2025年2月14日
従業員と企業の成長を両立させる:HPWSの実践と課題
現代の企業経営において、人材マネジメントの重要性は高まっています。その中で注目を集めているのが、ハイパフォーマンス・ワーク・システム(HPWS)です。HPWSは、従業員の能力を引き出し、組織の生産性を向上させる一連の人事施策を指します。
具体的には、雇用の安定性確保、厳選採用、充実した研修制度、チーム制の導入、情報共有の促進、インセンティブ報酬の設計など、様々な取り組みを包括的に実施することで、従業員と組織双方にメリットをもたらすことを目指しています。
しかし、HPWSは万能な解決策なのでしょうか。本コラムでは、HPWSがもたらす効果と課題について考察を深めていきます。HPWSの導入によって組織にどのような変化が生まれ、どのような課題が発生するのか。また、企業の規模や状況によって、その効果はどのように異なるのでしょうか。
これらの問いに対する答えを探ることは、人材マネジメントに携わる方々にとって、いくらかの示唆となるはずです。HPWSの本質を理解し、自社の状況に応じた活用方法を検討する一助となればと思います。
安全パフォーマンスを高めるHPWS
HPWSの導入は、組織の安全パフォーマンスにどのような効果をもたらすのでしょうか。カナダのオンタリオ州で実施された製造業企業を対象とした大規模な調査から、この点について考えてみましょう。
各社の人事部長や安全責任者から得られた回答を分析した結果、HPWSを積極的に導入している組織ほど、休業災害の発生率が低いことが判明しました[1]。休業災害とは、従業員が事故やけがによって働けなくなる事態を指します。
このような結果が得られた背景には、複数の要因が絡み合っています。初めに、HPWSを導入している組織では、従業員を大切に扱う文化が根付いています。従業員は単なる労働力ではなく、組織の重要な資源として認識されています。そのため、安全に関するルールが自然と遵守されやすい環境が形成されます。
また、HPWSのもとでは、従業員は十分な訓練を受け、自身の業務に必要な知識とスキルを身につけることができます。このことは、従業員の安全意識と行動に変化をもたらします。組織から尊重され、成長の機会を与えられていると実感することで、従業員は安全行動に対して積極的な姿勢を示すようになります。
情報共有やチーム制などの仕組みが整備されることで、経営層から現場まで透明性の高いコミュニケーションが実現します。安全上の問題が発生した際には、速やかに上司と情報交換が行われ、改善策の検討も進められます。こうしたコミュニケーションの蓄積は、従業員の経営陣に対する信頼感を高め、災害防止に向けた協力体制の強化につながります。
第一線の従業員を対象とした分析からは、興味深い結果が得られています。HPWSの導入度が高いほど、従業員の安全に関する知識や動機が向上し、それに伴って安全行動も促進されることが明らかになりました。その結果、事故やニアミスといったインシデントが減少する傾向にありました。
この関係性は、経営陣への信頼と安全風土という二つの要素によって強化されます。従業員は、HPWSを積極的に導入する組織を「経営陣が従業員のことを真剣に考えてくれている」と捉え、経営陣への信頼を深めます。この信頼関係は、安全確保に向けた取り組みを実効性の高いものにします。
HPWSの導入は組織全体の安全風土を醸成します。情報共有やチームワークの促進により、安全に関する意識が組織全体に浸透していきます。定期的な安全ミーティングの開催や、グループ全体の安全パフォーマンスの評価などの取り組みを通じて、「安全第一」という価値観が組織の文化として定着していくのです。
結果的に、従業員同士が「安全行動を取るのが当たり前」「お互いに見守り合うのが普通」という意識を共有するようになります。このような環境では、危険箇所の早期報告や、周囲の作業員への安全行動の呼びかけなど、自主的かつ積極的な安全行動が自然と生まれてきます。
HPWSとパフォーマンスの好循環
HPWSと組織パフォーマンスの関係については、さらに発見があります。両者は相互に影響を及ぼし合い、好循環を生み出す可能性が高いという発見です。
カナダの事業所を対象とした長期的な調査では、HPWSの導入と組織パフォーマンスの間に、循環的な関係が確認されました。HPWSの導入は組織の生産性向上につながり、その生産性の向上が再びHPWSへの投資を促すという好循環が生まれるのです[2]。
HPWSの導入が生産性を高める理由について見ていきましょう。研修や権限委譲によって、従業員のスキルと主体性が向上します。業務に必要な知識や技術を体系的に学ぶ機会が提供され、それを実践する場も用意されることで、従業員の能力は着実に伸びていきます。
インセンティブ報酬制度は、従業員の成果を上げる意欲を高めます。個人やチームの業績が評価され、報酬に反映されることで、従業員はより高い目標に向かって挑戦するようになります。また、チーム制の導入は、革新的なアイデアの創出や迅速な問題解決を可能にします。チームメンバー間での知識共有や協力関係の構築により、組織全体の生産性が向上します。
こうした変化は組織の業績向上につながり、その結果として企業はさらなる人材育成や制度改善に投資する余裕が生まれます。利益やキャッシュフローが増えることで、研修の拡充や報酬制度の改良など、HPWSの充実に向けた投資が可能になります。
高い業績を上げることで、経営陣は「HPWSは効果がある」という確信を深めます。過去の成功体験が、追加投資への心理的な後押しとなるのです。人事部門も「さらなる成長にはHPWSへの追加投資が必要」という提案を、実績に基づいて行うことができます。
このように、HPWSと業績は相互に強化し合う関係にあります。ただし、この好循環には注意点もあります。HPWSが業績に与える効果は、一般に考えられているほど劇的ではありません。横断的な研究では「HPWSを導入している企業は業績が高い」という強い相関が見られがちですが、厳密な分析を行うと、その効果は比較的小さいものであることが分かっています。
しかし、小さな効果であっても、それが長期的に積み重なれば企業の競争力を確実に高めることができます。例えば、生産性が毎年少しずつでも向上していけば、やがては競合他社との間に明確な差が生まれることになります。HPWSは、「一気に劇的な変化を起こす」というよりも、「緩やかに、しかし確実に組織を強くしていく」要素として捉えるべきでしょう。
一方で、業績が低迷している企業は、このような好循環を生み出すことが困難です。HPWSへの投資に必要な資金や知識が不足しがちであり、導入したとしても十分な効果を引き出せない可能性があります。厳しい財務状況下では、短期的な売上回復やコスト削減が優先され、長期的な人事戦略としてのHPWSが後回しにされがちです。
低業績企業では人事担当役員の配置や専門知識を持つ人材の起用も難しく、「どのようにHPWSを導入・運用すればよいのか」というノウハウの蓄積も進みにくい状況にあります。HPWSと業績の関係は、すでに高い業績を上げている企業にとってより有利に働く傾向があることは認識しておく必要があります。
HPWSという言葉の曖昧性
ここまでHPWSの効果について説明してきましたが、実はHPWSという言葉自体にも課題があります。HPWSは「高いパフォーマンスを生む職場慣行の集合」を意味するものの、その具体的な内容やメカニズムが曖昧だという指摘がなされています[3]。
「高いパフォーマンス」という言葉の定義は、業界や企業によって異なります。製造業では生産性や品質の向上が重視されますが、サービス業では顧客満足度が重要な指標となるかもしれません。IT業界ではイノベーションの創出やスピーディーな対応が求められるでしょう。目標とする業績指標が異なれば、それを達成するための最適な施策も変わってくるはずです。
しかし、HPWSという用語は、「とりあえず良さそうな実践を混ぜ合わせたもの」となってしまいがちです。人事制度、研修、チーム運営、成果主義、コミュニケーション活性化策など、多様な取り組みが「良いこと」として混在し、「これとこれが必須要件」というガイドラインが存在しません。そのため、研究者や企業によって解釈や導入内容が変わってしまう問題があります。
HPWSという概念が生まれた背景には、従来の効率化ばかり追求して労働者の主体性を軽視するマネジメントに対する反省があります。そのため、「従業員の力を引き出し、業績を上げる手法」であれば何でもHPWSの候補になりがちで、その結果、手法が玉石混交となってしまっているのです。
そこで近年は、より焦点を絞った概念として、HIWS(High-Involvement Work System:高関与型ワークシステム)という考え方が注目されています。HIWSは、従業員の意思決定や問題解決への関与を高め、能力とモチベーションを活用することを目的としています。
HIWSでは、ワークチームの編成や問題解決グループの設置、人事異動の実施など、従業員が仕事に主体的に関わるための施策を重視します。「従業員を巻き込み、積極的な参加を促す」ことが核心にあるため、どんな施策を取るにしても、「現場の従業員が主体的に考え、行動する仕組みかどうか」が判断基準となります。
また、HCM(High-Commitment Management:高コミットメント・マネジメント)という概念も提唱されています。これは従業員との長期的な信頼関係を重視し、離職率の低下やロイヤルティの向上を目指すアプローチです。高水準の報酬、安定的な雇用、公正な評価制度などを通じて、従業員の組織へのコミットメントを高めようとします。
ここで重要なのは、高いコミットメントと高い関与は必ずしも同じものではないという点です。高報酬や安定雇用でコミットメントを高めても、必ずしも従業員の関与や自主性の拡大にはつながりません。コミットメントは「組織にどれだけ愛着を感じるか」という点に関わりますが、関与は「仕事そのものにどれだけ主体的に参加するか」という点に焦点を当てています。
HPWSという包括的な概念を、より焦点を絞った概念に分解して考えることで、各施策の効果や課題を把握できるようになります。HPWSという言葉だけに囚われるのではなく、自社の状況や目指すべき方向性に応じて、HIWSやHCMといった概念を選択的に活用していくことが有効でしょう。
小規模企業におけるHPWSの限界
HPWSの導入効果を考える上で、企業規模による違いにも注目する必要があります。特に小規模企業では、HPWSの投資効果が十分に得られない可能性があることが指摘されています[4]。
米国での調査では、小規模企業においてHPWSを導入した場合、労働生産性の向上や離職率の低下といった効果は確認されています。従業員の処遇が改善され、学習やキャリア成長の機会が増えることで、従業員満足や組織コミットメントが高まり、退職を抑制できるようになります。能力の高い人材を採用し、グループベースの業績給や人事異動、研修などでスキルやモチベーションをさらに引き出すことで、企業全体の生産性も底上げされます。
しかし、そうした効果がHPWSの導入・運用コストを上回るかどうかは、慎重に検討する必要があります。小規模企業がHPWSを導入する際の課題として、まず高額な初期投資が挙げられます。研修の開発や運営には一定の費用がかかりますし、市場平均を上回る給与水準の維持も必要です。グループ報酬制度の設計・運用にも専門的なノウハウが求められます。
小規模企業は大企業と比べて人事専門家が不足しがちです。そのため、HPWSを効果的に運用するためのスキルやノウハウが十分に蓄積されにくいという問題があります。HPWSの導入には、人材育成や評価制度の設計など、専門的な知識が必要ですが、そうした知識を持つ人材を確保・育成することは、小規模企業にとって負担となります。
研修や異動の準備にも手間がかかります。研修の設計・運営には、ノウハウと予算が必要です。異動も現場の配置や業務調整に手間がかかります。大企業に比べ、追加投資や長期的視点でのリターンを待つ余力が少ない小規模企業にとって、これらの負担は決して小さくありません。
ただし、小規模企業におけるHPWSの効果が全くないわけではありません。特に「グループベースの業績給」「給与水準」「人員配置の広範性」といった要素は、小規模企業でも有効に機能することが確認されています。小規模企業では1人ひとりの従業員が担う役割が大きいため、優秀な人材の採用と定着が経営に直結します。
人員配置の広範性は、小規模企業において特に重要です。採用時にしっかりと優秀な人材を見極めることで、経営に直結する成果を期待できます。また、給与水準を市場平均より高めに設定することで、応募者の質を上げ、採用後の離職も防ぎやすくなります。グループベースの業績給は、小規模企業では部署やチームの規模が小さいため、メンバー同士がまとまりやすく、成果につなげやすいという利点があります。
脚注
[1] Zacharatos, A., Barling, J., and Iverson, R. D. (2005). High-performance work systems and occupational safety. Journal of Applied Psychology, 90(1), 77-93.
[2] Shin, D., and Konrad, A. M. (2017). Causality between high-performance work systems and organizational performance. Journal of Management, 43(4), 973-997.
[3] Boxall, P., and Macky, K. (2009). Research and theory on high-performance work systems: Progressing the high-involvement stream. Human Resource Management Journal, 19(1), 3-23.
[4] Way, S. A. (2002). High performance work systems and intermediate indicators of firm performance within the US small business sector. Journal of Management, 28(6), 765-785.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。