」の重要性を説いたりするなど、組織行動論の知見を随所に散りばめています。

評価をめぐっては、「評価への納得感の向上」「効果的なフィードバック」などの論点を取り上げました。前者については「組織的公正」の概念を手がかりに論じられており、手続き的公正を高める施策の具体例は、評価制度改革のヒントになるはずです。

後者に関しては、行動に焦点を当てることやポジティブな関係性の重要性など、フィードバックの効果を高める条件を整理しました。ここでの着眼点は、評価される側の受け止め方を意識した評価プロセスの設計だと言えます。

人材育成の領域では、「新人の早期戦力化」「研修効果の定着」「自発的な成長の促進」など、成長意欲の高い人材を育むための処方箋を提示しました。新人の早期戦力化については「組織社会化」の理論を、研修効果の定着については「研修転移」の概念を切り口に論じました。

組織文化や風土の側面では、「失敗の許容」「イノベーション志向」「組織変革」などの課題意識に応えるべく、「組織学習」や「組織文化」に関する研究知見をまとめました。

失敗の本質を探究し学習に活かす「ダブルループ学習」の重要性や、イノベーション創出に適した「適応的文化」の特徴など、組織変革の切り口となる理論的示唆を盛り込みました。

さらに、働き方や労働環境をめぐっては、「テレワーク下でのマネジメント」「ワーク・ライフ・バランス」「ウェルビーイングの向上」など、現代的な課題を多く取り上げています。

テレワークの運用に際しての「信頼醸成」の重要性、ワーク・ライフ・バランス実現のカギを握る「ワークファミリーエンリッチメント」の視点、従業員のウェルビーイング向上に向けた「仕事の資源」の確保など、今後の働き方を考える上で示唆を提起しました。

駆け足で本書の内容をご紹介しました。紙幅の都合上、各論点の詳細には立ち入れませんが、本書では各課題の背景にある理論的な論点や、施策実行時の留意点なども解説しています。

人事施策の副作用にも目を向ける

私が特に強調したい本書の特色は、課題解決のための処方箋とともに、その「副作用」の可能性にも目を向けている点です。人事施策の実行には、往々にしてトレードオフが伴います。

意図せざる負の側面を見落とすと、せっかくの施策も裏目に出かねません。だからこそ、副作用のリスクを見据えた慎重な判断が求められるのです。

例えば、ダイバーシティ推進の施策は、「マイノリティの価値が貶められる」「マイノリティの人数が減る」といった逆効果を招くかもしれません。多様性を重視することで、「多数派」と「少数派」の分断を助長してしまう危険性もあります。

また、従業員のエンゲージメントを高めることは重要ですが、熱意が高すぎると、仕事への「のめり込み」を招き、健康被害や職場の人間関係の悪化を招く恐れもあります。適度なエンゲージメントを促しつつ、働きすぎを防止する施策の両立が求められます。

同様に、組織コミットメントについても、高すぎると「現状維持志向」や「家庭とのバランス崩壊」など、別の弊害が生じかねません。大切なのは、適切なコミットメントを醸成し、従業員のプライベートも尊重する姿勢です。

また組織学習が、「短期的視点」「部分最適」「成功体験への固執」に陥りやすい点も、リーダーが認識しておくべき重要なポイントです。長期的展望に立ち、不都合な真実にも目を向ける勇気が問われるのです。

このように、本書では副作用にも目配りがなされており、人事施策の落とし穴を回避する上での示唆が得られるでしょう。人や組織の意思決定は、トレードオフを伴う判断が求められる領域です。

研究と実務の架け橋として

最後に、本書を執筆する際に私が意識した点、すなわち、研究と実務の架け橋となる一冊にしたかった点を紹介したいと思います。

これまで、人や組織の意思決定は、現場の勘や経験に依拠してきた側面があります。もちろん、実務家の経験が重要であることは言うまでもありません。暗黙知の世界には重要な知恵が息づいているのです。長年の経験に裏打ちされた感覚は、一定の有効性があります。

しかし、より効果を高めるためには、意思決定プロセスに科学的な視点を組み込むことが求められます。不確実性が高い中で、場当たり的な判断は大きなリスクを伴います。人事施策の設計にあたっても、エビデンスに基づくアプローチが必要です。個人の経験知と研究知見が、高度な意思決定を支える両輪となります。

とはいえ、研究知見を現場に適用するのは、そう簡単なことではありません。学術研究と実務の世界の間にはギャップが横たわっています。一般化された知見を現場の文脈に「翻訳」する作業は、本書の執筆を通じて苦労した点でもあり、それが少しでも成功していると嬉しいです。

本書を一つの契機として、エビデンスに基づく人事の取り組みが加速することを願っています。日々の実践の中で疑問を感じたとき、ぜひ一度、関連する研究知見に目を通してみてください。意外な気づきが得られるかもしれません。

以上、拙著『人と組織の行動科学 現場でよくある課題への処方箋』の概要を紹介しました。人と組織の問題は、一朝一夕には解決できません。だからこそ、現場の創意工夫と科学的探究の積み重ねが求められます。その取り組みの素材の一つとして、本書を活用していただければ、これ以上の喜びはありません。


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。

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