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コラム

データは本当に客観的・中立的か:データ分析を再考する

コラム

人事領域でのデータ分析の重要性が認識されるようになりました。ビジネスリサーチラボでも年間に多くのデータ分析の依頼を受け、それらを実行しています。

データ分析に携わる立場であるからこそ、プロフェッショナルとしての意識を持ち、データ分析が潜在的に持つリスクを把握する必要があります。また、データ分析という活動自体に対して、批判的な視点を向け、自分たちの取り組みに問題が含まれていないか、常に問いかける責任があります。

そこで、本コラムではデータ分析の仕事を俯瞰し、それが持つ意味について考察します。とりわけ、無自覚でいると危険な側面に焦点を当て、検討を加えます。

なお、先に補足しておきたいのは、本コラムの内容と同時に、データ分析が可能にする利点も多数あるということです。

少なくとも私としては(これはポジショントークと受け止められる可能性があることを承知していますが)、データ分析をやめておくべきだというスタンスではありません。これからも積極的に実践していくべきだと考えています。そのためにむしろ、リスクにも目を向けることが重要です。

データ分析が進展してきた背景

私が現在のようなデータ分析サービスを提供し始めた十数年前と比較して、人事領域におけるデータ分析は、いくぶんなじみ深い実践となってきたと感じます。

これには様々な要因が関わっていますが、一つにはテクノロジーの進展が挙げられます。人事に関するテクノロジー、一般にHRテクノロジーと呼ばれるものが近年、目覚ましい普及を見せています。

HRテクノロジーの普及は多くのデータをもたらしました。例えば、採用管理システムには求職者の行動や評価に関するデータが保存されています。これらのデータを手に入れると、それをどのように有効活用できるかを考えるのは自然な流れです。

また、組織サーベイの導入が進んでいることも影響しています。組織サーベイとは、社員を対象にその心理や行動を測定するアンケート調査です。人や組織の現状を把握し、改善を図るために活用されます。

アンケートフォームが使いやすく、安価なものが増えたことに加え、パッケージ型の組織サーベイが市場に多数リリースされ、組織サーベイの活用が増えています。

さらに、経験や勘に加えて、データに基づいて人事上の意思決定を行うことが重視されるようになりました。この言葉自体は後ほど慎重に検討を加える必要があると指摘しますが、「科学」という言葉が以前よりも親しみを持って受け止められるようになったと思います。

こうしたデータの利活用についての普及は人事領域だけではありません。他の多くの領域でも同じような動きが見られます。

データ分析は本当に客観的・中立的か

データ分析に関しては、それを批判的に検討すべきだという指摘もあり、「Critical data studies」という領域が生まれつつあります。この領域の議論はデータ分析という現象について示唆に富んでおり、データ分析を生業とする私たちにとっては、考えさせられる内容です。

議論の発端は、マイクロソフトの研究者が、ビッグデータや機械学習に対する楽観的な姿勢に潜む危険性を述べたことにあります[1]

このような視点はすぐに重要性が評価され、「Critical data studies」と命名された上で、さらなる研究が呼びかけられました[2]

Critical data studiesは、データ分析には政治的なプロセスが含まれているという前提から出発しています。私たちは分析するデータをローデータと気軽に呼びますが、実際は手つかずの自然のように存在しているものではありません。データは調理されています[3]

それにもかかわらず、一般にデータ分析と言うと、客観的で中立的な現象であると捉える傾向にあります。データを「収集する」「処理する」「入力する」といった用語はいずれも技術的な響きを持ち、既存の人間関係や権力構造がそこに関わっていないようにも感じられてしまいます。

データを用いて人事施策を検討することを「科学的」であると呼ぶのは、日本の人事領域では自然なことになっているかもしれません。しかし、実際にデータ分析に携わった人なら誰もが体験しているように、様々な関係者の思惑や利害が複雑に絡み合う実践なのです。

データをめぐる4つの視点

Critical Data Studiesの中では、データをめぐる4つの視点が存在すると指摘されています[4]。それぞれを簡単に紹介します。

  • 資産としてのデータ:この視点では、データを経済的価値のあるものとして捉えます。データは利益や効率性をもたらす資産であり、経済活動を進める上で重要なリソースとなります。ここではデータを石油のように捉えることができます。
  • 潜在的知識としてのデータ:データが分析されることで意味のあるインサイトをもたらすという視点です。この捉え方は「データは人に創造性を与える」という考えに結びついています。データは人間の限界を超え、非常に高速でリアルタイムの示唆を届けるものと認識されます。
  • 統治技術としてのデータ:データとその分析を用いて人々の心理や行動に介入するという視点です。データ分析により、誰かが他の人々に働きかけることが可能となり、結果的に誰かが利益を得ます。データによるモニタリングはこの見方の一例です。
  • 抵抗としてのデータ:自分たちがデータによってコントロールされていることを理解し、それに抵抗するという視点もあります。データをめぐる権力、統治、利益を明らかにするという見方です。

これらのデータに関する視点の中で、Critical Data Studiesは特に4つ目に問題意識を持っています。Critical Data Studiesは、データが中立的な事実の集積ではなく、社会的、政治的、文化的な状況に根ざしていることを強調し、データを取り巻く様々な権力の相互作用を検討しようとします。

データに潜在するバイアスの影響

データ分析が客観的で中立的な実践でないという前提に立つと、データ分析が差別やバイアス、さらには搾取を伴うかもしれないと理解することも可能です。

実際に、データ分析に問題が伴うことを示唆する議論が提出されています。例えば、一見、客観的なアルゴリズムによる性別分類が、性別に関する特定の価値観を反映しているがゆえに、結果的に性的マイノリティを抑圧する可能性を紹介する研究があります[5]

人事領域のデータ分析においても、性別比較を行うことがあるでしょう。この背後には、例えばLGBTQに対する無関心があり、既存の二元論で性別を捉える考え方が知らず知らずのうちに滑り込んでいます。

客観的で中立的にデータに基づいて比較しているつもりでも、特定の人々を抑圧することにつながっている場合があります。

さらに、ある会社が選抜のためにデータ分析を用いたところ、差別的な結果が算出された事例もあります。これは、これまでの採用とその評価において潜在していたバイアスがより明確に強調される形に変換されたことに由来します。

企業における選考を受けた人が、仕事の能力とは関係のない属性で評価されるのは問題です。日本でも採用と人権の重要性がしばしば言及されるところですが、データ分析を無邪気に進めると、こうした事態が発生することもあるのです。

データ分析の政治的プロセスとは

データ分析における政治的なプロセスについて深堀りしてみましょう。より具体的に議論を進めるために、人事領域でのデータ分析を例に取り上げます。

データ分析の一連のプロセスの中で、権力の衝突が生じる可能性があります。例えば、データへのアクセスに関わる相互作用です。

全員がすべてのデータにアクセスできるわけではありません。そのため、部門間でデータアクセスに関する衝突が生じることもあります。

人事部門が、社員がいきいきと働く支援策を考えるために、健康管理部門が持つデータを分析しようと交渉した際、人事評価に用いられる可能性を理由に拒否されるケースもあります。

次に、データ分析の結果が予期せぬものだった場合、その扱いも政治性を伴います。例えば、ある研修の効果を、データをもとに測定した結果、効果がないことが明らかになったとします。それは育成部門にとって都合の悪い結果となり、場合によっては経営層への報告が避けられるかもしれません。

さらに、データ分析の結果に基づく対策についても、利害がぶつかることがあります。従来と異なる評価制度の必要性を示唆する結果が出たとしても、それを推進しようとすると損をする人からの反発に遭う可能性があります。

これらの事例は、データ分析が社内の権力構造の中で実行されるため、様々な交渉や衝突が生じる可能性を示しています。

データ分析を行う際に意識したいこと

データを単純に所与のものとして受け入れ、その客観性や中立性を疑わずに分析に取り組むことは危険です。データはどこかで、誰かによって生成されています。

このことを踏まえた上で、人事領域におけるデータ分析を行う際、私たちが注意すべき点は何でしょうか。以下の3つの点に特に注意が必要です。

  • 分析に用いるデータにバイアスが含まれていないかを確認します。バイアスを含むデータを分析すると、そのバイアスが結果に反映される可能性があります。データを即座に「正しいもの」と見なすのではなく、その性質や生成プロセスに関心を持つことが大切です。
  • 分析結果を解釈するのは人間です。どれだけ再現性があり、厳密な分析手順を踏んだとしても、恣意的な解釈がなされることがあります。しかし、私たちは完全に客観的で中立的な解釈を行うことはできません。むしろ、そのことを認め、自分たちの価値観を自覚することが適切だと考えられます。
  • データ分析がすべての人を満足させることはあり得ません。データ分析を推進する立場の人は、そのポジティブな側面に注目しがちです。それは確かに事実ではありますが、データ分析のプロセスで不利な位置に立たされる人が出る可能性も十分にあります。現在取り組もうとしているデータ分析が誰にとってプラスで、誰にとってマイナスなのかをしっかりと考えましょう。

データ分析が深刻な問題を引き起こさないようにするためには、社会や組織の諸制度の整備も必要だと思いますが、それと同様にデータ分析に携わる人による自己規制も求められるところです。

脚注

[1] boyd, d. and Crawford, K. (2012). Critical questions for big data: Provocations for a cultural, technological, and scholarly phenomenon. Information Communication and Society, 15(5), 662-679.

[2] Dalton, C., and Thatcher, J. (2014). What does a critical data studies look like, and why do we care?: Seven points for a critical approach to ‘Big Data’. Society & Space.

[3] Gitelman, L., and Jackson, V. (2013). Introduction. In “Raw Data” is an Oxymoron. The MIT Press.

[4] Fussell, C. (2022). Four data discourses and assemblage forms: A methodological framework.

[5] Bosua, R., Cheong, M., Clark, K., Clifford, D., Coghlan, S., Culnane, C., Leins, K., and Richardson, M. (2022). Using public data to measure diversity in computer science research communities: A critical data governance perspective. Computer Law and Security Review, 44, 105655.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。

#伊達洋駆

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