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コラム

キャリア自律は誰のためのものなのか

コラム

「キャリア自律」の重要性が人事分野で盛んに叫ばれています。この言葉は一般的に「自分のキャリアを会社に委ねるのではなく、自らキャリアに興味関心を持ち、仕事の意味を見出し、自発的にキャリア開発を行うこと」といった意味を持つとされています。キャリア自律の重要性が強調される一方で、従業員への普及は順調とは言えないようです。2020年9-10月に行われた調査(※1)では、キャリア自律という言葉を知っていたのは企業担当者で64%なのに対し、従業員では22%に留まっています。また、キャリア自律を重視していると回答したのは企業担当者で45%、従業員で22%でした。

一体なにが両者の認識のギャップを生み出しているのでしょうか。各種調査・学術研究をレビューする中で、キャリア自律に対する企業・従業員間の思惑のすれ違いが、その背景として浮かび上がってきました。本コラムではその“ズレ”に着目し、ある種バズワード化しているキャリア自律の本質について改めて紐解いていきます。

著者:小田切 岳士
同志社大学心理学部卒業、京都文教大学大学院臨床心理学研究科博士課程(前期)修了。修士(臨床心理学)。公認心理師、臨床心理士。働く個人を対象にカウンセラーとしてのキャリアをスタートした後、現在は主な対象を企業や組織とし、臨床心理学や産業・組織心理学の知見をベースに経営学の観点を加えた「個人が健康に働き組織が活性化する」ための実践を行っている。特に、改正労働安全衛生法による「ストレスチェック」の集団分析結果に基づく職場環境改善コンサルティングや、職場活性化ワークショップの企画・ファシリテーションなどを多数実施している。

なぜキャリア自律が必要なのか

そもそも、なぜキャリア自律が必要なのか。「企業側の事情」と「従業員側の事情」という2つの視点で見ていく必要があります。

企業側の事情として一般的に挙げられるのは、終身雇用・年功序列の崩壊により企業主導のキャリア形成が保証できなくなったこと、生産性の向上、自発的に成長しようとする人材の確保、従業員のモチベーション維持などです。

一方、従業員側の事情としては、より高待遇の職に昇進・転職するため、短時間労働などフレキシブルに働ける職に就くことができるスキルを得るため、社内外を問わず組織に依存せずに自己実現するため、などといったものが挙げられます。こちらは従業員自身のメリットにはなるものの、転職など企業にとってむしろデメリットに繋がってしまうものもあります。

このように企業側と従業員側では、そもそもキャリア自律の必要性、キャリア自律に求めるメリットが異なっていることがわかります。そのため、社内でのキャリアアップを目的とした施策や、企業固有のスキル向上を目的とした研修などが行われたとしても、従業員側としては必ずしも好ましくはない、というミスマッチが発生する可能性があります。

むしろ、自分のキャリアに役立つ一般的な情報提供や、外部研修を受けるための補助費の支給を求める声も挙がってくるかもしれません。これに関連して、「キャリア自律の促進は人材流出を促すのではないか」という懸念もよく議論の俎上にのります。

キャリア自律は企業にとって“損か得か”

それでは企業側として、キャリア自律は促さないほうが良いのでしょうか。キャリア自律に関する実証研究では、むしろ促したほうが良いという結果が見出されています。

キャリア自律研究での被引用数も多い高橋(※2)は、ビジネスパーソンを対象に行った定性・定量調査の結果、キャリア自律(行動)を構成する要素の1つに「主体的ジョブデザイン行動」が含まれることを明らかにしました。

主体的ジョブデザインには、「仕事の進め方や企画を立てる上で、今までの延長線上のやり方ではなく、自分なりの発想を持って取り組んでいる」「自分の満足感を高めるように、仕事のやり方を工夫している」といった項目が含まれています。つまり、キャリア自律をしている人は、今の仕事に対して自分なりに考えて取り組んでいる人でもある、ということになります。

さらに高橋は、この主体的ジョブデザイン行動が、今所属している組織内でキャリアを形成しようとする意識と、弱いながらも正の相関があることも示しています。

また堀内・岡田(※3)は、主体的ジョブデザイン行動に、現在の仕事の質を向上させる行動を組み合わせた「主体的仕事行動」も、キャリア自律を形成する1要素であるということを発見しました。加えて、この主体的仕事行動は仕事充実感を促進し、それが組織に対する愛着を高める、ということまでわかっています。

このように学術研究では、キャリア自律を促すことはむしろ従業員の組織へのコミットメントを促す、さらに言えば、主体的な職務行動それ自体がキャリア自律の構成要素の1つである、というように扱われているのです(※4)。

キャリア自律と”エンプロイアビリティ”は異なる

それでは、「キャリア自律が人材流出を促すのでは」という懸念は取り越し苦労なのでしょうか。この疑問を解消するために、キャリア自律に近接する概念である「エンプロイアビリティ(employability)」についておさえておきましょう。

この概念は、本来的には「組織内または組織外の労働市場で生き残れる可能性」(※5)という大枠での定義がなされていますが、諸研究では「今所属している組織以外で職に就くことができる能力・可能性」として扱われることが比較的多く、キャリア自律に含まれるような「主体的職務行動」は含まれていないことが主です(※6)。

「社外で就職できる能力・可能性」という意味でのエンプロイアビリティの効果については、情緒的コミットメントが低いとき、離職意志を高める(※7)効果があります。一方で、「社内に自分のキャリア目標を達成できるような機会がある」という条件つきで、エンプロイアビリティが高いほど離職意志を低める(※8)、という結果も示されています。

エンプロイアビリティについては高橋(※2)もキャリア自律との差異を強調しており(※9)、社外通用性の高いスキル開発を支援するなど、単純にエンプロイアビリティを向上させる“だけ”では、そのまま人材流出を招いてしまう恐れがあると言えます。

キャリア自律施策の目的・意味の丁寧な説明を

以上のように見ていくと、まず、キャリア自律という言葉について、企業は基本的に「社内」でのキャリア形成・職務行動を意図しているのに対して、従業員は「社外」を含めた、いわばエンプロイアビリティ的なものをイメージしている可能性があると考えられます。

そう仮定した場合、冒頭のキャリア自律に関する調査結果にみられた認識のギャップは、企業側の「自社内での望ましい職務行動をもたらすので促したほうがいい」という積極的な姿勢と、従業員側の「現状は、今の組織から出るという形でキャリアを形成することに関心が低い(※10)」という消極的な姿勢の”ズレ”を示しているのかもしれません。

このように考えてみると、「今の組織で働き続けること」は、企業と従業員間で実は一致しているということになります。しかしながら、キャリア自律という言葉へのイメージが両者間ですれ違ってしまっているため、企業側が「キャリア自律を進めていく」というメッセージを発信したとき、従業員側がそれを素直に受け取れていない可能性があるのです。

よって、企業側に必要な取り組みの1つとしては、キャリア自律施策がどのような目的・意味を持って行われているのかを、丁寧に、繰り返し説明していくことが挙げられるでしょう。そもそもどの施策がキャリア自律施策なのか、従業員側は企業側ほど認識できていない可能性も示唆されており(※1)、その点についても明示化する必要があると言えます。


※1:日経リサーチ「「キャリア自律」の現況を探る」https://www.nikkei-r.co.jp/files/user/pdf/column/NR_Career2020Nov20.pdf (2020/11/20閲覧)
※2:高橋俊介. (2003). キャリア論: 個人のキャリア自律のために会社は何をすべきなのか. 東洋経済新報社.
※3:堀内泰利, & 岡田昌毅. (2009). キャリア自律が組織コミットメントに与える影響. 産業・組織心理学研究, 23(1), 15-28.
※4:注意したいのは、高橋の調査では「自分で自分のキャリアを切り開き、自身のキャリアに対する評価も高いと思われるビジネスパーソン」を対象に面接調査を行い、その結果から尺度を作成・因子分析をしている点です。そのため主体的ジョブデザイン行動は、キャリア自律そのものを構成する1要素ではなく、キャリア自律者の「コンピテンシー」(ここではキャリア自律をしている人が取ってきた行動)的な概念を指している可能性があります。
※5:Thijssen, J. G., Van der Heijden, B. I., & Rocco, T. S. (2008). Toward the employability—link model: current employment transition to future employment perspectives. Human Resource Development Review, 7(2), 165-183.
※6:さらにエンプロイアビリティの周辺概念として、「キャリア・アダプタビリティcareer adaptability」「プロティアン・キャリアprotean career」なども挙げられますが、いずれも自組織にとらわれない、自組織の外部を志向したキャリア概念です。
※7:Acikgoz, Y., Sumer, H. C., & Sumer, N. (2016). Do employees leave just because they can? Examining the perceived employability–turnover intentions relationship. The Journal of psychology, 150(5), 666-683.
※8:Lu, C. Q., Sun, J. W., & Du, D. Y. (2016). The relationships between employability, emotional exhaustion, and turnover intention: The moderation of perceived career opportunity. Journal of Career Development, 43(1), 37-51.
※9:「エンプロイアビリティーを狭く解釈し、社外通用性のあるスキル開発ばかりに力を入れるのは、経営、個人いずれの視点から見ても、正しいキャリア自律とは言い難いし、キャリア自律に大きく逆行する恐れがある(p.104)」
※10:厚生労働省の調査によれば、1つの企業に長く勤めるというキャリアのあり方を支持する割合(加えて、終身雇用や年功賃金を支持する割合)は、近年むしろ増加傾向にあることが示されています(厚生労働省(2014). 職業生涯を通じたキャリア形成. 労働経済の分析-人材力の最大発揮に向けて-, 149-215.)

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